志村けんさんが亡くなりましたね。
残念です。
多分、平常時なら、めっちゃ悲しいニュースだと捉えると思う。
が、私は今、このニュースをうまく捉えることが出来ない。
このブログでもSNSでも、基本的にネガティブなことは書かないようにしてきた。好きなことを好きだと叫びつつ、立ち寄ってくれた人がくつろいで楽しい気持ちになってくれたら…と思いながら記事を書いてきた。
それは多分、多くの書き手やSNSユーザーに共通するスタンスだろうと思う。平常時なら。
しかし今、「平常時」とはとても言えない。首相が何度避けようとも、これは紛れもなく非常事態であり、はっきり言って「緊急事態」である。
そのことは誰の目にも明らかだ、と思っていた。
しかし、そうではなかったらしい。
志村けんさんが亡くなったのを、私は職場で知った。昼休みツイッターを覗いてみたら、多くの悲しみに満ちたツイートが流れていた。
それを見て、私は驚きを禁じ得なかった。
「初めて危機感を持った」というツイートが少なくなかったからだ。
(え……じゃあ今まではなんやと思ってたん…?)
というのが正直な気持ちだった。
私の職業は、多くのお客さんと接する仕事だ。職場のすぐ近くでクラスターが発生して、うちでもいつ患者が出てもおかしくない。閉めてもいいと思うんだけど、というかむしろ閉めるべきだと思うんだけど、会社の方針で営業は続いている。
人生でこれほどウィルスについて考えたことはなかったし、これほど消毒という作業に時間を割いたこともなかった。ともかく、お客さんの手が触れるところはすべて、消毒して消毒して消毒する。消毒の作業のたびに手を洗い、アルコールで殺菌する。今まで一度も荒れたことがなかった手はあっと言う間にガサガサになった。一周して順応したらしく、今はなんだかつるっとした皮膚になっている。生え変わったみたい。
お客さんの間にも不安が広がっている。だから毎日、笑顔で元気よく接客している。不安に寄り添い、外に渦巻く危機をいっとき忘れてもらえるように、極力「いつものテンション」を保っている。
しかし会社はこのピンチにうまく対応できているとはとても言えない。昨日来た指示が、今日の朝違うものに変わっている。指示も入り組んでいて分かりにくい上、ようやく全部把握したと思ったら「変更になりました」とメールが来る。「朝令暮改」を地で行っている。本部が右顧左眄し現場は右往左往する。それを表に出さないよう、お客さんの前では精一杯笑顔でいる。マスクで顔が半分隠れているのが幸いだった。
ともかく、1人でも患者が出たらアウトだ。だから、毎日ギリギリがけっぷちの危機感で働いている。「薄氷を踏むような」とか「綱渡り」とかいう例えがあるけど、今の私たちが日々歩いているのは薄く鋭い刃の上だ。一歩踏み外したら大怪我する。下手すれば死ぬ。
一番怖いのは、私自身が「無症状・無自覚の感染者」となることだ。知らない間にかかって、知らない誰かを感染させたら。しかし、通勤の手段は電車しかない。マスクをし、手すりやつり革を不用意に素手で触らないようにして、こまめに手を洗い、アルコール消毒を繰り返すより他に手段がないのだ。
正直、疲弊している。多分、自分で思っている以上にストレスを感じていると思う。
「おっさんずラブ」のレビューでも書いたけど、人にとって一番の恐怖は「分からない」ことだ。目に見えないウィルス。どこにいるのか分からない感染者。感染したとしても自分自身が分からないかもしれない。これからどうなるのかも分からないし、何が正解かも分からない。分からないことだらけ。ただ一つ分かっているのは、「人類が今まで経験したことのない危機に直面している」ということ。そして、残念ながら、それに適切に対策を立てられる為政者がこの国にはいないことだ。
家に帰ってテレビをつけると、繁華街を普通に歩いている若者が映っている。また、海外旅行から帰ってきた大学生が謝恩会に出てクラスターが発生したとか、(またか…)とがっくりくるニュースが飛び込んでくる。
何故この時期に海外旅行に行くのか、感染者が大勢発生している場所からそうでない場所へ移動するのか、その致命的な危機感のなさはなんなんだろう……とジリジリ感じながらも、匿名のSNSでバッシングする波を作るのはよくない、と自重していた。
自分は注意深く、出来ることを全部やる。無自覚な他人の無責任な行動は、思うところがあっても、責めるのはやめておこう、と思っていた。
というか、「致命的に危機感がない人」は、そうは言ってもごく一部だと思っていたのだ。
