家に帰ってきてパソコンを開いたら、ヤフーニュースのトップに「三浦春馬」の名前があった。
その次、「死亡」という文字を見て、
「えっっっ!?」
てリアルに声が出た。
三浦春馬が誰かは知っている。「死亡」という日本語の意味も分かる。
でも、その二つが脳内でどうしても結びつかず、一つの記事のタイトルだということが理解出来なくて、
「え、ちょっと待って。なんで? どうして?」
と、パソコンに向かってしゃべりかけてしまった。
視覚情報の処理を脳が拒むと、リアルに何秒間かフリーズしますね。人間って。
多分、あの3時頃の速報を見た人はほぼ100%同じ反応だっただろう。
今、普段テレビを見る生活をしている人で「三浦春馬」という俳優を知らない人は少数派だろうから、文字通り、日本列島に激震が走った瞬間でもあったと思う。
私は彼のファンというわけではなかったけど、「普通に好き」な範疇の俳優さんだった。
爽やかでイヤミのない好青年で、容姿にも演技力にも恵まれた天性の役者であるのに加えて、ダンスも歌も出来る。天は時々あからさまな依怙贔屓をして、一人の人に二物も三物も与えることがあるけど、この人もそうだな、と思っていた。
天与の才が人より多いことは、必ずしも本人にとってメリットばかりではない。それが故、背中にしょった荷物が重たくなる、という事もあり得る。
何事もプラマイゼロだから、与えられたものを生かすか捨てるかは本人次第ということになる。
彼は幸いなことに、「真面目に努力する」という才にも恵まれているように見えた。これって愚直で泥臭いようでいて、実は人にとって最も大切な資質で、スタートがどうであれ「努力する」ことを続けられる人は強い。
あれだけのものに恵まれたイケメン俳優でありながら、アンチが少ないように見受けられたのは、そういう彼の人柄もあるのかな、と漠然と感じていた。
昔、知人が自死したことがある。
そのとき私は中学生だった。残された家族がどれだけ悲しんで、自分を責めて、その後どれほど大変だったか、そばから見ていたから、正直勝手にいなくなった人に対して、長いこと怒っていた。
自殺は暴力だ、とずっと思っていた。
自分一人勝手に死ぬのはいい。だが、突然の死は周りの人を必ず苦しめる。トラウマになって、何年も立ち直れない人もいる。
大事な人にそんな思いをさせてまで死を選ぶのか。家族を持っているのなら、そんな弱さは克服しなければいけない。その弱さは罪だ。
だから私は、どんなことがあっても、絶対に自ら死を選ぶようなことはしない。少なくとも、私の家族、親戚、仲の良い友達がいるうちはしない。
そう思って生きてきた。
こないだ載せたessayシリーズは、だから「負けて死なない」ための自分なりの心の処方箋でもある。
しかし、時を経て、その考え方は変わった。かなり変わった。
私は、自分から(もう死んでしまえ)とまで思うことはあんまりないけど、何しろめんどくさがりだから、
(あーもう生きてるのめんどくさい。今なんか事故に巻き込まれたらそのまま死んじゃってもいいや)
くらいな巻き込まれ型なら、惹きつけられることがある。
誰でもあるんじゃないかなあ。それは。
そんで、それこそ好機が訪れたというのか、魔がさしたというのか、ふっと
(今だ)
みたいな瞬間が来たら、そのまま向こう側へ行ってしまう……と、そういう結末の人も少なくないんじゃないかなあ、と思うようになってきた。
荷物の重さも、背負うしんどさも、他人には分からない。
人の強さも比べてはかれるものじゃない。
そこで、自らの生を終える決断をした人を、責めることは出来ないな……と思うようになった。
周りの人は悲しむだろう。苦しむだろうけれども、分かっててなお、なのか、そこに思いを致す余裕もなかった結果なのか、ともかく、そこまで苦しかったのなら、死してのちまで責めることは、私にはもう出来ない。
画面で見ている限りでは全然分からなかったけど、しんどかったのかな。
何かを抱えていたのかな。
今はもう、重たい荷物を下ろして、楽になっているといいな。
夕方外へ出かけるとき、西の空にピンクのグラデーションがかかっていた。
こんなに世界は美しいのに、これを置いて、彼は去ってしまったんだな…と思った。
テレビをつければ映っている芸能人の人たちというのは、赤の他人なんだけど、近所の仲良しさんくらいな親しさを勝手に感じてしまっている。
だからやっぱり、急逝のニュースはしみじみ悲しい。
なんか知らんけど、勝手に涙が出てくる。
だって好きなドラマのあれにもこれにも春馬くん出てたからさ……
NHKの深夜番組も好きで時々見てたしさ……
これだけ現役で第一線にいた人気俳優が……という例、ちょっと他に思いつかない。
衝撃はこれからじわじわ大きくなるんだろうな。
ともあれ、匿名アカウントで無責任に誰かを責めたり、交流のあった人から無理矢理コメントをもぎ取ろうとするゴミのようなメディア関係者とか、変な方向で騒ぎが大きくならないことを祈るばかりです。
彼の眠りが安らかでありますように。