言葉というものは難しい。
思いを伝えるためにあるはずだけど、真意が思うように伝わらないということがしばしば起きる。
ラインやメールでメッセージを書くとき、
「分かりました」
だけで用は足りるんだけど、それだけだと素っ気ないかな? 愛想ないと思われるかな? 不本意だけど受けました感が出ちゃうかな?と色々考えて、
「連絡ありがとうございます。了解です」
と、言葉数を増やしてみたりすることはしょっちゅうある。
不思議なもので、言葉数を増やしただけで、割とオブラート感が出るんですよね。
その一方で、思いがけずその人の本質が出たりすることもある。
気遣いの言葉に対してスルーしてしまう。それはとりもなおさず、相手の気配りに気づかない鈍感さを露呈してしまうことになる。
受けた方は、(ハイハイ、了解~)くらいに思っていても、送った方は(既読ついてるのに無視された)と感じてしまうこともある。
既読スルーが悪と言っているのではなくて、そこにその人の性格というか、普段の行いが出てしまうこともあるよね、という話。
他人の行いだとよく分かる。
一番分かりやすいのがヤフーの記事につくコメント欄だ。あれ、面白いですよね。「私の知人も……」と自分語りが始まる人がまあ多いこと。
その人にとっては、それが真実だということは分かる。分かるがしかし、当該の芸能人はあなたの知人ではないし、勝手に同類に分類してバコバコに叩くのはどうなん、という話で。
でも多分、人間て、どんな人の話も自分の暮らす半径1メートル以内の生活圏に引き寄せて考えるんでしょうね。
ところが、同じことを自分がやっていることにはなかなか気づかない。
前の記事で書いた、他の人に対してマウントを取る行為ね。あれ、自分自身がやっていることに気づいたの、本当につい最近でした。
そう思ってこのブログの記事を読み返すと、まあ初期の文章なんか恥ずかしいものですよ。ドヤ感満載で。
他の人のブログに入れる感想コメントも、面白かった!と一言書けばいいものを、わざわざ自分が知っている知識を披歴したりして、それを自慢だと気づいてないんだからタチが悪かった。
人間の承認欲求とはかくも業深きものであるよ。
まあでも、みんなそうだと思うんです。
「完全な人間はいない」とよく言うけど、本当にそう。
私たちは皆それぞれ、愚かで、近視的で、うっかり言葉のチョイスを間違えて他人を傷つけたり不快にさせたりしがちな、「普通の人」なんだと思う。
少なくとも私自身に関しては、自信を持って「そうだ」と言える。
でね、私がこの駄文ブログをなぜやっているかと言うと、まあ理由を挙げれば色々とあるんですけれども、
「私の言葉が『ちょうどいい』人たちがいるかもしれない」
というのもひとつですね。
時々、分析的な、論文みたいな記事を書いて載せるじゃないですか? あんなん、本気でその道を研究したことがある人からすればぺらっぺらのうっすーい知識でしかないことは百も承知なんですよ。じゃあ文章力が凄いのかと言えば、それもまあ、大したことはない。
ただ、じゃあその道の本職の研究者が書いた論文を読みたい人がどれだけいるかと言えば、それも分かんないじゃないですか。
「ド素人でちょっと文章書くのが得意なBL好きがちょこちょこっと書いた浅い考察記事」
の需要って、ニッチだけど絶対あると思う。
ていうか、それが私だ。
得られるものが少ない代わり、読むのに肩も凝らないじゃないですか? ささーっと読めて、明日には読んだことを忘れてるくらいな文章も、あっていいと思うし。
だから私は、自分が書いた記事を読み返すの好きだし、他の文章が達者なブロガーさんの記事を読むのも好き。本職の文筆家の文章と同じように好きかも。
で、同じように思ってくださる方がたくさんここを読んでくれるようになって、今に至ります。
多くの人が集まるからには、やはり、ある程度の軋轢というか、何かしらは生じると私は思っていて、ブログをやっている人の多くがまずつきあたるのが、実は「コメント」問題なんですよね。
こないだの記事で、マナー云々に言及しましたが、でもね、これも正解ってないと思うんです。
世界中のどんな場所からもアクセス出来るのがネットのよさ。
その分、「これが守るべきマナー」というのも、実はないのだと思う。
ここに来てくれる皆さんが、節度を持って、マナーを守ろうとしてくださっているのは、私としても承知しております。
ただ、場を乱すまいとする余り、何か言うのを我慢したりとか、それがストレスになったりとか、というのも、違うんじゃないかな、と思ったわけです。
私が挙げた記事に長文のコメントがつき、意見の応酬になり、それが自由闊達な議論になったりする空気が好きでした。
それはすごくありがたいと思っているのです。本当に。
ただ、何か「ん?」と思うことがあったときに、「私はこう感じた」と表明するのも、アリなんじゃないかと。
この内容も、前回に引き続き、書くかどうしようか迷いました。
(でもまあ、ブログに何を書くべきかなんて制限もないわけだし)
と思うに至りまして、一気にばーっと書いております。
こう、何をどう思って書いているか、とか言及したブログを私はあまり見ないのですが、人がやってなかったって、まあいいじゃん、と。
ネットは自由だ。
ということで、不完全極まりない上にド変態である管理人が営む駄文ブログにおつきあいいただいている皆さま、いつも本当にありがとうございます。
これまで通り、自由にコメントをいただけたら嬉しいです。
管理人と読者との間に上下関係などありませんので、「いやそれ違うんちゃう?」と思われれば、ご指摘いただければと思います。
ただ、先に書いた通り、マナー違反と当方で判断した場合は承認しないことをご承知いただきたいと思います。
上下関係はありませんが信頼関係は必要だと思っておりますので。
書き手と読者との間の信頼関係についても、書こうと思っているネタがあるので、それについてはまた次回。
あ、そうだ、いただいたコメントにお返事を書かないこともあります。今更ですがそこもご承知いただければ。
なんでかと言うと、単純に見過ごしていて気づくのが遅れるとかもあるんですけど、放置しているのは大体
「返事に困った」
からですね。
うーむ、そう来たかー、私はそれについては何ともコメントしようがない……てなったとき、面白い返しを思いついたら書くんですけど、何日か粘ってもなんにも出て来なかったときは諦めてます、ゴメンナサイ。
管理人も所詮この程度の人間です。ホンマすんません。
以上でございます。
あー、こういう記事って、やっぱり肩凝るね。
でもなんとか、私の真意を伝えたくて、頑張って書いてみました。
今後ともよろしくおつきあいいただければ幸いです。
朔拝