おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

ボーッと生きてていいんだよ

 前の記事を書いているちょうどそのとき、NHKの「クローズアップ現代」で「スマホ疲労」について取り上げていた。

 タイムリーな話題だったので即録画しました。

 

 スマホを常に使っているうち、脳が過労状態に陥って、機能不全を起こしてしまうという警鐘。

 スマホに相当浸食されている現代人の多くにとって「あるある」な内容だったと思われる。

 

 ボーッと生きてんじゃねーよ!と叱咤する同じ局の番組キャラクターが人気ですが、あれ、見てみるんだけど、どうもダメなんだよね。途中でやめちゃう。

 NHKのはっちゃけた番組作りの姿勢は好きだし、最初面白いと思うんだけど、15分くらいでしんどくなる。

 なんか今日理由が分かった気がするわ。

 私、ボーッとした人間なんですよ。ボーッとする時間、すごく大事。超大事。なかったら死ぬ。

「ボーッと生きてる」ことを怒られると、私の人生のかなりの部分がダメということになっちゃうからだ、きっと。

 

 だから、「ボーッとしている時間」=デフォルトモード・ネットワークと名前がつき、「インプットした情報を脳が整理するための時間」として必要だという内容、

「そうでしょ!? 必要だよね!!!」

と思いながら見ていた。

 何かを論理だてて考えたり、先の予定をチェックしたりするんじゃなく、ただ目の前のものをなんとなく眺めながらぼへーっと脳を遊ばせてるの、必要なんですよ。人間にとって。

 そうしてると、ふと(あ、そういえばアレが要るんだった)と思い出したりする。それはつまり、脳の中で情報が整理されて、優先順が決まったということだ。

 

 何かに大きく心を動かされたとき、私はすぐには感想を書かない。書きたいことがまとまらないし、無理に書いても上っ面になるからだ。

 ぶわぁっと舞い上がった状態の色々な感情を、そのまま漂わせておいて、そのうちゆっくりと下降して降り積もるのを待つ。

 そうなると、「よし」と書く気になる。そのモードに入れば、特に下書きなどしなくとも、勝手に文章がするする出てくる。

 降り積もるのを待っている間がつまり、ここで言うデフォルトモード・ネットワークなんだな。

 これ、この「間」が大事なんです。

 

 そういえば、エジソンとかアインシュタインとか、「天才」と言われる人たちも、「ボーッとする時間」を大事にしていたとかなんとか。

 いや、「寝入りばな」だったかな? そういう、「何も考えてない時間」に意外と素晴らしいアイディアが閃くんだとか。

 それも多分同じことだよね。

 

 情報過多、効率化、ストレスの多い環境と、現代人の脳は過酷な環境にさらされている。

 息抜きのつもりでスマホやパソコンばかり見ていると、本来ボーッとするべき時間もひたすら新しい情報を「入れる」ことになってしまい、容量オーバーになるんだな。

 

 「映画やドラマに感動しなくなる」という症状もヤバいですよね。これは放置したらいかんですよ。

 人の生活にはときめきが必要だ。なくてはならないものだと本気で思う。

 綺麗なものを見て美しいと心が動かない、面白い話を聞いても(つまらねぇ…)としか思えない。それは多分、心の病気の前駆症状だ。

 歳を取ると、若い頃ほど感動しなくなる、と加齢に伴う当然の現象のように言う向きもあるけど、それは多分違うんだ。大人になるほど社会的責任が増えて、脳が過労状態になってるんだと思う。

 

 思えば前職はヤバかった。労基法なんて存在も知らなさそうな社長&部下を否定することしか出来ないマネジメント能力皆無の上司。どうでもいい些細なミスで罵倒が当たり前。

 ちなみに「些細なミス」の内容って、「書類の角が数ミリずれてた」とかそんなんですよ。ミスですかそれ? 15分費やして怒鳴らなきゃいけないほど大事なこと???

