おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

チョコレート・シャワー

 今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 親愛なるOL沼民の皆さま、先日のバレンタインデーは如何お過ごしでしたでしょうか。

 えー、ワタクシは表題の通りでございました。



 普段からよく頂き物をする職場。時節柄とあって、今月に入ってからは渡されるもの渡されるものほぼ100%がチョコレート。

 個包装のキットカット1個のときもあれば、可愛くラッピングされた有名お菓子ブランドのときもある。

 甘いものはあまり食べない私ですが、チョコレートは好きで、カカオ70%以上のダークチョコレートは常食しています。

 なので、このちょっとした「チョコレート長者」状態はウホウホでございます。

 チョコレート三昧、幸せ…(*´ω`)




 バレンタインて、「女子が男子にチョコレートあげて告白してもOKの日」だったじゃないですか。ずっと。

 別に好きな人がいなくても、この時期になると何となくお互いソワソワして、女子は女子同士でチョコレートを作る相談したりして、キャッキャ浮ついていた記憶があります。

 それを横目で見ながら、製菓業界が決めただけの宣伝を真に受けて本当に記念日として定着させてしまうんだから、日本人てチョロいよなー、とスカしていたのはワタクシでございます。ええ。

 クリスマスだってそう。

「みんな、クリスマスにはホールのケーキを買って家族で食べましょう!」

って、ケーキが売れるように製菓メーカーが呼びかけたのがまんま根づいたんですよね。

 クリスマスとバレンタインの「お菓子を買って誰かにあげる」習慣、製菓業界が商品を売らんがために唱えた宣伝だったのに、昔ながらの伝統みたいになっちゃってるのが(浅はかだな…)と感じていたし、「周りがやるなら自分もやる」という日本人の付和雷同性の象徴のように見えて、その点も苦々しく思っていた。



 そんな考えも、歳を重ねるうちに変化しました。と言ってもここ最近のことだけど。

「好きだ」という気持ちを誰かに伝えること自体は、まったく悪くない。というか、シャイな日本人にとっては、そういうイベントごとにかこつけないと、なかなか言えない感情かもしれない。

 そういう意味では、バレンタイン、ありじゃん?と思うようになった。

 クリスマスもね。ケーキを買って帰って、家族で食べてってさ、幸せの塊じゃないですか。そんな光景。

 結果、お菓子業界が潤うのだって、別に悪いことじゃない。お金はどんどん動いた方がいい。お菓子メーカーが成長してもっと美味しいお菓子を出してくれれば、私たちにも利益が還元されているというものだ。

 クリスマスにはケーキを買う。バレンタインにはチョコレートを買う。売った人も買った人も幸せ。Win-Win

 そんな風に、肯定的に捉えるようになった。

 歳を取って丸くなるのも悪くないです。



 まあでもさ、外国の習慣を持ってきて、安易にイベントごととして定着させようというの、もうちょっと考えた方がいいとは思うけどね。

 ハロウィンも、カボチャのお菓子を買って食べよう!くらいなら罪がないけど、大勢で街に繰り出して大騒ぎした挙句一部暴徒と化すとかさ、バカ丸出しじゃん。

 お菓子にかこつけたイベントの輸入、ほどほどにお願いしますね。お菓子業界のエライ人たち。

 むかーし「サン・ジョルディの日」だか何だか、一瞬流行らそうという動きがありましたが、瞬殺で消えていた記憶が。

 

 

 そんなわけで、高級チョコレートを1日1粒2粒、コーヒーと共にダバダ~♪と楽しむ優雅な日々でございます。

 バレンタイン、イイネ!(・∀・)

剛と圭

 ぐるナイのゴチ、毎週出来るだけ録画していて、見ると消すんだけど、先週の録画がなかなか消せない。

 3度4度と繰り返し見てます。「見てます」と言ってもBGM的に「流している」に近いけどね。

 理由は分かっている。

 ケイタナカ氏の同輩、綾野剛が出ていたからだな。



「剛」「圭」って呼び合ってるんですね。

 なんかそこがもう……アレなんですよ。アレってなんだ。笑 なんかこう、曰く言い難いのですが、これがいわゆる「萌え」というやつなのか。

 漢字一字でひらがな二文字の名前も好きかもしれん。「玲(レイ)」とか「優(ユウ)」とかね。ユニセックスな感じがするところもイイ。

 綾野剛氏の身体作りのためのメニュー当て、映像を見て、

「二つあったのは1コタレみたいのとかそういうこと?」

と質問するケイタナカに、

「いや、圭。まずは自発的に考えてみなよ」

ナチュラルに「圭」呼び。

 いいですね、素の感じ。普段からこんな感じなんだろうなー、と窺い知れる。

 特に積極的に絡まないところも、本当に仲がいいんだろうな、と感じられる。

 結局、綾野剛的身体づくりメニューは、豚丼+キムチの組み合わせだったんですが、去年散々「イイ身体」の持ち主ということで脱がされた田中圭氏に矢部さんが 

「田中くんも(そういう身体作りのためのメニュー)あるんちゃう?」

と振ると、

「ボクは…ないですね!」

と即答。「だろうな!」と笑ってしまったわ。この流れでも「特に意識高くない自分」を素で出せる素直さが座長の魅力ですね。

「確かに。何でも食うもんな」

とノブもしみじみ頷いていて、余計可笑しかった。ていうか座長、仲良し多いですよね。さすが人たらし。

 座長の注文した「信州黄金シャモの炭火焼き バイリング添え」、バイリング茸を「今まで食ったキノコの中で一番うまい!」と気に入ってもぐもぐ食べる姿もよき。

「肉と一緒に食べたらどう?」

と周りに勧められて、シャモと一緒に頬張った座長、

「一緒に食べても美味しいですけど、ボクは別々に食べたいですね!」

とこれまた正直に答えていて、「ぶらない」「カッコつけない」ところがカッコよかったです。

 これだから同性にもモテるんだろうなあ。



 

