「ミニオンズ」を見て本気で驚いた話。
この黄色いキャラクター、前々から気にはなっていた。
面白いらしいという噂も聞いていて、ふーん、一度映画を観てみようかしらん…と思っていた。
なので、こないだ地上波でやっていたのを録画して観てみたわけです。
いやー……驚いた。
あまりにも中味がないのに。
あ、お断りしておきますが、決してdisってないです。軽蔑とか、呆れるとか、そういうネガティブな印象は一切抱かなかったことを最初に明記しておきます。
ただし、褒めてもないです。笑
ただただ、「驚いた」という正直な感想になります。
まあ一個人のブログなんでね、思ったことを書きますよ。
昨今、炎上よけなのか何なのか、何でもかんでも
「個人の感想です」
てつけるじゃん。あれ見るたびに思う。(そんなの当たり前じゃない?)と。
何かの作品を見て、感動する人もいれば、(なんだコリャ)とガッカリする人もいる。それはその人の自然な心の働きであって、誰に咎められるものでもないはずだ。
その感想を素直に記す。それの何がいけないのか。
批判するならするで、関係者や、それこそ演者の親兄弟、友達が目にすることを想定して書くべし、それが書く人の責任だと、以前も書いた。そういう、守るべきモラルはあるけれども、「感想を書く」というのは本来、何の制約も受けない、自由な行為であるべきだ。
炎上を恐れて、毒にも薬にもならない提灯記事ばっかになったら、めちゃくちゃ退屈でつまんない世界になってしまう。
というわけで、思ったままを書かせていただきます。
いやもう、ビックリしたんですよ。
見終わって。
得るものが何もねぇ……!!!
ということに。
粗筋を紹介することはしない。普通、どんな映画の感想にも、ストーリーが多少なりとも必要になるものだけど、この映画に限ってはない。
「ミニオンズ」という生き物がいて、太古の昔から存在する…というのは多分、後付けの設定なんじゃないかな、と思った。だって、有史以前からいる割に、名前がケビンとかスチュアートとかTHE☆アメリカンネーム。テケトーやな…と思いながらなんとなく流し見してたら、
「石器時代、新しい生き物が現れた。そう、人間だ」
というナレーションで、(あー、時代考証とか全然しない感じなのね)と分かった。
だって、人間が使う道具の種類で「石器時代」と名づけたのであって、実際は石器時代の遥か前に人類は誕生している。そこんとこ、まるっと無視らしい。
まあそんなことはどうでもいい。
そんなところに引っかかっていたら、この映画は鑑賞出来ない。
そう、多分「ツッコんだら負け」カテゴリーに分類される作品なのだと思う。
だがそれにしても、だ。
こんなにも、
「見る前と見た後とで1ミリの変化もない」
映画も珍しい。
何も、教訓がないことがよくないと言っているのではない。教訓を求めて作品を鑑賞することはないからだ。どんな映画も、つまるところ「面白ければそれでいい」。
けれども、ですよ。「ツッコんだら負け」カテゴリーのギャグ漫画だって、何かしら心を動かされる部分、ありません?
「おじゃる丸」しかり、「忍たま乱太郎」しかり。「クレヨンしんちゃん」の映画だって、あんなに大人の心を動かすじゃないか。今やもうレジェンドになった「嵐を呼ぶアッパレ!戦国大作戦」は私も見たよ。泣いたよ。「BALLAD 名もなき恋のうた」という実写編を生み出したことでも有名ですね。
でね、「おじゃる丸」でも「忍たま」でも、誰かしら一人は、好きなキャラクターがいる。推しじゃなくても、10分ほどのアニメを見ながら、色々共感する。
それが、「ミニオンズ」では、まったくない。
どのキャラクターの言動も、全然共感出来ない。まず主役のミニオンズはそもそも何言ってるか分かんないし、途中で現れるキャラも、メインも雑魚も「悪者」という前提で、「愛すべき悪者」なんじゃなくて「ホントーに悪者」なのだった。
スカーレット・オーバーキルは、最初ちょっとクールでカッコよかったんだけど、本性は強欲で凶悪。後になればなるほどカッコ悪くなっていく。
まあこれは、子どもが見るであろう作品で、犯罪者を美化してはならぬ、という方針に基づいて作っているのかもしれぬ。知らんけど。
観終わった後、
「好きなキャラクターは?」
と聞かれたとしても、一人も思いつかないし、
「共感した台詞は?」
と質問されても、全然ない、としか言えない。
(すげーな…)
と、思ったわけです。
(お金かけてこんな映画作るアメリカ人の感性、やっぱ只者じゃねーわ…)
と。
もう一つ、
(さすが、スポンジ・ボブを作った国)
とも思った。
スポンジ・ボブ、一度見てみたことあるけど、あまりにも内容がなく、バカバカしいので、見る時間が勿体なさ過ぎる、と視聴をやめた。
そう言えば、黄色くて目がでっかい点がミニオンと似ている。
でもね、人間、どうせ何か作るなら、「いいもの」を作りたいという願望があると思うんですよ。
