「視聴者リクエストにお応えして」とのことで、金曜ロードショーでやってくれましたね。
女性人気No.1とか。
そう、私もこの映画は大好き。もう何度見たことか。
多分もう30回は見てる。
でも、やっぱり面白かったです!
1992年制作というから、もう28年も前の映画ということになる。
えーとその時私は……とか考えてると、時間の経過にくらっと眩暈がしそうになるのでそれは今おいといて。
昔の映画って、今見ると女性差別とか人種差別とか色々とアウトだったりするものも多いけど、この映画は大丈夫。
英語をよく分かった人が字幕で見たらどうなのかは知らないけど、少なくとも吹き替えで見ている分には、今見ても引っかかるところはそれほどない。
まったく違うもの同士が、ある日ひょんなことから行動を共にすることになり…というのは、コメディによくある筋立てだけど、それにしてもこの映画はぶっ飛んでるよね。片や場末のクラブの歌手(しかもヤクザの愛人)、片や修道院のシスター。
どちらにとっても不本意なこの組み合わせ、しかし思いもかけぬ方向に転がっていく。
デロリスにとって最初の友達となるのが、大人しいメアリ―・ロバート。
一人服装が違っているのは、見習いなんでしたっけ。とても心の綺麗な、優しい女性で、修道院生活に慣れないクラレンス(デロリス)の元に、面白アラーム時計を持ってきてくれる。
その様子が、本当に何の邪心もないんだなあと思わされて、クラレンスもすぐに受け入れるんだよね。そのことから、彼女も実は性格がすれていなくて、人の厚意は素直に受け入れるタチなのだと見てとれる。
ふとっちょで陽気なメアリ―・パトリックも面白い。いつもニコニコ、楽しそう。本人の言う通り、太陽のようだ。
この二人によって、デロリスは徐々にこの修道院に居場所を見出していく。
もっとも反発し合う存在だったのが、マギー・スミス演じる厳格な院長だ。
院長にすれば、修道女たちを俗世の汚れから守らねばならぬと、保守的な風土を守ってきたのに、デロリスは全く空気を読まず、修道院にどんどんよからぬ変化をもたらしてしまう。
苦悩しながら、ときには長年尽くしてきた修道院から去ることまで考えながら、デロリスとつきあっていくことになるわけだが、実はこの物語、この院長とデロリスとの友情がメインとなっている面もある。
保守的で厳格な院長、人を見る目には長けていたのだな。
「あなたには聖歌隊をお願いします」
と、デロリスを聖歌隊に入れたのは慧眼であった。
どうにも修道院の生活になじめなかったデロリス、聖歌隊では真価を発揮する。
ここ、前半の見どころのひとつだけど、私が好きなのは、シスター・ラザロとの友情の始まりだ。
「革新的」な修道院を断固否定するシスター・ラザロ、院長に負けず劣らず頑固で保守的だけれども、デロリスが聖歌隊に入ったのを院長の差し金だと見誤ったのが、すべての発端となったのだった。
ここで、本職歌手のデロリス、美しいハーモニーを生み出すためにはどうするか、即座に把握して的確な指示を出し、立ち位置を変えて改革に乗り出す。
この教えるパート、素晴らしくないですか? 一人声の出し過ぎだったパトリックには
「あなたの声は素晴らしい」と伝えたうえで、「でも一人だけ方向が違うのよね」と、ハーモニーを産み出すためのアドバイスを与える。
そして、後にこの聖歌隊の要となるシスター・マリア・ロバートには、イメトレの方法を授ける。
お腹をぐっと押して大きな声が出るようになる様子、見ていて見ごたえがありますよね。
で、感心したのはなんと言ってもシスター・ラザロの扱い方ですよ。長年この下手くそな聖歌隊を指揮してきて、プライドも大いにあるお方なわけで。
その目の前で、デロリスがハーモニーを導き出したとあれば、当然反発が生まれるところ、すかさず
「あなたが音楽に詳しいのはすぐに分かりました」
と歩み寄りを見せ、プロデューサー側に引き込むことで、シスターラザロの共感も得ることが出来た。
そう言えば、冒頭でも、デロリスが他の歌手の仕事も調整してたって出てたもんね。
プロデュースの能力に長けていたことは示唆されていた。
この映画、作品中でいくつか歌が披露されるけれど、一番最初の歌、「Hail Holly Queen」が一番好き。
そして、何度聞いても癒されるのもこの歌。
最初、シスターたち自身でも「めちゃくちゃ♡」と言っていたハーモニーがきちんとしかるべき度数で重なり合って、美しく調和のとれた歌となっていて、そこも聞き惚れるのですが、その次。
ガラリと雰囲気を変えてノリノリの歌がリズミカルに始まる。補聴器着用のおばあちゃんシスター、アルマもダイナミックな演奏で楽しそうだ。そしてピアノうまいね!
