私が小学生のときも、いじめの問題はあった。マンションの高層階から子供が飛び降りたりしていた。ただ、全国区のニュースで耳にする程度で、実際の身の回りには、子供同士のいじめで深刻なのはなかったと思う。
あと、田舎の小学校だったんだけど、先生方には本当に恵まれていた。暴力教師…というか、まあ体育会系の勘違い教師が一人だけいたけど、その他は、教育に熱心で、悪いことは悪いと、きっちり子供に示してくれる先生たちばかりだったと思う。
悪ガキもいたけど、身障者を揶揄するような身振りで囃し立てたことがあって、当時先生がカンカンに怒り、叱り飛ばしただけでなく、1時間そのことに対する授業を設けて、なぜそれがいけないのか、クラス全員で考えたりした。
小学校のとき、周りにちゃんとした大人がいてくれて、善悪をきっちり教えてくれたのは大きかったな。
で、中学校だ。
私は割と社交的な方で、成績も悪くなかったから、中1のときは友達も多く、楽しく過ごしたと思う。
クラスに一人、ものごっつい変わった子がいた。髪の毛を自分で抜いて、机の中に溜め込んでいた。休憩時間、ぶつぶつ独り言を言ったりしていた。浮いてはいたし、「あの子本当に変わってるよね」と話したりはしていたけど、特にいじめの対象とかにはなってなかったと思う。
なんでそんなことしてるんだろう?と思って、席が近くなったときに話しかけたりして、まあ会話を交わすようになったんですね。
多分、その子にとって、クラスで一番話をするのが私だったと思う。
私は昔から、この手の人に妙になつかれる癖があって、それは大学時代まで続くんだけど、それはまあ置いといて。
でですね、中2のクラス替えのとき、その子と誰を一緒にするかという相手に、私が選ばれたんですね。
新しいクラスは、部活の仲良しで既にグループがばちっと決まっていて、新参者が一人入っていける雰囲気ではなかった。
その超変わった子と、話したのかなあ。覚えてないけど、私にとっては別に仲の良い友達というわけではなかったから、心を開いて話すことはなかったと思う。
なので、休み時間は、ぽつんと自分の机で本を読んでいる羽目になったわけだ。
本は好きだったけど、さすがにそんな状況で落ち着いてストーリーを追えるほど老成しているはずもなく。
これが、他の子もばらばらで、一から友達を作るとかだったら、なんてことはなかったと思う。でも、バレー部はバレー部、バスケ部はバスケ部で、元々仲良かった同士が奇跡的に同じクラスになれて、大喜びしているような状況だったので、なかなかそこに、「入れて」とは言いにくい。自分もバレーなりバスケなりが好きならともかく、超インドア派だし。子供は子供なりにプライドもあるしね。
周りの女子がきゃいきゃい話している中、私だけが自分の机から動かないまま、ぽつねんとしている状況。(あの人、友達いないんだよ…)(仲のいい人と同じクラスになれなかったんじゃない?可哀そうに)とか言われているような気がする。強烈な居心地の悪さ。
出来ることと言えば、せいぜい、こんな状況屁でもないです、と平気な顔をしていることくらい。
でも当然だけど、全然平気じゃなかった。
今だったら、その仲良しグループの子だって四六時中くっついてるわけじゃないんだから、教室移動のときにちょっと話しかけてみるとか、色々と手は思いつくんだけど、そのときはそういう駆け引きは考えられなかった。
ぼっち期間が長くなってくると、自分から話しかけると(グループに入れて欲しくてすり寄ってる)と思われるんじゃないかな、と、つい先読みしてしまって、動けなくなる。
辛かったし、1日がめちゃくちゃ長かった。
家に帰ってきて、もうなんか色々こみあげてきて、わぁっと声を出して泣いてしまったこともある。
さあ、どうする、と思ったわけだ。
この辛い状況を打開するには、何か手を打たねばならぬ。しかし、もう既に固まりつつあった人間関係を、自分一人の力でどうにかするには、ハードルが高い。
と、そこで、(待てよ)と考えた。
この「ぼっち」で辛いという状況、この先もあるかもしれない。これまでは幸い、いじめられずに済んできたけど、高校や大学、社会に出てからだって、周囲から孤立して辛い、という立場に置かれることはあり得る。
だったら、慣れておいた方がいいかもしれない、と思ったんですね。
いじめでよくある「無視」も、自分の存在を認めて欲しいのに、相手してもらえないから辛いのであって、「人は人。自分は自分」を貫けば、その攻撃力も無効になるのではないか?
