おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

世の中こんなもんだ、と噛みしめた夜。

 改札を出る前に、(ICカードにチャージしようかな)という思いがよぎって、ちょっと迷った。

 だから、改札を抜けるのと同時に券売機の方向へ目を向けたのは、私にとって自然ななりゆきだった。

 私がそちらを見るのと同時に、小柄な男性が、頭頂部をこちら側に見せながら、DVDの巻き戻し映像みたいにおっとっとっと……と数メートルかけて倒れ込むのが見えた。若い女の子の身体にどんっと当たって、床に座り込んだ。

 一瞬のことだったので、2人が連れなのかどうか分からなかったが、私の足は勝手にそちらへ向いていた。

 男性は……というか、うーん、薄汚れた作業着を着てたから「おっちゃん」で差支えなかろう。おっちゃんは、柱のところで座り込んで、じっとしていた。

 女の子は券売機で切符を買いながら、そちらをチラチラ見ている。困ったようで、でも心配そうな表情。

 私は近づいて、女の子に

「大丈夫ですか?」

と聞いてみた。大丈夫、と頷いたので、続けて

「お連れの方ですか?」

と聞いた。違う、と言う。

「なら、駅員さん呼びますね」

 改札のところへ戻り、係の駅員を呼んだ。

 駅員はすぐに改札から出て、処置に当たってくれた。

 酔っ払いなのか、具合が悪いのかは分からなかったけど、今から電車に乗るその女の子はきっと家に帰るところだろう。

「後はもう、大丈夫だと思いますよ」

と声をかけると、ほっとした表情で、

「ありがとうございます」

と笑顔になり、改札へ消えていった。




 これが呼び水になったのか。

 駅のロータリーで並んでバスを待っていた。向こうから、白杖をこんこんつきながら覚束ない足取りで歩いてくる男性がいた。70は出ているように見えた。

 多分、会ったことがある……というか、何度か見たことのあるじいちゃんだった。

 以前も、同じようにこんこん杖をつきながら歩いていた。点字ブロックに添って進んでいて、しばらく離れた先に、立ち止まって話し込んでいるカップルが見えた。カップルは点字ブロックのちょうど上に陣取っているのだった。

 放っておいても、じいちゃんに気づいて場所を移動するかもしれない。でも、彼らはじいちゃんに背を向けておしゃべりを続けていた。気づかず、じいちゃんがどーんとぶつかってしまう危険性が、割とあるように思えた。

 私は、そのカップルに近づいて、

「あのー、ここ、向こうから白杖の方が歩いてくるので…」

と注意喚起を行った。

 すぐに気づいて、

「あ、どきます」

とどいてくれた。

 だから、じいちゃんは我々の存在は気づいていないと思う。

 まあともかく、私は見覚えのあるじいちゃんだったわけだ。バス停の前を通り過ぎたと思うと、戻ってきた。

 ちょうど、待っていたバスが来て、皆乗り込み始めていた。私も乗り込んで、椅子に座った。搭乗口の真ん前にじいちゃんが立っていた。どうやら、このバスに乗りたいらしかった。

 じいちゃんはまっすぐにつっきって、並んで待っていた人たちの列を無視して自分が乗り込んだ。後の人は抗議もせず、譲ってあげたようだった。

 乗ってきたら、席を譲ってあげねば、と私はじいちゃんを見守っていた。

 じいちゃんは、手にしたカードを搭乗口のカードリーダーにかざして、ピピー!と拒否されていた。本来かざす場所ではなく、斜め45度上に場所にかざしては、ピピー!と警告音が響いているのだった。何度鳴っても、じいちゃんは諦めず、もう一度かざしてはピピー!と拒否される、という作業を繰り返していた。

 後ろにはまだ、ずらりと並んでバスに乗りたい人たちが待っていた。

 私は見かねて、席を立ち、じいちゃんのカードを見た。交通系ではなく、福祉関係のカードのようだった。多分、降りるときに運転手に見せれば降りられるやつじゃなかろうか、と思われた。

