我らが座長・田中圭は、「実力派」と呼び声高い俳優だ。我々一般視聴者からだけでなく、業界の仲間からも力を認められ、一目も二目も置かれて、なおかつ広く愛されている印象を受ける。
知れば知るほど、田中圭という人は、ただ単に「芝居がうまい」だけでなく、特異なタイプの役者なんじゃないかと思うようになってきた。
「おっさんずラブ」で惹きつけられたのは、田中圭の演技の「自然さ」だった。
これが、言い表すのがめちゃくちゃ難しいんだ。「演技が自然」とはよく聞く褒め言葉であって、その表現自体に目新しさはない。「ナチュラルな演技が出来る俳優」と聞いて思い浮かぶ俳優・女優はたくさんいる。
でも、「おっさんずラブ」で田中圭が見せた春田創一の演技のナチュラルさは、特筆すべきポイントだと思う。
例えば、第一話の、武蔵の告白の直前。
シナリオ本ではこうだ。
デスクに戻ってくる春田。
春田M「なんだ…やっぱり俺の勘違いか。勝手に変な想像したりして、何やってんだ俺……部長にも失礼だし、自意識過剰にもほどがあるぞ」
と、何気なく日報をめくると、『本日19時、大場海浜公園にて、待つ 黒澤』とある。
春田「……えっ⁉」
これが、実際の演技だとこう。
(デスクで『うんうん』と頷いたり顔芸のバリエーションを見せながら)
春田M「なんだ~、やっぱり俺の勘違いかぁ……部長にも失礼だし、自意識過剰にもほどがあるゾ☆」
(右手で作ったこぶしで額をコツ、と叩く仕草)
若干ぶりっこっぽいと言えなくもない「ゾ☆」の言い方と、こぶしで額コツ、は、現場で付け加えられた演出なわけだ。座長の発案なのか、第一話を担当した瑠東監督の演出なのかは分からないけど。
こういう、シナリオにない「付け足し」が、春田独特の可愛らしさを生んでいく。
あるいは、第三話。
夫の不倫を疑う蝶子さんから電話がかかってきて、「デートの尾行をする」ことになるくだり。
シナリオ本にあるのは以下。
蝶子「7時に本社前、いいわね」
春田「あ、あの、ちょっと(待って下さい)」
ブチっと電話が切れる。
春田「(呆然)デートって……!」
実際の場面はこう。
蝶子「7時に本社前、いいわね」
春田「ちょ、ちょっちょちょ……待っ…」
ブツッ ツーツーツー……
春田「デートって……(途方に暮れて)」
(春田、椅子の背に思い切り上体を倒して天井を仰ぐ。カメラはその天井から春田を見下ろすカットで)
春田「部長ぉッ!!!」
この、シナリオにない「部長ぉッ!!!」の言い方が、絶妙に可笑しくて、やっぱり可愛いんだ。
そして、見ているこちらに、三十歳を過ぎても「はるたん」という愛称がしっくりくるキュートな春田というキャラを印象づけていく。
「春田は部長の好意に対してNOと言うじゃないですか。でも拒絶するような態度をとれば話は終わっちゃうわけだし、その微妙な気持ちを保ちながら演じ続けるのは難しいですね」と座長はTVブロスの取材に答えて語っている。(2018年7月号p29)
この記事を踏まえて三話を見ると、「部長ぉッ!!」の言い方に、「部長の好意に相当困っているけど拒絶まではしていない」という春田の微妙な温度が現れていて、(なるほど)と唸らされる。座長、芸が細かい…!
