おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

劇場版おっさんずラブ感想(がっつりネタバレ)⑬ 約束

 「劇場版おっさんずラブ」で、春田と牧、お互いに永遠の愛を誓いあい、二人の愛は結実した。

 

 そして二人はその後、いつまでも幸せに暮らしました。

 めでたしめでたし。




 …となれば、おとぎ話的ハッピーエンドだった。

 ドラマ版のラストで終わっていれば、そうしたファンタジックな解釈もあり得た。

 でも、劇場版で示された二人のラストは、そうじゃなかった。



 劇場版を鑑賞したファンの賛否が分かれた最大のポイントは、ここだったんじゃないだろうか。

 ラストシーン、二人が別々の方向へ向かっていくのを、別れの暗示だと捉えた人もいた。そうでなくても、

「何故一緒に暮らすエンドにしてくれなかったの!! また春田と離れ離れだなんて、牧くん辛すぎる!!!」

と憤慨しているツイートも見かけた。

 その感想を否定はしないけれど、私は、あれでよかったと思う。



 何故なら、「永遠の愛の誓い」が実際、永遠に効力を持つことなど、あり得ないからだ。



 上記のコメントを発している人たちは、年齢が若めの人たちに見受けられた。それなら分かる。永遠に…とまでは言わずとも、半永久的に続く愛情というものがこの世に存在する、と思っていたいだろう。

 でも、違う。そんなものはないのだな。

 春田と牧のラブストーリーをこれまで追ってきて、二人の未来が明るいものであることを願う気持ちは人に負けない自負がある私だけど、その辺はふわっとうやむやにしたくない。

 「おっさんずラブ」は、リアルの世界にとても似ているけど、セクシャリティジェンダーに関しては偏見が少ない、ほんの少し先の未来にあるかもしれない優しい世界が舞台だった。その、言わば「春田や牧たちが実際にいそう」感が、数多の老若男女のハートを撃ちぬき、この沼を巨大なものにした要因でもある。

 だから、春田も牧も、それなりに色んな悩みを抱えてきたし、それに立ち向かい、打ち勝って、幸せなラストまでたどりついたのだ。

 それを、それこそシンデレラや白雪姫のように「めでたしめでたし」で終わりにしたら、彼らの経験してきた苦労が嘘くさくなってしまう、と私は思う。



 人の気持ちは変わる。「ゆく河の流れは絶へずしてしかももとの流れにあらず」と、昔の偉い人も言っている。

 どんなに大恋愛の末に結ばれた恋人同士でも、その愛情は変化する。そしてその変化は、必ず訪れるのだ。

 人とはそういう生き物であり、自然の摂理なのだな。

「愛は4年で終わる」という研究結果も出ている。

 繁殖行動として異性と番うことを考えると、大体4年くらいなスパンで新しい相手とチェンジするのが理にかなっているらしいですよ!

「3年目の浮気」って、意外と真実を衝いていた、という話。



 今、日本は一夫一婦制を採用しているから、一度夫婦になると様々な権利が法律で保証される。

 だから「婚姻届」という契約書を出すのだ。「愛情」という移ろいやすいもので結ばれた関係を強固にするために、契約で縛るんですね。「あ、気持ち変わったわ。別れよ」と安易にならないために。

 大勢の人を呼んで行う結婚式と披露宴、若い頃は「全然必要ない」と思っていたけど、歳と共に考えが変わった。若くて未熟な二人が一時の感情にまかせてくっついたり離れたり…とならないよう、社会的なストッパーとなる役割がありますね。ああいうイベントって。

 もう別れる!!てなったけど、外聞が悪いしまあ今すぐ離婚ていうのもね…とぐずぐず一緒にいるうちに、なんだかんだまた気持ちが元に戻ったりとか、そういうもんじゃないですか。

 人間てね、テキトーなもんです。

 

