おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

三度(みたび)の、HIIT!!

 元の通りがしがし筋トレする体力を取り戻して、真剣に取りくんでおります。

 HIIT、やっぱりしっかりやると気持ちがいい。

 

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 元々筋トレしていた身体は、一度怪我や病気で筋肉が落ちてしまったとしても、トレーニングを再開すると割と早く取り戻せる。

 もうバーピーとかきつい運動をやっても大丈夫。

 大丈夫だけど、翌日の筋肉痛がまだえげつない。笑

 

 健康維持のためにやっていることではあるけど、身体を動かして汗をかくことは、シンプルに気持ちいい。

 モヤモヤしていることがあったとしても、忘れることが出来るし、終わったあとはどうでもよくなっている。

 もう筋トレは完全に趣味ですね。私にとって。

 

 

 個人的に、太ももと体幹、肩甲骨周りは絶対動かしておいた方がいいと思います。

 特に、肩甲骨周りは、デスクワークで固まってしまっている人が多い。肩関節の可動域が小さくなると、四十肩や五十肩になりやすくなるし、肩凝りも生じやすくなる。姿勢が悪くなると、呼吸が浅くなって、(なんかしんどい…)と感じやすくもなる。

 今年前半はアレでしたが、ここからしっかり取り戻していこうと思います。

 

 

 

壺を買うか買わないか

 コロナ罹患後、高熱に苦しんだ10日間を経て、娑婆に復帰し、なかなか戻らない体力にしんどい思いをしていた先月半ば、しきりに脳裏をかすめていた考えがある。

 2月に事故で負傷。それから数か月と経たないうちのコロナ罹患。

(なんで?)

という思いが、どうしても沸いてくるんだな。

(これは偶然なのか?)

と。

(いやいや、偶然でしょう。立て続けに悪いことが襲ってくることもある)

と、平常時は判断できる。でも、身体が辛いと、思考もネガティブモードになりがちで、馬鹿なこととは思いつつも、

(……私、なんかしたかな?)

と、あたかも自分が過去にした過ちの罰であるかのように考えてしまうこともあった。

 だって、1月に掲げた今年の抱負、「健康」だよ。それが立て続けに怪我とコロナ、冗談みたいなタイミングじゃないですか。

 そこが人間の弱さと知っているのに、つい、

(そこに意味はあるのか?)

と疑ってしまう。

 偶然ではなく、何か意味があったのではないか、と。



 で、分かった。

 こういうタイミングで、狙いすまして

「何か心にかかることがおありですね」

と自称カリスマ占い師でも現れたら、ちょっと心がぐらつくかもしれん。

「大変な目に遭われましたね。でもそれは、実はスピリチュアルな世界からのメッセージなのです」

とか言われたら、信じてしまいそうになるかも。

 そんで、水晶玉だかタロットカードだかを覗き込みながら、

「ああ……このままだと、8月にまた、何か大きな出来事に見舞われるかもしれません」

「でも、今ならまだ間に合います。私の友人も、前世の過ちが元で起きている霊障に悩まされていましたが、この壺を買うことで未来の禍を回避できました」

「今は皆さん大変な時です。30万円を、コロナ特別価格の15万円でお渡しできます」

とかなんとか畳みかけるように言われたら、もう痛い目を見たくない一心で、

「か……買います!」

と口走るやもしれぬ。

 いや知らんけど。



 なるほどなあ、と思ったのだった。

 人はとかく、自分の周りで起こる事象に意味を求める生き物だ。人間の脳は無意味やまったくの偶然を嫌う。超速で物事を暗記する達人は、一見バラバラの、意味のない文字の羅列に、自分なりの意味をくっつけて覚えるという。

