おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

とあるOL民の終戦記念日

 せっかく沼が劇場公開前のお祭りに沸いているところ、水を差すかな…と迷ったんだけど、やっぱりこの話題で書いておこう。

 本日、8月15日は日本の終戦記念日だ。

 1945年8月15日をもって、日本はそれまで長く続いた戦争状態に終了を告げた。 

 テストに出ても出なくても大事なことです。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 この記事でも書いたけど、戦争を知らない世代として、史実を知って伝えていくことは義務だと考えている。だからこの季節、色々と戦争特集を見るようにしてるんだけど、毎度、途中でしんどくなるんだよね。

 いや、真面目に鑑賞しているんだけど、そうすればするほど、

(…………全員バカじゃないの???)

という疑問が濃厚になってくるからだ。

 

 そもそもさあ、世界地図見れば一目瞭然じゃないですか。日本とアメリカの国土の大きさよ。

 こんな小さな島国の分際で、なんであんな大きな国に勝てると思ったんだ?

 仮に、当時日本が最先端の技術力を持っていて、向こうが国土ばかり大きいだけの遅れた国、とかいうならまだ分からんでもないけど(それだと戦争する意味自体がないけど)、まるっきり逆だよ。飛んでくるB29に竹槍で立ち向かおうとしてたんやで。どう考えても終わってるやろ。

 敵国と自国の国力の差を正確に把握することもなければ、時局・戦況の変化を捉えることもできず、先の見通しなどゼロに等しい状態で、兵隊を片道切符でばらまけるだけばらまくとか、別に勉強などしなくとも狂気の沙汰としか思えん。

 小国なりに一丸となって闘うかと言えば、陸軍と海軍とでアホな覇権争いなんかやっとる。

 そんで、各地で大敗を喫しているのに、「またも大勝利!!」とか新聞でぶちあげとったわけやろ。。。

 ガダルカナルも、ラバウルも、サイパンも、ノモンハンも、二二六も、ぜーんぶひっくるめて

「バカしかおらんかったん??」

てなる。

「バカに権力を持たせるとろくなことにならない」

 戦争に関して我々が言えるのは、この一点のみなんじゃないかとすら思う。

 

 でもですよ、では国民をだまくらかした軍部が全面的に悪くて、犠牲を強いられた庶民は無垢な被害者でしかなかったのかと言えば、そうとは言えないんだな。

 当時、国民も戦争を望んでいた。たまたま運よく日清・日露と勝ってしまったのと、一次大戦もなんだかんだで勝ち組になっちゃったもんだから、完全に調子に乗っていた。

 冷静さを欠いていたのは国民も同じ。

 

 ある日突然戦争が起こるわけではない。

 それまでの流れがあって、戦争を避けられる岐路と言うべき局面は何度かあったはずなのに、正しい選択が出来なかった果ての、二度の原子爆弾投下であり、この日の終戦なのだ。

「あやまちは二度と繰り返しません」

と、口にするのは簡単だけど、じゃあ実際どうすればいいのか、真剣に考えないと、また同じようなことが起きたとき、正しい進路を取ることが出来ない。

 

 

 ヒトラーだって、出てきたときは冷笑されていたし、バカにされていた。まさか、アレが政権を取るだなんて、最初は誰も思っていなかった。

 だから、侮ったのだ。

 まあそのうち危なくなったら手を打とう、と周りの誰もが「様子見」しているうちに、ヒトラーは精力的に勢力を拡大し、あれよあれよという間にナチスを第一党にしてしまった。当時はドイツ国民も彼を支持したのだ。

 その後どうなったかは、誰もが知る通り。

 

 同じような例として私の記憶に刻まれているのは、オウム真理教だ。

 おかしなコスチュームと歌と踊りで選挙活動をしていたとき、まともに取り上げる人は誰一人いなかった。

 幸いと言おうか、ヒトラーと違ったのは、彼らがことごとく落選して、政界に進出することはなかったことだが、その分地下に潜って世の中を引っ繰り返す方に力を注ぐようになってしまった。

 そしてその後、彼らの犯行であることを示唆する出来事はいくつもあったのに、「様子見」しているうちにどんな事件を起こしていったのか、これも知られている通り。

 これに関しては、メディアが犯罪者の犯行完遂に助力してしまうという失態を犯していることが許しがたい。

 

 今、色々と世間を騒がせている人がいるじゃないですか。N国党のT某という人。

 NHKの受信料徴収の理屈は8〇3と同じだし、戦前成立した「放送法」もおかしいし、その主張自体はいいと思うよ。でも、政治家を批判した個人に粘着したり、その番組のスポンサー企業の不買運動をしちゃったりで、

「あ、触っちゃダメな人だった…」

てみんな気づいた、というところですよね。今現在。

 これまでのことを教訓に思うのは、「ああいう存在を侮ってはならない」ということだ。

 侮ってはならない、というのは、「侮ってはいけない力がある」というのではなく、「侮って『まあ自分が何かしなくても勝手に潰れるだろう』と高見の見物を決め込んではいけない」

という意味だ。

 放置していてはいけないと思ったら、意思表示をするべきだと思う。

 

 

 どうも、楽観してはいけない場面で、驚くべきスーパーポジティブ思考を発揮する傾向があるからな、我々日本人は。

 東海村の臨界事故もそうして起きました。

 

 ところで、うちのばあちゃんの話では、昭和20年の春あたりだったかな? 地区の集まりで、お寺にみんな集まったことがあったんだって。

 当時、金気のものは供出させられていて、そのお寺の鐘もなかった。

「こーんな田舎の寺の鐘まで持っていってるようじゃ、もう負けるのも時間の問題だわ…」

と、大人たちがヒソヒソ話し合っていたそうです。当時祖母はまだ少女。

 やっぱね、いくら景気のいい嘘っぱちこいたって、田舎のド庶民にだって本当のことは分かっちゃうよなー、と思ったことでした。

 

 例えば、謎の巨大彗星が割れて墜落して時空が歪んでうんたらかんたら、まあ何らかの理由で突如昭和20年当時の情勢が今成立してしまったと仮定しよう。

 そうなると、「おっさんずラブ」の運命は

 

・関連書籍の強制回収と発禁処分

・制作に携わった人々は連行されて取り調べ

・下手すると逮捕拘禁

・映画は永久にお蔵入り

・メディアは一斉にバッシングを始める

・外で「おっさんずラブ」の「お」の字も口に出来ない

・ファンだとバレたら憲兵が飛んでくる

 

 まあこの辺はカタいところだろう。いや、マジで。

 

 戦時中、リアルで同性を愛する人たちは戦局が悪化するにつれ、追い詰められ、それこそ拘禁されたり、自死に追い込まれたりしたのです。時代の犠牲になった牧や政宗や黒澤部長は少なからずいたはずだ。

 つい74年前、この国はそういう国だったのですよ。

 それを忘れてはいけない。

 

 

 

 「おっさんずラブ」のある世界は尊い

 「おっさんずラブ」が好きだ!と堂々と公言出来る自由もまた、戦争当時を考えると、奇跡のように尊いのです。

 こうしてみんなで盛り上がって、映画の成功を楽しみに出来るこの平和を守るためにも、普段の意識が超重要、という話。

 

 

 他の誰かが何とかしてくれるだろう、ではなく、自分が主体的に意思表示をし、行動に移すこと。

 これが大事ですね。