おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

劇場版おっさんずラブ感想 追記①

 以前のレビュー記事で、春田の

「たとえ壊れてしまったとしても、またきっと作り直せます。街も、家族も」

という台詞に対して、私はこう書いた。

 

 ところで、家族はともかく、「街」というものは、一度壊れてしまったらそう簡単には作り直せない。

 この場面、出来れば多少の瑕疵はふんわりと見過ごしにしたかったが、私がどうしても引っかかったのはそこでした。

 …が、もちろん「おっさんずラブ」本編とは関係がないので、それについてはまた今度。

 劇場版おっさんずラブの魅力を損なうほどの瑕疵ではないことも付け加えておきます。

 

↓この記事 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 劇場版を見たときも、この記事を書いたときも、私の頭にあったのは、東日本大震災の復興がなかなか進まない被災地のことだった。

 

 地震津波で破壊された街。道路や橋、建物などの再建は、日本は恐ろしく速い国として有名なんじゃないかと思う。

 一時的に避難している人たちも、街並みが元の通りになれば戻ってきて、復興は進んでいくに違いないと、震災後すぐはなんとなく思っていた。メディアもそういう論調だったような気がする。

 ところが、ことはそう思い通りに運ばなかったのですね。

 あの震災の場合、一番の問題は放射能だった。だから、小さい子供がいる家庭は、出来るだけ遠くの場所を避難先に選んだ。

 となると、避難先で子供は保育園や幼稚園に行く。数年経てば学校へも行く。

 何年かして、元の住処が再び住めるようになったとして、帰るにはそれらを全部置き去りにしないといけない。

「だから帰らない」

という選択をする家族が多いと、そんなドキュメンタリーを見たのです。

 学校だけでなく、皆それぞれ帰るに帰れない事情があった。

 「街」とは、建物や設備ではなく、そこに住む人のコミュニティによって成り立つものだ。

 そして、コミュニティは、一度壊れると、なかなか元に戻るのは難しい。

 

 「シン・ゴジラ」に、

「避難って簡単に言うよなあ……避難とは、住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ」

という台詞が出てくる。

 やはり、震災のことを頭に置いているな、分かってるなあ庵野さん、と思った。

 

 今日本にいて、あの震災のことを知らないクリエイターはまずいないだろう。

 そのことが少しでも頭にあれば、「街は作り直せる」という台詞は出て来ないんじゃないか。

 …と、「おっさんずラブ」本筋に関係ないとは断りつつも、私はそんな風に感じたのでした。

 

 

 一方で、「では家族は作り直せるのか?」という問い。

 これに関しては、私が元々、「家族とは言え『自分とは違う人』という意味では全員他人」と感じながら生きてきた、という事情が背景にありまして。

 一言で言うと、近親者がなかなか難しい人たちだったんですね。

 どうつきあったらうまくいくのか、四苦八苦した挙句、

「敵は大人で出来上がってしまってるからもう変わらない」

「自分が変わった方が早い」

と悟ったのが、大学生くらいの時。

 さらに色々あって、

「家族だからって付き合わなければならない義理はない。付き合うかどうかは、自分がそうしたいかどうかで決めてよし!」

と、一種の達観に辿りついたのが、それから10年くらい経ってからのことだったかな。

 

 ところがですね、それからさらに時が過ぎて、もう変わらないと思った相手が、変わったんですよ。

 これは本当にビックリした。還暦過ぎてから、人って変われるの??と思った。

 でも、変わったんです。少々語弊はあるけど「改心した」と言ってもいい。

 自分が悪かったところを認めて、歩み寄りを見せてくれるようになった。

 

 

 そうか、人って変われるんだな…と思った。

 家族って一番近い関係だからこそ、難しいし、もう変わらないと諦めていたけど、やり直すことは不可能じゃないんだな、としみじみ思いました。

 

 

 という背景を踏まえて、冒頭の文章が出てくるわけです。

 

 これを書いたときの私は、家族より「街の再生の難しさ」が頭にあったので、家族の再生についてはさらっと流してしまった感がある。

 そして多分、サザエさん的な平和な家庭とは無縁に育った自覚があって、これまで「家族」というものについて散々考えたり悩んだりしてきたから、ここでは「今更」感もあったのかもしれない。無意識だけど。

 

 改めて考え直してみると、家族だって、ある条件が揃えば作り直すのは不可能じゃないけれども、その条件を揃えるのが難しい。

 親子の問題で言えば、やり直せるのも親が生きているうち。そしてこればかりは順番通りとは限らないから、子供の方が先に命を落とす場合だってある。

 簡単に「作り直せる」とは言えませんね。

 

 

 ただ、この台詞に限って言えば、私がツッコんだのは徳尾さんに対してであって、春田にではない。 

 春田なら、こんな風にさらっと

「作り直せますよ!」

と言っても大丈夫。私は許せてしまうし、多分春田を知る人ならおおかたそうだろうと思う。

 なので、「作品の魅力を損なう瑕疵ではない」とも書いたのでした。

 

 こうして改めて振り返ってみると、私はものごっつい個人的なフィルターを通して作品を観ていたのだなあ、と気づかされる。

 そりゃ、観た人全員を満足させる作品なんか出来るわけないわ。

 

 

 

 コメントでご指摘をいただき、確かになあ…と思ったのと、自分でも改めて文章にしてみたいと思ったので、追記とさせていただきました。

 そして、そうやって考え直してみると、なんか他にも書きたいことが出てきそうなので、①と番号を打っておきました。先手ですね、こうなると。書き始めると長いからなあ私。

 そんで、締め括りの文章も、前編中編後編とかになりそうな予感がしますが、書いてみないと分かりません(キッパリ)。