「イイ話」にするために、何ならちょっと盛ったりするし、出来れば話にオチをつけて、ウケを狙いたいのが人情というものだ。
ここまで徹底して「意味」を排除しているということは、何らかの意図があってのことなのかなあ……と、そんなところが気になって、考え込んでしまった。
誰かご存知の方いらっしゃったら教えてください。
この世には色んな価値観があるなあ。自分に理解出来なかったとしても、否定はしないでおこうと思う。今は分からないことでも、何年か経ったら180度評価が引っ繰り返ることもある。
おっさんずラブ第四話⑨ わんだほうの危機(ピンチ)
半年ぶりの「おっさんずラブ」レビューですが、物語の本筋からは一部逸れます。
あと、微毒注意。
武川主任と牧のひそかな手繋ぎを目撃し、それに悶々としてしまう春田。
自分の心の中で何が起こっているかも分かりかね、仕事も手につかないのだが、息をつくヒマもなく次の事件が起こるのが「おっさんずラブ」だ。
鉄平兄から呼び出され、急ぎ「わんだほう」に向かう春田と牧。
カウンター内から次々に調理道具が運び出される様子に、わけが分からず目を白黒させていると、
「どうしよう、オレ、騙された!!」
と鉄平兄が飛び出してくる。
タワマンのテナントとして新生「わんだほう」になる予定が、そもそもタワマンが建つこと自体ウソだった、と。
「オレ、自分の店をタダ同然の値段で売り渡す契約にサインしちゃった!」
と青くなる鉄平。
「やっぱり…おかしいと思ったんですよね」
と、薄々契約内容に疑問を抱いていた牧が、周囲の店への聞き込みを行って、ある程度正確な情報を掴んでいたことがここで明かされるが、契約は終わっており、今更どうすることも出来ない。
さあどうする、という場面。
正直、ここら辺はツッコミどころ満載というか、おかしなポイントだらけではある。
一番(???)てなったのが、
・鉄平兄の本名が「鉄夫」だった
ということだ。
本当は鉄夫なのに「鉄平」と名乗る理由、相当考えてみた。
例えば、子どもの頃に「なんとかペイ」という名前の主人公にめっちゃ憧れた、とか。「ダッシュ勝平」みたいな(古いね!)。
そんで、
「オレ、今日から鉄平だから。みんな鉄平って呼べよ」
とかって言って、幼い春田やちずが(変なの~…)と思いながらも
「鉄平兄ちゃん」
と呼ぶうち、通称として定着したとか。
んー、ただそれならそれで、一言説明があってもよさそうなものだけれども。
ただ、自分の名前が嫌いで、全然違う名前で呼ばせている人、リアルの知り合いで2人いるのも確か。
「和子」なんだけど「シズコ」みたいな(仮名です)。
だから、アリかナシかで言えば「アリ」なんだろうけど、唐突だし、キャラクター紹介でもエンドロールでも「荒井鉄平」になってるし、この第四話のエピソードのためだけに思いついた感が否めない。
あと、この回、不動産の知識が多少なりともある人からすれば、かなりツッコミ所満載な回だと思う。
不動産の取引においては、契約書と並んで「重要事項説明書」が必ず用意される。大事なのはこの「重要事項説明書」で、ここに取引条件の全てが記されている。
なので、業者は取引の際、この「重説」の内容を説明しなければならない。その場には必ず宅建士が同席して、記載の内容に虚偽がないよう、お互いの認識に齟齬がないように行われることになっている。でないと、契約後のトラブルを招きかねないからだ。
いざ契約となったとき、不動産業者がまず取り掛かるのがこの「重要事項説明書」の作成で、これは非常に時間と手間と神経を使う作業になる。もちろんフォーマットはあるんだけど、面積も条件もその物件それぞれで異なるので、調べられるだけ調べることになる。
水回りは殊に大事で、役所に行ってその設備周辺の上水道と下水道は必ず調べる。古い物件だと、今使ってない古い下水道管が埋もれていたりすることもあるからだ。
あと、近くに河川がないか、あるとしたら過去に氾濫したことがないか、土砂災害警戒区域にかかっていないか、近所に悪臭を発生させるような施設がないか、買主がその物件を購入して不利益をこうむることがないよう、調べられることは全て調べる。で、その全てを「重説」に盛り込む。
不動産業者にしたって、取引金額が大きい分、出来るだけ何事もなく平穏に取引を終えたいわけだ。
なので、普通に名のある不動産業者の仲介で売買するのであれば、よほどのことがなければ詐欺行為等の入り込む余地はないと思う。
私も、業界にいたのはほんの一瞬なので、そんなに知識が豊富なわけではないけれども。
だからね、春田も牧も、契約書を一生懸命めくって見てるけど、本当は「重説」の方が大事なんだ。重説のない不動産契約はないはずだから。
舞台が「天空不動産」である以上、不動産関係者の監修が入っているはずだと思うんだけど、よくこれでOK出したな?と思う。
まあ、この展開は、
・春田と牧が暮らす家にちずが転がりこんでくる
・牧が春田のために力を尽くす