「あのー、カード、違うみたいですよ」

と声をかけてみた。

 じいちゃんはこちらに顔を向けず、横っちょを向いたまま、

「このカードや! わしはいつもこれで乗っとるんや!」

と譲らず、またしても間違った角度でそのカードをかざして、

「ピピー! このカードはご使用になれません」

と無機質な電子音声で拒否られていた。

 もしかして角度の問題かもしれん、と、私はじいちゃんの手を取って、カードを当てようとしてみた。が、カードリーダーに近づくと、じいちゃんが勝手にまた斜め45度にしてしまうのだった。

「ダメみたいですよ」

ともう一度言ってみたけど、じいちゃんは横を向いて、ぶつぶつ文句を言っている。

 手がなくなったので、私はすごすごと元の席に戻った。

 すると、じいちゃんもそれなりに空気を読んだのかどうか、そのままバスの車内に乗ってきて、優先席に座り込んだ。

 すかさず、運転手が

「降りるときにもう一度やってみましょうね」

とアナウンスした。

 運転手さん、ならもっと前にソレ言ってくれよ……と思ったが、私は黙って座っていた。

 何も声をあげず、大人しくじいちゃんを待っていた後ろの人たちが、続々と乗り込み始めた。



 降りるとき、偶然にも、私と同じバス停でじいちゃんは降りた。

 降り口のカードリーダーにかざすと、運転手が何か操作をしたのか、ごくスムーズにピッ!と鳴って、そのまま降りることが出来た。

 続いて私が降りたのを、じいちゃんは知らないはずだったけど、

「だからこのカードで乗れるんや。なんやあのお姉ちゃん間違ったこと言いよって…」

とまだ文句をタラタラ言っていた。

 うーん、これは私のことを言ってるんだろうな、でもごめんじいちゃん、「お姉ちゃん」じゃなくて割と大ババなんだ…と思いながら、私は反対方向へ歩き始めた。




 それにしても、と今しがたの出来事を私は振り返った。

(私のしたことは、誰からも喜ばれなかったな)

と。

 一応、後ろで待っている人たちのことや、じいちゃん本人のためによかれと思って、手助けしようと動いたわけなんだけど、当のじいちゃんは最初から最後まで文句言ってるし、後ろの人たちからしても、(なんや横からいらん口出しするから余計時間くったやないか)と思っているかもしれん。

 降りるとき、運転手は私の存在を認識していたかどうか分からないが、無言だった。なんか一言あってもよくない?と一瞬思ったんだけど、

(いや、でも、私が余計なことをしなければ、もっと早くアナウンスして、事態はおさまったかもしれない)

と考え直した。

 じゃあ、私は何もせずじっとしていればよかったのかと言えば、うーん、でも、目の前であんなことになっていれば、やっぱりまた私は口を出してしまうだろうと思う。

 で、

(ま、世の中そんなもんやな)

と思った。

 目の見えないじいちゃんが、周りに気を遣いまくって生きなきゃいけない、とも思わんし。多少周りに迷惑なことがあっても、仕方ないというか、ああいう感じになったら、その場に居合わせた人の中で、一番お節介な性質の人が、関わりを持つように出来てるんだ。

 その挙句、その人の親切が空回りした形になって、誰からも特に感謝されなくて、なんだか割を食うことになっても、多分、そういう「ちょっとお節介な人」もこの世の中に必要なんじゃないかなあ。

 今回は私がその役回りになったけど、また違う立場に立つことだってあるかもしれないし。



 もしかすると、面倒なことに関わりあいになるのを避けて、何も口を出さず、傍観者に徹する、というのが、一番賢いのかもしれない。

 でも、私にはそれは出来ない。その方がストレスに感じるだろう。

 



 ということで、

(ま、世の中こんなもんやな)

というのが、今夜の私の感慨だった。




 信号待ちをしていて、ふと気づくと、足元に蟻の大行列ができていた。

 3㎝くらいの幅の行列が、2m以上繋がっている。

 どんな大物を見つけたんだ君たち!?とワクワクしたが、獲物を見つける前に信号が青になってしまった。

 腰を折って、道路を凝視しながら、蟻の行列の行き先を辿るというのは、さすがに47歳の行動としては奇行が過ぎる……と、断念した。

 蟻たちの獲物に未練を残しながら、青信号を渡った。



 世の中こんなもんだ。

 うん。

おっさんずラブ第四話② 第三の男

 さて、物語冒頭から、

・同性の上司に突然告白される

ルームシェアの同僚に突然キスされる

 等々、思いもかけない様々なハプニングに見舞われては、そのたびに右往左往してきた春田。

 第四話に至っても、春田の生活に「安穏」という言葉は登場しない。

 そう、表題の通り、これまでよき上司にして、時に的確なアドバイスをくれる相手だと思っていたメガネの武川主任が、「第三の男」として浮上してくるからだ。



 