 順位発表の前、不意に剛くんが

「圭の字、可愛いね?」

と言い出し、座長が書いた「パスタ」の字面に注目が集まる。

 小さい声で「うるせーな。うるせーな」といなしていた座長、一同席を立ってわらわらと集まり、

「ホントだ。可愛い!」

「女の子の店員さんが書く字じゃん!」

と口々に囃し立てられて、

「え、そんな今ここで注目されるの?」

と困惑。

 いや、可愛いわ。 私の字より全然可愛らしい字やん。

 みんなに囲まれて「字が可愛い」と言われて耳を赤くして恥じらう田中圭氏35歳。

 「イケメン(あるいは美女)がいたぶられて恥ずかしがる図」って、なんかこう、普段意識しない、イケナイ何かが刺激されますね。

 綾野剛、ナイス公開処刑



 田中圭綾野剛クラスのイケメン2人が仲がいいというところがもう、何とも言えない「萌え」を感じるポイントですよね。

 大体女子って「チーム男子」が好きじゃないですか。ジャニヲタだって、推し(専門用語で言うところの『担当』というやつですね)とグループ内の誰かが仲がいいという部分を愛でる人が多いのは、「コヤシゲ」とか「テゴマス」とか組み合わせを表現する符牒があることからも明白な事実。

 で、20代の若造じゃなく、30代の「中堅」と呼ばれる年齢で、苦楽を共にしてきた感のある2人だからこその「バディ」感がいいんですよ。

 名前のリズムもいいじゃないか。

「剛と圭」でバディもののドラマ、誰かアテ書きで作ってくれないかなー。

 あ、NotBLでお願いします。

 バディものはBLじゃない方がセクシーだと思う! ※個人の感想です




 というわけで、妄想をかき立てられて、大変噛みごたえのよいゴチバトルだったのでした。

 綾野剛の「圭」呼び、田中圭の「剛」呼び、どちらも何度聞いてもいいですね…!

 美味しゅうございました。合掌。

映画「君に届け」感想

 「おっさんずラブ」はコメディであると同時に正統派ラブストーリーでもあって、そこにハマってドえらい長いド変態感想ブログをこうして続けている私だけど、普段恋愛ものを好んで鑑賞するかと言えば、答えは「否」一択になる。

 映画の録画ストックは「オーシャンズ11」「探偵はBARにいる」「レッド・オクトーバーを追え!」「シン・ゴジラ」と、見事に恋愛「以外」ばかり。後はジブリ

 200冊ばかりのささやかな蔵書も、並んでいるのはクリスティ・クイーン・ドイルの海外推理ものや、池波正太郎の時代小説や、松本清張の歴史もの、比較的最近の作家だと東野圭吾伊坂幸太郎。後はエッセイが多いかな。まあともかくも本当に恋愛「以外」。

 がしかし、恋愛ものが嫌いなわけではなく、「イタズラなkiss」をずーっと持っていたりする。

 よく出来たお話なら、コテコテ・ベタベタな恋愛ものでもなんでもどんと来い、だ。



 というわけで、表題。

君に届け」、原作コミックも好きです。実写映画も好き。よく出来てると思う。

 可愛くて爽やかな、青春恋愛映画。

 久しぶりに地上波でやったので、録画して見てみたけど、「やっぱり好きだなあ…」と感慨を新たにしたことでした。




 まあでもこれ、三浦春馬ありきの映画だよね。三浦春馬をちょっとでも好きな人なら、公開当初漏れなく観に行っているだろうね。

 主人公・爽子のセリフに、彼が演じた風早翔太を指して

「爽やかから出来ている人なんじゃないかと…」

というのがあるけど、まさに言い得て妙。

 爽やか成分120%、「爽やか」が制服を着て歩けば三浦風早になるんじゃないかと思うくらい、非の打ちどころのないキラキライケメン。

  ヒットした王道少女漫画の実写化でヒロインの相手役を張るに相応しい容姿と技量の持ち主と言えよう。

 リアルなら「かぜはや」という苗字はちょっと呼びにくいので、もっとライトなニックネームがつくんじゃないかな…とは思うけど、それはまあ些末な話。



   ヒロイン爽子を演じた多部未華子ちゃん。この人、容姿に関してああだこうだ言う向きもあるけど、私は可愛くて実力もある、いい女優だと思う。前から好きな女優さん。

 この爽子、匙加減が難しいキャラなんじゃないかと、素人ながら感じる。

 女子高生に「貞子」のニックネームがついてるって、まあまあキツイと思うんだけど、人と話すときに上目遣いの三白眼になってしまう爽子を見ると、

「あ、まあ、これは確かに……」

とビビってしまう同級生の気持ちも分かってしまう。けど、一方で(シャイで緊張してるんだな)と爽子側の事情もなんとなく見てとれる。

 肝試しの罰ゲームに「貞子と1週間付き合える権利」を設定するあたりも、なんというかイジメギリギリなんだけど、爽子のコミュ障ぶりが度を過ぎているので、

「おバカな盛りの男子高校生なら仕方ないか」

と看過出来るレベル。

「それほど美人というわけではない、普通の範疇の女の子が、クラスあるいは学年(時には全校)で有名なハイスペックイケメンを射止める」

というのが、古今東西あらゆる少女漫画が描いてきた永遠のド定番路線だけど、その「普通の女の子」がハイスペックイケメンに好かれるのも道理だ、と鑑賞者に納得させなければならないし、なおかつ、物語の主人公として共感と好感を得なければならない。

 その点でも、真面目で素直、周りの人のためになることをしようと「一日一善」をモットーに毎日を過ごす爽子、見ていてハラハラするくらい不器用で、でも天然で可愛らしい。これらの条件を難なくクリアして、初々しい爽子を演じてくれた多部未華子、やっぱりすげー実力派女優だわ……と唸らされるが、見ている間はそんなことは考えず、

「爽子、がんばれ…!」

と駆け寄って背中を押してあげたい気持ちで応援してました。

 

