おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

「おっさんずラブ」の奇跡④ 奇跡の座長・田中圭(後編)

 ところで、私は短い文章を書く人に憧れている。

 端的で、端正で、要点はズバリと衝いているけれど、ダラダラうだうだ言い過ぎていない文章。(昨今あまりお目にかかれないけれども。特にネットでは)

 俳句とか短歌とか、究極じゃないですか。詩もね。いいなあ、書きたいなあと思うんだけど、出来ない。

 5歳で始めた日記を今も続けているんだけど、小学校2年生のときに既に1日分を10ページ以上書く子供だったから、もう仕方ないっちゃ仕方ないですね。そういう血としか。

 特に、「おっさんずラブ」に関しては、ともかくも「全部余さず書いておきたい!」という意気込みでやっているもので、どうしても一章が長くなる。

 この『「おっさんずラブ」の奇跡』も、予定していたより長くかかりそうな気がしてきました。

 そろそろ途中でドラマレビューを挟んでいこうかな。



 本題。

 「おっさんずラブ」が成功したポイントとしてもうひとつ。

 これだけの能力を秘めた田中圭という役者の、2018年のあの時期に「おっさんずラブ」というドラマがスタートしたことが、大きな意味があったのだと私は思っている。

 あさイチで事務所の社長さんが話していましたよね。

「主演をやりたい」

という圭氏の願望。

 同じ事務所にいる先輩の小栗旬は、言うまでもなくスター俳優だ。おしゃれイズムだったかな、「早く売れろ」と度々愛のあるいじりをされていたとか。同じ事務所に綾野剛という俳優がいるが、彼も斎藤工くん同様、下積みが長かったのをたまたま知っていたので、ブレイクしたときには「よかったね!」と心から祝福した俳優さんだ。田中圭氏とも仲がいいんですね。

 そうした周囲の活躍ぶりを目にして、座長が(自分は自分)と、日々の仕事を誠実にこなしてきたことを既に我々は知っているけれども、「役者」という職業を選んだ以上、やはり内心「忸怩たる思い」とでもいうべき感情は、ゼロではなかったのではないかと推察する。

 彼自身、時折口にしていますね。

「売れたいと思っていた」

と。

 そりゃそうだろうな、と思う。

「売れたいと思わない奴がいていい世界じゃねえんだよ」

みたいなニュアンスのセリフ、マンガだったかなあ? 誰かのセリフにあったと思うんだけど、この通りだと私もずっと前から思っている。

 華やかなスポットライトを浴びることを快感だと感じる感性がなければ、あの業界では務まらないのと違うかな、と。

 そして、そのスポットライトの当たる席が、喉から手が出るほど欲しい人がたくさんいて、死ぬほど努力して、やっと末席を掴み取る人も大勢いる。

 それほどの思いでようやく世に出ても、何らかの事情で途中退場を余儀なくされることもままあるし、代わりは幾らでもいるから、再起のチャンスも与えられず忘れられていく人も少なくない、残酷な世界でもある。

「売れたい!」

と肚の底から願うハングリー精神がないと、長く生き残ることも難しい世界だというイメージが強くある。



 しかしこの、「売れる」という言葉、ひとくちに言っても色んな意味がある。ただただ注目を浴びたいという人もいれば、CMにたくさん出て稼ぎまくりたい人もいるだろうし、お茶の間で広く愛されて記憶に残る存在になりたいと思っている人もいるだろう。

 「おっさんずラブ」以前の田中圭氏だって、お茶の間に親しんでいるという意味では、十分「売れて」いたと思う。大体どのクールのドラマにも出ていたくらいだもん。ただ、「田中圭」という名前を聞いて、10人が10人とも「ああ、あの!」と間髪入れず思い出すかと言えば、それほどではなかった。そこに至るにはやはり、「ヒットドラマで主演する」ことが必要条件だったのでしょう。

 だから、

「主役をやりたい」

という願望を社長に告げた田中圭氏。しかし彼は、「売れたい」という欲求を、非常に真っ当な方法で実現しようとした。

 自分が主演する「おっさんずラブ」というドラマを、ともかくもいいものにしたい。

 主役の自分一人が注目されるのではなく、「おっさんずラブ」チーム全体が評価された上での、「主演」田中圭でありたい。

 ドラマ放映前、あるいは放映が始まった直後の座長のスタンスとしては、恐らくこういうものであっただろうと、ヒットした後の数々のインタビューから窺い知ることが出来る。



「“俳優・田中圭”のイメージは、わりとどうでもいいんです。僕が勝負すべき場所はお芝居であって、そこには役があり、僕自身は関係ない」(週刊朝日2018年11月2日号p28)