という二つの要素を満たすために必要なのであって、細部の作り込みは特に要らない、と判断されたのであろう。
そう、もちろん視聴者側だって、本筋に集中したいのだ。「引っかかりなく本筋を追う」ために、やはり背景はきちんと作っておいて欲しい。
この点、この第四話はだいぶ雑だと思います。
ちなみに、こういうトンチキ展開って、割と第四話あたりで発生する率が多いような気がする。
なぜかというと、物語の中盤に差しかかって「次」へと繋げるハプニングが要るからだ。
「ドクターX」とか「半沢直樹」とか、その仕事そのものが主軸であるドラマは、がっつりプロの監修が入ってるから、同業者が見ても(?)とはならないように作ってあるんだろうけど、そうではなく、主軸はあくまで「恋愛」で、オフィスはその添え物であった場合、監修があまくなるからじゃないですかね。
まあでも、「鉄夫」と「鉄平」のくだりもそうだけど、徳尾さんの脚本て、結構この辺が適当であることが多いような。
物語のスピードと演者の演技の勢いに押されて、リアルタイム放送時には(ん?)と思ったものの流されちゃったけど、こうやって何回も見てると、やっぱ気になるっちゃ気になりますね。
……ふー、やっと書いたぞ。
実はこの「鉄夫」と「鉄平」の件と、不動産契約の件は、リアルタイム放送時からずーっと気になっていて、アラには出来るだけ目をつぶろうつぶろうとしてきた私からしても、見過ごせない点のひとつだった。
いわゆる「喉に刺さった魚の小骨」のような。
書けてスッキリした(笑)ので、次からは本筋に戻って、楽しいレビューを続けます。
ハイ。
「チェリまほ THE MOVIE」を観て「おっさんずラブ」の特別さに気づいた話。
そう言えば、「チェリまほ」の劇場版、観に行きました。
行きましたとも。当然。
ただ、その頃はなんかもう色々大変で、とてもじゃないけど映画の感想を書くどころではなかった。
あーそう、「チェリまほ」の映画を観にいくことだけが楽しみだったような気がする。思い出してみると。
しかし、イヤなことは過ぎてしまえばキレイさっぱり忘れてしまうタチのワタクシ、今や何がそんなに辛かったのか、全然覚えていない。
ただ、表題の通りの感想を抱いたことは確かだ。
もちろん、面白かったのだ。
安達と黒沢に再び会えるのはもちろん、豊川の変わらぬ面々にスクリーンで再会できるのはとても嬉しかった。
ドラマの終了とともにいったん閉じた世界が、再び開かれ、画面の中の時計が時間を刻んでいく。
安達と黒沢の関係性にも変化が訪れ、次のステージへと進んでいく。
それは、「おっさんずラブ」で観たいと熱望し、叶わなかった願望でもあった。
愛を育み、深めていく二人を、スクリーンごしに見つめ、登場人物に感情移入して涙し、ラストの幸福感にまた泣いた。
大判のタオルハンカチを持っていてよかった。
私は、とても満足した。
(ああ、観てよかった。幸せになった)
とつくづく感じた。
安達と黒沢、柘植と湊、藤崎さんも六角も浦部さんも、みんなみんな、いつまでも幸せに暮らしてほしい。
劇場版を作ってくれた皆さん、ありがとう。いいものを見ました。と心から感謝した。
……で、1か月後、もはや「チェリまほ」のことを思い出さなくなっている自分に気づいた。
これは、「おっさんずラブ」劇場版を見たあとには起こらなかった(起こり得なかった)現象だった。
なぜか。
ひとつには、やはり物語がこの上ない形で「完結」したからだ。
安達と黒沢の愛は結実した。周囲に祝福されて、晴れて結ばれたのだ。
それはつまり、
「そして2人は幸せに暮らしました」
というおとぎ話の結びと同義なわけで、私の脳内でも「チェリまほ」の物語の最後に「Fin.」の文字が書きこまれた、ということだった。
(そうか……)と、自分でも意外だった。
欠けることなく、歪なところのない完全な円の形で、文字通り大団円を迎えた「チェリまほ」のラブストーリー。
であるがゆえに、私の中で「チェリまほ」の脳内書籍はぱたんと閉じられたのだった。
閉じられた本は、書棚に戻され、以後思い出すことはなかった。
そういうことなんだと思う。
そうでないチェリまほファンは大勢いると思う。
劇場版に感動し、忘れられず、何度となく観に行ったという人、たくさんいるはず。
ただ、私はそうでなかった。そうであってもおかしくなかったのに、予想に反して、醒めるのが早かった。
それが自分でも気になって、色々と分析してみた、という話。
「おっさんずラブ」は全然違った。
「面白かった」と一言で言える内容ではなかった。賛否両論あったけど、私は(面白い!!!)と思ったし、(出来れば分かる人と分かち合いたい!!!!)と思った。
観た後も興奮さめやらず、せっせせっせと感想文を投稿した。書いても書いてもおさまらなかった。
だから、また観に行った。観に行って、また感想を書いた。それを都合8回繰り返して、なお気が済まず、レビューを書き続けた。
そしてその後、OL民なら忘れることの出来ない、続編制作発表があった。