 

 まあでも、罰ゲームのくだりで、悪ふざけで囃し立てるクラスメイトを前に、真正面から

「やめろよ! 黒沼に失礼すぎるだろ」

「なんだよ…単なるジョークじゃん」

「笑えないんだよ。黒沼は女の子なんだぞ」

と制止するあたりは、イケメン無双だよな…と思わされましたけどもね。

 他にもちょいちょい、ただしイケメンに限る という注意書きが脳裏をよぎる場面があって、二次元と違って三次元はやっぱ強いな、と感じました。



 恋愛だけじゃなくて、友情もちゃんと描かれているのがいい。

 爽子と仲良くなる千鶴もあかねもキャラが立ってていいんだけど、あかねを演じた夏菜が印象的だった。

(あれ、すごく知っているはずの顔なのに誰だか思い出せない…)

てなって、(あっ、夏菜か!)と気づくまで時間がかかった。メイクの力もあるけれども、抑えた声音でクールなあかねを演じた夏菜の演技力の賜物でしょう。

 直情径行型の千鶴を演じた蓮佛美沙子もよかったです。

 この3人の友情がね、泣けるんですよ。。。ピュアホワイトでさ……

 なんかさ、お互いを思いやって、二心(ふたごころ)がない無私の友情って、いいよね…!と、遠い目になってしまうのは、高校時代がとんと昔になってしまったBBAの感慨というものだろうか。




 学年の人気者風早くんなので、当然ライバルがいて、当然美少女なわけだ。テキはなかなか頭も回るタイプで、爽子を応援している身からすると(んまー、姦計をめぐらしちゃって、猪口才な…!)と憎たらしくなるんだけど、そこはそれ、腐っても「君に届け」。ライバルの胡桃ちゃんも全然可愛いのだった。だって桐谷美玲だもん。あの顔と口調で

「爽子ちゃんなんか大っ嫌い…!」

て言ったって、あーハイハイ可愛い可愛い、ですよ。

 で、結局根はいい子で、最後は爽子の後押しをしちゃったりするんですよ。

 いいねいいねー。悪いキャラが出てこない優しい世界。

 メインのキャラの中で唯一の大人であるはずのピンは、高校教師の分際で「貞子の呪」の噂を真に受けるわ、生徒手帳を失くすわ、しかも謝らないわで、相当ウザいんだけど、まあ最後ピンもキューピッド的な役割を果たすからいいとしよう。

 井浦新(超好き)だし。



 ヒットした少女漫画の学園ラブストーリー、一定の集客が見込めるからか、1年のうち雨後の筍のごとくモリモリ実写化されるけど、多すぎてどれがどれか分かんないし、印象にも残らない。(出てる俳優大体似通ってるし)

 その中で、この「君に届け」はなかなか成功している作品だと思う。

 私は好きです。



 浮き世で汚れてしまった心を洗い流したい大人にはおススメ。

寒いのが好き!

 ワタクシ、表題の通り、寒いのが好きなんです。

 だから1年のうち、この季節が一番好きかもしれない。1月生まれというせいもあるんですかね。めちゃくちゃ寒い冬に生まれたらしい。母が私を産んだとき、産室の暖房が壊れていて、しかも夜明けの5時くらい。寒かったことしか記憶にない、と言っていて、私の寒いの好きはそこから来ているに違いない。生まれてからの環境で、寒さ暑さの耐性が決まる、てちょっと前になんかの記事で読んだわ。

 で、生まれ育った山陰は、冬はそこそこ寒い土地。日本海からの寒風吹きすさぶ日も多いし、子供の頃は、雪が降って30cm程度積もることもよくあった。雪って、楽しいじゃないですか、子供にとっては。そこらじゅうアミューズメントじゃないですか。

 大人になった今でも、頬がぴりっとするくらい空気が凍てついて、吐く息が真っ白になって夜空に消えていく…みたいな冬の夜が無性に好きです。

 空気が乾燥しているからビールもうまい。

 

 

 だもんで、秋が深まって気温が下がってくると、(お、そろそろアイツが来るな…カモン!!)と冬将軍を待ち構える心持ちになるんですが、これがなかなか来ないんだ。

 関西は気候が温暖で、特に今住んでいるところは本当に暖かい。過ごしやすいんだけど、ちょっと物足りないんだな。

「今日は寒くなりそうです」

という天気予報を信じて、着込んで出かけて、仕事を終えた帰り道、(大して寒くないじゃん…)とちょっとガッカリしながら帰る、ということを何度繰り返したか。

 やっとこないだから本気で寒くなりましたね。ていうかもう2月やけど。もう3月が目の前やけど。

 多分すぐあったかくなって春が来ちゃうんだろうけど、今のうちめいいっぱい寒さを味わっておこう、と思っております。

 

 

 

 

「寒いのが好き」

と言って、

「あ、私もー! いいよね、寒い季節って!」

と共感を得られることは、あまりない。

「ええっ、そうなん!?」

とか、

「へえー!」

と驚かれるか、大体そういう反応。大人だからみんな言わないけど、(変わってるなー)と思ってるらしいことは分かる。

 特にここは温暖な土地だからかな。みんな暖かいのに慣れていて、ちょっと寒波が来ると

「寒~!!」

と寒がる。「寒い」と感じる体感温度が、私と周りとで7~8℃くらい違うみたい。

 以前、それほど寒くない(私にとっては)のに周りがダウンジャケットでもこもこ着ぶくれているのを、本気で不思議に思っていた。

(なんでこんな暖かさでダウンなんか着てるんだろう…?)

で、「オシャレは我慢だ」というポイントに気づいて、

(あ、そうか! オシャレだから着込んでるのか!)