この、匙加減の難しい演技を終盤までキープしてくれたからこそ、「おっさんずラブ」というドラマが成り立ったのであって、まさしく職業俳優、いや「職人」俳優である座長の面目躍如と言えよう。
田中圭の演技の技術を言い表すのに、「自然な演技」というのは多分、ちょっとズレているのではないか。
正確を期すなら、
「人がリアルにやる仕草・言動とは違うんだけれども、ドラマの中でやると『ナチュラルだ』と感じるような見せ方」
を心得ている、ということになるだろうか。
多分、演技のうまい役者は大なり小なりこういうスキルを身につけているのだろうと思うけれども、田中圭は特にうまいと思う。
そしてそのうまさが、「おっさんずラブ」では際立っている。
「スマホを落としただけなのに」の中田秀夫監督が、田中圭の演技を評してこう言っている。
「映画の冒頭に、北川景子さん演じる彼女にプロポーズをしようと思っている田中さんが、タクシーの中からメッセージを送ろうとして、どういう文面にしようかと迷う場面があるのですが、その独り言を、『わけわかんなくなってきたな、わけわかんないぞ』とアドリブで繰り返し言われたのがとても自然で、なるほどと感心させられました」(週刊朝日2018年11月2日号p31)
これ、映画を観ていなくとも、「おっさんずラブ」を見た人なら(あー分かる分かる)と頷いてしまう評だ。
週刊朝日の文章は、
「田中さんはおそらく、大変理知的に、演じる役を理解しながらも、実際の表現としてはごく自然な表情、言い回しを身につけてらっしゃるのではないでしょうか。」
と続く。
私もそうだと思う…と重ねると、映画監督と、演技のド素人である自分を並べるようでおこがましいけれども、「理知的な役者」という評は、言い得て妙だと思う。
同じ記事で、「獣になれない私たち」演出の水田氏は、
「どれだけ深刻なシーンでも、こうすればくすっと笑えるということが、シナリオを一読しただけでわかる、すぐれた俳優だと思います」
と語っている。
「深い読解力を持つ役者」という評も、何かのインタビュー記事で見た記憶がある。
シナリオの読解力、役柄の理解力、そして演技力がこれほど高く評価されている座長が、「制作側に深く影響を与えた」このことも、「おっさんずラブ」が成功した要因のひとつだと思う。
主演を務めたことで単発版「おっさんずラブ」に思い入れがあった座長、連ドラ化に当たって、いつもはしないことながら、準備稿を見せてくれ、と頼んだのだそうな。
このくだり、TVブロスの記事をまんま引用した方が分かりやすい。
「僕自身、主役を演じさせていただけることなんてほとんどないので思い入れもありますし、単発ドラマも作品としてすごく大事に作っていたので。初めは、単発ドラマを大事にするならそれこそキャストが変わるのはどうなんだろうと思っていたし、いろいろ恐れていたことがあったんです。だから、普段は全く言わないのですが、準備稿を見せてほしいとプロデューサーにお願いして。脚本家の徳尾浩司さんともごはんに行って、自分の気持ちを話しました。でも、正直な話、その準備稿が僕の中ではあまり納得できなかった。せっかく連ドラにするならいい作品にしたいので、僕なりの作品への思いや考えを正直に監督やスタッフにぶつけたんです」
「今回の作品に限らず他の作品でもそうなのですが、僕は設定でストーリーが進んでいくのがすごく嫌なんです。主役とヒロインだから恋をする、という設定や、その状況を説明するようなセリフで済ませてストーリーが進んでいくのは、『おっさんずラブ』ではやりたくないと。(中略)そのせいか決定稿では、僕自身も納得のいく形に変更していただいた点がいくつもありました」
この記事を書くにあたって、「おっさんずラブ」が特集された記事や、座長始めキャストのインタビューが載った雑誌をいくつかピックアップして参考にしたけれど、TVブロスの記事が一番よかった。特に、上のインタビューが載った2018年8月号の「田中圭、いまを語る」という特集記事を読むと、「おっさんずラブ」があれほどのヒットを生み出したポイントがなんとなく見えてくる。
座長は続けて、こう話している。引用すると長くなるので要約すると、これまでの経験で、相手の芝居を受けるときに台本のセリフと、役が入っている自分として言いたいセリフがズレることがある。基本的には演出通り、台本通り演じるのだけれど、「おっさんずラブ」ではそれをしたくなかった。役として生きた感覚を大事に演じたかったし、他のキャストにもそうして欲しくて、現場の雰囲気を作った、と。
このことが、牧役の林遣都に
「いい意味で台本を無視して、牧が感じたことをそのままセリフにして欲しい」
と伝えることに繋がっていくわけだ。
こうして、セリフが粗かったり、背景に若干矛盾があったりする徳尾脚本を、田中圭を中心とするキャストが(監督たちも)補い、より生き生きした芝居に高めていったことは、これまで見てきた通り。
座長は
「これだけ力のあるスタッフとキャストがいれば、おもしろくなるぞ、と内心思っていた」
と語っていて、色んなインタビューでこのチームの能力の高さを強調しているけれど、周囲をひとつの「チーム」として結束させたのも、それぞれのポテンシャルをさらに高く引き出したのも、座長が田中圭であったればこそ、だったのではないかと思う。
やはりと思いましたがやはり長くなりましたので切ります。