おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

essay.4 感情の部屋

 人の行動を見て、「あの人、なんであんなことするんだろう?」と不思議に思うことはよくある。

 ただ単に不思議に感じるだけのこともあれば、奇妙に思うこともあるし、不快になることもあるだろう。

 その最たるものが、ニュースで報道されるような事件を起こす犯人、ということになる。

 家族を殺したとか、自分とまったく関わりない通りすがりの人を攻撃したとか聞くと、

(一体全体なんだってそんなことをしたんだ…?)

と、分からな過ぎて考え込むことも多い。



 私にとってそのトップが、地下鉄サリン事件を始めとした一連の事件だった。

 エリートと呼ばれるような人たちが、何故あの集団に入って、あんな事件を起こしたのか。

 不可解だったのは、事件後もなお、あの団体に入る人たちがいたことだ。

 カルトと呼ばれる宗教には、人を惹きつける求心力がある。



 身近にある危機としては、オレオレ詐欺なんかがありますわね。

 報道を聞いていると、「なんで信じちゃうんだろう?」と疑問を感じる。自分だったら、すぐ不審者に気づいて、個人情報は出さないし、警察に通報するだろう、と思う。

 



 こういう事件が起こるたび、(どうすれば防げるだろう)と考える。

 これらの出来事を、(自分は関係ない)と思ってしまうのが、多分もっとも危険なことなんだというのが、私の持論だ。

 他人事ではない。



 例えば殺人なんて、普段の自分からは縁遠いことだと思う。

 けれど、振り返ってみるに、殺人事件は毎年起こっているし、1カ月に世界中で起きる殺人を数えたら、そりゃもう2件や3件じゃないでしょう。

 ありふれた事件なんですよ。そして、事件を起こした人たちが全員、「殺人犯」という特殊な性質の持ち主だったかと言えば、多分そんなことはないんですよ。

 ごく普通の人が、たまたまある状況に陥って、殺人を犯してしまったケースは多々あるんだと思う。統計的にどうかは知らないけど。

 だから、殺人を犯した人と、自分との間には、恐らくそれほど距離はないのだ。



 今まで生きてきて、誰かを殺したいと思ったことがあるかどうか?

 私はある。何度もある。反抗期が激しかったころ、母に正論で論破されてぐうの音も出ず、そのすぐ後眠ってしまった寝顔を見ながら、(今この距離からダンベルを頭に落としたら死ぬかな)と思ったことがある。

 前の職場のクソ店長に理不尽に詰められているとき、(今ライフルがこの手にあれば躊躇いなく撃つな)と思ったことも何度もある。怒られながら、部屋にいる全員撃ち殺した後の逃走経路まで考えていた。

 私の中に殺意のスイッチはある。ただ、実際にライフル銃の持ち合わせがなかったので、実行に移せなかっただけだ。母の場合も、他の諸々考えて実行しないでいるうち、怒りがおさまってきて、(まあ、やめとこう)てなっただけだ。




 思うに、誰の中にも、様々な感情の部屋があるのだ。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか、嫌だとか。怒りなら怒りで、ムッとする程度だったり、プリプリだったり、憤怒だったり、段階と程度がある。

 大きな建物の警備室で、防犯カメラに映った映像を映し出すモニターが無数にあるやつ、あるじゃないですか? 私の中ではああいうイメージだ。

 よく使う部屋は、スイッチが入りやすい。スイッチが入るとその部屋が明るくなって、主人格が自覚する。

 自覚したことがないからといって、その感情が「ない」わけではないのだ。使う機会がなく、スイッチが入ったことがないから、知らないだけで。

 モニターを見ているのは、健康な場合には「理性」だろう。理性がちゃんと働いていれば、「殺意」の部屋にスイッチが入りそうな場合には、(いや、いかんいかん)とスイッチをオフにする。

 私のように、「殺意」の部屋に度々明かりが灯るようなタイプは、経験から、早めにスイッチを切ることが出来るようになる。



 で、多分、「殺意」の発動に繋がるにも、それと関連する様々な感情があるんだと思う。自分を大事に思う自尊心だったり、殺意を向ける相手の家族が悲しむだろうという想像力だったり。そこが健全に働いていれば、発動には至らない。

 実際に殺人を犯してしまった人は、「殺意」の部屋のスイッチをオフにすることが出来なかったんだと思う。発動を止める機構も、うまく働かなかったんだろう。




 ここまで書いてきたように、私は自分の周りの問題を「自分の頭で考える」ことで解決しようとしてきた。この方法で、今のところうまくいっている。

 私も大概怠け者だけど、ここだけは怠けちゃいけないところだと思っている。

 でも、いわゆる学校のお勉強が出来て、成績優秀で通ってきた人たちの中には、この「自分の頭で考える」ことが苦手なタイプが、一定の割合でいる。

 こういう人たちが人生の危機に陥ったとき、数学の問題集に解答があるように、「この危機をたちどころに解決する方法」の答えが、どこかにある、と考えるんじゃないだろうか。