と納得した。

 それが勘違いで、みんな本気で寒いと感じてダウンを着ているのだと分かるのに、数年を要した。

 今日はそれほど寒くないな、と思って出かけて、出先で

「寒いですね~!」

と挨拶されて、

「え、寒いですか?」

と素で聞き返してしまったこともある。

 なので、外に出かけるときは、皆さんの服装をよく見て、あまり浮かないように気をつけております。

 

 

 多分、これは寒い土地出身で温暖な場所に住んでいる人あるあるなんじゃなかろうか。

 雪がよく降る土地で育つと、雪が降る寒さって、まだ寒さのMAXじゃない、と分かってるじゃないですか。問題はその後で、「道路が凍結するかどうか」によって、備えが変わってくるからだ。

 夕方雪が降って、あまり積もらずに道路が濡れた状態になって、日が暮れた後にぐっと気温が下がる夜がある。そういうとき、何の備えもなく1日を終えてしまうと、翌朝起きてつるつるに凍った道路を見て途方に暮れることになるわけで。

 この刷り込みが強いので、小雪がちらつく程度だと、「ちょっと寒いな~」くらいにしか感じないんだよね。。。

 

「寒ッ!!」

と感じるくらい冷え込むと、私はなんか、(よーし!!)とやる気が出る。

 身体動かしてあったかくなるか!と元気になる。

 基本、冷え性じゃないというのもあるかもしれん。

 

 

 ところがこの季節、感染症が流行する季節でもありまして。

 今年はアレですね。テレビをつければアレの話題で持ち切りですね。ていうかもうその話題しかやってないような気すらする。新型コロナウィルス。

 幸い、周囲ではまだ発症者の報告がありませんが、職場にもマスク着用義務の通達が来ました。

 マスクは必須、外から室内へ入ったら必ずうがい手洗いアルコール消毒。こまめにやっているせいで手が荒れてきたけど、仕方ない。

 マスクが市場から消えたり、かと思うと高額で転売されていたり、消毒用のアルコールも販売中止になったりと、色々と話題が途切れない。

 来るかもしれない、とずっと言われていたパンデミックの予行演習と思えば勉強になる、と思っていたけど、これはもしかするとパンデミックそのものになるかもしれない様相を呈してきた。

 感染したからと言って必ずしも重症化しないらしいのはいいけど、無症状のまま感染を広げる可能性のある人が一体どれくらいいるのか、把握しようがないのが不気味だ。

 とりあえず、自分にできることをするしかないですね。

 なので、前述のウィルス対策に加えて、「ちゃんと食べてよく寝る」を実行しております。

 1日の疲れをきちんと取って、翌日にもちこさないの、大事ですよね。

 

 

 ところで、大概の人が「春」という季節が好きみたいだけど、私は反対に春が苦手だ。

 別に天邪鬼で人の逆を言っているわけじゃなく、子供の頃からそうだった。

 ぴしっと凍てついて締まっていた空気が緩んでくるのもあまり好きじゃなかったし、暖かくなってぼーっとかすんだ感じになるのも、(なんかイヤ)と思っていた。

 クラス替えがあったりなんだりで環境に変化があって、ストレスを感じる季節でもあるからかな。

「春愁」という言葉を知ったとき、(そう!それ!)とめちゃくちゃ共感した。

 桜もあまり好きじゃない。

 

 

 でも、王道と違う好みを言うと、あまり芳しくない反応が返ってくることが多いので、言う相手はよく選ぶようにしています。

 一ツ目国の寓話、私には他人事じゃないなあ、と感じられる場面が多かった。

 

 

 どんなときでも、自分と違う相手に対して、「え、なんで?」じゃなく、「あ、そうなんだ~」というスタンスでいたいですね。

 色んな個性の人が、その個性を殺すことなく、のびのびと過ごせる環境が、豊かな土壌を作るのだと思います。

 

「おっさんずラブ」の奇跡④ 奇跡の座長・田中圭(後編)

 ところで、私は短い文章を書く人に憧れている。

 端的で、端正で、要点はズバリと衝いているけれど、ダラダラうだうだ言い過ぎていない文章。(昨今あまりお目にかかれないけれども。特にネットでは)

 俳句とか短歌とか、究極じゃないですか。詩もね。いいなあ、書きたいなあと思うんだけど、出来ない。

 5歳で始めた日記を今も続けているんだけど、小学校2年生のときに既に1日分を10ページ以上書く子供だったから、もう仕方ないっちゃ仕方ないですね。そういう血としか。

 特に、「おっさんずラブ」に関しては、ともかくも「全部余さず書いておきたい!」という意気込みでやっているもので、どうしても一章が長くなる。

 この『「おっさんずラブ」の奇跡』も、予定していたより長くかかりそうな気がしてきました。

 そろそろ途中でドラマレビューを挟んでいこうかな。



 本題。

 「おっさんずラブ」が成功したポイントとしてもうひとつ。

 これだけの能力を秘めた田中圭という役者の、2018年のあの時期に「おっさんずラブ」というドラマがスタートしたことが、大きな意味があったのだと私は思っている。

 あさイチで事務所の社長さんが話していましたよね。

「主演をやりたい」

という圭氏の願望。

 同じ事務所にいる先輩の小栗旬は、言うまでもなくスター俳優だ。おしゃれイズムだったかな、「早く売れろ」と度々愛のあるいじりをされていたとか。同じ事務所に綾野剛という俳優がいるが、彼も斎藤工くん同様、下積みが長かったのをたまたま知っていたので、ブレイクしたときには「よかったね!」と心から祝福した俳優さんだ。田中圭氏とも仲がいいんですね。

 そうした周囲の活躍ぶりを目にして、座長が(自分は自分)と、日々の仕事を誠実にこなしてきたことを既に我々は知っているけれども、「役者」という職業を選んだ以上、やはり内心「忸怩たる思い」とでもいうべき感情は、ゼロではなかったのではないかと推察する。