「作品に出る時に、俳優・田中圭がどう見られるか、みたいなことはあまり考えていないんです。もちろんどの作品も自分の俳優人生をかけて挑みますし、今回は特にその気持ちが強かったのですが、自分がどうのこうのよりも、『おっさんずラブ』という作品が愛されてほしいという思いの一心ですね」(TVブロス2018年8月号p18)



 このことは、田中圭をよく知る周辺の人たちも同じように語っている。

 

「人は誰でも、“うまくやりたい”と思うものですが、彼は自分以外のもののため……相手役のため、作品のため、お客さまのためにひたすら生きることが俳優のスタートラインだということに、10代からの体験で気づいたんじゃないでしょうか。だから彼には、虚栄心とか、優越感とか、劣等感とか、芝居にとって邪魔なものが一切ない。とってもナチュラルですよね。それが俳優・田中圭の最大の魅力だと思います」(週刊朝日水田伸生氏インタビューより)




 俳優という、スポットライトを浴びる立場の職業を選んだ以上、「自分」が評価されるという欲を完璧に封じ込めるのは、恐らく一般人が想像する以上に難しいことなんじゃないかと思う。素人の憶測でしかないけど。でも、「承認欲求」というもの、凡百の我々の中にも必ずあって、時には度し難い欲の発露となることは、「イイネ!」を欲しがるツイッター民・「映え」ばかり気にするインスタグラマーがうようよいることからもよく分かるではないか。

 自分のことを「ポンコツ」と言う座長だけど、「役者」という仕事に関してはストイックで、吉田鋼太郎が「あいつ、バカだなあ…と後から泣けてくるほどの役者バカ」と語るほど。

 こういう役者である田中圭を座長に頂いたことが、「おっさんずラブ」の現場に、普段には見られないエネルギーの高揚をもたらしたのだと思う。




「他のキャストのみなさんにもその場で感じたことをそのまま演じてほしいと思っていたので、そういうスイッチを入れてもらえるように1話目の撮影でわざとアドリブをふったりしました」(TVブロス

 

 この座長の仕掛けに、他のキャスト・スタッフも応える。

 

「ほぼ暗黙の了解と言いますか、僕らの共通認識として『1シーン1シーン、命懸けでやんないとダメだね』って流れには自然となっていましたね。ちょっとでも照れがあったりしては絶対ダメだと」(ザ・テレビジョン2018年10月6日号p23吉田鋼太郎氏インタビューより)

 

「『おっさんずラブ』は、その場その場で生まれる芝居を、できるだけ生かそうとしたドラマでした。(中略)彼の芝居にいちばん驚かされたのは、第7話(最終話)で、春田が牧にプロポーズする場面ですね。(中略) 圭くんが地下道の階段を上がってきた瞬間、ビリビリくる芝居がいきなり始まったんです。何の合図もなしに。そこからはもう生演奏のセッションみたいな感じで、撮影が始まりました」(週刊朝日・瑠東監督インタビューより)

 

 牧役の林遣都は、インタビュー記事があまりないんだけど、劇場版のオフィシャル本で

「牧にはもう戻れない。そのくらい出し尽くして、やりきった感覚がありました。こんなに素敵な終わり方を経験したのは初めてのことでした」

と語っている。

 同じくオフィシャル本の、田中圭吉田鋼太郎との三人対談記事では、

「この三人だと戦うことが当たり前になっていた」

というような内容を、三者三様に語っているから、毎シーン「これが最後」という覚悟を持って、命を削る芝居をしてくれたことは間違いないと思う。



 そして、メインキャストやきじP・監督たちに比べれば、表に出ることはあまりないけれど、ドラマを支えるスタッフたちも並々ならぬ熱量で「おっさんずラブ」というドラマを作ってくれたことは、オフィシャル本を読むまでもない。