 まあ、ね、こんなアホ上司と一緒に働かなきゃならなかったんで、私のストレス値もかつてないほど上がっていたわけです。

 笑うことがどんどん減っていった。テレビ見てても、何にも心を動かされない自分がいた。

 

 それを救ってくれたのが「おっさんずラブ」と言っても過言ではない。

 あの時期、あのタイミングで「おっさんずラブ」が始まってくれたおかげで、私は「なんだこれ超面白い!!」と感じる感受性を取り戻すことが出来た。

 キャラと一緒に泣いて、笑って、春田と牧と部長の恋の行方にハラハラドキドキして、蝶子さんやちずの切なさに共感して胸がきゅんとなって。

 そうして心の健康を取り戻したおかげで、(ああ、こんな職場でいつまでも我慢し続けてたら病気になるわ)と正常な判断力を取り戻し、転職に踏み切ることが出来たわけです。

 新しい職場も大変だけど、前に比べればストレスは100分の1くらいだ。

 もうホント、テレ朝さんの方向に足を向けて寝られない。

 

 前の記事に書いたように、今の生活にスマホは欠かせないと思う。

 だから、情報をインプットするばかりでなく、ボーッとする時間を大事にして、入れた情報を脳が整理する余裕を与えてあげないといかんですね。

 新しいものに対する好奇心や、何かに感動するときめきを感じられるかどうか、自分で自分の疲弊具合をチェック出来ればいい。

 加えて、インプットして整理した情報をアウトプットすれば、心の健康は保てるでしょう。

 

 だからね、皆さん、ボーッと生きましょう。

 ボーッと生きてていいんですよ。

 プラス、食事と一緒で、「入れたら出す」ようにしていれば、精神的な新陳代謝も保てる。

 それがきっと、困難にも挫けず、折れにくい、しなやかな心を作ってくれると思います。

スマホ難民

 諸事情でスマホが今使えません。

 ショップに行こうにも、仕事がある平日は無理。

 というわけでここ数日、スマホ難民です。

 

 「スマホ依存」という言葉がある。

 メールチェックやSNSで1日に何度もスマホを触るうち、スマホがないとそわそわする、すぐ手が届く場所にスマホがないと落ち着かない、いわゆる「禁断症状」が出てしまうような状態を指すのだと思われる。

 それは避けたい、というか、「カッコ悪い」と思っていた。

 ……ところが、いざスマホが使えないとなると、やはり結構な割合でスマホに頼っていたことに気づかされる。

 

 まず、朝一番、スマホのアラームがないのに困った。キッチンに置いている時計に目覚まし機能がついているから、それを代わりに使っているけど、考えてみれば今や「目覚まし時計」という本職の機械があるのに、あえてスマホを使っているわけだ。

 理由は簡単で、いきなりジリリリリ…と鳴り響く攻撃的な時計のベルより、耳元でちっちゃーく始まるスマホのミュージックの方が、スムーズに起きられるからだ。

 あれ、人の起床のリズムに最適なんですってね。

 確かに、ストレスなく目覚めることが出来ている。

 

 それで起きるとまずSNSをチェックする。インスタの投稿なんかを見るうち、眼が覚めて、「さー起きるか」という気になる。

 通勤電車の中でもスマホが大活躍。その日によって、インスタで面白いコミックエッセイを読んでいたり、ラインでやりとりしたり、音楽を聴いたり。

 電車が急に止まったときなんかも、ツイッターで事情が分かったりするし、代わりの手段を路線検索出来たりして、スマホのアプリは優秀だ。

 私は小説や日記をグーグルのアプリで書いてるんだけど、パソコンで打ち込んだ文章をスマホでもチェックできるし、スマホからも入力できる。超便利。

 

 こうして考えてみると、1日のうちかなりの作業をスマホに頼っている。

 今私がよく使うのは、

 

SNS

・メール機能

・ネット検索

・体重管理

・生理周期管理

・音楽

・電卓

・目覚まし機能

・グーグルマップ

・路線検索

 

 こんなもんかなあ。もっとあるかも。

 めちゃめちゃ使ってますね。思った以上に1日中触ってるわ。

「今日何日だっけ?」とか「何曜日だっけか?」とか、ことあるごとにスマホで確認する。

 時間も天気もスマホ頼り。

 遠距離を移動するときも、スマホで検索して、スマホで申し込んで、スマホのメールで「支払い方法」を選択して、スマホからカード払い出来てしまう。

 掌に収まる薄い板1枚で、ゼロから旅行の手配まで出来てしまうんだから、いやー……21世紀だわあー(←感想が昭和)。

 

 家にいるとき割とテレビを見る私だけど、ずーっと前テレビが壊れたとき、何にも困らなかった。テレビを見る時間が減って、かえって日常生活が充実したくらいだ。世の中の情報は新聞から得る量で充分だった。

