「おっさんずラブ」というドラマ、振り返ってみると、本当にたくさんの奇跡の連続で成り立っている。
でもまず、何といっても、
「単発ドラマからの連ドラ化」
これこそが、すべての奇跡の始まりであることには間違いない。
「おっさんずラブ」は、2016年の年末に深夜ドラマとして生まれた。私はリアルタイムでは見ていなくて、連ドラ本編が終わった後に特別枠で放送されたものを録画して見たから、まっさらな状態で単発版を見た人の気持ちにはなれない。
2016年のあの時期なら、このドラマが新鮮に映っただろうし、コミカルで面白く、腐属性がある女性には特に刺さっただろうな、と思う。今見ると、連ドラに比べて表現の粗さが目につくし、やはり男性同士の恋に対して世間の偏見がごく普通にある世界として描かれているから、ところどころハラハラする。春田が後輩のハセに恋心を打ち明けられて見せる拒絶の強さは、結構きつい。今や立派なOL沼の住民でも、「単発版は好きになれない」という人もいるのは理解出来る。
が、この単発版を見た視聴者からの反響が、制作側を驚かせるくらい大きかったんだな。
「想像以上の反響をいただいて、私たちもとても驚きました」と貴島プロデューサーがインタビューに答えて語っている。
貴島Pがなぜ「おっさん同士の恋」のドラマを作ろうと思ったのか、ヒットを受けてのインタビュー記事で何度も語っているから、沼ではよく知られている。
一緒に生活していて楽しくて楽で、好きな相手なら、異性じゃなくてもいいじゃないか、と思ったのが始まりだった、と。
でも、「同性だから」という部分をクローズアップするのではなく、あくまで「人が人を好きになること」を大事にして、純愛ドラマを作った。
プロデューサーとしてほぼ初めてのドラマに、貴島Pが込めたこの想いの強さが、単発版を見た人に響いたんだと思う。
私はBLも好きだし、腐属性を持っている自覚はあるけれども、「おっさんずラブ」を好きになったのは、決して「腐」の部分が反応したのではない、と感じている。
確かに、「同性同士」というのは、恋愛の純粋性を高めるのに有効な設定ではあるけれども、「おっさんずラブ」で描かれた恋愛は、人が人を好きになるのはどういうことかを問う、本当に純粋な愛の物語だった。
2018年の連ドラで丁寧に描かれた、その「核」となる部分を、単発版を見た視聴者が感じ取ったのだと思うんだよね。
だから、制作側が思ったよりも大きな反響になった。
だって、「あ、予想以上に面白かったわ」程度の感想だったら、わざわざテレビ局に感想を送ったりしないじゃないですか?
(うわー、面白い!! これは絶対に続きが見たい!!)
とそこまで感じて初めて、「続編を作ってください!!」という要望メールになるわけで。
これももう、ずーっと言いたかったので、ここで言っておきますね。
わざわざ手間をかけて続編要望のメールをテレ朝に送ってくれた単発版ファンの皆さま、誠にありがとうございました!!!!
あなた方がいなかったら、今の「おっさんずラブ」はありません。
本当に本当にありがとう!!!