「週末、ちーちゃんと夢の国に行ってきます」

 という報告まではよかったものの、そのために牧に仕事を押しつけたことが分かり、またもモンスターぶりを発揮するマロ。

「お前なあ!」

と怒る春田に対して、

「働き方革命って知ってます?」

ワークライフバランス

と知ったか顔で煙に巻いた挙句、マイマイにかばわれて

パワハラだ…」

と被害者ヅラで逃げ出す始末。

「はぁぁー!?」

 という、ここでの春田の苛立ちはよく分かる。

 誰だって気持ちよく仕事したいが、話の通じない相手というのは残念ながら、どこの職場にもいるもので。

 その場を見ていた人が、こちらの立場を理解してくれるならまだしも、理不尽な相手の味方をしてこっちを諫めてきたりなんかしたら、イライラも倍増しちゃうよね。

「おかしいでしょ!」

と吠えずにいられない春田だが、

「今週の新規物件です」

とアッキーにファイルを差し出されると、

「あ、ありがと」

と普通に受け取る。

 ここ、アッキーに八つ当たりしたりしないのはさすがだね。

 温厚な春田らしい。




(なんだよ。どいつもこいつも面倒くせェッ…!!)

 牧のお弁当を食べながら、憤怒の形相でパソコンに向かう春田。

 とそこへ、武川主任が現れる。

 背後から春田の肩を抱き、マウスを操作する手に自分の手を重ねて、

「そこの区分は木造じゃなくて鉄筋だろう」

 春田はこれ、新規物件の情報を入力しようとしてたんですかね。構造の情報が一部間違っていた、と。

 これまでごく普通に上司と部下として接してきたのに、突然のこのゼロ距離に戸惑う春田。

 春田の顔のすぐ隣に主任の顔がある。

(なんだ…?)

という疑問を顔一杯に表しながら見つめても、テキは動じず、ニッコリと笑って

「何年使ってんだよこのソフト」

と親し気に肩を抱き続ける。




 この後も、大した用事でもないのに何かと呼びつけられ、意味もなく距離を詰められる春田と武川主任の攻防が可笑しい。

 中でもやっぱり、一番笑えるのがトイレのシーンじゃないですかね。

 春田が席を立つと、さりげなく後をついてくる武川主任。

 用を足す春田の隣に立って、気づくと春田の身体のどこかを凝視している。

 カーン!という効果音と、民にはおなじみの、あのミステリアスというかユーモラスというか、コミカルなタンゴのBGM。

 

(春田M)――偶然にしては多すぎる連れション……



 この、ナニかをじっくり見定めている政宗の心情、アテレコしようと思えばできるのですが、どう頑張ってもお下品な下ネタになっちゃうのでここではやめときます。

 ハイ。




「職場での関係と思いきや突然豹変した男」として、まさしく武川さんは春田にとって「第三の男」なわけだ。

 で、もちろん、我々視聴者にとっても、春田を巡る恋のバトルに参戦してきた「第三の男」でもあったわけで。

 この時点では、まだ牧の元カレとも明かされず、当て馬なのかライバルなのか、ジョーカー的存在だった武川主任。

おっさんずラブ」の成功の秘訣はなんと言ってもキャスティングの妙だと、このブログでも何度か言及しているけれど、眞島秀和という演者のお陰で、武川政宗という男、このドラマの中で実に得難い存在感を放つことになる。

 春田も部長も牧も、このドラマになくてはならない存在であることは言うまでもないけれど、武川主任asまっしーも、抜きには語れない重要なキャラだ。

 



「なんで全角と半角が混じってんだ? おかしいよな?」

と言いながら、またしても春田の背後から回り込んでパソコンの画面を覗き込む、のみならず、なぜか春田の顔に近づいていく主任の顔。

 

――神様、この状態を僕は、どのように解釈したらいいのでしょうか!?――



 春田の困惑は分かる。

 分かるがしかし、いくらちずに

「春田ソレ、モテ期だよ!」

と言われたところで、なんで「武川さんが自分に気がある」と真に受けるのか春田?