 今思うと、今ほど世の中がネット社会じゃなかったから、それで足りていたんだな。

 そのまま1年半ほどテレビなし生活を送ったのち、「テレビないんだよねーうち」と世間話で言ったら、「え、要らないテレビあるよ?」と親切なお友達がくれました。

 

 でも、テレビなしとスマホなしとでは話が違う。

 触ってないと禁断症状が出ちゃうような依存っぷりはどうかと思うけど、もうこれ、スマホがないと生活が成り立たないと言ってもいい。

 例えば今また大地震などの激甚な災害が起こった場合…と考えると、スマホがないと多分かなり困る。

 いや、要りますね。スマホ

 

 なんかね、色々と(これでいいのかなあ)と思うこともあるんですが、「要る」一択には違いないので、なんとかしようと思います。

 機種変更か格安スマホにするか。

 どうしようかな。。。

 

みんなちがって、みんないい

 タイトルは言わずと知れた金子みすゞの詩の一節。

 この詩の優れたところは、このようにどんな場面でも使える汎用性がある言葉から成立していることと、その言葉が非常に平易であること、なおかつそのシンプルさゆえに人の心に響くこと、ですね。

 

 トクサツガガガの第5話、録画鑑賞。

 色々と思うことがありましたので、つらつらと感想を書きます。

 

 前回からすっかりヲタ友となった北代さん・みやびさんのドルヲタチームと、かのちゃん・吉田さんの特ヲタチームとの交流が微笑ましい回でした。

 そうそう、これこれ。ヲタ友の良さはこれなんだよ!! のびのびと心おきなく「趣味全開」の催しが開けるところ!

 年代も住んでいるところもまるで違う人たちと、趣味のかぶりだけで交流が持てるのもいいんですよね。

 こういうところ、SNS隆盛の恩恵を享受しているヲタクの皆さん、全国に数多いらっしゃるのではないでしょうか。

 私も、ネットで知り合った人と実際会ってリアルのお友達になったケースが複数ある。

 今でも大事な友人です。

 

 しかし、ランドセルの色の件、考えさせられました。

 そうなんだよなー。昔は問答無用で「赤・ピンクは女の子の色、黒・青は男の子の色」て決まってたんだよな。

 女の子が青を好きでも、別にどうということはなかったけど、男の子が赤やピンクを好きと言い辛い環境だった。なんか不平等じゃない?と子供心に思ったこともあるけど、でも、本当に社会全体がそういう風潮だと、「そんなもん」て思い込んじゃうんだよね。

 「色で性差を決めつけるの、なんか変じゃね?」という空気が少しずつ広まりつつある現在、以前よりも楽に生きられる子供が増えているといいなあと思う。

 私は個人的に、ピンクや赤をスマートに着こなしている男性は、オシャレ上級者!と思って、ちょっとぐっときちゃいますね。

 

 あと、ファストフードのおまけの一件ね。

 シシレオーが欲しい女の子に、

「女の子らしくない」

とか、

「みんなラブキュート持ってるよ?」

とかって押しつけるお母さん、普通にアウトやろ。。と思いながら見ていた。

「みんな持ってる」からなんなの。1人だけ違うの持ってたからってなんなのさ。

 そういう考え方がイジメの温床になるんじゃい!

 ……でも、まだまだいるんだろうなー。こういう親。

 

 

 うちはまったく逆だった。

「だって、〇〇ちゃんも持ってる」

などと言おうものなら、

「だから何?」

とクールに聞き返された。

 親のキメ台詞は

「よそはよそ。うちはうち」

というもので、

「人がどうだろうと、自分で考えて決めなさい。周りに流されるんじゃない」

と、その点は非常に厳しかった。

 私が何か欲しいとか、やりたいと言ったときに、向き不向きとか、経済的な理由とか、そういうことは議題になったけど、「女の子だから」とか「周りがやっているから」とか言われたことはなかった。多分、本当に一度もない。

 人並みに反抗期もあったし(人並み以上かな…)、激しいケンカも数えきれないほどしたけど、こういう教育方針のおかげで、心の奥底には親に対する尊敬と信頼が常にあったと言える。

 

 小学生のとき、親戚の家でそこの本棚にあったレディースコミックを読んでいたことがある。早熟な子供だったんですよね。4年生か5年生だったかな。

「ちょっと、子供があんなもの読んでるで」

とその家のおばちゃんが母に言っているのが聞こえた。(そのおばちゃんの本なんだけど)