幸せな気分は一気に地に落ち、悶々とする日が続くことになった。
それはつまり、「了」の字を入れることが出来なかったということなんだと、今頃になって初めて気づいた。
物語自体もそうだ。チェリまほと違い、牧は春田とせっかく心が通じ合ったのに、仕事で次のステップに進むことを選択し、離れ離れになる。
2人の幸福な未来が暗示されるエンディングではあったけど、
「ずっと一緒にいる2人が見たい」
というファンの願望を満たすものではなかった。
そこへ持ってきての、あのタイミングでの続編発表。
そこまではまだ冷静さを保っていた私も、いざsky編が始まって、前作ファンをないがしろにした制作側の浅薄な思惑に気づいてキレ、完全に見限った。
この時点で、「おっさんずラブ」は、永久に未完の物語になったのだ。
多分、私だけでなく、多くの熱いOL民にとっても。
今休止しているけど、「おっさんずラブ」のレビューの続きは、またいずれ書く。そのうち絶対載せる。
それはなぜなら、放送から4年経ってなお、「おっさんずラブ」が過去のものではないからだ。
私の中ではまだ、続いている。「おっさんずラブ」について語りたいことがまだまだある。
何でだろうなあ。「おっさんずラブ」の何がそんなによかったのか、面と向かって聞かれたら、明確に答えられる自信は、私にはない。
だけど、私にとって、特別な物語であることは確かだ。
私だけでなく、他の人にとってもそうであるらしいことは、ツイッターを見ていれば分かる。
なぜなんでしょうね。
分からんけど、劇場版の後のあのドタバタ劇が、「おっさんずラブ」を「終わらない物語」とするために一役買っているのは間違いない。
モヤモヤが残る出来事であった。このモヤモヤが完全な形で解消されることは、恐らくないだろう。ということは、「心の中にとどまり続ける」ということだ。
今は2022年。
今にしてなお、あれほど夢中になるドラマは現れていないし、これほど忘れられないドラマもない。
特別にして、唯一無二のドラマ。
ということで、放送からは随分時間が経ちましたが、「おっさんずラブが好き!」というブログタイトルを変えることもなく、「おっさんずラブ」のドラマレビューを載せるという形態も変えず、今後も粛々と続けていく所存でございます。
悪しからず。
ニッポンの夏、節電の夏
時事ネタ記事2本書いて、すこーし勘が戻ってきた。
こうしてノートパソコンのキーボードをぱちゃぱちゃ打ち続けて長文を綴るのも苦じゃない。手首の痛みがよくなったのは幸いであった。
このまま日記的な記事をいくつか書いて、肩慣らしをしよう。
今とりあえず目の前にあるのは「節電」これじゃないですかね。
皆さん、節電、してますか?
どこもかしこも電気料金が値上げで、それもこれもウクライナ危機の影響なんだからイヤになるよね。風が吹けば桶屋が儲かる的な遠回しな話じゃなく、もっと直接的に、輸入燃料の高騰のせいで、暮らしが打撃を受けている。
出来るものなら節電したいけど、そもそも日頃電気の無駄使いをした覚えのない人間からすれば、どうすりゃいいんだ…と戸惑う気持ちが強い。
使ってない部屋の電気なんかつけるわけないし。エアコンは我慢したら危険な時期だし(これはメディアでも繰り返し呼びかけてますね)。
私が今住んでいる地域は、山と海とが近接していて、吹き抜ける風のお陰で朝晩は涼しい。加えて、うちが東南角部屋に位置しているため、適宜窓を開ければ、扇風機だけで快適に過ごすことが出来る時間が結構ある。
なので、休日はそこら辺考えて行動するようにしている。
だけど、節約出来ないものも多いですよね。夏場はどうしても洗濯の回数も増える。
もう、しょっちゅう洗濯機回してる気がする。そりゃ、放り込んでスイッチ押すだけだから家事としては負担ではないけど、終われば「干す」という作業が発生するし、乾けば今度は畳まねばならない。
身体を動かす仕事なのと、帰宅してからも筋トレで汗を流すことも多いのとで、1日終わると洗濯するものがもりっと出る。
洗濯して、干してると、(あれ、うち、2人暮らしだったっけ?)と勘違いしそうになるくらい、量が多い。
ちなみに、この「洗濯ものを干す」「畳む」作業がイヤという人、少なくないようなんだけど、双方一度に解決する策として
「ドラム式洗濯機を購入する」
というのを紹介するアカウントがいくつかあったが、今現在の私にとってはあまり現実的ではないので却下。
そのために20数万払うのはなあ。
あと、料理。
うち、ド田舎なので、ガスがプロパンなんですよ。プロパンの何がイヤって、ガス代が高いことだ。大阪に住んでたときは月3千円くらいだったのに、ここに越してきて倍にはねあがった。
お風呂代はケチれないので、必然的に料理を工夫するようになった。ガスコンロじゃなく、レンチンで作るメニューを増やしたんですよね。
レンジでチン!も使わないとなると、もうどうすりゃいいんだ。
生のキュウリ齧ってろってか??