 自分にとって「よくない」と思える出来事が続くと、つい、(何か原因があるのではないか)と考えてしまう。

 上に挙げたのは単なる仮定の話だけど、コロナ禍の今、こういう霊感商売、どこかの悪党がやってそうですやん。

 くわばらくわばら。




 やっと本当に体力が元の通りに回復した。休日の一日、おかずのつくりおきに精を出すことも出来るし、終わってからハードな筋トレに汗をかくことも出来るようになった。

 怪我とコロナで、自分の思うとおりに身体を動かせない期間を長く経験した今、このことを(めちゃくちゃありがたい)と痛感している。

 一番大事なのは健康だと、40も過ぎれば誰しも分かってはいると思うんですよね。

 でも、頭で理解しているのと、実際に失ってみて、ありがたみが骨身にしみているのとでは、理解度が違う。

 1月に、「今年の目標は『健康』!」と掲げたときと、今では、心持がまるで違っている。

 人間、大事なのは健康だし、若さを失ってからは、健康の維持にはそれなりの努力が要る。

 自分メンテ、本当に重要。




 インチキ霊感商法は唾棄すべきだけど、スピリチュアル系が全部インチキかと言えば、そうとも言えない、と私は思っている。

 「健康」を掲げたものの、心と身体全部で分かったとは言えない私にとって、怪我とコロナが立て続けに襲ってきたのは、結果的によかったのだ、と今では思う。

(もしかすると、私の守護霊がそう仕向けたのかも)

くらいには思いますね。

 360度どこから見ても健康! 心も身体も元気! な状態を維持するには、自分の頭で考えて、積極的に食療法や筋トレやしていかないといけないことも分かってるし。

 苦難の経験を有意義に捉えて、今後も頑張っていきたいと思います。




 あ、ちなみに、表題ですが、壺を買うのが悪いと言っているわけではありません。悪しからず。

 数十万の壺をぽんと買う経済的な余力があり、買っても後悔しないなら、それはその人にとって、ごく普通の買い物に過ぎない。

 その上、「買ってよかった!」と思えるならもう、他者が咎めるポイントは何もない。

 壺購入は、購入者の人生にプラスの作用をもたらしているのだ。

 この辺のからくりは、京極夏彦京極堂シリーズを読むと、詳しくなれます。



 高額の壺を買うには、経済的にも家のスペース的にも余裕のない私は、立て続けに襲ってきた不幸(?)の意味を自分なりに捉えて、今年の後半はせめて健康でアクティブに過ごせるよう、腐心していく所存でございます。

 怪我とコロナの高熱で大変だったけど、人生の経験値はまたひとつあがったような気がする。

「スタンド・バイ・ミー」 感想

 最近、金曜ロードショーのラインナップが充実している。

 と感じるのは、私たちの世代にドンピシャで響く名作を再放送しているからなんだろうな。毎週楽しみ。

 中でも、スタンド・バイ・ミーは懐かしく、色々思い出しながら観た。



 この映画、観た人の誰もの胸に、言いようのない郷愁を呼び起こす作品だと思う。

 アメリカに行ったことはない。文化も習慣も何もかも違うんだけど、でも、子供時代に特有のものがあって、それは恐らく人種や文化の違いを超えて共通なのだ。



「あなたはどんな子供時代を過ごしましたか?」

と聞かれて、どう答えるだろうか。

 楽しいことも、悲しいこともあった。だけど、子供のころの私が感じていたのは、(生きるのは大変だ)ということだった、と今にして思う。

 思い通りにならないことが多すぎた。何かをやれば大人に怒られる。やりたくても、家の事情で出来ないこともある。

 小学校にあがって、それなりに楽しかったけど、クラスでもめ事が持ち上がったり、仲良しグループの中でも反目が生まれたりして、その都度色々振り回されて、しんどかった。

 しんどさの原因は、「自分が子供であること」だった。子供だから、自分の環境を自分で選べないし、自分自身も制御できない。何をやるにも大人の許可がいる。

 だから、早く大人になりたかった。

 判断力があって、自分で何でも決められて、誰からも指図されない、独立した大人になりたいと、私はものごころついたときからずっと思っていた。

 だから、18歳で大学進学と同時に家を出るのは、当然のなりゆきだった。



スタンド・バイ・ミー」を見ると、子供時分に感じていた生きづらさをまざまざと思い出す。

  主人公のゴーディは、優しかった兄を不慮の事故で失ったばかりだ。それだけでも悲しいのに、やりきれないのは、両親がいまだに兄の死から立ち直れず、ゴーディに関心を向けないことだ。特に父親は、兄だけを愛して、自分のことを憎んでいる、とゴーディは思っている。だからゴーディの居場所は家ではなく、仲間たちと過ごす秘密の小屋の中にある。