 母は、

「まあ、そんなもんでしょ。ああやって徐々に色々知っていくのよ」

と普通に答えていて、私をとがめることもなかった。

 子供心に、なかなか肝の据わった親だな、と思った記憶がある。

 

 まあ、ラーメン屋とか喫茶店に幼い私を連れて入ったとき、食べ終わったあと本棚の「ジャ〇プ」とか「マ〇ジン」とかの少年漫画を読みながら私が食べ終わるのを待っていた人だから、本人も変わった人ではあったんだ。

 よそのお母さんとはどうも違うなあ、とも思っていた。

 

 私は自分の腐的嗜好を親に言ったことはないけど、多分、知ったところで

「あ、そう」

で終わるだろうな。

 かのちゃんみたいな苦労は、私はお陰で一度もせずに済んだ。

 こういう親に育てられてよかったです。

 

 なんかね、トクサツガガガの話題からはちょっとズレちゃうんだけど、色々辛いニュースも多いじゃないですか。

 親になる資格があるかどうか、学校というか教育機関のようなものがあってもいいんじゃないかと、前々から思っていた。

 会社だって、採用試験や適性検査があるのが一般的だ。「親になる」って、もっと責任重大じゃない? だって、一度親になったら、「あ、やっぱ向いてなかったわ。やーめた」って出来ないんだよ?

 適性検査を受けて、小動物をいじめたりとか、いじめの加害者になったことがないとかの項目をパスして、半年~1年くらいかけて、「人の親になる」とはどういうことか、ちゃんと勉強する。

 履修科目の中に、「男らしい・女らしいから~しろと言わない」とか、「兄弟姉妹を差別しない」とか、「親の価値観を押しつけない」とか、必須項目があるわけだ。

「育児は母親だけの仕事じゃない。夫婦2人の子供なのだから父親も育児をして当たり前。『手伝う』という感覚をまず捨てましょう」

とかね。

「魔のイヤイヤ期はこう乗り切ろう」

「周りと協力しあおう」

「どうしても子供を可愛いと思えないときは」

みたいな項目も必要じゃないかな。「1人で悩んでないで、早めに適切な機関に相談してください」とかさ。あらかじめいろんな場合を想定しておけば、いざ自分がそういう状況に陥ったとき、冷静でいられるかもしれないし。

 私は未婚だけど、1人で家に閉じこもってワンオペで育児にかまけてたら発狂しそうに大変だというのは想像くらいつく。子育ての経験はないけど、年の離れたいとこの兄弟の面倒はみてたから、まったく目を離すことの出来ない赤ちゃんの世話がどれだけのものかは知っている。子供を育てている親御さん、本当に尊敬します。

 そういう「親のお勉強」システムに加えて、実際親になった後、育児の疲弊が激しいときは、ちょっとだけ親業をお休みして、リフレッシュ出来るシステムがあると、追い詰められてしまうお母さんが減るような気がするんだけどな。

 

 あまりうるさいとますます少子化が進んじゃうし、アレなんだけど、どうにかならないですかね。

 難しいなあ。

 

 閑話休題

 トクサツガガガ第5話、ヲタ女子4人が心から撮影会を楽しんでいて、見ごたえがある回でございました。

 次回、かののヲタ趣味の前に立ちはだかる大きな壁=お母ちゃんが襲来するようだけど、さて、このラスボスとどう闘うのでしょうか。

 次回も目が離せません!

 

OLハッピーバレンタイン!

 pixiv更新しました。

※一部誤りがあったので修正して再掲。

 お話は夏祭りのままです。なおかつ完結もしていませんが、ラブラブな春牧をアップしたかった。

www.pixiv.net

 ※R18 春牧以外の嗜好の方はお口に合わないかと。

 

 

www.pixiv.net

 

おっさんずラブ第二話② 武川主任という男

 牧に遅れて天空不動産へやってきた春田。

 何事もなかったかのようにデスクでパソコンに向かっている牧を、やや複雑な表情で眺めながら、ホワイトボードでスケジュールを確認。

 黒澤部長の欄に「本社」とあるのを見て、(よかった)と安堵する。脳裏をよぎるあれやこれや。出来れば顔を合わせるのは後回しにしたいですよね。どうせいずれ会うことにはなるんだけど。