 彼自身、時折口にしていますね。

「売れたいと思っていた」

と。

 そりゃそうだろうな、と思う。

「売れたいと思わない奴がいていい世界じゃねえんだよ」

みたいなニュアンスのセリフ、マンガだったかなあ? 誰かのセリフにあったと思うんだけど、この通りだと私もずっと前から思っている。

 華やかなスポットライトを浴びることを快感だと感じる感性がなければ、あの業界では務まらないのと違うかな、と。

 そして、そのスポットライトの当たる席が、喉から手が出るほど欲しい人がたくさんいて、死ぬほど努力して、やっと末席を掴み取る人も大勢いる。

 それほどの思いでようやく世に出ても、何らかの事情で途中退場を余儀なくされることもままあるし、代わりは幾らでもいるから、再起のチャンスも与えられず忘れられていく人も少なくない、残酷な世界でもある。

「売れたい!」

と肚の底から願うハングリー精神がないと、長く生き残ることも難しい世界だというイメージが強くある。



 しかしこの、「売れる」という言葉、ひとくちに言っても色んな意味がある。ただただ注目を浴びたいという人もいれば、CMにたくさん出て稼ぎまくりたい人もいるだろうし、お茶の間で広く愛されて記憶に残る存在になりたいと思っている人もいるだろう。

 「おっさんずラブ」以前の田中圭氏だって、お茶の間に親しんでいるという意味では、十分「売れて」いたと思う。大体どのクールのドラマにも出ていたくらいだもん。ただ、「田中圭」という名前を聞いて、10人が10人とも「ああ、あの!」と間髪入れず思い出すかと言えば、それほどではなかった。そこに至るにはやはり、「ヒットドラマで主演する」ことが必要条件だったのでしょう。

 だから、

「主役をやりたい」

という願望を社長に告げた田中圭氏。しかし彼は、「売れたい」という欲求を、非常に真っ当な方法で実現しようとした。

 自分が主演する「おっさんずラブ」というドラマを、ともかくもいいものにしたい。

 主役の自分一人が注目されるのではなく、「おっさんずラブ」チーム全体が評価された上での、「主演」田中圭でありたい。

 ドラマ放映前、あるいは放映が始まった直後の座長のスタンスとしては、恐らくこういうものであっただろうと、ヒットした後の数々のインタビューから窺い知ることが出来る。



「“俳優・田中圭”のイメージは、わりとどうでもいいんです。僕が勝負すべき場所はお芝居であって、そこには役があり、僕自身は関係ない」(週刊朝日2018年11月2日号p28)

「作品に出る時に、俳優・田中圭がどう見られるか、みたいなことはあまり考えていないんです。もちろんどの作品も自分の俳優人生をかけて挑みますし、今回は特にその気持ちが強かったのですが、自分がどうのこうのよりも、『おっさんずラブ』という作品が愛されてほしいという思いの一心ですね」(TVブロス2018年8月号p18)



 このことは、田中圭をよく知る周辺の人たちも同じように語っている。

 

「人は誰でも、“うまくやりたい”と思うものですが、彼は自分以外のもののため……相手役のため、作品のため、お客さまのためにひたすら生きることが俳優のスタートラインだということに、10代からの体験で気づいたんじゃないでしょうか。だから彼には、虚栄心とか、優越感とか、劣等感とか、芝居にとって邪魔なものが一切ない。とってもナチュラルですよね。それが俳優・田中圭の最大の魅力だと思います」(週刊朝日水田伸生氏インタビューより)




 俳優という、スポットライトを浴びる立場の職業を選んだ以上、「自分」が評価されるという欲を完璧に封じ込めるのは、恐らく一般人が想像する以上に難しいことなんじゃないかと思う。素人の憶測でしかないけど。でも、「承認欲求」というもの、凡百の我々の中にも必ずあって、時には度し難い欲の発露となることは、「イイネ!」を欲しがるツイッター民・「映え」ばかり気にするインスタグラマーがうようよいることからもよく分かるではないか。

 自分のことを「ポンコツ」と言う座長だけど、「役者」という仕事に関してはストイックで、吉田鋼太郎が「あいつ、バカだなあ…と後から泣けてくるほどの役者バカ」と語るほど。

 こういう役者である田中圭を座長に頂いたことが、「おっさんずラブ」の現場に、普段には見られないエネルギーの高揚をもたらしたのだと思う。




「他のキャストのみなさんにもその場で感じたことをそのまま演じてほしいと思っていたので、そういうスイッチを入れてもらえるように1話目の撮影でわざとアドリブをふったりしました」(TVブロス

 

 この座長の仕掛けに、他のキャスト・スタッフも応える。

 

「ほぼ暗黙の了解と言いますか、僕らの共通認識として『1シーン1シーン、命懸けでやんないとダメだね』って流れには自然となっていましたね。ちょっとでも照れがあったりしては絶対ダメだと」(ザ・テレビジョン2018年10月6日号p23吉田鋼太郎氏インタビューより)

 

「『おっさんずラブ』は、その場その場で生まれる芝居を、できるだけ生かそうとしたドラマでした。(中略)彼の芝居にいちばん驚かされたのは、第7話(最終話)で、春田が牧にプロポーズする場面ですね。(中略) 圭くんが地下道の階段を上がってきた瞬間、ビリビリくる芝居がいきなり始まったんです。何の合図もなしに。そこからはもう生演奏のセッションみたいな感じで、撮影が始まりました」(週刊朝日・瑠東監督インタビューより)

 

 牧役の林遣都は、インタビュー記事があまりないんだけど、劇場版のオフィシャル本で

「牧にはもう戻れない。そのくらい出し尽くして、やりきった感覚がありました。こんなに素敵な終わり方を経験したのは初めてのことでした」

と語っている。

 同じくオフィシャル本の、田中圭吉田鋼太郎との三人対談記事では、

「この三人だと戦うことが当たり前になっていた」

というような内容を、三者三様に語っているから、毎シーン「これが最後」という覚悟を持って、命を削る芝居をしてくれたことは間違いないと思う。



 そして、メインキャストやきじP・監督たちに比べれば、表に出ることはあまりないけれど、ドラマを支えるスタッフたちも並々ならぬ熱量で「おっさんずラブ」というドラマを作ってくれたことは、オフィシャル本を読むまでもない。