 ここまで、

「同じ職場で働く同性が訳分からん行動に及んだ」=「自分に気があった」

という図式が成り立ってきたから、3番目の男である武川主任もそうだと思っちゃったのか。

(いやー違うんじゃね?)

と心の中でツッコミながら、この物語のテンポ感を楽しんで見てましたなあ。




 成功したドラマに共通しているのが、

「脇役に血が通っている」

 ということだと思う。

 武川主任は、この後メインの3人の傍らにいつもいて、お話にがっつり絡んでくるポジションだ。そして、時に春田と牧のラブストーリーを進める上でのかき回し役にもなる、重要な役どころだ。

 つまりは、制作サイドからすると「都合がいい」コマの一つでもあるので、ともするとキャラの造形が「典型」になりがちでもある。

「あーいるいる! こういうヤツ!」

 という共感は、視聴者の興味を惹きつけることが出来るが、匙加減を間違えてやり過ぎると、キャラがいかにもな「テンプレ」で成立してしまって、しらけてしまう。

 眞島さんの、時に過剰なほどの情熱溢れる演技や、凄みのある流し目、なんとも言えない「楽しそうだなぁ~!」の表情etcによって、武川主任の存在感も、視聴者の心に強いインパクトを与えることになった。

 まっしーありがとう!




 にしても、第四話の武川主任、春田を翻弄するのが楽しくてしょうがないみたいにイキイキしてますね。笑

 トイレのくだりも笑えるけど、もう一つ、蝶子さんに突き飛ばされてすってんころりんした春田の肘を無理くり消毒するくだりも可笑しい。

「俺がやってやるよ」

「イヤなのか?」

 で、消毒液したたーっからのピンセットでガーゼぐりぐり!がさあ。

 アレやられて、

「いたたたた!」

と悶えながら、なんで(この人もオレに気があるのか…)と思えるのか。

 うーむ、はるたんの思考回路も謎と言えば謎。

コンフィデンスマンJP ロマンス編

 今年は寒の戻りがきつい。暖かくなって、やれやれもうこのまま一直線に春だろうと思いきや、すぐにまた寒さがぶり返す。

 冬と春のせめぎ合いが激しいですね。

 今日は夕方からえらく冷え込んで、風が冷たかった。




 私は出不精だ。

 仕事が激務の上、殺人的な人手不足なので、休日は非常に貴重なプライベートタイムと言える。

 溜まった家事を片付け、買い出しに出かけて食糧を調達したり、ジョギングに出かけたり、アクティブに過ごすのが望ましいのは分かっている。

 分かっているが、ついつい(いやでも『休日』って休むための日だし…)と心の中で言い訳をしつつ、家の中でダラダラ過ごすことが多い。なんなら座りっぱなしでずーーーっとパソコンとテレビ見てる。

「絶好のお出かけ日和の休日に家から一歩も出ない」

なんてこともよくやる。よくやるが、「絶好のお出かけ日和」の日、日光を1秒も浴びないというのは、背徳感と罪悪感も感じざるを得ない。

 そこへいくと、がっつり本格的にざあざあ降ってくれると、(こんな雨ならわざわざ外へ出かける酔狂な人も少なかろう)と、外へ出ない正当な理由を得た気になれる。

 というわけで、こないだの休日、いちんち雨だったので、家の中でふんぞりかえってアマプラで映画鑑賞してました。



 コンフィデンスマンJP、面白いですね。

 テレビドラマが当たって劇場版を作った場合、失敗する例も数ある、と以前も言及したことがあるけど、この制作チームはその轍は踏んでいない。

 テレビはテレビの尺、映画は映画の尺を心得て、きっちりと起承転結を作ってくれている。

 ロマンス編も大変楽しめました。




 このシリーズの根幹は「コンゲーム」だ。

 詐欺師集団が相手を信用させて、陥れる。まあ言ってしまえば犯罪映画なんだけど、面白いんですよね。大好き。

 有名どころはオーシャンズ11・12・13のシリーズか。普段はピンで稼いでいる泥棒や金庫破りやハッカーが集まってチームを組み、大物を狙うやつ。

 騙し騙され、さっきまで笑っていた人間が次の瞬間どん底に突き落とされる。リアルオセロゲーム。

 プロの詐欺師であるダー子たちが、手強い敵に挑んで、次々に技を仕掛け、ようやっと成功目前になって、実はすべて見破られていて、周りは敵だらけということが分かる。八方塞がりの四面楚歌。