 とそこへ、武川主任が通りがかりに、春田の後頭部をつつく。

「!?」

思わずびくっと後じさる春田。

「ゴミついてたぞ」

平然と言い放つ武川さん。

「…あとぅーす…」

と言いつつ、はるたん、不審げ。

 なんでもないシーンだけど、後から武川主任の役回りが分かってくると、この場面を思い出して(あーそう言えば…)と納得できる。

 なんというか、同性からの身体的接触に対して、春田のノンケ性が明示される場面ですね。



 天空不動産を訪れた客は、春田の後輩カズだった。

 カズこと棚橋一紀を演じたのは、渋谷謙人くん。超見覚えがある顔だと思ったら、「HERO」で大学生4人のオレオレ詐欺グループの1人を演じていた人でした。私はドラママニアというわけじゃないけど、お気に入りのドラマは録画を何度も何度も見るから、脇キャラの俳優さんも割と顔を覚える。チョイ役だった人が重要な役に出世したりしてると、嬉しくなる。この同じ回で、詐欺グループの元締めを演じていた丸山智巳さんも結構色んなドラマで見かけるようになって、応援してます。

 カズが連れていた新婚の奥さんは、「ビズリーチ」のCMに出てる吉谷彩子ちゃん。私は見ていなかったけど、「陸王」に出演されていたんですね。

 カズの出世作が「陸嬢」なのは、そういう関係なんですね。メインじゃないゲストの役者さんも、こうして印象づけようとする辺り、心憎い演出だ。優しさを感じる。

 2人とも、メインキャラに食い込めるよう、今後ますますのご活躍をお祈りしております。

 

 ところでこの場面、この「陸嬢」を

「読んだ読んだ。アレでしょ、下駄をアレしてね?」

という春田のざっくりすぎる感想が、「絶対読んでないやつwww」とバレバレで、個人的にウケました。仲良しの後輩の本だから、書店で手に取ってぱらぱらとめくってみたんでしょうね。でも最後までは読んでないんだ、きっと。

 「陸嬢」で下駄を一体どうしたのか、是非読んでみたい。



 新婚2人の物件探しに奔走する春田。そう、「おっさんずラブ」の登場人物は、みんなちゃんと仕事するのだ。仕事もそっちのけで給湯室であんなことしたり、なぜか誰も来ない資料室を閉めきってこんなことしたり、「お前らちょっとは仕事しろ!!」と全力でツッコんでしまうそこらのオフィスラブものとは違う。(※BLでは非常によく見かけます)

 夫と妻、それぞれの希望に合う物件をピックアップして紹介するものの、どちらも自分の主張が強くて折り合わない。

 夫妻の間で板挟みになり、ホトホト困り果てる春田。



 これ、新婚さんあるあるですよね。「好き!」という気持ちだけで盛り上がっていた恋愛時代と違って、結婚した後は、「生活」というリアルが待っている。

 今まで違う人生を歩んできた他人が一緒に暮らすって、そう簡単なことじゃないですよ。

 特にこういう、お互いが仕事を持っているというだけじゃなく、その道でそれなりに認められているとなれば、プライドも生半可じゃないだろう。

 2人で住む物件を探しているはずが、いつの間にか「我が我が」になって、エゴのぶつかり合いになってしまうのは、結婚後間がない夫婦が受ける洗礼のようなものでしょうか。



 結局物件は決まらず、営業所に戻って武川主任にこぼす春田。

「それだけ回っても決まらなかったのか」

と武川さんが言ってるけど、家は高額な買い物だ。初回の内見で決まることは、まあまずないですけどね。途中から夫婦がケンカしちゃって、条件の折り合いが全然つかなかったことを指しているのかもしれん。

「大体、育った環境が違う他人がいきなり一緒に暮らすなんて、無理があるんだよ」

 とここからは、ミステリアスな男だった武川主任の価値観がやや伺い知れる台詞が続きます。

「武川さん結婚とかって…」

という春田の質問に

「興味ないな。俺には向いてない」

と食い気味に即答。

「清潔な空間が汚されるのも嫌だし、て言うか、本当に愛し合ってるなら、わざわざ結婚という形にこだわる必要はないだろう」

 武川さん、何かというとウエットティッシュで指先拭ったりしてますもんね。 このセリフを言いながらも、デスク周りのホコリを払うのに余念がない。潔癖症なのがよく分かる場面です。



