「世界は3で出来ている」
見ました。
面白かったです!
遣都が三つ子の役と聞いて、(おっ)と思ったし、見る予定にはしていた。
「推し」にも色々濃度があって、その人が出るならどんな番組でも視聴はマスト!録画は永久保存版、という方も多くいらっしゃるでしょうが、私はそのタイプではない。
一応、気にはするけれども、エンタメ作品に求める第一は「面白いかそうでないか」であって、そこは揺るがない。
だから、好きな芸能人がドラマに出ていて、連続視聴できるのは嬉しいんだけれども、最も理想的なのは
「推しが出ていなくても見ただろうクォリティのドラマに、推しが出ている」
状態だ。ちょいややこしい日本語だけど、お分かりいただけるだろうか。
「推しが出ているけれども、残念ながらあまり興味を惹かれない」作品もあるし、「褒めるところが推ししかない」作品もある。
こういう作品も残らず全部見る!というタイプのヲタもいて、いや、ヲタの鑑ですね。
私の友達に年季の入ったジャニヲタがいるんだけど、彼女の推しが出る映画について、
「クソ映画なのは分かり切ってるけど〇〇が出るから行くしかない」
と言っていた。天晴。
私にはこの手の忍耐力や根性はない。
なので、好きな役者が出るドラマはいつも、(面白いといいなあ…)と念じながら、恐る恐る見る。
それを踏まえた上で、「世界は3で出来ている」、純粋に面白いドラマだった。
色んな意味で感心させられました。
以下、感想。
まあでも、林遣都×3なわけだから、遣都が好きな人なら見て損はないですよね。
あの綺麗な顔面大写しのドアップ、ちょっと引きのバストショット、全身、と色んな角度から楽しめるし、スーツ、パーカー、かっちりエプロン、ファッションも多様だから、ひとつのドラマがまるで遣都の写真集のようだ。
しかし今回私は、前々から抱いていたある疑問を胸に視聴することになった。
それは、
「あのハイパーイケメンがしばしばイケメンじゃなくなるのは何故なのか」
という疑問だ。
かつてOL考察記事で「不安定なイケメン」と称したとき、湖民の方からも「異議なし」と言われた。
自分で書いておきながら、不思議だったんですよね。
彫刻のような美しい造形の顔を持つ林遣都のイケメン度が上がったり下がったりするのはなぜなのか。
このドラマの冒頭、主人公の勇人がリモートワークでパソコン画面に向かってしゃべりまくる。その表情の変化を見ていて分かった。
唇だ。正しくは、「口」の動きだ。
いわゆる正統派イケメンは、大抵口元が引っ込んでいて、しゅっとしている。阿部寛しかり、谷原章介しかり、竹野内豊しかり、玉木宏もディーン・フジオカも佐藤健もみーんなこのカテゴリ。
この口元の「しゅっと」感を消さずに話せば、イケメン感が消えることはない。
でも、遣都は消すのだ。割と容赦なく消してくる。
勇人がしゃべるとき、上唇の左側が斜め上の方向へひっぱられたような動きをしている。唇を引っ張り上げるということは、頬も眼も表情を変えるということで、真似してやってみるとかなりな変顔になる。この表情を採用することで、勇人の「ポンコツでお調子者、空気を読むのが苦手だけど夢中になっている対象への集中力がある」という性格が、視聴者に自然と伝わる。
あと、口角をうぃっと下げて、唇の両端にほうれい線が出現して、おじいちゃんみたいな表情になったりね。「おっさんずラブ」の第六話で、はるたんお手製のもち粥を食べていたときもそうでしたな。表情としては完全に「三枚目」以下なんだけども、キャラの性格や心情はよく分かる。
この口元の表情いかんで、イケメン度と老け具合がめまぐるしく変化する。
「チャーリーとチョコレート工場」のジョニー・デップを見て、あまりの表情の変幻自在ぶりに(表情筋の魔術師だな…)という感想を抱いたものだったけど、まったく同じ感想を、「世界は3で出来ている」の林遣都に対して思った。
ただですね、憑依型、カメレオン俳優と呼び声高い林遣都の演技力のすべてが口元に拠っているのかと言えば、そんなことはないんだな。
勇人のところへ、三つ子の兄・泰斗が現れる。その面差しがもう、勇人とは違っていて、(あ、似てるけど別の人なんだな)と分かる。
そんなこと、ある…? だって同じ人なんだよ?
