おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

海辺のカフカ

 美容院に行ってきた。

 今日はカラーとパーマで長丁場になると分かっていたので、文庫本を1冊選んで持って行った。

 「海辺のカフカ」(上) 村上春樹著 新潮文庫

 読み返すのは久しぶりだった。

 この本はなんというか、私にとってちょっと特別な本で、論理だてて感想を記せないんだけれども、改めて読み返すと、示唆に満ちた箇所が複数あったので、それについて書くことにする。

 

 家を出たカフカ少年がたどりついた甲村記念図書館の大島さんは、初対面のカフカ少年に言う。

 

「昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。つまり今の二人ぶんの素材でひとりの人間が出来ていたんだ。それでみんな満足して、こともなく暮らしていた。ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。きれいにまっぷたつに。その結果、世の中は男と女だけになり、人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった」  ―p79より抜粋―

 

 この文章はもちろん以前も読んだはずだ。というか、この本は何度となく読み返しているから、おそらく50回程度は読んでいる勘定になる。

 それでも、今読むと、(おお、そうか)と新鮮に感動する。この理屈なら、異性愛者も同性愛者もどちらも同じように存在するのを自然に納得できるからだ。

 もちろん、今や性別の欄が「男 女 その他」となっている通り、どちらともつかない性の持ち主も少なからず存在するわけだけど、大島さんがその人たちを勘定に入れていないわけではないことは、本を読み進めると分かってくる。

 

 性差というものはある意味厄介なもので、男性と女性の間に違いがないかと言えば、そらもう明確に違う。「違う生き物」と言っていいくらい違う。骨格、骨密度、筋肉量、脳の働き方さえ異なる。だから、同じ作業を同じように出来るわけはないし、場合によっては、それぞれ向いた仕事を選んで棲み分けする必要がある。

 ところが、その「差」が得てして「差別」になってしまうんだな。でこの「差別」も、何がどうなると差別なのか、人によって感じ方が違う。もしかすると、細かい部分では、1人1人まったく違ってしまうのかもしれない。

 ただ、様々ななりゆきを経て、「男女同権」が法律上確立(一応)されることになっているわけですね。

 どうもこの、セックスというかジェンダーというか、この辺の事情って、公にきちんと議論されていないというか、本当の意味での性差をなくす考え方、まだ熟していないキライも大いにありますね。この国は。

 

 熟していないというよりも歪になってしまっているのが、行き過ぎたフェミニズムだ。そして甲村記念図書館にもそんなフェミニストらしき女性2人がやってくる。

 勝手にずかずか入り込んで重箱の隅をつつくようなアラを探し出し、一見もっともらしく聞こえる小難しい小理屈であげつらおうとする浅薄な糾弾を、大島さんはにこやかに、しかし辛辣に容赦なく論破して追い返す。

 

「ゲイだろうが、レズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうが、そんなことはべつにどうだっていい。どんな旗を掲げていようが、僕はまったくかまいはしない」

「差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけをとらないと思う。ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う(うつろな人間たち)だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ」  ―p383~384より抜粋―

 

 そう、例えばさ、ゲイの人を気持ち悪がる人って、(もし自分がそうだったら)とか一瞬でも想像しないのかな…て思うんだよね。

 だって、人を好きになる気持ちなんて、一番コントロールできない感情じゃん。同性を好きになってしまう自分に気づいて、悩まないわけないじゃないですか。

きのう何食べた?」でシロさんがゲイだと聞かされた佳代子さんの旦那が、

「それはさぞかしご苦労が多かったでしょうなあ…」

ていうけど、普通の想像力があれば、この程度の共感は誰しもすると思う。

 それもなく、ただただ「ヤダ! 気持ち悪い! 理解できない!」てなる人って、人としての想像力が致命的に欠けているとしか思えない。

 

海辺のカフカ」は、こうしたジェンダーとか差別をメインで扱った小説ではないから、言ってしまえば脇の話ではあるんだけど、「おっさんずラブ」を知って、今改めて読むと、色々感じ入るところがあった、という話でした。

 

 私は人より本を読むスピードが速いらしく、担当さんはいつも面白がる。

「ページをめくってから次にめくるまで時間計ってみたんですけど、朔さん、40秒でした!」

と言われたことがある。なんの報告や。笑

 ちなみに今日は、実質本を読んでいた時間は2時間ほどで、読んだ量は384ページでした。

 

 そしてサブのスタイリストの男の子は、私が「おっさんずラブ」を推していたのを覚えていてくれて、

おっさんずラブ、映画化になりましたね~」

と話題を振ってくれる。

「そうやねん。ところで『きのう何食べた』ってドラマ知ってる?」

「や、知らないです~」

「かたっぽが美容師のゲイカップルなんだけど、内野聖陽がめっちゃ可愛いねん」

「へー!」

と話が弾んで、めっちゃ楽しい。

「今季イチオシドラマ。是非録画して見てみて」

と言ったら、

「分かりました!」

とマジメにうなずいていたので、一話は見てくれるであろう。

 もちろん、口に合わなければ、それ以上は関知するところではない。

 

 気を遣わずのびのびと楽しく会話ができ、お客の趣味にも理解を示してくれる、大変よい美容室です。

 これだから遠方でも通っちゃうんだよなー。