おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

忘れられない、忘れたくない

 今宵も弊ブログを閲覧いただきありがとうございます。

 沼は相変わらずざわめいておりますね。

 私は少し離れたところから、その沼のつぶやきやざわめきを見ています。

 地球の地殻変動と同じように、そのざわめきは良いものでも悪いものでもない。

 あることが原因で引き起こされた結果でしかない。

 そこに対する私の気持ちはフラットで中立だと思う。



 お寄せいただいたコメントの中に、私の書く文章が「冷静」である、という指摘がいくつかありました。

 そう評価していただくと嬉しいです。

 私は自分の部屋が散らかっていても平気(どこに何があるか本人だけは把握している状況)だけど、頭の中が取っ散らかっているのはイヤな性質だ。

 それはそれ、これはこれ、と分けて考えておきたい。

 自分の感情をざわめかせるものがあっても、色んなものをごっちゃにしたり、関係ない人に攻撃の矛先を向けたりするのは嫌い。

 そんなことをすると、自分で自分が気持ち悪い。



 想像力は、人間に与えられた素敵な能力で、私たちが生きていく上で色んなことを助けてくれる。

 そしてまさにこの力こそが、これまで様々な優れたフィクションを生んできた。

 しかし、何でもそうだけど、想像力もまた、両刃の剣の一面を持つ。

「不安」「心配」「恐怖」といったネガティブな感情は大抵、想像から発生する。

 この場合、想像力は、行使した人本人を傷つける。



「座長はいつからこのことを知っていたのかな…」

「遣都くんサイドがオファーを断ったって本当だろうか…」

 等々、色々考えてしまうのは分かる。分かるけれども、我々が当事者でない以上、メディアに公式発表された情報より他のことを知るよしもなく、すべては想像でしかない。

 つまりは「考えても仕方がないこと」なんですよね。

 それをあれこれ考えた挙句、

「……じゃああのとき座長がこう言ってたのってこういうこと!?」

とか、

「あの舞台挨拶での遣都くんの表情はこういうわけだったの…?」

とか、後付けで結びつけるのは、厳しい言い方をすると「こじつけ」に過ぎない。

 こじつけするなとは言わない。やりたいなら好きにすればいいと思うけど、こじつけた妄想の果てにハッピーな感情が待っているか?と言えば、多分違うんじゃないかな。

 自分を悲しくするなら、最初から考えない方がいいよ、という話。



 こういうとき、私は割と

「それはそれで置いといて」

という考え方が出来る方だと思う。

「考えても仕方ないことは考えない!」

と、思考の連続を断つことが出来る。

 もちろん、最初から出来たわけじゃなくて、こういう負のエネルギーって結構負担になるし無駄だな、と思って、訓練してきたんだけど、これが出来ると、色んな局面で楽。

 私が一番嫌いなものは「辛気臭いもの」、次が「めんどくさいもの」。

 終わってしまったもののことを、いつまでもうじゃうじゃ言うような辛気臭い真似、本来なら絶対にしたくないんだ。

 そういう性格なんです、昔から。




 ただ、今、Season2のことをあれこれ考えないようにして、ドラマ版と劇場版に集中しようとするのも、あまり健康的ではないな、と思っている。

 同じドラマを無限ループするのって、つまりは回し車の中でくるくる回っているハムスターと同じだからだ。

 誰かに迷惑をかける訳ではないし、回している本人が楽しければいいのだが、建設的か?と言われれば、そうとは言えない。

 趣味が建設的である必要はないので、別にいいっちゃいいんだけどね。




 変貌してしまった沼のざわめきも、普段の私なら「雑音を耳に入れない」と完全にシャットアウトしてしまうところだ。

 新シリーズの春田も武蔵もまだ受け入れることが出来なくて、ついに公式のフォローを外した。ツイッターもインスタも。

 けど、なんだかんだちょいちょい覗いてしまっている。

 沼から完全に離れることが出来ず、ざわざわしているのを見ている感じ。



 

 今回ばかりは、いつまでも悲しんでいる他の民の皆さんの気持ちが分かってしまうからですね……

 私も、いつものようにすぱっと割り切れず、油断すると悶々としそうになります。




 ここからはちょっと愚痴…というか、普段の私なら絶対書かない「言っても仕方ないこと」が混じります。

 閲覧注意。

 そして超長文注意。




 新シリーズが始まらず、劇場版で完結!で終わってくれていればまだよかったんだよね。

 それなら、新たに「春田と牧の物語」の供給がなくても、円盤を死ぬほどリピートして、映像で描かれていない隙間や2人の将来は二次創作で補って、私たちの心の中でも綺麗に完結することが出来たのだ。

 ところが、新シリーズは間もなく始まってしまう。しかも、また「春田」と「黒澤武蔵」の物語。

 でもそこに牧はいない。

 同じ世界の延長線で牧がいないのではなく、まったく違う世界線で、言うなれば「牧だけがいない世界」。

 いないのは牧だけじゃないんだけど、メイン3人のうち1人が欠けるんだから、民の気持ち的にはそうなるだろう。



 