 ※あとね、「一夫一婦制」って、絶対じゃないですからね。日本が採用したのだって、明治以降のことで、それまではずっと「性的にユルイ国」で有名だったんですよ。

 昨今の「不倫するヤツは事情の如何に関わらず征伐!」みたいなヒステリックな論調はごく最近になってからのもので、決して日本古来の伝統的な価値観というわけではない。



「男同士」の危うさはここにもあって、法律上交わす正式な「契約書」がないわけだ。

きのう何食べた?」でも描かれていたけど、二人の間にあるのは本当に気持ち一つ。それがいつ変わるか分からないことが、将来に対する不安を生むもとにもなる。



 人が二人集まればそこには必ず衝突が生まれる。

 劇場版で色んなものを乗り越えた春田と牧も、これから先、また色んなことを経験していくだろう。

 牧はシンガポールで新しい出逢いがあるかもしれない。例えば春田だって営業先でロリで巨乳の未亡人に言い寄られたりとか、そんな危機が訪れるかもしれない。

 お互いの親に何かあるかもしれないし、もしかするとどちらかが病気になったり、怪我をしたりするかもしれない。

 生きてるとまあそれはそれは様々なイベントが襲ってくるものです。




 だから、「約束」が要るのです。

「ずっと一緒にいよう」という約束。

 口約束で構わない。そもそも「契約」って、口頭で成立するものだ。

 でもその「愛の誓い」は、一度誓ったらずっと効力が続くようなものではないんだ。

 二人の関係に危機が訪れるたびに、あるいはライフステージに応じたイベントのたびに、「契約の見直し」が必要となる。

 で、「やっぱり一緒にいたい」とお互い合意すれば、契約更新すればよい。不動産の契約更改と同じですね。

 それくらい、人と人との関係って脆くて壊れやすいものなのだ、というのが私の個人的な見解です。




 そして、「絆」って、放っといて自然に生まれるものではなくて、意識して「育てる」ものだとも思う。

 身近な人、誰でも顔を思い浮かべてみてください。例えば朝「おはよう」って言ったのに返事がなかったとか、ささいなことで腹が立ったり、そんなことってありませんか? で、ついぶっきらぼうなものの言い方をしてしまったら、相手は相手でヘソをまげてしまった。それからケンカで数日口をきかなかった。…なんていうささいな切っ掛けでも、人間関係って簡単にヒビが入ってしまうものだ。

 そうしないために、やっぱり「おはよう」とか「行ってきます」とか、日常の挨拶も必要だし、相手がしんどそうとか髪切ったとか、少しの変化にも気づく敏感さも持っていた方がいいし、ケンカしてしまったら放置せず、早めに話し合って仲直りした方がいいんですよね。

 「絆」ってね、強くて頑丈だと思いたいところだけど、そうじゃないんです。

 少し放っとくとすぐ痩せちゃうし、冷え込みや暴風雨に弱いんです。

 でも、太陽の光がよく当たる温かい場所で、愛情のこもった言葉という栄養を与え続けてやれば、人と人との絆は太く豊かに育つはず。

 そうして育まれたなら、少々の風雪にもびくともしない、大きな幹を持つ樹のごとく頑丈な絆が生まれるだろう。




 春田と牧、まだ若い二人だ。この先、ケンカなんかいくらでもするだろう。

 どちらかが頭に血を上らせて「もう別れるー!!」と叫ぶことだってあるに違いない。

 そうでなくとも、仕事もバリバリ頑張る二人のことだから、また新たな夢と出逢うかもしれない。その夢が、お互いの物理的な距離をさらに遠いものにする…という展開もあり得る。

 そのとき、あの「約束」を思い出すことが出来れば、二人は大丈夫なんじゃないかと、私は思う。




 あのとき、炎の中で交わした誓い。

 お互いの夢を認め合って、約束の印の指輪をお互いの指にしっかりと嵌めて抱擁した春田と牧。

 この二人ならもう、少々のことで動じることはないだろう、と、私はあのラスト、希望しか感じなかった。

 脚本の徳尾さん始めおっさんずチームのスタッフも、春田と牧の未来が明るいと信じたからこそ、牧を旅立たせたのだと思う。




 あとね、やっぱ結婚となるとさ、「亭主元気で留守がいい」って言うじゃないですか。ミもフタもないこと言うけど。

「たまにしか会えない」って、二人の関係の鮮度を保つのにいいと思います。

 異論は認める。

 

 

 ……と、ラストまで行きついてしまった感がありますが、詳細なレビューはまた稿を改めて書かせていただきます。

 台詞も入れて、風景描写も入れてね、じっくりねっとり書いてやる。

 そのラストシーンと、マロ&蝶子その他の人々と、ツッコまずにいられないポイント集と、あと最大の懸案事項である「春田のセクシャリティ」についてもまだ書いてないしな。そんなもんかな?

 あと4章か5章で終わると思いますが、大概書いているうちに長くなったり次の何かを思いついたりするので、書いている当の私にもまったくもって予定は未定です。

 今年中には終わる……気がするとしか言えない。