 ……かと思いきや、実は……という展開が、毎度お約束なんだけど、物語運びがうまいから、まんまと騙される。

 終盤のネタばらしで、「五カ月前」からもう一度振り返って、ダー子たちが仕掛けた「仕込み」を見るわけだけど、

「え、そこから!?」

てなって、ヤラレタ!感を味わえる。

 うまいこと騙してくれると、すかっと爽快に感じるのは何でだろう。



 ダー子を演じる長澤まさみはもちろんのこと、ボクちゃんはやはり東出昌大じゃないとダメだなあ、とこの映画を見ると思う。リチャードの小日向さんも、何かと雑な扱いをされがちな五十嵐の小手伸也も。

 このチーム、バランスがめちゃくちゃいい。抜群の安定感。




 私はこういう、辛気臭くない、カラッとしたコメディが大好きで、この映画も、

「あー面白かった!」

と笑って見終えることが出来た。

 多分、制作チームもそういう作品を意図して作ったはずだ。しんどいことがあったとしても、一時それを忘れて、心から笑って楽しめるエンタメ作品。

 だけれども、残念ながら、この映画に限っては、当分その楽しみ方は出来ない。

 なぜならメインゲストの2人が、三浦春馬竹内結子だからだ。



 画面の中の彼らは、演者として申し分なく、作品に彩りを添えてくれている。いきいきと動き回り、様々な表情を見せ、ビジュアルは映画に出るのにふさわしい美しさを備えている。

 メインもメイン、ずーっと出ずっぱりだから、途中でふと、

(あれ?)

と言う気になる。

 あの悲しいニュースはもしや夢の中のことで、やっぱり明日もテレビに出るんじゃ?

 だってこんなに元気そうで、表情豊かで、光り輝いているのに?

 ……と。



 見終わって、「面白かった!」の後に、どうしても、

(2人に何があったんだ……)

と思ってしまう。

 この映画に出ていたことは偶然なのか、春馬くんのニュースが、なにか引き金になってしまったのか、それともまったく個別にそれぞれ抱えきれない問題を抱えていたということなのか。

 死者は語らない。だから、この疑問に答えが与えられることはないのだ。

 永久に。




 この映画に携わった人たちにも、彼らの訃報は衝撃をもたらしただろうと思う。同じときを共有した共演者の皆さん、スタッフ、ショックはいかばかりだっただろうか。

 どの世代の人にも親しまれ、愛された2人だからこそ、私たちはこれからも、この喪失感に耐えていかなければならないんだな……と、そんなことも考えてしまう。



 ただ、その事実は事実としてあるんだけど、映画を見ている間は、お話にとりこまれてしっかり楽しめるから、それも凄い話だ。役者ってやつは……ホンマになあ。

 この2人がメインであるが故に、ずっと見ることが出来ないでいたんだけど、それでも腹を抱えて笑っちゃったもんね。

 見て損はなかったです。

春牧小説 4

 春牧小説更新しました。

 

 

もしも春田が牧の部屋で田中圭の写真集を見つけたら 4www.pixiv.net

 

 

 春田と牧がお酒を飲みながら拗ねたりモジモジしたりしている「だけ」のお話でございます。

 この先もっと色々する予定ではありますが、今のところそれだけです。

 ハイ。

ヨルシカ「春泥棒」

 以前記事に書いたYOASOBIの「夜に駆ける」、結局めっちゃ聴いてます。

 歌詞云々の前に、ikuraの軽やかな歌声とあの疾走感溢れる曲調が耳に快く、何度も何度も繰り返して聴いてしまう。

 再生回数がどんどん伸びるのも分かる。

 

 