 愛し合っているなら、結婚という形にこだわる必要はない、というのは、確かに一理ある。結婚なんて紙切れ一枚だ、と私もかつて思っていた。

 でも、結婚という制度がある以上、やはり制度にのっとっている方が、いざというときに法律が守ってくれるという例も、この年になるとたくさん見聞きしてきた。

 税金とか、財産とか、諸々の事務手続き等、法律が認めた「正式な」身内なのか、たんなるカップルの片方なのかで、随分と待遇が違うのだ。

 そこら辺を理解した上で、何を重視してどういう形をとるのかは、それぞれの人生観によると思う。

 武川主任は、多分これまでの人生で色々経験して、この結論に至ったような気がするな。法制度の後ろ楯なく、対等な関係としてカップルでいる、というのは、武川主任という男の気骨を感じますね。



 …しかし、それに「…確かに」と頷く春田。キミ、絶対分かってないやろ。

 この、「なんか難しいこと言われて正直よく分かってはないんだけどこの場は合わせとけ」というふわっとした「確かに」を、イヤミなく演じることが出来るのが、田中圭という俳優のスゴイところだと思う。

 この場面、もう何百回と見てるけど、「…た、確かに」とはるたんが言うたびに

「ウソつけ!」

とツッコまずにはいられない。



 まあでもここでは、春田はそれどころじゃないのだ。それ=武川主任の結婚観ですね。

 そんなことより、昨日自分の身に起きた事件のことで頭は一杯。

「『愛』って、なんなんでしょうね…」

とえらく抽象的に言い出したのは、新婚夫婦の姿を見ていて色々思うところがあったのかもしれないが、

「…何。なんかあったのか」

とクールに見えた武川主任が意外な食いつきを見せると、

「…友達の、話なんですけど」

と前置きして、頭の中のぐるぐるを相談しだす。



「今まで意識してなかった相手から、なんていうかその……キス、されて」

「うん」

 と力強く先を促す武川主任。

「なのに、次の日会ったときに、なんにもなかった感じになってたんですよね」

 うーむ、キスしちゃっても次の日に会う関係って、なかなかないと思うけど、そんなツッコミは置いといて先に行こう。

「それって、相手はどういう気持ちなのかなって……相談されて。やっぱ、冗談なんですかね?」

「本気だな」

 やっぱり食い気味に断言する主任。

「2人の関係性にもよると思うけど……元々友達なんだろ?」

「そう…ですね。まあ、友達です」

「本気だな」

と大真面目に断定。

「…マジですか」

「まあ、そいつも、カーッと盛り上がってキスしたものの、冷静になって考えると、順番間違えたなって、今頃後悔してるんじゃないか?」

 武川主任、まるで見ていたように牧の気持ちを言い当ててますね。この段階ではまだ、相手が牧だと気づいてないはずだが、恐るべし慧眼。エスパーか。

 そして部下の恋バナにアドバイスする姿が、嬉々として見えるのは、私の気のせいじゃないと思う。

 親切な人なのも確かだろうけど、意外と社内のゴシップ、嫌いじゃないんじゃないかな。武川さん。

 男同士と聞いて

「…ふむ」

とメガネのフレームを押さえる仕草に、武川さんの(それはますます聞き捨てならない)という心の声が滲んでいるようです。



 …と、武川さんにつられて私も大真面目に書いてますけど、ここ、実は重要なコメディパートだ。

 男子校のノリじゃないか?と言う春田を

「ノリじゃないな」

と即座に却下する辺りで、私はもう大笑いしてました。

 そう、この生真面目メガネの武川主任、黒澤部長に次ぐコミカル担当なんですよね。本人はまったく笑わないまま、お茶の間を何度笑いの渦に叩き込んでくれたことか。

 ここも、春田の断片的な情報を「相手は本気。ノリじゃない」と断定する武川さんの台詞、言いようによってはイヤミなパワハラ上司になる危険性も大いに秘めている。

 でも、武川さんの生真面目さとか、クールに見えて部下思いで親切なところとか、意外とミーハーな面もあり?なところとか、そういうポジティブな部分しか感じない。

 眞島秀和という俳優も、シリアスもコメディも両方こなす、巧い役者だと思う。

 このポジションが眞島秀和という配役も、おっさんずラブの欠かせないパズルのピースだ。



 それだけでも水も漏らさぬキャスティングだというのに、ここへ加えて伊藤修子というコメディエンヌを持ってくるんだから、もうコメディとして完璧ですよね!

