おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

「外見」と内面の狭間で ②

 私も女性なので、人並みに紫外線ケアなんかもしてきたし、お肌のお手入れも一応してきた。一応ね。それほど熱心とは言えないけど。

 だから、若く見えるのがイヤだからと言って、何ももっさり老け込みたいわけではない。

 でも、47歳なのに35歳くらいに見られるというのは、幾らなんでも実年齢との間に乖離があり過ぎる。

 



 未婚・独身の私が、既婚の経産婦と比べて若く見えるのは、それはもう当たり前だと思う。

 結婚も妊娠も出産もしてないんだから。どれひとつとっても、人生の一大イベントで、女性の心身をゴリゴリに削ってくるじゃないですか。これを普通の顔でこなしている人たち、凄い。マジでエライと思う。

 出産した後は子育てが待っている。子育てこそ、思う通りにいくことなんて何ひとつない。不測の事態の連続。そして親の側には選択の余地がないことも多い。つきあいたくない人とも、子供が関わると思えば、のみこんで我慢しなければならない。

 それを思うと、「一般の主婦」とされている女性が、子供を育てあげるまでに分泌したストレスホルモンの総量は、えらい数字になるんじゃないかと容易に推測される。

 未婚で独身だと、それがぜーーーんぶ免除されているわけだ。

 忙しいと言ったって、家に帰れば自分の時間。家事だって、やった方がいいけどやらなくても誰にも迷惑かけない。自分が困るだけ。

 めんどくさくて晩ごはん抜いたって怒られないし、シンクに洗い物どっちゃりでゆっくり長風呂する自由もある。

 主婦に比べたらどれだけイージーモードか。




 だからその分、ライフステージに差は出てくる。

 ストレスを免除されているということは、人生の修養というか、鍛錬の機会もなかったということと同義だ。

 独身者が全てとは言わないが、既婚者が通らざるを得ない関門を通らずに生きてきているので、練れてはいない。感性が若者のまま、はっきり言って「幼い」と表現してもいいだろうと思う。

 成人した子供がいる47歳と、未婚独身の47歳とでは、魂の磨かれ方がまるで違う。



 もちろん、結婚や子供を持つことだけが人生の鍛錬なわけではない。

 親の介護だったり、まったく別の方面で言うに言われぬ苦労をして、自分なりの哲学を得ている独身の人格者だっているだろうと思う。

 ただ、私はそうではなかった。



 今の職場、入ったばかりのときにはよくめちゃくちゃ怒られた。

 他の人が普通に出来ることが、私には出来ない。というか、そもそも分かってなかったりする。

 自分では出来ているつもりでいたことが、まったく出来ていなかったことに気づかされた。

 それは何も、未婚で独身だから、というだけではなくて、私個人の資質とか、生育環境とか、複合的な理由によるものだと思うけれども。



 だから、「未婚・独身」という一括りではなく、私自身の話として言おう。

 私は、大学を出てから1人で生きてきて、それなりに苦労もしてきたと思っていたけど、そうではなかったらしい。

 47年生きてきて、今まで何をやっていたんだ、と、茫然とする思いに捉われることも多かった。

 いい大人のつもりだったけど、全然そうではなかった。

 まったく熟していない、大変残念な人である自分を発見してしまった。




 となると、「色々頑張って獲得したものがあるのに、人生の蓄積がないように見られるのは嫌だ」と思っていたのも、勘違いしていたことになる。

 人生の蓄積が、実際に「ない」のだ。

 生きてきた時間がその人の上に降り積もって、年相応の見た目になる。

 私には降り積もっていないのだ。

 だから、47歳にもなって、35歳くらいにしか見えないのだと思う。

 私を若く見る人たちは、多分、正確に私の「熟してなさ」を見てとっているんじゃないかと思うようになった。




 女性に対して

「若いね!」

とか

「その年齢に見えない」

というのは、言う方はほぼ100%褒め言葉のつもりで言っている。

 それは分かるから、言われたら

「ありがとうございます」

とお礼を言うし、その場の雰囲気を壊さないために

「嬉しいです」

とも言う。若く見られて嬉しいのではなくて、褒めてくれようとしているその気持ちが嬉しいのは事実だから。

 ただ、「ええっ40代!?」と驚かれるたびに、内心(そうか……)と、寂しいというか、がっくりくる思いがしているのも事実。

 それは私がやってきたことが私自身に返ってきているだけだから、言う人に対してはなんとも思わないんだけれども。




 まあでもアレだ、自分の「外見」に満足している人って、どれだけいるんだろう。美人とか不細工とかそういう次元でなく、見た目の印象と自分の中身とのズレや、あるいは私みたいに、自分の内面が外見に滲み出ていることに打ちのめされたりとか、「外見」に悩んでいる人は少なくないんだろうな。

 私の場合、正確に言うと「外見」の悩みだと思っていたら実は内面の問題でした、ということなので、深刻度はより増すんだけれども、努力でなんとかなると言えばなる。

 うーん、実年齢にふさわしい円熟味とか貫禄とかを身に着けて、年相応に見られるようになるのはいつの日なんだろう。

 自分のイケてなさが酷すぎて、それを考えると気が遠くなる。




 というわけで、特にオチとか結論はないんです。

 ただね、やっぱり、褒め言葉だと思って言っても、言われた当人が嬉しいかどうかって分からないので、人の外見に対する批評とか感想とかは、軽々に口にしない方がいいな、と思いました。