おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

映像研には手を出すな! 【序章】

「映像研には手を出すな!」というアニメがある。

 この作品を私は非常に気に入って、放映時は毎週楽しみに見ていた。

 いつか感想を書こうと思ったまま、書かないまま数か月経ってしまった。

 自分で記事を検索してみると、「映像研」の単語の初出が3/8。2カ月以上経っている。

 その記事はコロナ流行におけるエンタメの必要性について語った記事で、未だに終息していないどころか、今に至る自粛期間の初期であることを考えると、別の感慨を抱いてしまうが、その話はまた今度。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com



 なぜ「映像研」について語れなかったかと言うと、このアニメがこれまでになかった、まったく新しい世界観を持つ作品だからだ。

 今まで見たことがない、ということはすぐに分かったし、(何これ新しい!)と感じてワクワクした。

 ……が、まったく新しいものって、自分の中に語る語彙を見つけるのに時間がかかるんですよね。

 何がどう新しくて、どこら辺が自分にヒットしたのか、それを自分でもつかめなかったし、つかもうと思って録画を見るんだけど毎度作品の面白さに普通に見入ってしまって、感想を書くところまで行きつかなかったのだった。



 こないだ、切り口を見つけた!と感じたのだった。

 このアニメに関しては、「描かれているもの」もだけど、それよりも「描かれていないもの」に気づくのが肝要ではないか、と、それは分かっていた。

 でもですね、そこに「ある」ものはすぐ分かるけど、「ない」ものを見つけるのは難しい。少なくとも、私のような素人の書き手にとっては、なかなか時間がかかる作業だった。

 なぜ気づくに至ったかと言うと、「腐界の諸事情」について書いたからだった。

「腐界の諸事情」というタイトル自体は、1年以上前に書きかけていて、ずっと寝かせていた記事だった。急に書く気が起こったのがなぜだったのか、自分でも不思議だったんだけど、もしかすると「映像研」のためだったのかもしれない。

 ともかく、あの2本の記事で少女の呪縛について書いたことで、「映像研」の世界が描いていないものに気づくことが出来たのだった。



 よっしゃ、糸口は見つかった…と思って、感想をまとめようと何度も見返すんだけど、見れば見るほど、「映像研」の世界は深い。

 新しいものは一つだけじゃなく、情報量が多い。

 こりゃ、私が手をつかねていたわけだわ……と、語ろうとする対象の全体像の大きさを改めて認識して、今更ながら感慨に耽ってみたり。




 何かについて語り始めるのにはもう一つ、

「よし、書こう!」

という「衝動」が要る。

 これがねェ、何とも説明し難い衝動でして、自分ではコントロール出来ないんですよね。

「降りてくる」という表現、多分このブログでも何度か使っていると思うけど、そうとしか言いようがない。




 で、書くにあたって、「ちゃんと書こう」と思ったんだけども、「ちゃんと書こう」つまり「いつもの自分はちゃんと書けていない」という思いがあったんですね。

 私は文章を書くことが好きで、こうして文章を幾つも連ねるのが苦痛でないけれども、プロの批評家みたいな文章を書くことは出来ない。

 ……つまりここに、自分の文章<プロの批評家の文章という思い込みがあることに、こないだ気がついたわけだ。

 いや、換金価値があるかどうか、広く一般に読まれる普遍性、汎用性があるかどうかについては、まったくその通りなんだけれども、

(このブログで、私が自分のスタイルを封印して、『プロの批評家のような文章』を書くことに、意味があるだろうか)

と問い直してみたときに、

(……いや、ないな)

という結論に至ったのだった。

 これもね、昭和の時代に義務教育を受けた人間には、その時代の「文章規範」が刷り込まれていることが原因だと考えられるんだけど、つまりはこのように、「~だ。」と「~です。」の文章を混ぜて使ったり、「これもね、」等と口語のくだけた接続詞(というよりは合いの手)を突然使ったりすることは、タブーであると教えられてきているんですよね。

 私もそれを承知で、「だって自分のブログなんだからいいじゃん」という気持ちで使ってきたんだけど、この書き方、私が思ってるよりダメじゃないんじゃないかな?とこないだから考えるようになってまして。

 文章というものは、もっとずっと自由でいいんじゃないだろうか、と。

 昭和の、紙とえんぴつの時代と、SNS全盛のネット時代と、文章の在り方が同じなはずがあろうか、と。

 そう思い直してみると、自分の中にも相当「~ねばならない」という無意識の思い込みがあることに気づかされたわけです。




 というわけで、「映像研には手を出すな!」について、私のスタイルで(ていうかそれはこれまで通り)語っていきたいと思います。

 今頭にある内容だと、2章か3章の予定だけど、書いているうちにどうせ長くなるので(最早諦めの境地…)、私も覚悟を決めたけど読む皆さんもそのおつもりでよろしく。




「……という書き出しで書こう!」

と、今日の昼過ぎに天啓が降ってきたので、お昼ご飯食べた後畳に寝転がってゴロゴロしていたのを、むくっと起き上がってパソコンに向かい、一気呵成にここまで書いております。

 以上、長い長い前置きでした。