ところが、志村けん氏という有名人が感染し、亡くなったことで、初めて(これは大変だ……)と理解した人が、どうやら少なくなかったらしい。
(ウソやん……)と、そこは正直、腰が抜けそうになる。
世界各国でこのウィルスが蔓延し、その土地の長が外でフラフラしている市民を恫喝してまで家に帰らせているニュースを見ても、ニューヨークの病院で医療崩壊が起きている映像を見ても、その人たちにとっては「他人事」だったんだろうか。
志村けんという、なじみの存在がこのウィルスの感染症に罹患し、亡くなってしまったことで初めて、(もしかすると自分も…)と、身近に感じたんだろうか。
こればかりは「人それぞれ感じ方が違う」では済まされない。
皆一致して、同じ認識を持つべきだ。
敵の姿は目に見えない。見えないが、非常に強い感染力を持っている。
若くて持病がない人も重症化する例が報告されている。誰がいつかかるか分からない。
「うつされたら困る」んじゃなく、「万一自分がうつしたら、何人か死ぬかもしれない」くらいの危機感を持たなければならないと思う。
ものの例えではなく、本当にそんな事態が起こっているのだ。
先日、祖母が他界した。
享年92歳。
足を怪我したんだけど、その手術はうまくいったと聞いていた。
手術後の、誤嚥性の肺炎が死因らしい。
突然の訃報だった。
母から電話がかかってきたのは朝の6時半だった。
「帰ってこなくていい」
とのことだった。
そりゃそうだ、と思った。私の故郷山陰では未だコロナの感染者が出ていない。一方で、私は全国でも感染者数上位の都道府県に住んでいる。
長距離の移動、高齢者ばかりの親戚、どう考えても「帰省」という選択肢は出て来なかった。
「分かった。帰らない」
と私は答えた。
だから、実感は全然わかなかった。年齢も年齢だから覚悟もしていたし、長いこと認知症で施設に入っていて、ここ数年意思の疎通は出来なくなっていた。
思ったよりダメージがないな…と思ったんだけど、親しい身内を亡くすのは初めてのことだったので、(後から来るかな…)とも予測していた。
波は今日来た。
志村けんの訃報について目にし、色々と考える中で、不意にどっと悲しみが襲ってきた。
私はおばあちゃん子で、祖母に育てられた。やっぱり、帰ってお別れを言いたかった。顔を見れば泣き崩れてしまうだろうけど、それでも、ちゃんと送ってあげたかった。
(帰ってあげられなくてごめんね…)
ただただ悲しくなって、その場に立ち尽くして動けなくなった。
それでも、(無理をして帰ればよかった)とは思えない。
何をどう考えても、この時期この状況で、感染者ゼロの場所へ私が移動していいわけがない。
もしも私が帰省した後に一人目の患者が発生したら、私とまったく関係がなかったとしても、(もしかして自分が広めたのかも…)と考えてしまうだろう。
万々が一にも、自分が感染を広げたら…と思うと、「移動はしない」の一択だ。
祖母の4人の孫はいずれも県外で、皆同じ理由で帰省出来なかった。
葬儀はひっそりと行われたと、母から聞いた。
今、山陰に観光で訪れる人が増えているらしい。観光地は県外ナンバーの車ばかりだということだ。「感染者ゼロ」だから来るということは、「うつされない」と安心して訪れるのだろうと思う。
「自分がうつすかもしれない」という予測をまるでしないのがなぜなのか、私には分からないけど、ともかくそういうことらしい。
長々と書いてきましたが、言いたいことはつまり、
今県外から島根・鳥取に来るのはやめてください。
本当にやめてください。
ということです。
都会の人には分からないかもしれないが、山陰は本当に高齢化が進んでいる。重症化リスクのある人の割合が大きい。それに対して、病院も医師も少ない。
軽いお遊びの気持ちで、他人の命を危険にさらすような行動は厳に慎んでほしい。
山陰には、よい観光スポットがたくさんある。それを楽しんでくれるのは嬉しいしありがたい。
でもそれ、今でなくてもいいでしょ? 今じゃないですよね?
コロナ禍が収束し、日常が戻ってから、思う存分来てくれたらいいと思う。
それまではお願いします。
来 な い で く だ さ い
長い文章を読んでいただき、ありがとうございます。
出来ればこの記事、拡散していただけると嬉しいです。
皆さんもきっと、それぞれ大変な思いをしながら日々を過ごしていらっしゃることと思います。
ご無理はされず、なんとか乗り切りましょうね。
次からはまたノンキな記事載せます。