 ヨルシカ「春泥棒」、ちょっと前になんとなーく聴いてみて、(あ、CMで使われてる歌だ)と気づいたんだけど、そんなに繰り返して聴き込むところまではいってなかった。

 数日前にふと、「歌詞を読みながら聴く」という作業をしてみたんですね。

 そうしたら、言葉が綺麗で。

 で、(この言葉をこういうリズムに乗せる?)というのがめっちゃ新鮮で。

 特に「億劫」という言葉の使い方と揺らし方。

(うわーこれ初めて聴く感じ)と、どんどん惹きこまれていきました。

 

www.youtube.com

 

 花に僕らもう息も忘れて

瞬きさえ億劫

花散らせ今吹くこの風は

まさに春泥棒

 

花の隙間に空

散れりまだ春吹雪

 

花ももう終わる

明日も会いに行く

春がもう終わる

名残るように時間が散っていく

 

 

愛を歌えば言葉足らず

踏む韻さえ億劫

花開いた今を言葉ごときが

語れるものか

はらり僕らもう声も忘れて

瞬きさえ億劫

花見は僕らだけ

散るなまだ花吹雪

(一部抜粋)

 

 めっちゃ綺麗じゃない……?

 短くて、端的な言葉の連なりで、情景が目の前に広がって見える。

 時間の経過も分かる。

 花を見る主人公の心情の変化も伝わる。(この辺りフジファブリックの『若者のすべて』と通じる何かを感じる)

 この歌に歌われているドラマが分かるようで、季節も花の種類も「こう」と決めつけられていないから、解釈次第でたくさんのドラマが生まれる余地がある。

 余白の美。

 語尾に時々使われる文語も効果的。

 

 

 YouTubeのおかげでまた一つ美しい歌と出逢うことが出来た。

 善哉。

 

 

 大変なこともあるけど、この世界は美しい。

 コロナ禍が続くこの状況でも、若い才能がどんどん出てきて、私たちの生活を豊かにしてくれている。

 しんどいこともあるけど、音楽を聴いたりドラマや映画を見たりして、リセットすると、

「よっしゃ、また頑張るか」

という元気も沸いてくる。

 クリエイターの皆さんに感謝。

 

 

 

 

 

ハウルの動く城

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【人生のメリーゴーラウンド】

 

www.youtube.com



 ジブリの映画のサントラCDは結構持っているんだけど、この曲はNo.1に好きかもしれない。

ハウルの動く城」冒頭から流れてくるこの曲、メランコリックでもの哀しい旋律が、様々な曲調で展開されて、ぐっと心を掴む。ワルツというところがいいですよね。(まこと、人生とはワルツのようなものかもしれん…)と思わされる。

 ピアノver.だと、高音がまるで空から降ってくる雨の雫のようで、クラシックな雰囲気と合わせて、イギリスのファンタジーにふさわしいと感じる。




 この映画、一度制作の遅延で公開が延期になった。それもあり、ようやく観に行けたときは嬉しかった。美貌の魔法使いハウルと90歳の老婆になる呪いをかけられたソフィーの物語。私はキャーキャーと夢中になり、滅多にないことに、4回観にいった。この記録は、劇場版おっさんずラブまで破られなかった。

 今見てもゴージャスで、面白いですね。

 ただ、何度も繰り返し見ているとアラも目につく作品でもある。



 宮崎駿監督は、職業声優を使わないことで有名だ。海外作品の吹き替えで、(あ、吹き替えだ)と分かるあのいかにもな感じを嫌うのは分かる。分かるけど、だからってド素人にやらせることはないだろうよ、せっかく面白いのに台無しじゃん…と一度でも思ったことのない人は少ないんじゃないだろうか。

 俳優に声優をやらせるのは、成功例もあり失敗例もあり、これまた賛否が分かれている。

 ハウルの声をキムタクがやると聞いたとき、(えーキムタク?)と思った人は多かったはずだ。

 いや、でも、公開された映画を観たとき、予想以上のよさに驚いた。

 今ではもう、彼以外がハウルを演じることは考えられない。

 それくらい、ハウルというキャラクターにキムタクはぴったりとハマっていた。



 倍賞千恵子はなあ…おばあちゃんのソフィーならいいんだ。けど、少女ならやはり若い人の声を使って欲しかった。加工したっておばちゃんの声はおばちゃんなんだよね。声には年齢がくっきりと出る。

