おはようございます。
朝っぱらから記事を更新させていただきます。
さて、引越後、新しい生活にもほんのすこーし慣れてきました。
故郷とは言え、ここで「暮らす」のは、出て行って以来。
18歳で大学進学と同時に家を出たので、実に32年ぶりのことになる。
アウェーとはいかないまでも、慣れるまでは色々大変なこともあるだろうと覚悟しての帰還だった。
で、早速「洗礼」を受けておるわけです。
こないだまで私が住んでいたのは神戸。神戸というのは実に住みやすい気候の土地で、冬は暖かく、夏も過ごしやすい。いわゆる「瀬戸内気候」に属するところで、山と海に挟まれているからか、風の抜け具合もまことによろしく、お天気もよい。
降水確率60%で、「ところにより雨」とかだと、これはもう「晴れ」と同義。
台風なんかも大体それていく。
私にとっては、水が合わないというか、なんか住みづらいな、と感じる面も少なからずあった土地だけど、気候に関しては住みやすさ100点満点だった。
そして、越してきたのは松江。
帰ってきた日は晴れていたが、その後どんどん雲行きが怪しくなり、先週の月曜からはずっと雨だった。
「ずっと雨」というのがどういうことか、雨が降らない土地の人にはちょっと想像つかないかもしれない。
24時間、降りっぱなしなんですよ。それが3日、4日と続くんですよ。
つまりその間、当然だけど太陽は顔を出さない。地面は濡れっぱなし。
湿気はハンパなく、部屋干しした洗濯ものもなかなか乾かない。神戸では、サンルームのついた部屋に住んでいて、そこに干しとけばシーツでも毛布でもよく乾いた。冬の雨の日だろうと、朝干して夜乾いてないなんてことはなかった。
それが松江だと、昨日干した洗濯ものがまだ湿ってるなんてことはザラ。毛布なんて恐ろしくて今の時期は洗濯できない。
まあこれはうちが古いせいも大いにあるんですけどね。
先週1週間で日照時間は正味1時間あるかないか。
「山陰」の呼称の実態を、改めて体感することになった。
島根県て、ポーラの美肌県グランプリで3年連続1位取ってたけど、そりゃこんだけ陽が差さないんだから、みんな肌白いわけだよ。乾燥の心配なんてないし。
それより何より、寒い。寒い土地なのは承知していたけど、予想を遥かに超えて寒い。
全国の気温が15℃とかでも、うちは大体10℃切ってる。神戸では真冬でも暖房つけない日が多かったけど、松江では毎日がんがん暖房つけないと快適に過ごせない。
一軒家なので、床の温度が低い。寝るときなんか、こたつ敷を敷き、その上に敷布団、電気毛布、毛布、とこれだけ敷かないと、床からしんしんと伝わる冷気が身体を冷やして、夜中に寒さで目を覚ますことになる。
掛ける方も同様で、ニトリのNウォーム使ってるけど、アレ1枚で太刀打ちできる寒さじゃない。アレに、分厚い冬布団と、もっこもこの毛布と3枚でようやく安眠できる温かさを確保できる。
それでも、こう、布団の中に熱がこもって、手の先をちょこっと布団から出したりするじゃないですか? あんなことすれば、数秒で布団から出した部分が致死的に冷えて痛くなるので、慌ててひっこめることになる。
まあこれは、暖かい神戸に慣れていて、「暖房をかけたまま寝る」という頭がなかったからだけど、そんなわけで現代の暖房器具を駆使して安眠できる環境の確保に努めないと、おちおち寝てもいられないわけです。
電気代が恐ろしい……
それでも「いつもに比べたら暖冬」なんだって! しぇー。
そして、田舎に帰ってきて思い出したこと。
それは、「夜が暗い」こと。大阪、神戸と都市部に暮らしてきたので、夜も車通りが近く、部屋の電気を消しても真っ暗ということはなかったし、無音でもなかった。
実家は…というか、正確に言うと「生家」なんだけど、ここは近くにある道路の車通りが少なく、夜ともなればほぼゼロになる。なので、テレビやパソコンをオフにすれば、環境音以外は無音になる。電気を消せば真っ暗。私が寝起きしている部屋は、窓の外に街灯なんかもないので、本当の「闇」に近くなる。
都会だと、深夜になってもなんやかんや外もがちゃがちゃうるさいし、ちょっと出ればコンビニもやってるし、夜更かししやすい環境だった。
それが、帰ってきてからは、外がしーんと静まり返っているのに、自分だけ起きてやかましい音を立てているのに気が引けて、11時にもなれば(……寝るか)と早々と床をのべて寝てしまう。
これが、私にはとても心安らぐ環境だった。都会育ちで慣れない人だとどうか分からないけど、真っ暗で無音だからと言って別に怖いこともないし、余計な刺激がない分、すっと寝てしまう。
それと比例して、お酒を飲む量も格段に減っている。多分、元の1/10くらい。
こっちに帰ってきて一番休まって喜んでるのは私の肝臓だと思いますね。
天候や環境のことだけで言えば、大阪や神戸に住んでいた方がいいこともたくさんある。
それでも「帰りたい」と思うのが、望郷の念というやつなんですね。宮部みゆきの「火車」だったか、東京以外の土地には、出て行った人を惹きつける何かがある、みたいな一節があったと思うけど、本当にそうだと思う。
18で出て行ったときに、「いずれ帰ろう」と思っていた。大体50くらいと思っていて、いざその年齢になったとき、すっと「じゃあ、帰るか」と思った。
思っただけでなく、「帰ります」と口にしたら、色んなことがそっちの方向へ向かって動き始めた。
自分の行動を決めるのは自分の意志なんだなあと思う。
そして大切なのは、口に出して言うことだ。
新しく仕事を始めて、大変なことなんかもっともっとあるだろう。
暑い寒い雨が降るだけでなく、人口減少、過疎化、若者がいない、経済が不活化している、問題は山のようにある。
だけど、私は島根が好きで、大阪に住んでも神戸に住んでも、それは変わりなかった。
せっかく戻ってきたので、自分に出来ることをやっていこうと思っている。
引越についてもまだ書いてないことがあるので、ぼちぼち書いていきます。
これでまたすぐ数か月後に引越となったら、こないだの引越で得られた知識があるので、スムーズに無駄なく進められるんだけど、生まれ育った土地に戻ってきたので、恐らく人生最後の引越になると思われる。
…と母に言ったら、
「いや、それはまだ分からない」
とぼそっと言っていた。
そうね、人生まだこれから、先に何があるか分からないけど、とりあえずこの環境に慣れていこうと思います。
次からはリターンズの感想を書いていくよ!
ではまた。