 出歯亀マイマイはすっと2人の会話に加わって、

「(キス)されて、春田くんはどう思ったの?」

「いやーよく分かんなかったんですよね。ともかくビックリして……」

と、アッサリ「友達じゃなく春田の話」という自白を誘導している。なんという優秀さ。

 真実を吐いた後、はっとして、

「…俺じゃないですよ!」

と言うも、訳知りの先輩と上司の顔は両方とも、(大丈夫、知ってた)と言っている。



 コメディパートで思い切り気を緩めて笑えるからこそ、後半の切なさが生きてくる演出ですね。

 他の人の濃い芝居を見事に受けつつ、お人よし春田のふわっとしたところとか、職場のみんなから愛されているキャラがよく分かる場面でもある。

 まったくこの座長、どの場面でも1ミリも気を抜いてない。

 天晴れ。

逮捕=有罪ではない。俳優新井浩文に関する報道について思うこと

 ※おっさんずラブ関連の記事にあらず。のみならず、ポジティブな内容ではありません。

 読みたくない方はスルーをお勧めします。

 

 

 

 好きな俳優が出る作品のクランクアップのお知らせは嬉しいものだ。公開の日を心待ちにするのがファンに共通の心理というものだろう。

 一方で、長らくファン稼業をやっていると、胸の片隅を一抹の不安がよぎる。

(……公開されるまでに関係者の誰かが不祥事起こしてお蔵入り…なんてことが起きませんように)

 今回、この不安が的中する形となってしまった。

 

 言いたいことは山のようにある。

 新井浩文という俳優を私は好きで、顔を認識して(あ、また出てる)と嬉しく思うようになったのは、田中圭よりも先だった。

 山田孝之と出ているBOSSのCMのとぼけた味わいも好きだし、北川景子主演の「フェイク」の編集長もいい味出していた。

 だからして、「逮捕」というニュースによって、それはもうたくさんの感情を味わうことになった。

 

 が、今回それについては書かない。

 正直、書くつもりでいた。でも(書けない)という結論を動かせなかった。

 なぜなら、彼はまだ有罪が確定していないからだ。

 そしてこの国では、有罪が確定するまでは、「無罪」のはずだからだ。

 

 ずっと以前から不思議だった。裁判で有罪判決が出るまでは無罪のはずで、これを推定無罪と言う。中学の社会科で習う近代社会の原則だ。

 はるたんはともかく、武川主任やマイマイと同世代か上の世代なら記憶にあると思うが、昭和の昔、逮捕された人は報道で苗字を呼び捨てにされていた。

 それを、名前の後に「容疑者」をつけるようになったのは、

「あくまで『容疑』であって犯罪者ではない」

という、推定無罪の考え方によるものだ。

 なのに、今の報道はどのメディアも、この原則をまったく忘れてしまったかのように

「逮捕=有罪」

と断定して記事を書く。

 

 

「マスメディア」とは、「マス」=大衆に広く影響を与えるメディアの意味だ。

 それを、肝心のマスメディアに携わる人々がどれだけ意識しているのか、疑問に感じることも多い。

 今「イノセント」というドラマでもやってるけど、逮捕・起訴されたけど冤罪、というケースだってあるんですよ。でも、一度事件が報道されて、実名が世に出てしまうと、冤罪だったとしても社会復帰は難しい。

 

 

 今回のケースでは、本人が犯行を否定していないようだ。あくまで報道を信じるならだけど。

 だからそういう危惧には当たらないのかもしれないけど、名前の後に「容疑者」がつく意味を、分かっていないマスコミ関係者が圧倒的に多いのは、やはり問題だと思う。

 

 

 もうひとつ。

 「新井浩文」の名前の後に「本名:パクキョンベ」と出て、驚いた。

 日本国籍じゃないことにビックリしたのではなくて、逮捕されたとたんに引っ張り出された「国籍」問題に驚いたのだ。

 その情報、今、重要…??

 

 なんか、「こんな犯罪を犯す人間は日本人ではありません」という烙印にしか感じないんだけど。

 いや、でもさ、純日本人でえげつない性犯罪犯す人間、山のようにいるんですけど。

 なんでここだけ国籍出したの?? それ、意味ある???