 倍賞千恵子さんの演技は何の問題もない。素晴らしい。若いソフィーもこの声でいくと決めたパヤオの判断ミスだと思う。




 好きな場面はいくつもある。宮崎映画と言えばなんと言っても印象的な飛翔シーン。冒頭、ハウルとソフィーが空中を歩く様は、音楽とあいまって、素晴らしい名シーンになっていると思う。

 あとはあそこだ。おばあちゃん2人が階段をのぼるシーン。ヒンを抱えたソフィーが

「お、重い…」

 と階段と格闘する場面、後ろ姿の芝居だけでめちゃくちゃ可笑しい。そんで、魔法を使えず歩かされている荒れ地の魔女がどんどん老けていって、汗だくになって、でも意地でのぼり続けるところね。

 ソフィーとの掛け合いも笑えるし、颯爽とソフィーを追い抜いていったときには妖艶なマダムの声だったのに、どんどんおばあちゃん声になっていって、最後

「あたしんだよぉ!」

と椅子に飛びつくところでは本当に90歳くらいの台詞で、美輪さんすげーな、と改めて感じ入る。

 あと、キングスベリーの街並みや、星の湖など、風景描写がともかくも美しい。宮崎さんの作品はいつも、アニメであるからこその素晴らしさを教えてくれる。

 水をたたえた湖の深い青と、その向こうに差す影。

 千と千尋と並んで、水の描写が美しい作品だと思う。




 キャラクターがそれぞれ、多面的に描かれているのも魅力的。

 ハウルは美貌の青年で、自分でも美しさに自信を持っている。だから、ソフィーが掃除したせいでまじないが解けて、髪が思ったように染まらなかっただけで、この世の終わりのように嘆き悲しみ、「美しくなかったら生きている意味がない」とまで言ってしまう。

 ヘタレで弱虫、自分からちょっかいかけておきながら、荒れ地の魔女から逃げ回っているし、王様の呼び出しがイヤだからってソフィーを身代わりに生かせる始末。

 まったく、しょーがねーな、と思っちゃうんだけど、いやでも、いるいる。こんな男。

 そして、力のある魔法使いであるが故に、魔力の闇の部分にも接近してしまい、もう戻れなくなる縁まで行きかけるんだけど、ハウルのそんな光と闇が物語をくっきりと彩る。




 主人公であるソフィーは、これまでのジブリ映画のヒロインとはちょっと違う。帽子屋の娘で、長女だから家業を継がなければいけない、と思い込んで、人生の色んな可能性を諦めて生きている。

 それだけでなく、妹のレティと違って、人目を惹く美貌を持たないことにコンプレックスを抱いているらしい描写もある。

 荒れ地の魔女に呪いをかけられて、老婆の見た目になってしまうが、彼女自身の思い込みもその魔法を強固にしていて、だから作品中ではソフィーの心の持ちようによって、見た目年齢が様々に変化する。

 だけれども、本来ソフィーという人は、前向きで、逆境にも弱音を吐かず、とりあえず挑戦してみようという、陽気でへこたれない性質なんだということは、おばあちゃんのソフィーの活躍を見ていれば分かる。

 コンプレックスとか諦めって、こんな風に人の性質をねじまげてしまうんですね。。




 しかし、なんと言ってもこの作品の肝は、荒れ地の魔女の造形だと思う。

 原作だと荒れ地の魔女は、怖くて悪い魔女というだけだ。それを、魔法の力で若さと美にしがみつく執着だとか、見栄とか、自分の欲望に正直すぎるところとか、およそ人間が持つ弱さを詰め込んで、お話を動かしていくトリックスターとしてだけでなく、非常に魅力あふれるキャラに仕立て上げたのが、パヤオパヤオたる所以だと思う。