 ゴーディの親友クリスも、お世辞にもいい家庭の子供とは言えない。兄はいるが、札付きの不良で、町でも有名な鼻つまみ者だ。この兄のせいで、クリスまで不良のレッテルを貼られている。頭脳明晰なのに、教師からも疎まれている。

 私が育った環境は、彼らとは全く違うものだった。なのに、ゴーディが感じている虚無感とか、家でのいたたまれなさとか、クリスが大人の狡猾さや不平等に感じる憤りとか、(分かる)と思ってしまうのはなぜなんだろう。

 多分、子どものときの私も、周りの大人の話を聞いたり、自分への扱いに感じることがあったんだろう。だけど言えずに、心の中にしまいこんでいた。しまったまま忘れていた、その箱の蓋が、「スタンド・バイ・ミー」を見ると、勝手に開いてしまうんだと思う。そんな感じ。

 少年たち4人が、「死体を見に行く」という冒険を主軸に描かれるが、大人になったゴーディが過去を振り返る形で物語が進むから、もしかすると、リアルタイムで見たときよりも、今の方が心にしみるのかもしれない。



 昔見たときには、「大人に黙って子供たちだけで遠くまで冒険に出かける」というのがもう、スリリングだった。

 線路伝いに歩いていって向こうから列車がやってきたり、ケンカしたり、色々大変なんだけど、でも絶対楽しいよね。先に何が待ち受けているか分からない。怖いし、怖気づいて「もう引き返そう」という気にもなるんだけど、仲間がいるから先へと進む勇気も沸く。

 この映画、有名な場面がいくつもあるけど、森の中に出来た水たまりに落ちてバシャバシャやる例のシーン、私は田舎育ちなので、

(ああッそんなところで長くいたらヒルが……ヒルが吸いつくぞ……)

とハラハラしながら見ていて、案の定だった。

 実家のそばにも、小さい池と水たまりの中間みたいなのがあって、そのそばを通るときいつも祖母から

「あそこに入って遊んじゃダメだよ。ヒルがいるからね」

と言われていたからだ。

 ヒルとはどんなものか、聞いた私は気持ち悪さに縮みあがり、(絶対水には入らない)と決めて、言いつけを厳守した。

 だから実際ヒルに吸いつかれたことはない。この映画で、少年4人の身体に群がるヒルを見て(ヒィィィ……)と泣きそうになった。

 まさか本物…?と思ったら、映画用に作られた小道具なんですってね。よく出来てるわー。

 映画と分かっていても、最後に

「この中にもいる……」

とべそをかきながらパンツに手をつっこんでヒルを取り出し、気絶してしまうゴーディが気の毒で、可哀そうなんだけど可笑しくて、忘れられない場面ですね。

 

 子供は何かと不自由だけど、子供だからこそ可能なこともある。

 例えば、ゴーディとクリス、テディとバーンは、頭脳の明晰さにはっきりと差がある。話上手なゴーディが即興でお話をひとつ語っても、クリスは心から楽しんで大笑いするが、テディとバーンには今ひとつ「オチ」がのみこめない。

 この4人が一緒にいて、同じ時間を共有できるのは、恐らくこの年頃が最後くらいではなかろうか。大人になった今見ると、(成長した4人が行動を共にすることは難しいだろう)ということも分かってしまうからだ。

