こんばんは。
円盤発売決定について、なんかこう、明るい記事を書こうと思ってたんですけど、副音声の文字起こしでちょっと今燃え尽きてるので笑、あんまり内容のある記事を書けそうにない。
一方で、s1に対してネガティブな感想をお持ちの方が、s2については「同性愛差別がハナからない世界を描いている」と肯定的に見ている、というのを見かけて、色々と考えるところがありました。
前から機会があったら書こうと思っていたので、書いておこうかと思います。
ややネガティブな内容を含むかもしれません。閲覧注意。
今さら断るまでもないけど、私は「おっさんずラブ」が大好きだ。
だから、ここに載せているのは99%肯定的な内容で、絶賛に近い記事だと思う。
私と同じように感じる人がめちゃくちゃ多かったから、あそこまで爆発的なヒットを生み出すことになった。
でも、この作品を嫌いな人、受け入れがたい人もいるだろうことは、当然承知していた。
特に、性的マイノリティの当事者で、「おっさんずラブ」について物申したいことがあるけれども、世間がここまで絶賛一色になってしまって言いにくい…という例もあるかもしれないな、とも思っていた。
このブログも、ツイッターでの私の呟きも、世界に向けてオープンな場である以上、ネットの片隅のほんの辺境とは言え、どの立場のどんな人が目にするか分からない。
そのことを踏まえて、表現に気をつけながら記事を書いてきたつもりだけれども、気分を害された方がいるのなら、申し訳ないと思う。
そもそも、私がなぜツイッターを始めたかと言えば、ネガツイをブロックするためだった。
最初は登録せずに覗いて、お祭り騒ぎを楽しんでいたんだけど、それだと「#おっさんずラブ」で呟かれたツイートが無差別に目に入ってしまうんですよね。で、放映当初、それはそれは鬱陶しいアンチコメントを弾丸のように発しているアカウントがあったんですね。
私はかねがね、「アンチ」の存在に興味があって、「気に入らないなら見なければいい」というごく当たり前の選択をせず、気に入らないのにわざわざ見て、それを好きな人たちの気に障るようなネガコメを垂れ流して喜ぶ感受性は、一体どういう心理によって成立するのか、機会があれば研究したいくらいなんだけど、当時は「おっさんずラブ」にドキドキしながらついていくのに忙しく、そういうウザいネガアカはブロック一択しかなかった。
なのでアカウントを作ってツイッターを始めたわけです。
そういうアンチは問題外だとして、まあやはり人と言うのは千差万別、十人十色。「沼」と呼ばれるここも、100人いれば100通りの見方があるんですよね。
私は残念ながら、s1を愛した同じ熱量でs2を愛することは出来ないし、ドラマとしても高い評価点をつけられないという結論を得たけれども、そうでない人も多くいることは知っている。
先に挙げた方は、「男性同士というところに葛藤しないのはファンタジーが過ぎる」「ゲイが苦しまないのはおかしい」という意見に対して、異論を述べていらっしゃった。
そういう極端な意見を言う人がいるんですかね? 私は見たことがないけど、まあネガツイは片っ端からブロックかミュートしていってるので、私の目に触れないだけかもしれない。
その方が述べた意見に、私は賛成は出来ない。s1ファンがs2を好きになれないのは、多分そういうことじゃなくて、「すべてに対して雑」という点が大きいと思うからだ。
詳細はもう既に述べたのでここでは省略。
けど今、私がその、自分と違う意見を持つ人に対して感じているのは、
「私はあなたの意見にまったく賛成できないけれども、あなたがそう感じるのは自由だし、その意見を述べるのも自由である。それは誰にも侵害できない」
ということだ。
アレです、ヴォルテールか誰かの有名な名言と同じことです。
人はそれぞれ個別の事情を抱えていて、違う感性を持っている。
私が「面白い!」と大ウケする部分が、別の誰かにとってはとんでもなく腹立たしく感じる部分となることだってあり得る。
それはごく自然で当たり前な現象だ。
大事なのはその先。自分と違う意見に対して、
「え、なんでそんな感じ方なの?」
と怒らないことだ。
怒ったって仕方がない、というより、怒るべきポイントじゃない。違うんだから違うのだ。
そして、
「あー分かってないなー」
と、優越感を覚えたり見下したりもしない。自分が感じないものは、「キャッチする受信機がないのだ」と思っておく方がいい。
いや、カチンときてしまうんだ、という人もいるだろう。人は自分と違う意見を目にすると胸がざわざわするし、動揺する。手っ取り早い自衛の手段は「優越感を持って見下す」ことだから、ついそうしてしまう、という心理も分かる。
内心ではそう綺麗ごとばかりでは済まないですよね。人間だもの。
思うのは自由。なんの制限もない。
ただそれを、ツイッターで呟いたり、他の人の目に触れるような場所で発表しさえしなければ、何を思っても、どんな過激なことを考えても、誰にも迷惑をかけることはない。
でも多分、ネガティブなことを考えるのってエネルギーが要るし、しんどいと思うので、そういう対象とはそっと距離を置くのが、心の安寧のためにはよい選択かと。
…というように、「みんな違って、みんないい」の精神を持つことと、「相手がイヤな気持ちになる行動は避ける」という、ごく当たり前の常識を守ることで、この沼ももっと穏やかで平和な場所になるのにな、と最近とみに思うのです。
と偉そうなことを言っているけど、私も気配りという点ではまったくもって未熟者だし、大雑把な人間なので、過去記事で何か不快になった方がいらっしゃったら、本当に申し訳ないと思う。もう一度謝っておこう。
で、s2を楽しんでいる人たちに対しては、(あーよかったな。幸せそうだな)としか思わない。
そのまま、快適な旅を楽しんで欲しい、と思いながら見ております。
さてと、充電が済んだら、円盤発売についてか、感想の続きか、またやや浮かれポンチな記事を書いて載せようと思います。