それぞれ、周りの音を聴きつつ、全体のハーモニーを楽しみつつ、一人一人の個性はうまく引き立つ演出で、聖歌隊が一体となっている様が見ごたえがあり、何度聞いても眼と耳が歓ぶ。
合唱とか合奏をやったことがある人なら分かる感覚だと思うけど、この「大勢でひとつの曲を作り上げる」って、独特の経験じゃないですか? 他の人が出す音をよく聴く必要があるし、自分が主張しすぎても、引っ込み過ぎてもいけない。また、作曲家が表現したいものは何かを考えて、クレッシェンドとかディクレッシェンドとかリタルダンドとか、もちろん指揮者の指示には従わねばならないが、自ら主体的に「歌う」ことが求められる。
デロリスに教えを受けたシスターたち、真面目に練習を重ねて、見事な歌を披露するのだ。
感動するとすぐ「鳥肌が立つ」というの、好きじゃないけど、この場面は鳥肌ものだと思う。
そして、最初の成功をおさめたあと、シスター・ラザロはすっかりデロリスの味方になって、後々は一緒に夜のキッチンでこっそりアイスクリームを食べるまでの仲良しさんになるのも面白い。
聖歌隊の成功は、閑散としていた日曜日の礼拝に街の人たちを呼び、司教さまにも高く評価される。
院長とデロリスの言い合いがなかなか、示唆に満ちていて面白い。
聖なる讃美歌を勝手に現代風にアレンジしたことに対して、院長は頭から湯気を出さん勢いで怒るんだけど、デロリスは
「クラブやショーには行きたがるけど、みんな礼拝には来たがらない。つまんないからよ」
とバッサリ斬って捨てる。
これさあ、学校の先生とかも考えた方がいいと思うよね。居眠りする生徒を叱るだけでなく、自分の授業が退屈だから舟を漕ぐ生徒が後を絶たないのだ、という視点、少しは持った方がいい。
大学時代は特に思いましたね。講義の面白い講師と、ぼそぼそ小さい声で何言ってんだか全然聞き取れない講師と、差が激しかったもん。
この映画が公開された当時は、「生徒を居眠りさせるような授業をする教師にも問題がある」という観点での議論はほとんどなかったように記憶している。
だから余計に、デロリスのこのケロッとした指摘が痛快に感じたのだ。
マギー・スミスが演じる院長、昔はただ単にヒロイン・デロリスに対立する旧態依然とした「大人」社会の象徴のように見ていたけど、自分が年とってから見ると、そんな単純なキャラクターじゃないと気がつく。
自分がこれまで統率してきたシスターたちがデロリスを支持したことで、「自分は古くなってしまった」と教会を去ることを決意する場面では、大人ならではの意地とか、矜持とか、新しいものへの反発が見てとれる。
「院長先生も変わればいいのよ!」
とデロリスはあっけらかんと言うけれども、この院長のような人にとっては、これまで善と信じて実行してきたことを否定され、自分も変革を求められるというのは、とてもキツイことだと思う。
一方デロリスにとっても、院長のように
「あなたは結局大した実績もない歌手でしかない。自分をごまかすのはやめなさい」
と、ハッキリと直言してくれる人はこれまでいなかっただろう。
この二人の関係って、実はこの愉快なコメディ映画の中で、かなり重要なポイントを占めていると私は思う。
年齢も立場も全然違うけれども、二人の間に育まれる温かい感情は、やはり「友情」という言葉で表して差し支えないだろう。