 この、12歳の夏という限られた時間にだけ存在した「最高の仲間」。

 大人になった今、連絡を取り合うことがすっかりなくなったとしても、その思い出はゴーディにとって忘れられない宝物だったんだな。



 ところで、私の世代がこの映画を見るとき、せつない気持になってしまうのは、主役の一人がリバー・フェニックスだからだ。

 まだあどけなさの残る少年顔のリバー、やっぱり美形ですよね。

 当時、リバー・フェニックスは世界中でアイドル的にもてはやされていたと記憶している。私のクラスメイトでも、彼に夢中になっている女子は何人もいた。

 あのときは、まさか23歳という若さで早逝してしまうとは、夢にも思わなかった。



 この映画で彼が見せた演技は素晴らしいと思う。

 頭がよくて、優しく、親友のゴーディに寄せる信頼と尊敬が心からのものだと分かる。世間からの偏見や不平等に苦しみながら、自分の家庭環境のせいだ、と諦めている。煙草を吸うときの悪ぶった顔や、エースと対決するときの、プライドと怯えが入り混じった表情。

 あの年ごろの少年だけが持つ美しさとあいまって、この映画がヒットし、彼の名前が世界中に知られることになったのは、さもあろうと納得できる。

 しかし恐らく、スターダムに躍り出たことが、彼の人生にドラッグをもたらすことになったのだろうとも推測出来てしまう。

 ハリウッドで売れるということは、ドラッグの誘惑と闘うということでもあるらしいと、私たちはこれまでの子役スターの「その後」で知ってしまっている。

 テディを演じたコリン・フェルドマンも、ドラッグに侵された人生を歩むことになったそうですね。

 ハリウッドという場所は、華やかだけどデタラメで、多分無茶苦茶な大人たちが大勢いて、危険な闇がいくつも潜んでいるのだと思う。




 この映画は、リバー・フェニックスという俳優の、一瞬の煌めきを閉じ込めた作品でもある。

 今でも多くの人が、彼を忘れられずにいるだろう。

 特にファンだったわけでもない私でも、ふと彼を思い出して、(リバー・フェニックスが今生きていたらな…)と惜しまずにはいられないように。




 昔の映画を見ると、今や主役級になった俳優が脇役で出ていたりするけど、エースがキーファー・サザーランドだと知ったときは驚いた。

「あっ、言われてみれば確かに! しかも顔なんかそのまんま!」

 24がヒットしてよかったね。私はそちらは見てないけど。

 で、今さらっとwikiを見てみたら、こちらはドラッグであげられたことはないけど、飲酒運転やら酒にまつわる不祥事が一度ならずあり、4度の逮捕歴があるそうな。

 うーむ、やはりハリウッド俳優。。




 4人の少年の大冒険にまつわる悲喜こもごもを描いた「スタンド・バイ・ミー」、2021年に鑑賞する側としては、その裏の事情なんかもチラチラ頭の片隅をよぎりながら見るので、映画に描かれたストーリー以上に、色んな味わいを感じてしまうのでした。




 しかし、1986年の映画だったんですね。

 今見ても、まったく古びておらず、面白いと感じる。

 やはり、人間を描いた物語は普遍性を失わないのだな。

私の頭の中の春牧

www.pixiv.net

 

 pixiv更新しました。

 ちっくりちっくり進んでおります。が、寸止めで焦らし過ぎたせいか、牧がなんか予定外に暴走を始めました。

 

 

 春田と牧が住む世界に、「田中圭」という別の俳優が存在している、というメタ的な設定です。

 春田と田中圭は別人なので、座長は名前しか出てきません。

 悪しからず。

「ミステリと言う勿れ」ドラマ化決定!

 決まったそうですね。やっぱりな。

 そんで主演は菅田将暉だってさ! 

 やっぱりな!!!