 私が、(あ、スタッフも本当に優秀なんだろうな)と思ったのは、座長が何かの折に語っていたくだりを耳にしたときのことだ。

 ドラマの撮影って本当になかなかうまくいかないことも多く、キャストがノーミスで1シーンやり切ったとしても、音声やカメラ、小道具のミスで撮り直しになることも度々あるけど、「おっさんずラブ」のスタッフはそれがない、というような内容。

「その場で生まれた芝居を大事にする」と、これもこうして字にしてしまえば簡単だけど、このアドリブだらけの現場で、すべてをちゃんと記録しきっていたスタッフ、相当に「デキる」んだと思う。

 牧メモやお揃いのマグカップを用意した小道具さん、キャストのビジュアルを作ったメイクさん、愛情あふれる武蔵メシ・牧ごはんを創ったフードコーディネーターの赤沼さん、ここぞという場面でハートや涙型の光を背景にちりばめてお茶の間の涙と笑を誘った撮影・照明部のスタッフ。

 巧みなSNS使いで世間を盛り上げた江藤さんは、「おっさんずラブ」ヒットの影の立役者と言っても過言ではなかろう。

 あの下手カワな虎の絵を描いたのは助監督さんなんだそうな。そんなエピソードを読むと、

「どいつもこいつも……このヤロウ!!」

と、訳わからんテンションになって、なんか涙が出てくる。笑



 情熱と能力を兼ね備えたスタッフが、「おっさんずラブ」の現場に揃ったのも、「奇跡」のひとつだと思う。

 連ドラ化の奇跡を呼んだのが、単発版のファンときじPだとするならば、この「デキるスタッフ揃い踏み」の奇跡を生んだのは、座長・田中圭だと私は考えるのですが、どうでしょうか。

「類は友を呼ぶ」の言葉どおり、座長自身が芝居に対してストイックで誠実で、いい意味で「己」を殺して他を立てる利他心の持ち主だったからこそ、同じようなレベルの人たちが周りに集まったのではないかと。

 そして、あの爆発的ヒットを作り出すエネルギーの一部に、座長の「主役をやりたい」「もっと売れたい」という秘めたる情熱が作用したのではないかというのが、私の愚考するところであります。




 私の愚考はともあれ、田中圭が最高の座長であったことは、牧役・林遣都がこのように語っていることからも明らかだ。

 

「愛情深くて、飾らなくて、嘘がない。みんなを愛して、みんなに愛される人が現場の舵をきっているからいい作品ができる」



 田中圭が座長であることの奇跡を、極力冷静に文章にしたかったので、アゲアゲ絶賛記事になりそうな「田中圭自身がそもそもイイ人である」という部分は、あえて排して記事を書いてきた。

 でも結局のところ、その部分は大きいと思う。裏がなくて、純粋で、役者という仕事に対しては「バカ」と言われてしまうくらいまっすぐで、時にはポンコツな、はるたんみ溢れる田中圭が座長だったからこそ、周りもあれほどに結束したのだ。

 人に対しても、仕事に対しても、「好き」という感情が生むポジティブなエネルギーって、何倍にも膨れ上がりますからね。




「僕としてもこの作品で何も届かなかったら、役者をやめようというぐらいの覚悟でした。集まってくれたキャスト、スタッフには『今回は僕を信じてもらってもいいですか』という気持ちで、悔いがないようにやらせてもらった。それだけに評価された今は本当に幸せな気持ちです」(TVブロス



 座長がこの覚悟でもって取り組んでくれたから、私たちは「おっさんずラブ」という奇跡のドラマを見ることが出来た。

 毎週土曜日の夜、あれだけワクワクしてドラマを待つということも久しくなかったし、見るたびにキャラに感情移入して一喜一憂する、ということもなかった。

 ドラマが涙のフィナーレを迎えた後も、「おっさんずラブ」というドラマの熱狂の余波が世間に浸透し、コンテンツとして育っていく様を目の当たりにすることが出来た。




 あれはまさしく、座長・田中圭が生み出してくれた奇跡だと、私は信じる。

 その奇跡のお陰で、「本当に幸せな気持ち」は今も続いている。

 改めて、座長・田中圭氏と、すべてのキャスト・スタッフに感謝を捧げたい。



おっさんずラブ」を創ってくれて、

 

本当にありがとうございました!!!

「おっさんずラブ」の奇跡③ 奇跡の座長・田中圭(中編)

 我らが座長・田中圭は、「実力派」と呼び声高い俳優だ。我々一般視聴者からだけでなく、業界の仲間からも力を認められ、一目も二目も置かれて、なおかつ広く愛されている印象を受ける。

 知れば知るほど、田中圭という人は、ただ単に「芝居がうまい」だけでなく、特異なタイプの役者なんじゃないかと思うようになってきた。




 「おっさんずラブ」で惹きつけられたのは、田中圭の演技の「自然さ」だった。

 これが、言い表すのがめちゃくちゃ難しいんだ。「演技が自然」とはよく聞く褒め言葉であって、その表現自体に目新しさはない。「ナチュラルな演技が出来る俳優」と聞いて思い浮かぶ俳優・女優はたくさんいる。

 でも、「おっさんずラブ」で田中圭が見せた春田創一の演技のナチュラルさは、特筆すべきポイントだと思う。



 例えば、第一話の、武蔵の告白の直前。

 シナリオ本ではこうだ。



 デスクに戻ってくる春田。

春田M「なんだ…やっぱり俺の勘違いか。勝手に変な想像したりして、何やってんだ俺……部長にも失礼だし、自意識過剰にもほどがあるぞ」

と、何気なく日報をめくると、『本日19時、大場海浜公園にて、待つ 黒澤』とある。

春田「……えっ⁉」



 これが、実際の演技だとこう。



(デスクで『うんうん』と頷いたり顔芸のバリエーションを見せながら)