で、ですよ。
ただ単に「反響が大きかった」だけだったら、多分連ドラ化は難しかったと思う。
ところがそこへちょうど、「土曜ナイトドラマ」という新枠が立ち上がったんですね。「新しい時代へ向けたドラマを作っていこう」というコンセプトで。
そこで、「おっさんずラブ」が改めて連ドラとして作られることになった。
貴島Pと視聴者の熱意が呼び込んだ、一つめの奇跡と言ってもいいんじゃないでしょうか。
「深夜に放送した単発作品が連ドラになるというのは奇跡的なことだなと思っていて。2016年版の撮影のとき、現場がとても楽しくて、主演の(田中)圭さんや(吉田)鋼太郎さんとも「またやりたいね」と話はしていたのですが、そのときは夢物語だと思っていて。お2人をはじめ、スタッフ一同、連ドラ化が決まったときは本当に感動しました。」
(2018年6月「リアルサウンド」インタビュー記事より抜粋)
この、「深夜単発版➝連ドラ化」の流れに関して、私が抱く感慨が二つある。
一つは、「強い思いは周りを動かす」ということ。
「諦めなければ夢は叶う」とかって、CMやドラマでよく耳にする表現だから、手垢がついて感じられるというか、綺麗ごとみたいに片づけられてしまうキライもあるけれど、私はこれ、本当だと思っている。
人の思いの持つ力は結構強い。本当に心から願うことは、腹の底から思っていれば、そして実現に向けて行動にうつしていれば、叶うことも多いと、これは経験から感じることだ。
こうして、若手プロデューサーである貴島Pにチャンスが巡ってきたのも、貴島さん自身が幸運を引き寄せたのだと思う。
どれか忘れたけど、何かの雑誌のインタビュアーも貴島Pに言っていた。
「それは、貴島さんの思いがそれほど強かったということですね?」
みたいなニュアンスの発言。
私もそう思う。
深夜の単発版から連ドラになったのも、その連ドラがあれだけの大旋風を巻き起こしたのも、元はと言えば、きじPがこのドラマに込めた思いがそれほど強かったのと、ピュアだったからでしょう。
もう一つ。
「優れた表現者は時として時代の予言者となる」というもの。
これはもう、ずっと前から感じていることだった。私が好きな作家が新聞に小説を連載していて、楽しみに読んでいたんだけど、罪悪感なく女性を次々と殺していく男の話だったんですね。連載中に、まるで物語をなぞったような事件が起きた。
そうした場合必ず出てくる「この小説がヒントになったんじゃないか」という批判、そのときも沸いていたけど、そうじゃない!と私は声を大にして言いたかった。
優れた表現者は、時代の空気を感じ取る能力が普通の人より鋭敏なのだ。そのときの「時代」を漉し取ったものを凝縮して物語に落とし込む。だからしばしば現実と不思議なリンクを起こすのだ、と。
その後、話題となった小説で何度も同じ現象を見てきて、(やっぱりそうだ)と確信を深めております。高村薫の「レディ・ジョーカー」とかもそう。
しかしその中で一番不思議だったのは、村上春樹の「海辺のカフカ」だ。空から魚の一群が降ってくるという場面があるんだけど、私がその場面を読んだ次の日の朝刊に、スペインかどこかで「突然空から魚の雨が降り注いだ」というニュースが載っていた。
このときは本気でビビりました。笑
余談ですが、私には昔から「読んだ本とメディアがなぜかリンクする」というジンクスがあります。
あれはいつだったかなあ、高校だったか大学だったか、図書館で芦原すなおの「青春デンデケデケデケ」という本を借りて読んだら、ちょうどその日の深夜にテレビで劇場版をやってて、まったくの偶然だったから驚いた。これはホント、時々起こる現象で、大人になってからも、「アポロ13」の本を買ってきて読んだら、その次の日、金曜ロードショーで映画を放送した。
なので、ここで「カラマーゾフの兄弟」のことを書いた2か月後にEテレの「100分de名著」でカラ兄がテーマになったのは、(あ、このリンク、久々やな…)と面白く感じました。
閑話休題。
貴島Pが、自分ごととして感じた「なにか」をドラマに落とし込んだことで、「おっさんずラブ」というドラマは生まれた。
その「なにか」が、今という時代を映し出していたのだと思う。
だから、今という時代を生きる私たちの心の、どこだか自分でもよく分からない部分が、こんなにも共振したのだ。
「今と言う時代」と、こう書くと簡単だけれども、「時代」って少し過ぎてからじゃないと全体像が分からないし、今、自分が何をどう感じているのかということも、日々細かく分析しているわけじゃないから、さくっと言葉で表現するのは難しい。
だから「おっさんずラブ」の感想ブログがこんなに長く続くことにも繋がっているんだが(笑)、我々民のみんなに何が共通するのかと言えば、この「共振現象」だと思う。
最初は少しずつ違うリズムで振れていたのが、SNSを介して思いを共有することで、振れ幅も一致したのだ。違うタイミングで振れていたメトロノームのリズムが同期するみたいに。
そうして、共振が増幅することで、あの爆発的なヒットが生まれたのだと思います。
2016年~2018年というあの時期に、「おっさんずラブ」というドラマがちょうどぴたっとハマり込んだ。
あのタイミングで生まれたことが、まず第一の奇跡だったと私は思う。
そしてこの奇跡が、その後の大きな奇跡を呼び込んでいくもととなる。
奇跡が実現していく瞬間に立ち会えたこと、この後もきっと、ずっと心に残る宝物になるだろうな。
そのことだけは間違いない。