8月の朝は蝉時雨から始まった。
今朝、職場の最寄駅に降り立った途端、ものすごい蝉の鳴き声で、鼓膜に突き刺さるようだった。
照りつける日差しが強く、アスファルトの道路にくっきりと影が落ちている。
ようやく夏が来たなあ、と思いました。
今年の梅雨は長かった。明けない梅雨はない、と思いつつ、しつこく続く雨に辟易する日々が続いた。
さすがにこれだけ降ればもう気が済んだやろ……と雨の神さまにブツブツ言いたくなること数知れず。
8月になって、やっと夏が来た感がある。
梅雨は明けたが、コロナ禍はまだ明けない。
コロナ感染者拡大のニュースは一向に止む気配がない。
1日の感染者が100人だ200人だと毎日報道され、聞くたびに慄いていたが、それも段々と慣れてきてしまった。
過去最多ということは、緊急事態宣言前を超えたということなんだろうけど、もう緊急事態宣言的なものは出さないらしい。
えーとじゃあアレは一体どういう基準で……とか、ハッキリ明言されないだけでもう第二波来てんじゃん、とか、色々ぐるぐる考えつつも、日常のあれやこれやに押し流されて、まとまらないうちに時間が過ぎていく。
表向き、前と同じような日常を送っているように見える。以前と同じ時間に起き、朝の支度をして、同じ時間に家を出る。電車に乗れば満員でギッチリ。
しかし、車両内にいるほぼ全員がマスクをしている。この光景が、前とはハッキリと違っている現実をつきつけてくる。
だからふと、奇妙な感覚に捉われることがある。
たとえば洗濯ものを干していて、布マスクをピンチに止めるんだけど、
「洗濯ものの中にマスクがある」
ことも、
「マスクが使い捨てから洗って干す布タイプになった」
ことも、今や当たり前ではあるんだけど、「常識」と呼ぶにはまだ習慣として新しすぎて、干したマスクを不思議な気持ちで眺めてしまう。
去年の夏を思い出す。
去年の今頃、私はひたすら「おっさんずラブ」の映画公開の日を待ちわびていた。
公開とほぼ同時に映画館に行くつもりだったし、当然その映画館は人が溢れていて、混雑していればしているほど望ましいと思っていた。
隣の誰かから得体の知れない病を伝染される危険性のことなんか、1%たりとも頭になかった。
今の私が、去年の私のところへ行って、1年後の世界がこうなっていることを言ったら、どうなるだろうか……と、埒もない空想に耽ってしまった。
「とりあえず、外歩いてる人は全員マスクしてるんだよ」
「マスク? なんで?」
「パンデミックが実現してしまったんだな。コロナっていう病気がね」
「ああ、サーズとかマーズみたいな?」
「そう。でも、どっちも流行はせいぜい数か月だったけど、コロナは長いんだ。1月から始まって、8月になってもまだ流行が終息してない」
「へえ……(想像できない)」
とか、
「三浦春馬くん、亡くなったんだよ」
とか、
「東出くんの不倫騒動で、杏ちゃんと離婚したよ」
とか、うーん。どれもこれも予想の範疇の遥か彼方すぎて、去年の私なら信じないかもしれんな。
あ、そんで、某巨大掲示板には
「〇〇年から来た未来人だけど質問ある?」
というスレッドがいくつもあったけど、どれもこれもみーーんな嘘松だったことも、ハッキリしちゃったな…とかね。
緊急事態宣言が出て、日本全国一斉に自粛に入った頃には、(とはいえ夏を過ぎる頃には終息しているだろう)と正直思っていた。
完全な終息とはいかなくても、もうちょいマシになって、ワクチンももしかすると早く出来て、「普通の生活」に戻れているだろう、と楽観的に予想していた。
その予想は完全に外れてしまった。
感染者は拡がり続け、都道府県をまたぐ移動は躊躇われ、どこへ行くにも必ずマスクを持参しなければならない。
どこかの施設を利用したっていいんだけど、常にリスクと天秤にかけなければならない。
そして今のところ、私はリスク回避のため、美容院も図書館も行かないままで、亡くなった祖母の供養のために故郷へ帰ることもままならない。
コロナの前にはもう戻れないんだなあ、とつくづく思わされる2020年8月。
「withコロナ」の価値観に慣れなければいけないんだろうけど、まだ慣れません。
お仕着せの制服を着せられて、着心地の悪さについもぞもぞあちこちを動かしてしまうような、そんな感じが続いている。
何かの折にふと(……全部冗談だったのかな?)と思いたくなる瞬間がまだある。
でも、冗談でも夢でもない。
パラレルワールドでもない。
事実は小説より奇なり。