春田M「なんだ~、やっぱり俺の勘違いかぁ……部長にも失礼だし、自意識過剰にもほどがあるゾ☆」

(右手で作ったこぶしで額をコツ、と叩く仕草)



 若干ぶりっこっぽいと言えなくもない「ゾ☆」の言い方と、こぶしで額コツ、は、現場で付け加えられた演出なわけだ。座長の発案なのか、第一話を担当した瑠東監督の演出なのかは分からないけど。

 こういう、シナリオにない「付け足し」が、春田独特の可愛らしさを生んでいく。




 あるいは、第三話。

 夫の不倫を疑う蝶子さんから電話がかかってきて、「デートの尾行をする」ことになるくだり。

 シナリオ本にあるのは以下。



蝶子「7時に本社前、いいわね」

春田「あ、あの、ちょっと(待って下さい)」

 ブチっと電話が切れる。

春田「(呆然)デートって……!」




 実際の場面はこう。



蝶子「7時に本社前、いいわね」

春田「ちょ、ちょっちょちょ……待っ…」

 ブツッ ツーツーツー……

春田「デートって……(途方に暮れて)」

(春田、椅子の背に思い切り上体を倒して天井を仰ぐ。カメラはその天井から春田を見下ろすカットで)

春田「部長ぉッ!!!」



 この、シナリオにない「部長ぉッ!!!」の言い方が、絶妙に可笑しくて、やっぱり可愛いんだ。

 そして、見ているこちらに、三十歳を過ぎても「はるたん」という愛称がしっくりくるキュートな春田というキャラを印象づけていく。

 

 

「春田は部長の好意に対してNOと言うじゃないですか。でも拒絶するような態度をとれば話は終わっちゃうわけだし、その微妙な気持ちを保ちながら演じ続けるのは難しいですね」と座長はTVブロスの取材に答えて語っている。(2018年7月号p29)

 この記事を踏まえて三話を見ると、「部長ぉッ!!」の言い方に、「部長の好意に相当困っているけど拒絶まではしていない」という春田の微妙な温度が現れていて、(なるほど)と唸らされる。座長、芸が細かい…!

 この、匙加減の難しい演技を終盤までキープしてくれたからこそ、「おっさんずラブ」というドラマが成り立ったのであって、まさしく職業俳優、いや「職人」俳優である座長の面目躍如と言えよう。

 

 

 田中圭の演技の技術を言い表すのに、「自然な演技」というのは多分、ちょっとズレているのではないか。

 正確を期すなら、

「人がリアルにやる仕草・言動とは違うんだけれども、ドラマの中でやると『ナチュラルだ』と感じるような見せ方」

を心得ている、ということになるだろうか。

 多分、演技のうまい役者は大なり小なりこういうスキルを身につけているのだろうと思うけれども、田中圭は特にうまいと思う。

 そしてそのうまさが、「おっさんずラブ」では際立っている。

 


スマホを落としただけなのに」の中田秀夫監督が、田中圭の演技を評してこう言っている。

「映画の冒頭に、北川景子さん演じる彼女にプロポーズをしようと思っている田中さんが、タクシーの中からメッセージを送ろうとして、どういう文面にしようかと迷う場面があるのですが、その独り言を、『わけわかんなくなってきたな、わけわかんないぞ』とアドリブで繰り返し言われたのがとても自然で、なるほどと感心させられました」(週刊朝日2018年11月2日号p31)

 これ、映画を観ていなくとも、「おっさんずラブ」を見た人なら(あー分かる分かる)と頷いてしまう評だ。

 週刊朝日の文章は、

「田中さんはおそらく、大変理知的に、演じる役を理解しながらも、実際の表現としてはごく自然な表情、言い回しを身につけてらっしゃるのではないでしょうか。」

と続く。

 私もそうだと思う…と重ねると、映画監督と、演技のド素人である自分を並べるようでおこがましいけれども、「理知的な役者」という評は、言い得て妙だと思う。

 同じ記事で、「獣になれない私たち」演出の水田氏は、

「どれだけ深刻なシーンでも、こうすればくすっと笑えるということが、シナリオを一読しただけでわかる、すぐれた俳優だと思います」

と語っている。

「深い読解力を持つ役者」という評も、何かのインタビュー記事で見た記憶がある。



 


 シナリオの読解力、役柄の理解力、そして演技力がこれほど高く評価されている座長が、「制作側に深く影響を与えた」このことも、「おっさんずラブ」が成功した要因のひとつだと思う。

 主演を務めたことで単発版「おっさんずラブ」に思い入れがあった座長、連ドラ化に当たって、いつもはしないことながら、準備稿を見せてくれ、と頼んだのだそうな。

 このくだり、TVブロスの記事をまんま引用した方が分かりやすい。

 

「僕自身、主役を演じさせていただけることなんてほとんどないので思い入れもありますし、単発ドラマも作品としてすごく大事に作っていたので。初めは、単発ドラマを大事にするならそれこそキャストが変わるのはどうなんだろうと思っていたし、いろいろ恐れていたことがあったんです。だから、普段は全く言わないのですが、準備稿を見せてほしいとプロデューサーにお願いして。脚本家の徳尾浩司さんともごはんに行って、自分の気持ちを話しました。でも、正直な話、その準備稿が僕の中ではあまり納得できなかった。せっかく連ドラにするならいい作品にしたいので、僕なりの作品への思いや考えを正直に監督やスタッフにぶつけたんです」

「今回の作品に限らず他の作品でもそうなのですが、僕は設定でストーリーが進んでいくのがすごく嫌なんです。主役とヒロインだから恋をする、という設定や、その状況を説明するようなセリフで済ませてストーリーが進んでいくのは、『おっさんずラブ』ではやりたくないと。(中略)そのせいか決定稿では、僕自身も納得のいく形に変更していただいた点がいくつもありました」

 