いや、キュウリ好きだけれども。
まあでもね、ことほどさように、現代に生きる我々の日常生活は、電気とガスに支えられているということなんですよね。
殊に電気だ。電気なしには何も出来ないと言っても過言ではない。「暮らす」=「電気を使う」と言ってもいいくらいだ。
日本のように、エネルギー自給率が低く、資源を輸入に頼らざるを得ない国は、どうしても海外情勢に大きく影響を受けてしまう。
普段自分が使う電気がどこから来て、何によって生み出されているのか、ちゃんと知っておかないといかんな、と思いました。
外は大雨が降っている。視界が白く煙って見えないくらいの降雨量だ。
これからしばらく、台風や大雨による被害が発生しやすくなる。
いざというときに備える防災の観点からも、この夏は、「電気を使わずにいかに暮らすか」に気をつけて日常生活を送ってみようと思います。
キュウリ食べよ。
ワクチン接種3回目
備忘録として書いておこうと思う。
何しろ、もうあったことはすぐ忘れる。1週間前のことだって、頑張らないと思い出せない。
かなりインパクトがあったはずの交通事故だって、
(えーと、あれ、今年だっけ。……いや、違う違う。今年は子宮筋腫の手術後で休職してたから、あれは去年の冬だ。あーそうそう、そんで、8月だかに示談が済んだんだった。そうだったそうだった)
と、過ぎ去ってしまえば何とやらで、放っておくとどんどん忘却の彼方へ消え去ってしまうのだ。
この分だと、「きのう何食べた?」と聞かれても即答出来なくなる日も近そうだ。恐ろしや。
そんで、このブログに書いておくと、後から読み返して(ああ、この頃こういうことがあったんだっけ)と思い出すよすがになるので、役に立つのだった。
平日は仕事なので、予約するとなるとどうしても土日の集団接種になるのだが、今回は住んでいる市町村の役所に集団接種会場が出来ているのを、予約して初めて知った。
それはありがたい。家から近い方が都合もつけやすい。
私の場合、2回目の接種が去年の10月で、半年経った4月に3回目の接種券が送られてきたのだけど、これも地方自治体によって違うみたいですね。
副反応を考慮して、連休の前に予約した。
区役所の建物の上層階が、今回の接種会場になっていた。
早めに着いたので、1階にある図書館に寄ってみた。図書館に立ち寄るのは久しぶりだ。休日じゃないと来れないけど、わざわざバスに乗ってまで来ることはないから。
でも、寄ってみるとやはり本好きの血が騒ぐのだった。
「今日返却された本」のコーナーを見る。大体人気のある本が並んでいるので、人が返した本であっても、(ふむふむ、面白そう)と、私も興味を抱ける。
興が乗って、奥のコーナーまで足を向けてみた。小説、歴史、宗教、実用書。旅行記の棚もある。
何冊か手に取ってはパラパラとめくり、棚に戻す…という作業を繰り返して、ふと
(……むむ?)
と兆しを感じた。
本好きの皆さん、ありません? 「図書館と本屋でトイレに行きたくなる」というジンクス。あ、大きい方ね。
私、あれ割とバッチリ当てはまっていて、本を選び始めると大体トイレに行くことになる。
で、本を置いてトイレを探したんだけど、1階のトイレはずらっと並んでいた。他の階のトイレを探したんだけど、土曜日午後の区役所だもんで、閉鎖されたガラス戸の向こうにトイレの表示があったりして、右往左往する羽目になった。
2階に行って3階に行って、結局1階に降りて並び直して、無事用を済ませました。
図書館なんて行くの、ものすごく久しぶりなのに、身体はしっかり反応する不思議。
そうこうするうち時間が来たので、該当階へとエレベーターで上がった。
入口で係の人が立っていて、
「ご予約ですか? 〇番窓口で受け付けをどうぞ」
と誘導してくれる。
窓口へ行くと、
「お名前をお願いします」
「小谷朔です」
「今日は何度目の接種ですか?」
「3回目です」
「確認します、お待ちください」
と手元にある書類を確認し、
「ハイ、確認できました。ではこちらをお持ちになって、〇番の椅子にかけてお待ちください」
と言われた。
以前の大規模接種会場と同じく、何もかもが非常にシステマティックで、無駄がないように進んでいく。ベルトコンベアーに乗せられているように感じるのも同じだ。
窓口をいくつか経て、看護士による問診と、ドクターの問診とがあり、最後に注射が待っている。
「どちらの腕がいいですか?」
「あ、左でお願いします」
「ハイ、じゃあ、アルコール消毒しますねー。ちょっとチクッとしますよー。ハーイ、終わりました。お疲れ様です」
で、終わり。
ぶすーっと直角に針を突き立てられた割に、痛くなかった。上手なドクターでよかった。
終わると、最後の窓口で
「〇分まで待機してもらって、何もなければ帰っていただいて結構です」
と言われる。
前の会場では、係の人が時計を見て
「ハイ、では、〇番から〇番の方、帰って結構です。お疲れ様でした」
と指示するまで待って、皆ぞろぞろと退出したもんだけど、今回はそうでなく、なんかもう時計を見て各自帰る感じだった。