 

 私は日本と言う国が好きだけど、多分人並みに愛国心もあると思うけど、日本人のこういうところはキライ。好きになれない。

 正反対の例が、こないだ世界一になった大坂なおみ選手だ。

 彼女が日本人として選手登録しているのはいい。だけど、外国育ちで日本語を「勉強している」段階の彼女の「日本人らしさ」を鵜の目鷹の目で探し出し、

「さすが日本人!」

ともちあげるのは、そりゃいくらなんでもこじつけでしょうよ…と思う。

 人々を魅了する「ナオミ節」も、彼女ならではの個性であって、けっして「日本人らしさ」がもたらすものではないと思う。

 

 新井浩文が完全に有罪だったとしても、この2点は見過ごせない。

 彼本人と関係なく、マスコミ諸氏には猛省を促したい。

 

 

 ………こういうことになるとさ、あとはもう、捜査&裁判が終了するのを待つしかないんですよね。我々一般人は。

 今のところ「作品の公開延期は考えてない」とのコメントだけど、今までのことを考えると、何事もなかったかのように予定通り公開…という運びにはならなさそうだ。

 あーあ……と肩を落としつつ多くの人が吐いたため息の総量、一体いくらくらいになるのだろうか。

 

 有名人が犯罪を犯すことについて、「有名税」というタイトルで記事を書こうかと思っていたのですが、それは有罪判決が出てからにしたいと思います。

おっさんずラブ続編

 出ましたね、公式さんから。

 

 

 やっぱり土曜日の23:15。

 「公式砲」というには情報が少ないけれども、公式さんがこう言うからには、現時点で表に出せる情報が本当に他にないんだろう。

 いつも我々ファンに対して、行き届いた心配りをしてくれる公式さんを信じて、後はその後の情報を待つしかありませんね。

 早くも憶測だけで書いた適当な記事が出ているけど、ゆめゆめああいうゴミ記事に踊らされることのないようにせんければ。

 にしてもホント、ぜーんぜん取材しないで、憶測「のみ」で記事書いてお金もらえるんだから、楽な商売だよね! けっ。

 この上は、考えなしにクリックしてテキを喜ばせるなんて絶対したくない。

 

 ところで今日、TLを覗いたら「活動休止」「嵐」がトレンドに上がってて、

「何!?」

てなったよね。

 なんと、嵐が活動休止とな。ビックリした。

 

 あの会社、「〇ニーズ帝国」なんて呼ばれたりして、絶対安泰の権勢を誇っているかのように報道されることもしばしばだけど、そんなことはなくて、特にここ近年色々ありましたなあ。

 私が好きなkat-tunは、好きになったときは2人目が抜けて4人になったところだったんだけど、4人、バランスいいじゃん!と思って、応援していた。

 今さらに1人抜けちゃって、3人だもんね。最初6人だったことを思えば、「半分か。。。減ったなー」という感想になってしまうのは仕方ない。

 活動再開してくれて本当によかったです。

 

 トキオが1人減ったのも記憶に新しい。日曜ゴールデンで看板番組持ってて安泰と思いきや……だもんね。

 さっき久々にジャ〇―ズのサイト見に行ったら、色々と様変わりしていて、なんというか、「変化」を感じずにはいられませんでした。

 

 嵐と言えば、ジャニー〇の屋台骨を支えるグループだと思ってたのと、近年特に目立った不祥事も記憶にないし、このタイミングでの「活動休止」のニュースは寝耳に水で、特にファンではない私のような人間でも驚くニュースだった。

 ガチファン勢はショックでしょうね。。。お察しします。

 

 ……でですね、つくづく思ったのが、

「変わらないものはない」

ということですよ。

 何かを好きになると、好きになったときのそのままでいて欲しい、と思ってしまうけど、そうは言っても、変わらないものはない。こればかりは天下不変の理なので、我々にはどうすることも出来ない。

 単なる外野の無責任な推測ですけど、嵐メンバーの皆さんも、色々とお考えの末のことだとお察し申し上げる。ジャニって、ものごころついたくらいからずーっとショービジネスの世界に身を置いて、売れっ子グループだとほんの子供の頃から大人世界で生き抜いてきて、普通の人より濃い分、疲れることも多いだろうな…と思っていた。

 アイドルだって人間だもんよ。

 立ち止まって休むことは全然、悪いことじゃない。

 

 同列に語るのはちょっと乱暴かもしれないけど、「おっさんずラブ」の続編ドラマが、たとえ今時点での我々ファンが望む形を100%満たすものじゃなかったとしても、仕方ないことだな、と思ったのでした。

 まあそれには、公式さんに対する信頼があるから、

「あの公式が手を尽くした結果なら仕方ない」

と受け入れる気持ちにもなれる、という下敷きがあっての話。

 

 そんなわけで、「公式からの」次の情報を待ちたいと思います。

 三流誌のクソみたいな憶測記事は死んでも踏まんぞ。