 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 当たった!(/・ω・)/

 

 他のキャストも私の願望通りなら嬉しいが、主演クラスをそう何人もは無理かもしれんな。

 主演以外まだ発表がないということは、今調整中なんでしょう。

 

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 脚本相沢友子さんだし、期待が持てそう。

 今後の発表を楽しみに待つとしよう。

おっさんずラブ第四話④ 絆と誤解とプリけつと

 場面は変わって、真っ黒な夜空に浮かぶ黄金色の満月。

 ……かと思いきや、黒澤夫妻のダイニングキッチンだった。月を模した照明。柔らかい明かりで、夜の居室を居心地よいものにしてくれるライトだ。

 もしかすると、この家を買ったとき、2人で家具を選んだりしたのかもしれぬ。

「お月様みたーい!」

と喜んで選ぶ蝶子さんと、

「いいじゃない。これにしようよ」

と微笑む武蔵。……みたいな歴史が宿っているライトなのかもしれんなあ、などと、勝手な想像を繰り広げて、感慨に耽ってしまいますね。こう何度も目にしていると。

 一話のラストでも見られたこの演出、黒澤夫妻の間に不穏な空気が漂っているときに使われるのかもしれない。

「ただいま」

 帰宅した武蔵が蝶子さんに声をかける。

 が、だん!だん!だん!と音を立ててキャベツを刻んでいる蝶子さん、振り向きもしない。

「きょ……今日は、豚カツ…?」

 精一杯普通を装って話しかける武蔵。

 ファミレスであんなやり取りがあったというのに、何をノンキな……とも思うが、まあ、これが一緒に暮らしている家族の厄介なところで。気まずいことがあったとしても、顔を合わせなければならない。それでなんとなくなあなあになっていつの間にか仲直りした感じになることも多いんだけど、今回ばかりはそんな案件ではない。

 蝶子さん、無言でだん!だん!だん!だん!とキャベツを刻み続ける。

 増えていく大量の刻みキャベツ。

「お……お代わり自由な感じ?」

 無言。

 張り詰めた空気の中に響く包丁の音。

 鼻白む表情を見せる武蔵、完全にビビっている。

 まあ、彼が蝶子さんにした仕打ちを思えば、これくらいビビらせてもいいと思います。



 

 さてこの四話、春田のポンコツぶりが目につく回でもある。

 何がって、仮にも不動産会社の営業なのに、春田に法律の知識がなさすぎることだ。

 不動産の営業って、宅建の資格がないと話にならないことが多い。資格を持ってない人もいるけど、法律の知識は必須の職業だ。

 あと、

「タワマンが出来て、その1階にわんだほうが入るんだって」

と牧に伝えておきながら、

「不動産会社どこですか」

と聞かれて

「あ、聞いてない」

と普通に答えるところ。

 いや、聞こうよ。自分の馴染みの場所にそんな話が持ち上がったと知ったら、どの不動産会社が担当するのか興味持とうよ。

「タワマンてなると、あの辺昔から地主も多いし、買収するの大変だったでしょうね」

 新入りのはずの牧の方が勘所を押さえている。

 そうなんですよ。タワマンが建つとなると、周り中の店や家に影響が出るわけで、話が具体的に進んでいるのに、今まで全然話を聞いたことがない、というのが既におかしいのだ。