私はいじめに遭っているわけではなかったけど、教室に行っても、挨拶したり軽口を叩いたりする相手がいなかったから、無視されているも同然だった。
(一人でいる練習をしよう)
と思った。
身近にはいじめはなかったけど、荒れている中学校もあったし、いじめが苛烈化し、深刻になってきている時代でもあった。
(今のうち、心を強くしておくことは、多分必要なことだ)
と、それが中2の私の判断だった。
そうすると、次の日から、一人でいる時間は「修行」になるわけですね。
居心地の悪さは変わらないけど、目的が出来ると、「一人でいる」ことに意味が出てくる。
そこからは落ち着きを取り戻したと思うんだけど、あまり覚えていない。
人の脳は辛い記憶は封じるように出来ている。辛いことは思い出したくないもんね。
でもこの時期、私は本をたくさん読んだ。「たくさん」じゃ足りんな。しこたま読んだ、と言った方がいいかもしれない。
図書館で司書さんと仲良くなって、持ち出し禁止の本をこっそり貸してもらえたりした。
勉強ももりもりしましたね。人生で一番賢かった時代かもしれない。暗記して、テストでいい点取るのが楽しかった。
あと、「唯々諾々」「付和雷同」が死ぬほど嫌いなのは変わりなかった。
何かあったときは、人の意見に流されないように気をつけた。一人だけ違う意見でも、平気…ではなかったけど、頑張って言うようにしていたと思う。
周りのクラスメイトからしたら、なんか変なやつだな…という印象だったんじゃないでしょうか。女子の割に皆で固まってきゃっきゃすることもないし、いつも一人でいて平気な顔してるし、なんかこう、どう扱っていいのか分からない相手だったのかもしれない。
やらしい話、成績はよかったので、なんとなく一目置かれている感もあった。
でもこの感じで修学旅行を迎えたので、私にとってはあまり楽しくないイベントだった。
部屋割りとかね、周りはみんな楽しそうなのに、私は「はみ出した奴が入れてもらってスミマセン」と、いたたまれない気持ちでいたような気がする。
しかし、学年の終わりごろ、私に話しかけてくる人が増えたんですよね。
「話してみると面白い!」
てなって、周りに自然と人が集まってくる感があった。
そのころになると、元あったグループもくっついたり離れたりで解体されていて、改めて人間関係が構築されつつあったんですね。
結局、私を中心に…ということではないんだけど、めちゃくちゃ仲良くなった子たちで5~6人のグループになった。
だから中3ではよく遊びましたね。
私の中では、「一人になりたくないから」という理由で変節せずとも、自分のままでいることで、そこを認めて寄ってきてくれる友達が出来たことは、すごく大きな自信に繋がった。
あと、多分このとき根性はめっちゃついた。
一人でいたくないという理由で、大して好きでもない相手と見せかけだけの友達ごっこしたりする人たちがいる。一人が寂しいというだけでなく、多分「一人ぼっちで誰からも構ってもらえない奴認定されたくない」というのもあるんじゃないかと思う。
その理由で、中には結婚までしちゃう人もいるじゃないですか。
その人にとって、「一人じゃない」ことが他の何よりも大切なことなら、その選択でいいんだろうけど、そのことのために自分の本心を偽ったり、友達と思っていた相手から裏切られたりとか、そういう弊害もあるんじゃないかと思います。
あ、これはあくまで、「いざというとき一人になっても大丈夫」という耐性の話であって、例えばいじめで無視されている人がメンタルの強さを持っておくべき、とかそういう話では全然ありませんので、悪しからず。
いじめの無視は単なる暴力だ。そんなものは我慢する必要はない。もし状況が許すなら、そんな場所、さっさと逃げればいいと思う。
今思い返しても、私が中学生だったとき、クラスメイトたちは割と大人だったな、と思う。
私も、キャラ的にはいじめられてもおかしくなかったのかもしれないけど、「輪に入れてもらえない」(それも故意ではない)だけで、意地悪されたり揶揄われたりとかはなかった。
仲良くなった後は、例のめちゃくちゃ変わった変人子も時々一緒になって、みんなでその子をいじったりしていた。その子の変人っぷりは相変わらずだったけど、誰もいじめようなんて考え、頭になかったな。
元々一人っ子で、一人で過ごすことには慣れていたけど、この経験をして、「周囲から一人だと思われても全然へっちゃら」というマインドを手に入れた。
映画は一人で観に行くと決めているし、一人で飲みに行くのも平気だ。
要は、自分の行動が自由になるんですよね。選択肢が増えるというか。
「おひとりさま」という言葉がブームになったころには、当たり前すぎて、何を言っているのか分からなかった。
ああ、だから、「一人でいる練習」とはつまり、「不特定多数の他者から見られる練習」でもあったわけだな。
行動の制限て、大抵(周りから何て思われるか…)というところじゃないですか。
でも自分で思うほど、周りは自分を見ていない。要は、制限してるのは自分自身なわけです。
そこを気にしないでいられると、強いですよ。
まだ続きます。