受付してから退出するまで40分弱。
1階に降りると、来たときの晴天が嘘のように、さぁぁ…と雨が降っていた。
急ぐわけでもないので、もう一度図書館に寄った。連休だし、本でも読むかな、と数冊借りることにした。
1冊目を手に取ったときは、(3冊くらいにしとこう)と思うのに、3冊選ぶと4冊目、4冊選ぶと5冊目を借りたくなる。
「〇〇県の地名と歴史」という大判の本が面白そうで、借りたかったんだけど、どう考えても重たすぎるので断念した。
こういうとき、車があるといいんだけど、バスと徒歩なので仕方ない。
30分ほど時間を潰すうち、雨がやんだので、借りた本を抱えて帰った。
副反応は、注射の後2~3時間ほどして現れた。
まず、注射の痕がめちゃくちゃ痛くなった。左上腕部全体が痛くて、手を上に上げられない。シャワーを浴びながらシャンプーとか無理な感じ。
当日は大人しく寝たんだけど、翌日起きてみたら、しっかり熱が出ていた。38.6℃。懐かしいこの感じ。
朝と昼とに解熱剤を飲み、夜になって平熱に落ち着いた。腕の痛みも徐々になくなり、普通の動作は支障なく出来るまでになった。
36.7℃まで下がったが、筋トレはやめといた方が無難だろう。
しかし、3回目の副反応、強く出る人が結構いるらしいですね。
私の友達は、髪の毛が抜けて、ハゲになってしまったそうだ。他にも脱毛の症状があった例を聞いた。酷い人は落ち武者状態にまでなってしまったそうな。
熱が下がらず、1週間近く寝込んだ人や、肩回りの関節が痛くなった人もいる。
なぜだか手のひらと足の裏に水疱が出来て、難儀した人もいた。
あ、ちなみに接種当日は、図書館のときだけじゃなくて、やけにお通じがよく、1日で6回も出たんだけど、それはワクチン接種と関係が……あるのかなあ。どうだろう。
分からんけど、ま、大した事なさそうでよかったです。
しかしあれから3年経とうというのに、相変わらずコロナ禍のままで、また何とかいう株が流行っていて、しかもワクチン打っててもなるらしいとか。
暑くて鬱陶しくてもまだまだマスク生活が続きそうだ。
ウンザリだが、仕方ないですね。
心がざわざわするのです。
こうしてまとまった文章を綴るのは久しぶりだ。
自分用の日記も長い間書かないでいた。
書こう、という意欲が突如沸いてきたので、もう寝る体勢だったんだけど、えいっと起き上がってパソコンの電源をつけた。
実は今日3回目のコロナワクチンを接種してきたので、注射を打たれた部分が痛む。すごく痛む。でもいっときよりはマシになった。
手首も大丈夫。
なので元の通りの速さでタイピング出来ているのだが、そうなるとPCの文字変換のスピードに時々イラつく。すぐくるくる回るな。さっさと仕事しろ。
まあ、忍耐が続く限り書いてみよう。
何か書こうと思っても、心に蓋がされたようで、楽しいことを書く気になれなかった。
だけど、そのことそのものを書くには、対象が大きすぎた。書くのなら正確に捉えて書きたい。書きたいが、全体像を掴もうにも、情報が錯綜してよく分からなかったし、何より事情に疎すぎて、確信を持って言えることがなさすぎた。
ただ、状況が日々悪化していくことだけは分かった。
そう、ロシアのウクライナ侵攻だ。
以下、ロシアやウクライナに関してさして知識もない、日本の一般庶民の感慨だと思ってお読みください。
まとまりやオチはないことを前もって申し上げておきます。
なんか、情勢がキナ臭くなってきたな…とは感じていた。ロシアがウクライナに対して軍事侵攻するらしい、と。
アメリカがそう言うのなら、信憑性は高いのではないかと思ったけれど、
「実際兵を出して軍事侵攻する可能性は低いと思われます」
と言ったどこかの専門家のセンセイの言葉を信じて、
(まあ今どき戦争なんかするほどロシアもバカじゃないやろ)
くらいに思っていた。
ところがその翌日か翌々日くらいだった。実際の攻撃が始まったのは。
あのニュースは、大変なショックだった。
爆撃を受け、泣きながら逃げ惑うウクライナの人々。鮮やかな映像が、今この瞬間、リアルタイムのことなのだと否応なしに思い知らせてきた。
これまでも、海外の紛争のニュースは何度も聞いてきた。が、やはり遠い異国の出来事であって、もちろん心を痛めはしたけど、対岸の火事に過ぎなかったのだと思う。粗い映像や、ツーテンポくらい遅れたレスポンスなどが、現地とこちらの距離を示していた。あれは、日本国内のお茶の間でテレビを見る私たちにとっては、安心できる要素の一部だったのだと、今なら分かる。
でも今はそうじゃない。SNSが発達し、誰もがスマホで目の前の出来事を投稿でき、インパクトのあるニュースは世界中に拡散する。
今や、「遠い異国の地」は存在しなくなったのだ。
自分の暮らす街に、ある日突然ミサイルが飛んできて、建物が破壊される。友人や家族が死ぬ。爆撃を避けて地下で避難生活を過ごす。
もし今現実に自分の身に起こったら…と思うと、恐ろしく、憤ろしく、こんなことは到底許されることじゃない、と涙がこぼれる。
(軍事侵攻はないって言ったやんー!!)