 で、「ホラ、これが答えですよ」的なモノが、世の中にあふれているわけだ。そのうちの一つがカルトな宗教で、「自分より正しい誰かの教え」を信じることで、「正解」に近づけるような気がするのだと思う。

 心の安寧を得るのに有効で、てっとりばやい手段ではあるけれど、やはりこれは、リスクがある方法だと思う。その「誰か」とは、正しいか正しくないかは別として、自分とは違う他人なわけだ。で、感情の部屋のコントロールを、自分でない他人に委ねることになってしまうからだ。

 あのオウムの事件は、そういう人たちの集まりだったんだろうなあ、と私の中では解釈しております。

 あ、でも、宗教は、正しく作用すれば人生のよい指針を与えてくれると思ってますので、宗教を信じる人を否定しているわけではありません、念のため。

 

 



 自分には理解できない他人の行動を、自分とはまったく無関係で、(絶対にあんなことやるわけない)と思ってしまうのは危険だ。危機はいつも前触れなく訪れる。そのとき、今まで使ったことのない感情の部屋のスイッチが入ることだってある。初めて経験する荒々しさ、照明は毒々しい赤、頭の中いっぱいに大音量のアラームが響き渡り、コントロールの方法が分からずパニックに陥ってしまい、我を失って思いもかけない行動に出る……ということになりかねない、と私は思う。

 どんな人の中にも、あらゆる感情のスイッチはあるのだと想定して、「危険な感情に捉われた場合にどうやってそれをオフにするか」を学んでおくしかないんじゃないだろうか。

 例えばやまゆりのあの事件だって、悲劇を悲しむだけでなく、「どうしたら再発しないか」を考えなければならない。

 身体を満足に動かすことが出来ない、身体的に弱い人を見下す気持ち、どこかバカにする心、誰の中にもある。私にだってある。

 それはもう仕方ない。人とはそういう生き物だ。

 だけど、(もし自分がそうなったら)という想像力や、自分の意志でなくその状況に置かれている人の気持ちに思いを馳せる共感力があるから、差別心のスイッチをオフに出来る。

 そうして、「誰でもがあの犯人の立場になる可能性がある」という方向で考えないと、再発は防げないと思います。

 あの事件、ビックリしたけど、初めてじゃないもん。秋葉原のアレも、津山30人殺しもまったく同じ構造だ。京アニもそう。

 ああいう事件が起こると、不思議なんだけど、何故被害者の方に視点がいきがちなんだろうか。 問題は加害者にあるのに決まってるのに。やまゆりは本当にそう。被害者に狙われた理由なんかないし、責任なんてあるわけがない。なのに、いつもきまって被害者の方ばかりスポットを当てたがる日本の報道。

 しかし一番問題なのは、ああした事件の加害者たちが「普通と違う特別な人種」と思ってしまうことだ。そうして遠ざけて、罰を受けることだけを望んでしまうと、何の解決にもならない。彼らのようなスイッチを持った人間は他にもいるからだ。そして、それはもしかすると、少し先の自分の姿かもしれないからだ。

 スイッチをコントロールする術を必修として全員が学ぶという方法しか、有効な対策はないのではないかなと、私は思います。

 地味かつ迂遠なやり方だけれども。




 おっと、すみません。脱線しました。

 つまりね、周りで他の誰かが起こすような事件は、自分だって起こす可能性がある、と思っとく方が、間違いがない、ということです。




 あとね、人間の感情の中で、一番コントロール出来ないのが、「嫉妬」の感情だと思う。

 こればっかりは発動してしまうと手に負えない。「理性」のコントロールをやすやすと奪って暴れ出す。

 そんで、「嫉妬」って、他のネガティブな感情も一気に発動させる威力を持っているんですよ。そして主人格をめちゃくちゃ疲弊させる。

 恐ろしい相手なので、この感情のスイッチは、絶対に入れないようにしています。

 このスイッチを入れずにいられると、生きるのが格段に楽。




 そう、ここまでつらつら書いてきたことは、「どうすれば人生が少しでも楽になるか」をひたすら考えて、自分で(こうだろう)と体得してきたものです。

 だから、人それぞれで全然違うと思う。

 だけど、生きるのが楽かしんどいかなんて、考え方ひとつで随分違うじゃないですか。

「へー、こんな考え方もあるのか」程度のご参考になれば幸い。

 

 

 あ、あと少し続きます。