 それだけでなく、ハウルもソフィーも、荒れ地の魔女の性格を分かっていて、排除しないんだよね。

 ファミリーとして受け入れ、食事を共にする。荒れ地の魔女のせいで大変なことになっても、断罪もしない。

 ラスト、ソフィーは荒れ地の魔女が手放そうとしないハウルの心臓を、取り戻そうと理を説いたり、責めたりはしないのだ。

「お願い」

と頼む。

 この辺、日本人的とも言えるのかもしれないけど、私はこの方が奥行きがあって優れていると思う。

 この点では、原作を超えたと言えるかもしれない。




 魔法があり、家族の物語でもあり、ダイナミックな飛翔があり、そしてハウルとソフィーとの恋物語でもある。

 あとはもう、パヤオマジックにかかってうっとりと映画を楽しみたいところだけど、どうにもそれを邪魔するものがある。

 物語の背後にちょろちょろ出てくる「戦争」だ。

 最初はそれほど気にならなかったんだけど、後になるにつれ、目障りで仕方なくなった。




 この戦争、どういう切っ掛けでとか、どことどこが戦争しているだとか、細かい事情は何も描かれない。

「どっちが敵でどっちが味方?」

と聞くソフィーに、ハウル

「どちらでも同じことさ」

と答える。その通り、戦争とはどちらに罪があるとかそういうものではなく、ひとたび起これば敵も味方もなく理のない破壊が進むのみである、と、そういうことを言いたいのかもしれない、と想像はつく。

 けれども、そこへわざわざハウルが出かけていって、ちょっかいをかける理由がよく分からないし、物語の筋に絡んでくる理由も分からない。

 いかにもパヤオが好きそうな、不細工な飛行機がたくさん出てくる。あの醜悪さも、戦争の象徴としてあえてそのように描いたんだろうけど、私からすると、

「いつまでも飛行機や乗り物が好きな宮崎監督の稚気」

の象徴のように思えてしまう。

 あの戦争に関わる部分、まるまるカットしたって、この話は十分成り立つのだ。

 なんだってあんなうだうだ戦争場面を付け加えたかったのか。全然分からん。

 戦争を絡ませるのなら絡ませるで、もう少し必然性を持たせて欲しかった。




 だから、お話全体として通してみると、整合性には欠けるんだな。物語としては破綻している部分が多々ある。

 ピースはすごく精巧で、作り込まれていて、魅力的なのに、当てはめてパズルが完成しても、絵の全体像がもう一つ曖昧だ。

 だけれども、パーツパーツが見事なので、抽象画として楽しめなくもない……みたいな。




 で、まあ、ここから先は批評というよりは、単なる一般のジブリファンとして私が感じたことなんですが。

ハウルの動く城」を見て、私は宮崎監督の衰えを感じてしまったんですね。

 天才と言えど、老いるんだな、と思った。物語の破綻は、「千と千尋」でも感じていたことだった。風呂敷を広げ過ぎて、回収できないまま強引にラストへと持ち込む力業。一見成立しているようで、繰り返し鑑賞していると、アラがやはり目立ってしまう。

ナウシカ」や「ラピュタ」の完成度は、もうなかった。「もののけ姫」も多少散らかっていたけど、あれは物語もそうだったし、「これもアリ」として見れた。

 でもハウルは、この取っ散らかり方は、ストーリーテラーとしては反則だろう、と思った。

 



 この散らかり方は、監督が意図してやったというよりは、当初担当する予定だったスタッフが降りてしまって、途中から宮崎さんが引き受けたとか、色んな事情があったようですが。そんな内輪の事情、悪いが観客にはまったく関係のない話だ。

  このブログに詳しく書いてあって面白かった。

 

type-r.hatenablog.com

 

 宮崎駿と言う人は恐らく、「映像研に手を出すな!」の浅草緑と同じで、世界観を作り、その中の約束事や物理法則を考えだし、奇妙な仕掛けや装置やロボットを創るのは非常に得意なんだろう。だけど、物語の整合性や全体のまとまりを考えて長編のアニメを作るには、何かが足りない人なんだろう。

 結局、「ハウル」以降、宮崎作品でわざわざ映画館に足を運ぶ価値があると思える映画に出逢うことはなかった。

 だから、私にとっては最後のジブリ作品になってしまった。

 

 

 私には、「ハウルの動く城」という映画は、テーマ曲である「人生のメリーゴーランド」と同じように、美しく、もの哀しく、きらびやかな面もありつつ、ほろ苦い味わいの映画だ。

 「ナウシカ」や「ラピュタ」や「紅の豚」みたいな、血が沸き心が躍る冒険活劇にはもう、新しく出逢うことはないんだなと思うと、やっぱり寂しい。

 

 

 それはそれとして、原作ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「魔法使いハウルと火の悪魔」は、まったく別物として面白いです。

 ファンタジーが好きな人にはおススメ。