おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

牧凌太の奇跡

 このところ連日の投稿が続いております。。。

 以前書いた通り、私の仕事はなかなかの激務だ。平日の夜、こんなにブログ書くことは普段ないんだけど、荒れた沼見てると、どうしても今言っときたくなっちゃいますね。

 うーん、これも劇場版のレビューで書こうと思っていたことなんだけど、タイミング的に今かもしれないと言う気がするので、書きます。

 

 

 ここへ来て、こんな変態ブログを1年以上書いてきて、よかったな、と感じている。

 私のOL愛が一朝一夕のものではないこと、「おっさんずラブ」を愛することにかけては人後に落ちない……というか、人と比較するものではないんだけど、まあとりあえずただ事ではない深さで愛していることを、少しは分かってもらえるかな、と思えるからだ。

 

 その私、続編の内容が「名前を変えずにシチュエーションだけ変えて春田&武蔵の物語」ということについて、残念であり、春田と牧を愛する我々民にとってはなかなか受け入れがたい設定である、という見解を既に述べた。

 が、「だから春田と牧の続編を…!」という要望を書いたことは一度もない。

 ここをお読みいただいた方ならお分かりの通り、

「春田と牧の物語は完結した」

 という思いは終始一貫している。

 だからして、

「同じキャストで春田&牧編の続編は作る意味がない」

とも既に書いた通り。

「続編は不要」とまでは言わないが、「春田と牧の物語は描き尽くしたからもう終わり」という公式の姿勢に対して異論はない。

 

 というのもだ、そもそも連ドラを見ているときから、

(牧役の林遣都くんの負担は相当なものだろうなあ…)

と思っていたからだ。

 以前から知ってはいたけど、林遣都という役者について詳しいわけではない。だから多分に想像が混じるんだけども、恐らく彼のセクシャリティはストレートなのではないだろうか。

 「おっさんずラブ」では、人を好きになるのに男も女も年上も年下も関係ない!という、愛に関してバリアフリーな優しい世界が描かれたが、実際問題、「セクシャリティ」って人の根幹に関わる重要なテーマだ。

 その道の専門家ではないから断言はできないが、生まれ持ったセクシャリティってそうそう変わらないと思う。

 BLでよくある、「男同士の友情なのか、それとも恋なのか」に対する明確な回答は、「欲情するかしないか」です。

 性欲って、人の本能が担当する部分だから、理屈でコントロールできないじゃないですか。

 そして、恋愛感情と性欲は分かちがたく結びついているものなのだと、まあ大人なら分かってますよね。

プラトニック」って、ピュアで高潔なイメージがあるけど、私はいいとは思わない。

 好きな相手と性的関係を持てないって、相当無理があると思うよ。自然でもないし。

 

 

 話は変わるが、私は小説を書く趣味を持っている。

 小説を書く人にも様々なタイプがあるみたいだけど、私の場合、書こうとする対象の人物の内面に深く「潜る」。深い湖の底を目指して潜っていくみたいに、日常の雑音を遮断して、思考の深部を探索する。

 ……これ、もちろん楽しいからしているんだけど、まあまあしんどくもある。

 エネルギーが満ちているときじゃないと出来ないし、その作業をしたあと、すぐに日常生活に戻れるかと言えば、「少し時間をください……」てなる。

 

 

 小説ほどではないけど、「おっさんずラブ」のレビューを書くときも、ちょっと似たような作業になりますね。

 登場人物の心情を想像して、潜ってみたり、別の側面から見てみたり。

 自分が感じたことの裏付けを取るために、去年のTV雑誌の記事を読み返したり。

 エネルギーは相当要るのです。

 

 

 ……という人間が想像した、単なる憶測なんですが。

 役者としてその役になりきるのも、かなりなエネルギーが要ると思うのです。

 林遣都as牧凌太の場合、ストレートの遣都が、ゲイとして生きてきた牧凌太の人生を表現しなければならない。

 遣都くんは「憑依型の俳優」と呼ばれるけど、その前に恐らく相当準備をして挑むんじゃないかな。

 以前ゲイの青年を演じたときも、新宿二丁目に足を運んだり、ゲイの人に話を聞いたりしたらしいですね。

「巨根じゃダメですか」

て、ギャグになりかねない台詞、実際ラブコメディである「おっさんずラブ」が世間に向けて放った一発目のパワーワードなんだけど、きじPに

「ここはどういう気持ちで言えば…」

て相談したんですよね。

 真面目か……!!