 ……と、このドラマ放映時私は不動産関係の会社にいたこともあって、春田の感覚にビックリでした。

 牧に指摘されて、

「あ…そうだよな」

と、春田も遅まきながら気づいたようだけど、ここで春田はそれどころでなくなってしまう。

「一枚くださる」

と声をかけられ、

「あ、ハイ!」

と反射的にチラシを持って振り向くと、そこには固い表情の蝶子さんが立っていた。




 黒い服に黒いコート。肩にかけた鞄まで黒い。

 黒装束に身を固め、春田を正面から見据える目は険しい。

「あなたを訴えます」

「……え!?」

「あなたさえいなければ、夫は私の元から離れることはなかった」

「……」

 春田、何か言おうと口を開くも、言葉が出てこない。

「あなたが、30年間の夫婦生活をいとも簡単に壊したのよ」

「! ……奥様、奥様ッ、ちょっとお待ちください!」

 蝶子さんの中で、完全に「夫と春田がつきあっている」という構図が成り立っている上、「春田の方が夫をたぶらかした」と誤解されていると分かり、さすがに慌てる春田。

「僕は本当に何も…!」

 必死に潔白を訴えようとするも、聞く耳を持たない蝶子さん、

「この破壊神!!」

 大声をあげて、春田の胸をどーんと押す。

 春田、あっさりと後ろに引っ繰り返り、地面に転がってころりんとプリけつを披露…という流れでした。




 パートナーに浮気されたとき、男性は心を移した当の本人を責め、女性は浮気相手の方を責めるとよく言うけれど、ここでもその通りになってますね。

 蝶子さん、(なんでこんなことになったのか)をずーっと考えてたんじゃないですかね。

 ついこないだまで優しかった夫。記念日もちゃんと覚えていてくれたし、薔薇の花束も贈ってくれた。

 それがなぜ……と考えるに、

(きっと相手の方から夫に迫ったに違いない)

という結論になったのか。

 30年連れ添った妻でなく、新たな想い人を選んだのは武蔵の方なのに、やっぱり夫を責めたくないんですね。まだ武蔵に気持ちがある蝶子さんは。

 だん!だん!だん!とキャベツの大量殺戮を行っていたあの勢いのまま、春田に宣戦布告に来たんだろう。

 これに関しては、春田は無実だし、蝶子さんの完全なる誤解なんだけど、夫が突如他の人を好きと言い出した妻の気持ちが分かってしまう。

 まあ、そうなるよなー…と、蝶子さんの方に共感を持って見てしまいますね。



 蝶子さんの言う通り、30年という年月は長い。そして重い。

 その絆があるからこそ、武蔵も思い悩み、春田への想いを自覚しつつも、これまで蝶子さんに言い出せなかったのだろう。

 ドラマでは武蔵の苦悩についてはあまり時間を割いて描かれていないけれど、靴を履かせてくれた春田に武蔵が恋に落ちたのは10年前だから、当然そうでもあろう、と視聴者は容易に想像できる。

 蝶子さんのことは家族として愛しているから、傷つけたくはない。でももう、恋心を無視できない。

 一度しかない人生、自分の心に正直に生きよう、と思った武蔵が選んだのは、春田の方だった。

 それも理解できるから、武蔵のことも責められない。





 ところでここで、テーマソング「Revival」を歌うスキマスイッチの二人がカメオ出演しているのが、おっさんずチームらしい遊び心だ。

 Mステに座長と出演したとき、

「めっちゃ緊張した」

と仰ってましたね。その横で、畑違いの場所に超緊張している座長が借りてきた猫みたいになっているのも微笑ましかった。

 この場面が、「Revival」のMVのあの「OL続編」とも言うべき場面に結びつくことになったかと思うと感慨深い。

 あと、不動産屋のサンドイッチマンって、私が以前勤めていた会社ではやらなかったし、そもそも見かけたこともない。

 東京とか関東ではあるんですかね?

 それもちょっと不思議でした。




 

 にしても、すってんころりんした春田のプリけつ、まことに形がよいですね。とてもよい。

 ストーリーには全然関係ないけど、このすってんころりんシーン、そのせいでとても印象に残っている。

 と、変態的に締めたところで、今回はこの辺で。

コロナサバイバーの現況

 深い時間にこんばんは。今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 もう大概眠いのですが、疲れすぎて眠れないのでブログでも書くことにして、むくりと起きた次第でございます。

 せっかくなんで…というのもアレですが、コロナ回復後の体調についてなど書いておこうかと。

 

 

 隔離期間を経て、職場に復帰したのが先月下旬になってからでした。

 一番最初、10日以上ぶりに外出したときには、高熱の後にしては予想外に普通というか、(あれ、意外とダメージがない?)と感じました。結構歩いたし。階段も平気だった。

 ところが、職務復帰となると、そうはいかなかった。

 一応、元気な顔は出来る。笑顔で声を張ることも出来る。

 ただ、午前中の勤務が終わるとどっと疲れて、へたり込んでしまうくらいに消耗してしまう。古くなったスマホの充電、朝100%にして出かけたのに、お昼にはもう50%になってたりするじゃないですか。あんな感じ。