 この記事を書くにあたって、「おっさんずラブ」が特集された記事や、座長始めキャストのインタビューが載った雑誌をいくつかピックアップして参考にしたけれど、TVブロスの記事が一番よかった。特に、上のインタビューが載った2018年8月号の「田中圭、いまを語る」という特集記事を読むと、「おっさんずラブ」があれほどのヒットを生み出したポイントがなんとなく見えてくる。

 座長は続けて、こう話している。引用すると長くなるので要約すると、これまでの経験で、相手の芝居を受けるときに台本のセリフと、役が入っている自分として言いたいセリフがズレることがある。基本的には演出通り、台本通り演じるのだけれど、「おっさんずラブ」ではそれをしたくなかった。役として生きた感覚を大事に演じたかったし、他のキャストにもそうして欲しくて、現場の雰囲気を作った、と。

 このことが、牧役の林遣都

「いい意味で台本を無視して、牧が感じたことをそのままセリフにして欲しい」

と伝えることに繋がっていくわけだ。

 こうして、セリフが粗かったり、背景に若干矛盾があったりする徳尾脚本を、田中圭を中心とするキャストが(監督たちも)補い、より生き生きした芝居に高めていったことは、これまで見てきた通り。

 座長は

「これだけ力のあるスタッフとキャストがいれば、おもしろくなるぞ、と内心思っていた」

と語っていて、色んなインタビューでこのチームの能力の高さを強調しているけれど、周囲をひとつの「チーム」として結束させたのも、それぞれのポテンシャルをさらに高く引き出したのも、座長が田中圭であったればこそ、だったのではないかと思う。




 やはりと思いましたがやはり長くなりましたので切ります。

熟成中。

 歳をひとつ取りました。

 マイマイの1コ上になった。



 この年になると、誕生日だからと言って特別どうということもない。

 なんか有意義なことをしようかなあ…とぼんやり考えていたけど、シューイチで名越先生が

「(新型コロナウイルスの対策として)免疫力を上げるためには、頑張らない、ダラダラ過ごすことが大事です」

と言っているのを見て、

「そうか、そうだな! 平日は毎日仕事だ家事だと精出してるから、休日はゆっくりせんといかんな!」

と自分に最大限都合よく解釈して、結局いつも通り極めてダラダラと過ごしました。笑

 昨日の夜「おっさんずラブ」の記事を書いた他は、今日の夜ハンバーグを作ったことくらいかな。頑張ったことと言えば。

 ハンバーグ好きなんだけど、普段なかなか作らないんですよね。自分一人のために作るおかずとしては、ハードル高くないですか? 工程多くて。

 それが、ふと(久しぶりに作ってもいいかも)と言う気になって、昨日ひき肉買ってきたの。

 「きのう何食べた?」のシロさんを倣って、炒めない玉ねぎの煮込みハンバーグにしました。

 玉ねぎ多すぎて生地がまとまりにくかったけど、それはそれで。

 美味しゅうございました。




 さてと、歳を言いたがらない女の人、昔から多かったけど、あれ、私にはよく分からなかった。

 だって、女の人だけじゃない? 

「おいくつですか?」

と聞かれて、

「イヤだなあ、キミ、男に年を聞くもんじゃないよ。ハハハ」

なんて答える男性、いないもん。もしいたら(え、何この人、ヘンな人…)てドン引きすると思う。

 女は若いことに価値があると考えるのって、完全に男中心社会の考え方じゃないですか。生物学的には間違ってないですけどね。

 知性を獲得し、多様性を認める社会を営むことを選択した人類としては、それは些か本能に重きを置きすぎる、残念な考え方だと思う。

 大体、どう転んでも誕生日がくれば人は皆平等に年を取っていくのだ。

 そしてこの長寿社会、「若者」でなくなってからが長いのだ。

 中年以降の長い時間、ずっと「年を取った自分」を否定しながら生きていくの、不毛だししんどいと思うけどな。



 職業柄、それはそれは様々な歳の取り方のサンプルが身近にある。

 さすがは人生の先輩、ものの考え方といい言動といい挙措といい、こういう風に年を取りたい、と思える人もいるし、ただ徒に時間が過ぎるのにまかせるとこうなるんだな…、と反面教師になる例もある。

 重ねた年の分だけ、自分の内面の蓄えを増やしていきたいものです。




 まーでも、「いい歳」と言われる年になってもう長いけど、自分でもビックリするくらい(大人気ねーな…)て思うことも多いですけどね!

 もうこれは仕方ない。歳を重ねれば自動的に大人になるわけではないのだ。学んで、成長していこうという意志がある人が、自分で自分を育てて初めて「大人」になれるのだと思う。そこを怠れば、そりゃ若造のときの未熟なままですわね。

 自分の今の仕上がりは、自分自身がやってきたことの証拠でしかない。

 身体のコンディションも、精神的な熟成具合も。




 でも、前の年は悪くなかったと思う。仕事はハードで、私自身の未熟さが露呈する場面も多々あって、それこそ(この年になって…)と恥じ入ることが何度もあったけど、その分、成長出来たとも感じる。

 成長する気さえあれば、人はいくつになっても成長出来るのだな、と思った1年でした。



 そして、「おっさんずラブ」とこのブログ。完全に趣味で、息抜きとしてやってきたけど、詳細なレビューを書くことで、未だに新たな発見を得られる。

 記事数が増えて、訪問数が増え、始めたときに比べたら、随分大きくなったなあ、と感じる。

 ありがたいことです。

 感謝。



 後ろを振り返ると、確かに今が一番「歳を取った」状態なんだけど、先を見れば、今日が一番若いのだ。

 「先」が一体いつまでかは分からないけど、何ごとか成そうと思えば、多分まだまだ十分な時間はある。

 肉体的な衰えは容赦なく襲ってくるが、食事やトレーニングである程度加齢の速度はコントロール出来るし、肉体年齢を若返らせることも出来る。

 うーむ、自分次第…!




 ともかくも、重ねた年の数に恥じないだけ、心の豊かな「大人」を今後も目指していきたいと思います。

 与えられた人生を楽しみつつ、日々精進、ですね。