 

 ……いや、真面目なんだろう。彼は。うん。

 

 

 だからね、画面のこちら側で鑑賞している我々が想像する以上に、遣都くんは全身全霊で「牧凌太」というキャラクターを演じたのだと思う。

 「牧凌太」という人物に「なりきった」のでしょう。

 だから、画面の中には「牧凌太」という人物が実在するのだ。

 

 

 これ、もし自分だったら……と想像してみて。

 私は女性で、読むものに関しては雑食だけど、セクシャリティはストレートで、そこに疑問を感じたことはない。

 そこへ、「女性しか愛せないビアン」の役が来たとする。

 相手は見目麗しい上に芸達者な女優さん。話も合うし、友達にもなれた。

 ただ、カメラが回っている間は、彼女を恋愛の対象として愛さなければならない。

「好きです」

という台詞を、役として本気で言わなければならない。

 

 ……できます?

 私は無理。

 

 

 でも、彼ら職業俳優はやってのけるのだな。

 牧が春田に向ける眼差し、あのキレ気味の告白、「すみませんでした」と謝る背中、すべてが、「春田さんが好きだ」という牧の気持ちを表している。

 あの瞬間、ウソがないから、我々視聴者はまんまと「おっさんずラブ」にハマったのだと思う。

 …ということは100万回も書かれてきたことだけど、

「あの瞬間にウソがない」

ということ自体、すごいことだと思うのですよ。

 ウソがないということは、

林遣都が牧として本気で春田を愛していた」

証拠なわけだから。

 

 遣都くん、出た作品それぞれで誠実に役と向き合う俳優さんですよね。どれも「なりきってる」から、器用なのかな、と思ってしまうけど、それほど器用ではないタイプに思える。

 そんな彼が、牧凌太というゲイの青年を命がけと言っていい熱量で演じて、撮影が終われば「素の自分」に戻る…という作業を繰り返していたら、疲弊もかなりなものだったのではないかと推察する。

 

 でも、それだけの情熱を注いで、「おっさんずラブ」というドラマの一翼を担ってくれたからこそ、これだけのファンが「牧凌太」という存在に射抜かれてバタバタと沼落ちしていく羽目になった。

 のみならず、リアルゲイの人たちにも「これだけゲイのことを理解して表現してくれてありがとう…」と言わせるくらい、「牧凌太」を生ききった。

 

おっさんずラブ」の成功は遣都にかかっている、と喝破した座長の慧眼はさすがだが、その期待に120%応えた林遣都の演技、まさに「奇跡」だったのだと思います。

 そして劇場版でちゃんと「春田と牧の物語」に決着をつけてくれた。

 これ以上の奇跡を期待していいものかどうか?

   私は出来ない。

 

 

 だからね、ドラマの撮了と同時に抜け殻になるのも分かるし、劇場版の話に

「もう牧には戻れない」

と言ったのも、よく分かる…!と感じてしまうんだ。私は。

 そして、これ以上「牧凌太」になることを、遣都くんに要求することは出来ない、とも思う。

 

 

「正しいのは日付だけ」と揶揄される某ゴシップ誌が、案の定「林遣都サイドが難色を示した」的な記事を掲載しているみたいだけど、それを見ても、(……だからどうした)としか思えない。

 俳優さんは趣味じゃなく職業なんですよ。

 自分の仕事を選んで何も悪いことはないです。

 

 

 …うわー、長くなった。うーん、私、自分で思っている以上に牧中毒だな。。。重症だわ。

 しかし、「牧凌太」で頭がいっぱいにしてなおかつ「春田と牧の続編はなくていい」と思っているOL民もいる、ということで。

   何年か経って、おっさんずチームが自ら「春田と牧のその後、またやりたいね」と思ってくれて、キャストの都合がちょうど合うなら、それは是非見てみたい。

  それまでは自家発電でエネルギーを補います。

 

 

 あ、それで、「セクシャリティ」に関して言えば、劇場版「おっさんずラブ」の最大のツッコミ事項のひとつが「春田のセクシャリティ」なんですが、それについては色々と言いたいことが尽きないので、章を改めます。

 本日は以上!