 充電は日に日にマシになっていって、2日目には16:00、3日目には17:00、4日目には18:00と、(あーもう電池切れた…)てなる時間が延びてはいったんだけど、仕事が終わって(……しんどー……)てなるには違いない。

 階段の上り下りもきつくなっていた。普段持ち歩いている仕事鞄が重い。だから弁当を持てず、1週目はずっとコンビニ弁当だった。

 前々から書いている通り、私の仕事は身体をかなり使うので、この体力の低下には悩まされた。

 

 

 2週目、毎日「昨日よりマシ」な状況が続いていたけど、元通りにはほど遠い。

 ともかく、朝起きて、身支度を整えて、1時間かけて出勤する。10時間近い勤務を耐え、帰宅してお風呂に入って寝る。

 という、「最低限の日常生活」をなんとか送っているような状態だった。

 その生活を送るのに費やすエネルギーの負荷が、これも日に日に減っていって、楽にはなっていくんだけど、例えば電車に遅れそうだから小走りになるとか、そういう「余計なこと」をするエネルギーは出てこなかった。

 2週目は、職場復帰して時間も経つのに元通りにならない体力に少々焦りを感じたりもしていた。

 

 

 ようやく(元に戻った)と感じたのは、こないだの土曜日。

 これが、ちょっと不思議な感覚で、ふと(あれ、戻った?)と気づいたんですね。

 肩にかけた鞄を、いつになく軽く感じる。昨日まで重たい重たいと思いながら持ち歩いていたのが、(こんなに軽かったっけ?)という感じ。

 コロナ闘病のせいで落ちた体力を元に戻すには、また一からつけ直さなければならないのかと思っていた。

 ところが、

「ハイ! じゃあここまでで『予後期間』修了です。お疲れ様でした」

と、誰かにぽん!とハンコでも押してもらったみたいに、「病後」が明けた。

 なんか、キツネにつままれたような感覚です。

 

 

 人生もそろそろ折り返し地点に入るのと、それほど丈夫でもなかったせいで、これまで色々と病気を経験してきている。

 だけど、コロナは本当に、これまでの常識がまったく通用しない病気だと思った。

 妙だったのが、熱が下がって職場復帰してから、普通の風邪みたいな咳や鼻水の症状が現れたことですね。今更なんやねん、という感じだった。

 深呼吸すると肺の奥がチクチクするのは、2週目になってもずっとあった。今ようやく消えたかな。体感的には、そろそろ走っても大丈夫かな、という感覚。

 

 

 結局、熱が下がってから、本当に復調するまで3週間かかった勘定になる。

 39℃超の高熱が10日間続いて、それがしかも病院に罹らず自宅で解熱剤飲むだけというのがまず初体験だったから、何もかもが初めてのことなんだけれども。

 予後のしんどさも想像以上だったし、「病み上がり」期間の長さも予想を遥かに超えていた。

 コロナはやはり怖い病気だと改めて思った。

 

 

 ようやく、元の通りに筋トレも出来るようになったけど、こうなってみて改めて、日頃のトレーニングは大事だな、と思いました。

 今、何事もなかったかのようにマシンを使ったワークアウトが出来るようになったんだけど、普段筋肉を鍛えてなかったら、10日間の高熱との闘いでもっと身体を削られていたと思う。いまだに階段の上り下りはきつかっただろうし、走れるようになるのももう少し先だったかもしれない。

 あ、あと、コロナ罹患が発覚した当初から、(食べねば!)と半ば脅迫観念に駆られてしっかり食べるようにしていたんだけど、後から考えれば、やはりアレが効いているかなあ、と思う。あそこで食べなかったら、多分もっと弱ってたんじゃないかと。

 

 

 以上、コロナサバイバーの経験談でした。

 ここを訪れる皆さんの中からコロナ罹患する方が出ないことを祈るばかりですが、万一かかってしまった場合は、是非参考にしてください。

 

 

 ことここに至っても、この国はオリンピックを強行するつもりみたいですね。狂気。