前評判が高かった新春のNHK時代劇。
うーん、面白かったと言えば面白かった。
が、(惜しい…!)と感じるところも多々あり。
以下、雑な感想。
辛口注意。
伊藤若冲と言う人、近年になって脚光を浴び、若冲展を開けば超満員、若冲特集の美術雑誌は不況の中でもよく売れ、もちろん名前は知っていた。
前NHKの日曜美術館だったかな、いやNHKスペシャルだったか。特集番組も見た。
で、確信していた。
(こいつはド変態だ)と。
そう、ダビンチと同じ病。
自分の中に、どうしても描きたい何かがあって、何を措いてもそれを実現したい…!という狂おしい欲求と共に生まれてしまった、「業」の持ち主。
自分が美しいと感じるものを絵に描くためには、絵具にも技法にも一切の妥協を許さない。
目に見えないほどの小さな点の集合から形づくられる、鶏、鶉、真っ赤な鶏頭、その他諸々、この世に存在する森羅万象。
若冲の絵を見ると、
(この人の目には、この世がこんな風にビビッドに見えていたのか)
と、驚愕する。
鶏の鶏冠は赤く煌めく美しい王冠のようで、鶉の毛は白くふわふわした手触りをまるで直接触ったように感じるし、虎は実物と似てはいないけど、喉の奥の「ぐうぅ…」という唸り声が聞こえてきそうな迫力。
これを、真っ白な紙の上に描きだすのは、並大抵のエネルギーではない。しかもあのサイズ。
どんな人だったんだろう……と思っていた。
写楽と同じで、謎の多い人なんですね。でも、錦市場の青物問屋の店主だとか、世間の俗事には一切関心がなく、終生絵を描いて暮らしたとか、そういうヒントは文献に散見される。
そこを拾って、大胆な解釈を加えてドラマ仕立てにした本作。
思ったより、ライトな仕上がりでした。
講談社文庫かと思って読み始めたら、「花ゆめ」コミックスのノベライズ、だったみたいな。
分かりづらいか。笑
芸術家って、なんで生まれたんでしょうね。絵を描くのも、彫刻を作るのも、歌を歌うのも、生命に直結しない。なのに、こういう「芸事」をつきつめずにはいられない人種がいる。紀元前の昔からいたことが分かっている。人間のDNAには、確かにそういう種が仕込まれている。
で、こういうタイプの人間は、得てしてその他の凡人がごく普通に出来ることが、ひどく苦手だったりする。
長いものに巻かれる、とか。その場の空気を読んで方便でごまかす、とか。
好きなことは金にならないから、とりあえずサラリーマン的に働いて生活費を得る、とか。
女性に対して興味はないけど、世間体がいいから、適当に結婚しておく、とか。
「芸術家」と言っても色々いるから、こういうことが出来てしまうタイプの人もいるだろう。
が、傑出した異能の持ち主は、どうもこの辺をこじらせた人が多いみたいだ。
(あー……ありそう)
と、納得してしまうキャラクターだった。
家も裕福だけど、大典というよき理解者にしてパトロンがいたから、若冲は絵の道を邁進することが出来たのだね。
そのあたりも、池大雅・丸山応挙が同世代にいて、切磋琢磨する青春グラフィティ仕立てになっていたところも、面白かった。
優れた芸術が成立するには、必ず理解あるパトロンが必要だ。
若冲と大典、2人の魂が引き合い、友情を超えた繋がりで結ばれる、というのはいい。
実際、そういう結びつきはあったと思うし。禅宗なんて衆道の宝庫だったわけだし。
ただ、いかんせん描き方が軽い。
もちろん、このドラマを鑑賞する私たちは令和の現代に生きているわけなので、令和のお茶の間に理解されやすい文脈で描くのは悪くないと思う。
思うけど、うーむ、例えば男同士でがばっと抱擁する、という愛情表現は、時代劇にふさわしいかどうか。
日本て、身体的接触を極力避ける交わりが発達してるじゃないですか。
抱き合うかなあ…? しかも片方は禅僧だよ?
その前の、売茶翁が「マジっすか…」と呟くあたりの諧謔は、私は許容範囲だったんだけど。
大典と若冲の結びつきが、このドラマの肝であることを思うと、2人の関係の描き方をどう捉えるかで、この作品の評価も分かれそうだ。
絵の道を極めようとする若冲が、鶏を睨み、カタツムリを観察し、筆を走らせる場面はよかったんだけどなあ。
そして僧形の瑛太は思いがけず美僧なんだけどなあ。
真正面から迫って、手を握り締め、握られた若冲がぽっと頬を赤らめる……うーん、私は好かん。
私は腐界の住人だけど、このドラマの腐り具合は気に入らない。
いや、違う。腐り具合じゃない。
腐っててもいいのだ。BLならBLで、素材として面白い。
ではなくて、
「圧倒されて言葉も出ない」
と、言葉で言っちゃうところね。
(いや、思い切り言葉が出とるやん!)
てなる。
そこはさ、台詞はなく、無言の表情と演出で、「圧倒されて言葉も出ない」大典の様子を、「描写」してほしいところですよ。
そう、それ。
「描写」するべきところを、このドラマは「説明」している。
それはねえ…………「手抜き」だと、私は思う。
こういう結びつきは、台詞で説明しない方がいいのだ。言葉がなく、2人が交わす視線や、交わさない視線で、視聴者が(ここはもしかすると……)と想像する余地を残してくれる方が、余白があって、奥行きが生まれる。
そこを安易な台詞と大仰な動作で埋めてしまうと、奥行きもへったくれもない。
だから最後もさあ……演出次第で、めちゃくちゃ心に刺さる、ぐっとくる場面になったはずなのに。
「死が二人を分かつまで」
って、さすがにその台詞はないと思うわ。一応江戸時代やろ。舞台。
しかもこの台詞のせいで、完全にBLになってしまった。
ここまでしといて、さらに最後、手まで握るという念の入れよう。
やりすぎ。
でね、この、物語の根幹となるべき「若冲と大典」の関係を、中途半端なBLにしてしまったせいで、その他の部分も、随分と味わいが軽くなってしまった。
中川大志も好演しているし、池大雅役の大東駿介もよかったのに。
「BLじゃないんだけどそこはかとなく漂うBL臭」くらいにとどめておいてほしかった。
「思い切り硬派なんだけど深読みすればBLにとれなくもない」くらいが好物の腐女子もたくさんいるんですよ。
「ハーイ、BLだよ!ホラ、こんなの好きなんでしょ?☆」みたいなヤツはやなの。
というわけで、私にとっては、「美味しいはずの材料で惜しい料理が出来てしまった」ドラマでした。
素材がよかっただけに、かえすがえすも残念。
時代劇って、日本芸能界における伝統芸でありながら、今や風前の灯じゃないですか。
時代考証もきっちりやって、ちゃんとした時代劇を作れるのって、NHKくらいなんですよ。
その辺、NHKさんには矜持を持って、しっかりドラマ作りをしていただきたい。
よろしくお願いします。
「BLじゃないんだけどそこはかとなく漂うBLの香り」がどういうものか興味のある方は、一度高村薫の本を読んでみることをお勧めします。まだ一応ミステリにカテゴライズされる小説を書いていた頃のですね。
「黄金を抱いて翔べ」「わが手に拳銃を」「レディ・ジョーカー」あたりを読んでいただけると、参考になるかと思います。
あ、めちゃくちゃ長くて字が多い(そして鬱展開)から、くれぐれもメンタルと時間に余裕があるときにネ!