 つまりこの設定が、

「牧がいなくなった」

だけでなく、

「最初から牧がいなかった」

ことにされたみたいに感じさせる点なんだな。




 人は「否定」に弱い生き物だ。

 例えば、自分が好きなものを目の前で「嫌い」と言う人がいただけで、

「それを好きな自分を否定された」

と感じかねないナイーブな感性を持っている。「嫌い」と言った人はただ単に自分の好みを述べただけで、そんなつもりが露ほどもなかったとしても。

 日本人てどうも、このマインドの持ち主が多いような気がする。

 だから、何かを「嫌い」と言うときは、それを好きな人がいるんじゃないかと気を遣うし、必要性がない限り嫌いなものについて発言しない、という、ちょっとめんどくさい不文律がある。

 ちなみに、私はだから自分から「嫌い」とはあまり言わないけど、自分の好きなものを「嫌い」と言う人がいても、「あーそうなんだ」くらいで、気にしません。

 だって好みなんか人それぞれだもん。

 傷つく必要なんてない。




 ……ところが、今回は事情が違う。

 ドラマ「おっさんずラブ」はただのドラマじゃない。ここまで大勢の人をまきこんで、何万、何十万もの人が春田と牧の純愛を固唾を飲んで見守って、ハッピーエンドに涙して「おめでとうー!!!」と快哉を叫んだ、という経緯がある。

 そしてこれまで、「おっさんずラブ」公式チームは私たち民の願いを叶えてくれていた。

 貴重な画像や動画を惜しみなく放出し、字幕を望んだファンがいれば円盤や映画に字幕をつけてくれた。

 こんなにファンを思ってくれる公式はなかった、とこれまで私も何度も記事に書いてきた通り。




 その公式が、「牧のいない『おっさんずラブ』の世界」の投稿を始めてしまった。

 牧がいない、最初からいなかった設定で、「おっさんずラブ」の情報が上書きされていく。

 2016年の単発版が既に過去のものであるように、牧がいた2018年のドラマ版が、「おっさんずラブ」の数ある過去の一つになっていく。




 それが、これまでまるで身内のように物語世界に寄り添って、春田と牧を応援してきた民の一部(……いや大部分かもしれないけど)には、耐えがたい悲しみと喪失感をもたらすのでしょう。

 私だって今、「牧がいた」と過去形で書いて、ちょっと傷ついたもん。

 公式には多分、春田と牧の物語を否定したつもりはさらさらないのだ。

 だけど、「ハイ、1が完結しました、終わり!」「では次のシリーズ始まりまーす」と、そう簡単にこちらの気持ちは切り替わらないのだ。




 情報を上書きされると、人は忘れるんです。新シリーズを見て、うっかり面白かったりしたら、牧の存在の「過去化」をさらに進行させるような気がしてしまうんです。

 でも、忘れたくないのだ。絶対に。




 林遣都の奇跡の演技が、魂を込めた台詞の一つ一つが、「牧凌太」を実在化させてしまったから。

 我々民にとって(とあえて大きな主語を使うけど)、「決して忘れられない男」になってしまったからだ。

 

 

 


 ブログ記事を繰ってみると、去年の8月にはテレ朝が「続編を前向きに検討したい」と言ってるんだよね。

 これも推測でしかないけど、今の設定は、かなり早い段階で決まっていたのではないかと思う。

 春田と黒澤武蔵を主軸に、パラレル設定でシリーズ化すれば、無限に続けることが出来ますよね。シェフとうっかりなパティシエとか。園長と保育士とか。

 それならそうで、やっぱり、牧くんの存在感がもう少し薄ければ、今民のみんながこれほど苦しまずに済んだのかも……と、それこそ詮無いことを思ってしまう。



 これが、もう決まってしまったことで、代案も何もないなら、まだ諦めもつく。

 けど、解決策、あるんですよね。。それも超簡単なやつが。

「春田創一」「黒澤武蔵」この名前でさえなければよかったのだ。

 「春川創太」「白澤小次郎」とか、ちょこっと変えてくれるだけでよかった。

 それだけで「ああ、別世界なんだな」と納得できたのに、同じ名前にするからややこしくなる。

 そして、そこにこだわる理由が謎過ぎる。

 

 

 この気持ちにどう決着をつけるか、それは残念ながら、各自がんばるしかない。

 私はこのままレビューを書き続けるし、合間に小説も書いて、春田と牧の物語の輪の中に居続けるだろう。

 Season2どうするかは未定だけど、見てみないと何とも言えないので、とりあえず初回は見ると思います。




 で、牧くんを愛するあまり、実際行動にうつそうとしている人たちもいるようだけど、その是非に関しては私は特にコメントする気はない。

 でも、犯罪でなければ、そして自分の名において責任を取れるなら、思う通りに行動すればいいと思います。

 



 ここであえて言うけど、「たかがドラマ」の話に過ぎない。

 行動の結果何か起こったとしても、別に誰か死ぬわけでも、日本が沈没するわけでもない。

 好きにすればよろし。







 ……あー、ここまで書いて、ちょっとだけスッキリしたわ。やっぱり、気持ちを文章にするのってセルフセラピーとして有効だね! 頭の中の整理もつくし。

 どうにも折り合いをつけられずモヤモヤしている皆さんも、やってみるといいと思います。

 おススメ。

 

 

 にしても、これほどまでに大勢の民を虜にするとは、林遣都、罪な男よの。。。