デロリスが拉致された後、リノまでのヘリを飛ばそうとして、料金不足を理由に断られ、
「主よ、私たちを見捨てるこの哀れなパイロットに罰を与えないでください」
と声高に祈りを捧げまくって結局思い通りにする場面、未だに笑えます。
反発と対立、融和と友情、突然降ってわく危機と、ドタバタの追っかけっこ。コメディに必要なものはすべて詰まっていて、テンポよく場面が流れていく。コメディの命はテンポだ。「間」がズレるとどうにも具合が悪いが、この映画はきっちり笑わせてくれる。
好きな場面はいくつもあるけど、リノのクラブで尼さんたちがデロリスを探すとき、院長が
「皆さん、目立たないようにね」
と大真面目に言うところ、大好きです。
こういう映画、ラストに通しの演奏がまるまる来て、舞台を観ている一観客としても楽しめる&これまでのなりゆきが走馬灯のように(と言ってもせいぜい2時間弱ですが)蘇って、感情が盛り上がって大団円のクライマックスとなるのが定石ですが、「天使にラブソングを…」はそこもきっちり押さえてくれています。
こういう定石は定石として、「きっちり」「過不足なく」やってくれるのが映画の成功の秘訣だと思う。
「フラ・ガール」も「ウォーターボーイズ」も「スイングガールズ」も全部そう。
余談だが、「チア・ダン」という映画があって、広瀬すず・中条あやみという豪華なキャスティングで、大いに期待して見たんだけれども、ラストのチアが細切れの編集バージョンという、なんとも物足りなさが残るというか、クリープのないコーヒーというか(いや私はコーヒーにクリープは入れないんだけれども)、「……足りん!!」となる後味であった。
やっぱ最後はばしっとキメてくれないとね。
あ、あと、今になって思うのは、ヒロインのデロリスが「若くてスタイルのよい美人」じゃないところもプラスポイントですね。
スタイルがよくないどころか、かなりな巨体だ。当時のアメリカ映画事情に詳しいわけではないけど、アフリカ系ルーツの主人公で、それが作品中で一度も指摘されず、当然のことのように受け取られているの、珍しかったんじゃないかな? マイケル・ジャクソンもエディ・マーフィも、カラードへの差別で苦しまなかったスターはいなかったと聞くし。
その点でも、この映画の成功と、今に至るまで広く愛されていることは、非常にすかっとしますね。
原題からの思い切った意訳のタイトルも、すべて合わせて、私の中では100点満点の映画だ。
あ、まだあった。この映画、「恋愛」が一切出てこないんだ。それが当時も大ヒットし、今でも女性人気ナンバーワンということは、やっぱ愛だ恋だばっか求めてないってことじゃん。女の人は。今も昔も。
いっときテレビのどのチャンネルも恋愛ドラマばっかやってたけど、「モテ」が人間の価値を決めるみたいな歪んだ世界観はやっぱ、頭の悪いメディアが作り出した幻だな。
知ってたけど。
うわー、超好きな映画だから長くなりましたがこの辺で。
もしも「聞いたことはあるけど見たことない」という方がいらっしゃったら、是非一度はご覧になることをおススメします。
最後に、ハモネプ優勝グループ「たむらまろ」さんの歌を貼っておく。
リモートで撮って、あげてくれています。
歌うまメガネさんたちの美しいハーモニー、心が洗われます。