 私が、(あ、スタッフも本当に優秀なんだろうな)と思ったのは、座長が何かの折に語っていたくだりを耳にしたときのことだ。

 ドラマの撮影って本当になかなかうまくいかないことも多く、キャストがノーミスで1シーンやり切ったとしても、音声やカメラ、小道具のミスで撮り直しになることも度々あるけど、「おっさんずラブ」のスタッフはそれがない、というような内容。

「その場で生まれた芝居を大事にする」と、これもこうして字にしてしまえば簡単だけど、このアドリブだらけの現場で、すべてをちゃんと記録しきっていたスタッフ、相当に「デキる」んだと思う。

 牧メモやお揃いのマグカップを用意した小道具さん、キャストのビジュアルを作ったメイクさん、愛情あふれる武蔵メシ・牧ごはんを創ったフードコーディネーターの赤沼さん、ここぞという場面でハートや涙型の光を背景にちりばめてお茶の間の涙と笑を誘った撮影・照明部のスタッフ。

 巧みなSNS使いで世間を盛り上げた江藤さんは、「おっさんずラブ」ヒットの影の立役者と言っても過言ではなかろう。

 あの下手カワな虎の絵を描いたのは助監督さんなんだそうな。そんなエピソードを読むと、

「どいつもこいつも……このヤロウ!!」

と、訳わからんテンションになって、なんか涙が出てくる。笑



 情熱と能力を兼ね備えたスタッフが、「おっさんずラブ」の現場に揃ったのも、「奇跡」のひとつだと思う。

 連ドラ化の奇跡を呼んだのが、単発版のファンときじPだとするならば、この「デキるスタッフ揃い踏み」の奇跡を生んだのは、座長・田中圭だと私は考えるのですが、どうでしょうか。

「類は友を呼ぶ」の言葉どおり、座長自身が芝居に対してストイックで誠実で、いい意味で「己」を殺して他を立てる利他心の持ち主だったからこそ、同じようなレベルの人たちが周りに集まったのではないかと。

 そして、あの爆発的ヒットを作り出すエネルギーの一部に、座長の「主役をやりたい」「もっと売れたい」という秘めたる情熱が作用したのではないかというのが、私の愚考するところであります。




 私の愚考はともあれ、田中圭が最高の座長であったことは、牧役・林遣都がこのように語っていることからも明らかだ。

 

「愛情深くて、飾らなくて、嘘がない。みんなを愛して、みんなに愛される人が現場の舵をきっているからいい作品ができる」



 田中圭が座長であることの奇跡を、極力冷静に文章にしたかったので、アゲアゲ絶賛記事になりそうな「田中圭自身がそもそもイイ人である」という部分は、あえて排して記事を書いてきた。

 でも結局のところ、その部分は大きいと思う。裏がなくて、純粋で、役者という仕事に対しては「バカ」と言われてしまうくらいまっすぐで、時にはポンコツな、はるたんみ溢れる田中圭が座長だったからこそ、周りもあれほどに結束したのだ。

 人に対しても、仕事に対しても、「好き」という感情が生むポジティブなエネルギーって、何倍にも膨れ上がりますからね。




「僕としてもこの作品で何も届かなかったら、役者をやめようというぐらいの覚悟でした。集まってくれたキャスト、スタッフには『今回は僕を信じてもらってもいいですか』という気持ちで、悔いがないようにやらせてもらった。それだけに評価された今は本当に幸せな気持ちです」(TVブロス



 座長がこの覚悟でもって取り組んでくれたから、私たちは「おっさんずラブ」という奇跡のドラマを見ることが出来た。

 毎週土曜日の夜、あれだけワクワクしてドラマを待つということも久しくなかったし、見るたびにキャラに感情移入して一喜一憂する、ということもなかった。

 ドラマが涙のフィナーレを迎えた後も、「おっさんずラブ」というドラマの熱狂の余波が世間に浸透し、コンテンツとして育っていく様を目の当たりにすることが出来た。




 あれはまさしく、座長・田中圭が生み出してくれた奇跡だと、私は信じる。

 その奇跡のお陰で、「本当に幸せな気持ち」は今も続いている。

 改めて、座長・田中圭氏と、すべてのキャスト・スタッフに感謝を捧げたい。



おっさんずラブ」を創ってくれて、

 

本当にありがとうございました!!!