おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

essay.6 自己肯定力

 「おっさんずラブ」レビューで、牧くんと私はツンデレ属性とかツッコミポイントとタイミングとか、色々似ているところがある、と書いているけれども、一点でまったく異なる。

 それが「自己肯定力」だ。




 落ち込むとき、自分という人間の価値が信じられなくなってしまうとき、(もう私なんて迷惑かけるだけだから消えちゃった方がマシなんじゃないかな…)という気持ちに捉われてしまうとき、それは私にもある。

 そういうとき、自分を守ってくれるのが「自己肯定力」だと思う。

(消えちゃったマシなんじゃないかな……)と思っても、しばらくすると、(……いや、そんなこともない)と思える力。

 私はそれが強い方だ。多分、かなり強力だ。

 めちゃくちゃ落ち込んでも、1時間くらいしたら、(……まあこのくらい反省したならもういいんじゃないだろうか)と、反省した自分を認めてあげたくなる。

 一晩寝て起きるころには、(いや多分私がいないとこの先日本が困るだろう)くらいには回復してしまう。




 自分で自分のことを(大丈夫)と信頼する力、それには根拠なんてないのだ。

 まったく根拠なく、「私は大丈夫」と言い切れる、これを自己肯定力と呼ぶ。

 これがあると人は強い。マジで強い。最強のアイテム。

 何か失敗をやらかすことは未だに多々あるんだけど、やらかすと、(まあでもしてしまったものは仕方ない)と思う。くよくよ思い悩むより、どうするのがベストかを考えた方が時間の節約になる。

 例えば仕事で何か過失があったとして、自分で取れる責任なら負うし、悪かったことは潔く認めて先方に誠実に謝罪する。

 取り返しがつかなかったとしても、死ぬような羽目になることは滅多に……いやいやまずないから、最悪でもクビだ。そうなったら次の職を探すしかなくなるわけですが、年齢も年齢だし、次の職が見つかるか?とここまで考えが及んだときに、(まあ、大丈夫だろう)と思える。

 もしかすると大丈夫じゃないかもしれないけど、それは大丈夫じゃなかったときに考えればいいことだ。

 今から考えてもどうしようもないから、考えないでおく。

 



 自己肯定力を高く保つにはどうすればいいのか、ひとつには、「価値の基準を自分の中に持っておく」このことが大事だと思う。

 他人からの評価=自分の価値になってしまうと、苦しむ結果になることが多いような気がする。

 「〇〇さんより隣のA子ちゃんの方が可愛いよね」なんて陰口を聞いてしまったら、落ち込んでしまうだろうけど、(いーやあたしはA子ちゃんより自分の方が可愛いと思う)とか、(顔はそうかもしれないけど人の価値は容貌の美醜にあらず)と思うことが出来れば、不必要に落ち込まなくて済む。

 物事って全部捉え方ひとつですからね。




 ただ、そもそも自分を肯定する無根拠の感情はどこから来るのかと言えば、こればかりは自分で得たものじゃないんだな。

 子供時代に、無条件で認めて愛してくれる人がいたかどうかだと思う。




 私が幼かったとき、母はよく「私の世界一大切な娘」と私を呼んでぎゅっと抱き締めてくれた。「とっても大事だよ」「大好きだよ」と愛情を伝える言葉は惜しみなく注いでくれた。

 私のこの、溢れるような、何なら人に売るほどある「万能感」は、幼い頃の母からの愛情によってきたるものだと言い切れる。

 もうこれこそが私が生きていく上での財産だし、この自己肯定力がある限り、多分この先も私は大丈夫だと思う。

 この点では、母に感謝してもしつくせない。



 だけれども、子供時代、保護者から無条件の、かつ無償の愛を得られたと感じずに育った人は、不幸にして少なくない。

 そうすると、どうしても自己肯定力が低くなってしまう。私も友人にそういう人がたくさんいた。

 そういう人が、自己肯定力を高くするにはどうしたらいいかについては、私は分からない。そこで困ったことがないからだ。

 無条件で愛してくれ、まるごと認めてくれる人がいればいいんだろうけど、他の方法はないのかな。
 私のように、未婚独身で子供もいないとなると、ペットを飼ったりするんだろうか。

 

 では、自己肯定力は強ければよくて、それを持っている私はALL OKで毎日ハッピーかと言えば、そんなことはない。自己肯定力が強いと、「自己評価が高い」ことに繋がる。これは、あんまりいいことではありません。

 私は、当の母からも

「なんでそんなに自信満々なの?」

と言われる。

 今の職場の上司にも何回も言われたなー。(まあ、大丈夫だろう)が悪い方に働くと、物事を侮って、後から痛い目見るんですよね。

 でも何しろ(大丈夫だろう)に根拠がなく、思考の癖なので、何回も同じ失敗をしてしまうんですね。

 何事もほどほど、ですよ。

 お蔭様で私も自分のやらかした失敗に鍛えられて、今では随分自分のことを相応に評価できるようになったと思います。……と信じたい。




 だから逆に言えば、自己肯定力が低い人は、自分に自信がない分、私のようなタイプよりも真面目で丁寧かもしれない。仕事においては、むしろその方がよい条件にもなり得る。

 日本は、あまり愛情を言葉で表現しないし、昔は関白親父も多かっただろうし、ただ単に親の愛情が子供に分かり辛かったという理由で、子供が自己肯定力が低いタイプに育ったとか、そういうことはありそうだ。うちの親は特殊ケースだと思う。

 自己肯定力が低いことは、決して悪いことではないと思います。

 ただ、なにかピンチに陥ったとき、(自分のせいだ。自分なんか消えてなくなればいい)と、自分を責めすぎる方向に作用するのがマズイというだけで。

 私は、周りに気配りが完璧でも、自分を責めて落ち込みがちの人よりは、多少周りへの配慮が欠けていたとしても、自分を責めない人の方が、心としては健康なんじゃないかと思う。ちょっと語弊はあるけれども。

 どうせ人生辛いことなんかたくさんあるんですよ。自分でわざわざ自分をいじめなくてもいいと思うの。




 さて、

「人からなんと言われようと自分を否定せずにいられる方法」

 というお題に対して、管理人的結論は、

 

①人から何か言われて落ち込む事態を想定してシミュレーションしておく

②相手の言葉が正しいかどうか疑ってみる視点を持つ

③他人からの評価でなく、自分で自分に価値がある、と思い込む

④もし可能なら、いざというときに備えて精神的な鍛練をしておく

⑤自分で自分をよく観察しておく

 

 ていうことですね。

 ひっくるめると、「自分の頭でよーく考えよう」ということです。

 

 

 あくまで、私が考えて、自分で実践していることです。

 このお題に対しては、100人いれば100通りの解が存在するでしょう。

 私は一人でいるのが好きで、自己完結型の思考だからこうなってるけど、例えば「普段から味方をたくさん作っておく」とか、そういう人もいそうだ。




 以上でございます。

 特にどうということもない、自慢できるようなポイントは何もない、処世術というのはあまりにもささやかな、私の人生の過ごし方でございます。

 だけれども、ともかくも人生を「楽に! 少しでもイージーモードに!」と考えて、編み出してきた技でもあるので、もしかして何か行き詰まったり、しんどい思いを抱えている人に、なにかしら参考になるようなこともあるかもしれない。

 そんな思いで、書いてみることにした次第です。

 

 

 長々とおつきあいいただき、ありがとうございました!