と専門家のセンセイを責めたい気持ちになるけど、大方の予想を遥かに超えるほど愚かだったのはプーチンのアホで、センセイじゃない。
まさか21世紀のこの時代になって、また戦争の勃発を目撃することになるなんて。
前時代の愚かな遺産として、20世紀に置いてきたのではなかったか。
世界中から非難されようとも、プーチンは一向にウクライナ攻撃の手を緩めない。
悪いのはウクライナ政府で、ロシアはウクライナ市民を救うために軍隊を差し向けたんだと。侵略者って本当に、言うことが同じだね。DVする配偶者そっくり。
こういうときいつも思う。今手元にデスノートがあったなら、と。
だが、悲しいかな現実世界にデスノートは存在せず、愚かな攻撃が拡大していくのを目にしながら、手をこまねいているしかないのだ。
ソ連は倒れ、ゴルビーが民主化政策を行って、ロシアは変わったのだと思っていた。ロシア人YouTuberが日本語でチャンネルをやっているくらいだ(私も登録している)。
だけど、そうではなかったのだな、と思った。
スターリンの系譜は脈々と受け継がれていたのだな、と。
所詮、そういう国なんだ、と。
もう一つ、ガーンと頭にくらったショックが、
(これじゃ、ヒトラーが出てきたときと同じじゃないか…)
というものだった。
第一次世界大戦で敗戦国となったドイツで、突如として現れたヒトラーがナチスを作り、国同士の約定なんかすべて無視して侵略行動を始めた。あの当時も、他国は非難したけれど、ヒトラーを止めることは出来なかった。
もう二度と世界大戦を起こさないために国際連合が作られたはずなのに、
「ひとつの国が国際法を無視した侵略行動に出たら、どうやって止めるのか」
という宿題は、何一つ解決されないままだったんだな、と。
なんてこった。
戦争ばかりやってた20世紀と違って、人類は少しは賢くなったのかと思ってたけど、勘違いだったのか。
ただ、もちろん全く同じというわけじゃない。
何しろ今はSNSという発信手段がある。だからこそゼレンスキ―大統領もそれを駆使してウクライナの現況を世界中に伝えている。
ナチスの台頭を許し、ユダヤ人のホロコーストを招いた大きな要因の一つには、周りの人々の「傍観」がある。
日々連行されるユダヤの人々がどうなるのか、皆、薄々知っていた。だが、何もしなかった。ユダヤ人でなければ、自分ごとではなかったから。
ナチスの凶行が白日の下に晒されたのち、彼らは世間から冷たい視線を浴びることになった。
同じ轍だけは踏むまい、と思うのだった。
ウクライナの受難は、決して他人事ではない。
困っている人たちのために、今私に出来る限りのことをしよう、と。
て言うかですね、全然他人事なんかじゃないんですよ、実際。
隣の隣があんな国ですからね。
世間が何か大きな出来事で騒然となったとき、100%ミサイル撃ってくるの、なんなん?
「ボクのこと忘れないで!!」てこと? なんちゅーイヤな構ってちゃんや。
大体髪型変すぎるやろ。いっそヅラだと言ってくれる方がスッキリするわ。そんでどう見ても太りすぎやし。脂肪肝が悪化して〇んでしまえ。
大体プーチンも、こうなったから言うわけじゃないけど、私は元々大嫌いだった。絶対イイ人じゃないよ、あの悪党ヅラ。さすが元KGB。ロシアでは支持率80%超えと聞いて、余計気持ち悪かった。そんなことあり得んで。普通。
まあ私の個人的な好みはさておき、プーチンも、北の四角い頭の人も、世界平和にとって大いなる脅威であるには違いない。
世界全体も平和であるにこしたことはないんだけど、とりあえず日本国内の平和は保たれていて欲しい。
というわけで、そこを踏まえて、こないだの参院選も票を投じてきました。
今回の結果は、(うむ、まあ、こんなところか)という感想でした。
やれることをやっていこうと思う。
見るのが辛いニュースばかりで、めげそうになるけど、元気出していきましょう。
T・F・C・C
こんばんは。閲覧いただきありがとうございます。
春はもうすっかり去り、梅雨目前になってきましたね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
お陰様で、手はよくなってきました。
完全じゃないけど、痛みはかなり軽減されてきた。
手の痛みが段々と酷くなって、まず訪れたのは行きつけの婦人科クリニックだった。
子宮筋腫でお世話になったクリニックだが、元々更年期の症状でも相談に乗ってもらっていたからだ。
「確かに、更年期で手首から先や手の指に痛みが出る方は少なくありません」
と言われた。
「エストロゲンが減少して、関節が動きにくくなったり、痛みが出たりすることはあります。ホルモン補充療法を試してみますか?」
と聞かれたので、
「是非」
と答えたのだった。
飲むやつと、塗るやつと、貼るやつがあるんだって。
「貼る薬があるんですか!?」
と驚いて尋ねると、
「そう、下腹部に貼っとくんです。そこから吸収して、体内のホルモン量が一定に保たれるんですね」
だそうな。へえー。
私は塗るやつを出してもらった。エストロゲンジェルというやつで、腕全体に塗るというものだった。
それと、「エクオール」のサプリを市販で買って、まずは様子を見てみた。
エクオールは効いた。と思う。飲み忘れると、てきめん手首が痛くなったからだ。
エストロゲンジェルの方は、(……うーん、効いているといえば効いているような…?)という感じだった。
試しに塗らないでみたりしたけど、効果の違いはエクオールほど感じられなかった。
しかし、エクオールを飲んでいても、手首の痛みは段々と悪化していくようだった。