でも、そうなんですよ。
しかも、初登場時の泰斗はマスクをしているのだ。勇人と髪型は違うけど、ほんのちょっと。「三つ子だし」という雑な理由で、3人のビジュアルの違いはそれほど決めなかったんだって。
それを、眼の表情とたたずまいで「見た目そっくりの別人」を表現してしまう林遣都。
後から登場する三男・三雄もそう。既に、画面は「林遣都×2」で満たされているのに、更に林遣都の顔面が登場していて、なおかつやっぱり「よく似た別人」。三雄の特徴と言えば、チワみ溢れる垂れ目を存分に垂れさせて、目尻のシワが常に出現している邪気のない表情。
つまりは、顔の表情筋を細かく操って、シワさえも演じ分けに利用しているのだ。
なんなんですかね? この人。
で、もう慣れたけど、林遣都が3人もいるのに、どこにも牧みはないのだった。
林遣都×3でありながら、画面は「泰斗・勇人・三雄」というそれぞれ別の人格とキャラを持つ三つ子の兄弟がいて、自然に会話している、という芝居が無理なく成立している。
言葉のキャッチボールも、麺が入った袋の受け渡しも不自然なところがひとつもなくて、思わずテレビの画面に近づいてじぃぃ…っと観察してしまった。どうやって編集してるんだろう? 素人目には全然分からんかったです。
あ、「泰斗」「勇人」と来て、突然「三雄」になるのも面白くてよかったですね。笑
ストーリーは、今このタイミングだからこそ、多くの人の共感を得られる「コロナ禍あるある」でしたね。
今年頭のコロナの急襲と、緊急事態宣言の発動によって、誰もが思ってもみなかった事態が出来してしまった。が、その変化が誰にとっても歓迎すべからざるものだったかと言えば、そんなことはないのだ。
働き方が大きく変わった人もいれば、生活にさして変化がなかった人もいる。
そして、「大きく変わった」の中身も人それぞれ、大いに違うだろう。
勇人にとっては「明暗」の「明」の方だった。ポンコツとそしられていた勇人は、リモートワークのファシリテーターとしての才を開花させ、仕事での手応えを感じている。
「素晴らしい3カ月間だった」
という勇人。
一方で、「明暗」の「暗」の象徴だったのが、兄弟なじみの春日谷麺メンの若社長。学校が長く休校措置を取ったため、もちこたえる体力がなく、自己破産に追い込まれる。
画面には登場しないんだけど、泰斗の語り口だけで、まるで視聴者にとっても昔から知っている人のように感じて、コロナ破産に胸が潰れそうになった。
しかしながら、重すぎず、軽すぎず、平日の夜見るにはちょうどいいバランスで、見た後にシリアスになりすぎずコロナ禍のここ数か月に思いを馳せるよすがになった。
旬の話題を切り取って、その核心を過たず、見られるドラマに仕上げる手腕。
「スカーレット」も「教場」も私は見ていなかったんだけど、
と思ってくれる脚本家・演出家と出会えて、その機会を得られた遣都。
これもまた、彼の実力と情熱が引き寄せたラッキーだったと言えよう。
ところで、私は子供の頃にエライ勘違いをしたまま覚え込んでしまった慣用句がひとつあって、それが
「三つ子の魂百まで」
だった。
もちろんこれは、「ものごころつくかつかないかくらいの頃の性格は歳をとるまで変わらない」という意味であって、今では取り違えることはないんだけど、なぜだか私は
「三つ子は百歳になっても仲がいい」
という意味だと思っていた。
終盤、三兄弟が「3」にまつわる慣用句を言い合う場面で、そのことを鮮やかに思い出しました。
このドラマの世界線で言えば、どちらでも意味が通じるのではないかなあ、と、完全にどうでもいい蛇足でした。
あ、あともうひとつ。
このドラマの感想を書くのに、表題を思いついたんだけども、ツイッターで脚本の水橋文美江さんのインスタが紹介されていて、飛んでいってみたらまったく同じ文言のハッシュタグがついていた。
(ああ~あ)と思ったんだけど、この記事のタイトルはこれしかないので、このままいくことにしました。
私が文章を書く上で最も気をつけていて、最も憎むことは、「人の言葉/文章をパクる」ことで、万が一にもそうしたと思われたくなかったので、注釈として記しておきます。
林遣都で出来た世界、美味しゅうございました。存分に味わいました。
ご馳走様。合掌。