おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

幸福度を120%満たしてくれる「チェリまほ」に描かれるどう見ても幸福度の低い人々についてじっくり考えてみた件。

「チェリまほ」再放送始まりましたね。

 深夜の放送、もちろん録画しました。

 今まで死ぬほど見てるのに、録画をもう10回くらい見てる。(見過ぎ)



 

 何度も見ていると言っても、さすがに毎回画面にかじりついて食い入るように見ているわけではない。お気に入りの番組や映画を、BGM的にかけっぱなしにして作業することはよくある。

 だからなのか、改めて見て、今まで気にならなかったことがふと、

(ん…?)

 と引っかかった。

 それがつまり、表題の件だ。



 童貞のまま30歳の誕生日を迎えた安達は、突如として周りの人の心の声が聞こえるようになってしまう。

 出勤途中、安達と触れ合う人々の、心の声。

(だる……)

(会社行きたくな~い……)

(アイツ、クビになんねぇかな…) 

 信号を待つ老若男女の顔は、天を仰いだりうつむいたりと向きこそ様々だけれど、皆一様に疲れている。眉間に皺が寄っている。

 足を踏みつけてきたサラリーマンは、安達が思わず振り返ると、

(何だよ)

 メンチ切りながら、内心ですごんでいる。

 動揺した安達がよろけてぶつかると、

(邪魔…!)

と迷惑そうな声が耳に飛び込む。

 しゃがみこんでしまった安達に声をかける警察官も、

「大丈夫ですか?」

とは上っ面だけで、心の中では

(朝から酔っ払いか? 勘弁してくれよ…)

と不満で一杯。




 いやーこの場面、どうですか。ぎすぎすしてて、攻撃的で、幸福そうな人が1人もいない。

 ここだけ見たら、(なんて不幸そうな国なんだ…)と思われそう。外国人に。

 でも、今まで、散々見てきたこの第一話、ここで引っかかったことはなかった。

「サラリーマンが大量に出勤する朝のラッシュ時」の光景として、ごく普通のシーンと捉えていた。

 電車通勤の自分自身、似たような景色を毎朝見ていたからだ。

 別に毎朝不機嫌とか、(仕事行きたくない…)と思っていたわけじゃないけど、急に電車が停まってイライラしたりとか、でかいバッグぶつけられて、振り向きもせずに相手が行ってしまって、(ちょっとー!!)とやり場のない怒りを感じたりとか、そういうことは日常だった。




 でも、それが当たり前って、(……ちょっと異常じゃない…?)と、初めて思ったんですよね。

 皆が疲れて、仏頂面で、イライラしていて、それが毎朝の光景って、幸福度低すぎん……??




 年末年始、まあ、去年を振り返ったりするじゃないですか。

 ふと(私の幸福度はどうだったかな?)と思ったんですね。

 大変だったけど、不幸ではなかった。仕事も忙しかったけど、それなりに一生懸命やってきた。楽しいこともたくさんあった。

 ただ、全体として、「幸福度はいかほど?」と問われると、正直、それほど高くはなかった、と思ってしまった。

 



(……もう少し幸せを感じる暮らしがしたいなあ……)

と、心の底からふつふつとそんな願望が沸いてきたんですね。

 なので、今年の目標はそれにします。「自分を幸せにする」。

 

 

 まあそれはさておき。

 このドラマの一場面、私が今まで何も感じずスルーしていたように、この国の平均的な風景に過ぎないと思う。

 幸福度の感じ方については、国民性もあるだろう。日本人は、各個人がやらなければならない義務については割ときっちりしているし、公共の場を乱すようなこともせず、真面目で控え目な人が多いが、一方で、「どうしたらよりハッピーになれるか?」ということを追究するマインドの持ち主は少ないように思われる。いや、そりゃみんな幸せになりたい欲求はあるんだけど、そこにあまり我を押し通すマインドじゃないというか。

 去年の幸福度ランキング、日本は56位だったようです。先進国としては低いんじゃないかな。

 このドラマの主人公、安達にしてからが、全然幸福度高くないもんね。この出だし。

 平凡で、これといったとりえもなく(と自己認識していて)、恋愛的なイベントとも無縁で、「凪」の人生を生きていくんだろうな…と半ば諦めの境地で迎えた30歳の誕生日だった。

(誰かに心の底から好きだって思ってもらえてることが分かったら…)

 と一瞬夢想し、(アホらし)と自分で打ち消した、まさにその夢がかなうことで、安達清の幸福度は100%までぐぐっと上昇するわけだけど、じゃあ、魔法使いにならず、黒沢の思いに気づくこともなければ、きっと安達は幸福度が低いまま30代を過ごしていったんじゃないか。




 あ、今更「チェリまほ」批判ではありませんので、念のため。

 これまでの恋愛ドラマは、「相手がいてこそ幸せ」という固定概念で描かれていることが多かったけど、チェリまほはそうじゃない。藤崎さんというキャラクターで、ちゃんとそこも掬い上げている。

 そうではなく、「チェリまほ」みたいな幸福度100%のドラマであっても、そこに幸福度ランキング56位の日本の現実が意図せず映り込んでいた、という話。

 

※「幸福度ランキング」の出し方には色々な数値が絡んでいて、ランク付け自体に意味がないと仰る向きもありそうですが、私は妥当な数字じゃないかと思うので、そこに特に異論はないです。

 興味のある方は検索してみてください。





 生きていくのは大変だ。働いているからにはしんどいのが当たり前。

 と思っていたけど、そうじゃない生き方もあるんじゃないのかなあと、最近そんなことを考えております。

 少なくとも、もっと幸福度を上げることは出来るはず。それには多分、自分で自分に無自覚に嵌め込んでいる「枷」を外す必要があるのだ。思い込みとか、これまでの常識とか、社会通念とか。「かくあるべし」という理想像とか。色んなものが、自分を縛って、幸福から遠ざけているかもしれない。

 といって、人間何十年と生きてきて、そうすぐに行動が変わったりはしないんだけど、何かを決めるときに(その選択は明日の自分の幸福度を上げるか?)と考えてみるのはアリだと思う。

 そう、今年の目標はこれでいきます。

 

「自分の幸福度を上げる」。


 まずは、自分を幸せに。そして、周りの人も幸せに。

 そんなwin-winの状態が実現したら、最高じゃないかと。

 

 

「チェリまほ」を久しぶりに見たら、今年の目標が決まりました。

 今年の大晦日に、(ああ、幸せな1年だったなあ…)と振り返ることが出来ますように。