「捻る」動作が痛いので、ドアノブを回すのも、ごくごく慎重にしなければならぬ。この、「利き手を捻る」動作を封じられると、出来ないことがいくつもあるのだった。水道の蛇口をひねる。髪を洗う。フライパンで炒め物するときだって、右手で中のものをひょいっと引っ繰り返したりしていたのをやめて、ちまちま菜箸でかき混ぜねばならぬ。
電車のドアを触って、びりっと静電気が走って思わず右手を振り上げてしまったときは、手首に細い釘を打ち込まれたような痛みが襲い、雷に打たれたようにその場で立ちすくんでしまった。
で、先日整形外科を受診してきたわけです。
婦人科の処方で効かなければ、整形外科に行こうとは思っていた。関節の痛みなのに、なぜ最初に整形外科に行かなかったのかと言えば、整形外科の医師にあまり信を置いていなかったからだ。
整形外科に行くと、まずレントゲンを撮られる。そこで異常が見つかれば、大抵湿布を出されて終わりだ。異常が見つからなかったら、
「骨はどうもなってないですよ。使いすぎか、加齢によるものか、そんなところでしょう」
と言われて、やっぱり湿布を出して終わり……ということが多いイメージだった。
というかね、レントゲンで異常がなければ、患者に興味を失ったように感じられるんですよね。全部じゃないけど、一部のドクターは。
ここ数年で整形外科を訪れる機会は何度かあったけど、うーん、勝率は5割を切る感じだ。
なので、手が痛くても、即「整形外科に行こう!」とはならなかったのだった。
まあでもこれは、整形外科に限った話ではない。どの科であっても、いわゆる「ハズレ」の医師は一定数いる。
医療業界の端っこにいたことがあるので、余計にそう思う。「病」あるいは「患部」にのみ興味があって、患者本人の気持ちや生活には無頓着、というドクターもいる。
「何を言うか! 医術は仁術、いついかなるときも患者に寄り添って治療を行なっておるわ!!」
とお怒りになる医療関係者ご本人、あるいは家族の方がここを読んで、不快になられたら申し訳ない。そのまま、その素晴らしい治療でたくさんの患者を救ってほしいと思う。
だけど、多くの人は一患者として医師と接するわけだ。これまでで、一度もハズレの医師に当たったことがない…という幸運な人は、どれだけいるだろう。
これについては、色々と思うところがあるので、機会があればまた改めて書きたい。
整形外科に行くにあたって、私なりによくよく吟味して選んだ。
比較的通いやすい距離にあること。ドクターが若く、熱心な医師であると感じられる何かがあること。
そんで、こないだ行ってきたんだけど、幸いなことに当たりのクリニックだったらしい。
男性のドクターは若かった。ホームページのプロフィール写真よりちょいと乱れ髪で、寝癖がついているのかどうか微妙なラインだった。早口で喋って、オタクっぽかった。だがそこが、ドクターとしてはかえって好印象だった。
「TFCC損傷ですね」
と診断された。で、資料を示して丁寧に説明してくれた。私も色々ネットで自分の症状を調べて、(これだろうな)と見当をつけていたので、知ってはいたけど、おとなしく説明を受けた。
TFCCとは、手首の小指側に存在する三角形の靭帯である、らしい。要は、そこが損なわれることで、強い痛みが起こるわけだ。
痛みの原因としては、手首への強い衝撃や、関節への過剰な負荷の繰り返し、あるいは加齢ということで、私はてっきり加齢が該当するのかと思っていたけれど、私はまだそれほどの年齢ではないらしく、
「何か特別なことをしましたか?」
と繰り返し聞かれた。
いや、特別なことをした覚えはない。ないけど、よく考えたら、「手首への過剰な負荷の繰り返し」が該当するかもしれん。元から身体をよく使う職種であるのに加えて、趣味の筋トレでバーピージャンプやらプランクやらやっていたし、今年の1月はお菓子を作りまくったりしていた。それプラス更年期、ということなのかもしれない。知らんけど。
「治療法としては、保存療法ということで、サポーターで固定して様子を見るという方法がありますが、」
「あ、いえ、ちょっと職業柄それは難しいですね……」
「そうですか……注射もありますが、イヤですよね? 痛いですしね」
「効きますか?」
「効きますよ。ただし、注射そのものが痛いですけど」
「効くのなら、注射してください」
と私は頼んだ。注射は痛いと言ったって一時のこと。が、私が我慢しているこの手首の痛みは、もうずーっと続いている。一時どんなに痛くとも、少しでも日常の痛みを取ってくれるなら、試さない法はない。
「分かりました。……痛いですよ?」
とまた言われた。ここまで言われるのなら、よっぽど痛いんだろうな、と思った。痛みには強いタチだと思う。予防注射などでは痛いと思ったこともないけれども、手首とか末端の注射が痛いことも知っている。
注射は、患部へぶすっと針を突き刺しての注射だった。確かに痛かった。
「ああ、でも、液が漏れてますね。間違いなく、靭帯に穴が開いてますね」
と、注射しながらドクターが言った。
そっか、靭帯って、穴が開くんだ…と私は思った。
ドクターが念押しして言った通り、注射は痛かったが、効いた。
箸を使えるようになった。料理も出来るようになった。ありがたい。
こうしてパソコンでキーボードを打つことも出来る。前みたいに超長文を一気呵成に書き上げたりしなければ、何とかなりそうだ。
ということで、ぼつぼつ再開しようと思います。
つい数日前、(あああーーー文章が書きてえ!!!)と心の底から湧き上がるような思いに襲われた。多分、ずっと我慢していたのがもう吹きこぼれたんでしょうね。
亀更新かもしれませんが、よろしくお願いします。