おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

落語ディーパー!

 某国営放送の朝ドラで夫婦を演じて結婚した超有名カップルが……ってまどろっこしいな。どう遠回りに言っても意味がねえわ。

 東出くんと杏ちゃんのカップル、交際発覚のときから可愛いカップルだなと思っていたし、そのまま結婚した流れもよし、その年の紅白で俳優仲間に祝辞を述べられて「もういいって」と恥ずかしがっていた姿も記憶に新しいから、あの不意打ちの不倫報道には心底驚いた。

 …が、ことのなりゆきはどうでもいい。何をどう引っ繰り返したって、不倫問題=よそのご家庭の恋愛事件でしかない。どんなに身近に感じていようと我々は赤の他人、そもそもくちばしを挟む権利もなけりゃそんな立場でもない。

 それよりも私が(迷惑だな)と感じたのは、

「えええーこれで『落語ディーパー!』がなくなっちゃったら困るんだけど!! もぉー!!」

という一点のみだった。

 今夜、久しぶりに見れました。

 善哉。



 前の記事で書いた、これまで延々と受け継がれてきた芸能のひとつに落語がある。

 子供の時分から私は講談・落語の類が大好きだった。アレ、すごいですよね。噺家が高座で座って話してるだけなんですよ。ところが聞いてるうちに、登場人物が1人、2人、3人と増えていき、混同することもなく、ややこしくもなく、目の前ですっとこどっこいのボンクラ亭主と気持ちの優しいおかみさん、ケチな大家さんのドラマが繰り広げられるのを楽しむことが出来る。

 行灯がともるのも確かに見たし、世間知らずの若旦那が引っ繰り返ってしりもちをついた様もこの目で見たと思うんだけど、よくよく見てみれば、ただ座布団に座ったおっさんがいるだけだ。

 テレビドラマは、脚本・演出・監督・演者と大勢の役割分担で成り立つ集団芸術だけど、落語はそれをたった一人、舌先三寸で成立させてしまう孤高の話芸だ。

 落語という伝統芸能が今に伝わっていること、これだけでも日本が世界に自国の文化を誇っていいと思う。



 「伝統芸能」とラベリングされてしまうと、どうもこう、「高尚」「堅苦しい」というイメージがついてしまうのが悩みどころで、本来落語という芸が目指している場所から離れてしまうと思うんだけど、そこをうまいことお茶の間に紹介して、ファン層を拡大するのにいい番組だと思っていた。

 噺家に「通だね!」と言わしめる東出くんの知悉ぶりも素晴らしいし、若手噺家がわいのわいのと自由にお喋りする肩の凝らない空気感も好きだ。

 このまま続いていただきたい。



 

 芸能人が何か不祥事を起こすと、猫も杓子も右へならえ、鬼の首を取ったように正論でとことん攻撃する今の風潮、何なんですかね。皆さんそんなに清く正しく、正道を一歩も踏み外さない生活を送っていらっしゃるのかしら。

 芸能人は夢を売るのが仕事だから、まあある程度身の処し方は気をつけてくれよ、とは思うけど、そうは言っても間違えることもあるだろうよ。人間だもの。

 芸能人にも政治家にも、私は「クリーンであること」は特に求めていない。

 全然間違えないお人よしの無能より、その逆がいい。



 私は久しぶりに東出くんを見たんだけど、痩せて顎が尖っていて、大きな体が心なしか一回り小さくなったような印象を受けて、プライベートの苦労が滲み出てるなー、と思えて笑ってしまった。

 ちゃんと仕事してくれればそれでいいです。

 まあ、頑張れや。な。



 芸能人は「芸」を売る。それを、作品という形で受け取るのが我々であって、要はいい作品なら何でもいいわけだ。

 しかし、楽しみにしていた作品が我々の手に届かないことがある。出演者の誰かが起こした不祥事が明るみに出て、それが犯罪レベルだった場合。

 残念ながら、そうした事件は度々起こる。

 性格のよさとか品行方正かどうかとか、そんなことはどうでもいいから、作品が世に出る邪魔になるようなことはしてくれるな、と、芸能関係の方々に私が望むのはそれのみだ。

 見るのをめちゃくちゃ楽しみにしていた映画の公開が見送られたり、大好きなドラマがもう決して地上波で再放送されなくなったり、そうしたことが起こるたび、我々一般庶民がどれだけ傷ついて落胆して悲しむか、そこのところは知っておいて欲しいと思う。

 芸能人のみなさんには心して芸能生活を送っていただきたい。

 

 なんか校長先生の訓示っぽくなっちゃったけど、まあともかく、好きな番組が続くみたいでよかった!という話でした。