おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

OLの効用

 いやいやいや、もう8月終わっちゃいましたね。

 夏祭りのお話書いてるのに、9月が来ちゃったよ。もう秋だよ。

 容赦ねーな。

 

 小説自体、書くのが久しぶり。

 小説って難しいねー。やっぱり。

 何書いてもいいようで、小説には色々な縛りがあるのは、書く人ならご存知の通り。

 牧視点で書いているなら、牧と抱き合っているときの春田の表情は描写出来ない。牧からは見えないからだ。

 もちろん、牧以外の人物の気持ちも代弁してはならない。動作の主語が牧以外なら、「〇〇そうに見えた」とは書けても、「〇〇だった」と断言しては矛盾が生じる。

 これがねー。分かっててもねー。なかなか難しいんだよねー。

 

 誰がこう言って、こうなって、どうだった、と説明描写が続くのもNGだ。説明くさい文章はつまんないし、読み手の想像の余地を奪う。

 おっさんずラブというドラマが素晴らしかったのは、各場面が全部名シーンなのに加えて、説明しすぎていないので、視聴者それぞれが自分の想像を膨らませる「遊び」の部分があることだ。

 これ、あるようでないんですよ。ホントに。

 様式美として許されているドラマもあるけどね。刑事ものとか。

 しかし自分で書いてみると、これでもかと詰め込みたくなる。そこから出来るだけ削って削って、いらないものをそぎ落としていく。

 この推敲作業をしているとき、私は何となく、彫刻をやる人がどんどん塑像を削って、対象物を中から「彫り出す」作業と同じイメージになる。

 

 あと、これが一番肝心なんだけど、頭の中のキャラが勝手に動き出すまでじーっと待つこと。

 こうして欲しいとか、こう言って欲しいという願望はもちろんあるんだけど、作者の都合で人物を動かすと、全体にストーリーが不自然になる。すると、頭の中の流れが止まる。次の台詞や動きが浮かんでこなくなる。

 こうなると、あー多分どっかで間違えたな、と思って、いったん考えるのをやめる。

 しばらくすると、またふっと、ある場面が浮かんで、(あーこっちの方が正解!)てなって、私の脳内の牧と春田が再び動き出す。

 

 

 でですね、一見矛盾なく破綻なくお話が出来た、と思っても、本当はそれからしばらく寝かせないといけない。

 なぜかというと、「本来描かれていなければならないのに描かれていないこと」というのが必ずあるからだ。これが、気づくのが難しい。

 例えばですね、私が今書いている小説の中で、春田は上海から帰ってきたわけですが、普通に考えて、牧の実家に直行するなら、お土産を用意するでしょう。

 作者である私は、2人を会わせてイチャイチャさせることに夢中で、そういう細かいことを考えるのを忘れているのですが、「結婚早々嫁(旦那)の実家に行く」なら絶対お土産持っていくよね、としばらくして気づくわけだ。

 で、お土産を渡すシーンを作ってもいいし、入れなくてもいい。ここでものごっつい面白いお土産を春田が持って帰ったとしたら、その前後の話も変わってきちゃうから、慎重に考えないといけない。けど、そのお土産がめっちゃパンチ力があって、それ入れた方が絶対面白い!てなったら、また大部分書き直したりもする。

 

 まあだから、思いついてちょっとこねくり回しただけで書いちゃって、テンション上がってすぐ更新しちゃうのは本当はよくないんですけどね。練れてないから。

 ホンマすみません。

 

 ただ、脳内で春田と牧を動かして遊ぶ作業は、めちゃめちゃ楽しい。ドSな牧になんか言われて動揺している春田を考えるだけで、気がつくとすげー笑顔になってる。

 仕事で少々じゃすまないくらいストレス抱えてても、脳内小説考えるだけで即癒される。

 あの素晴らしい7話をお茶の間でタダで視聴出来ただけでもありがたいのに、なんという経済的な効用であろうか。

 超お得。

 

 

 そんなわけで、拙い小説ではございますが、もうしばらく続きます。

 やっと浴衣着たと思ったらもう9月になっちゃった。でも、着たなら脱がないとね!

 

 正直言って仕事も忙しくなってきて、ヲタ活にうつつを抜かしている場合ではないんだが、仕方ない。

 頑張って2人の浴衣を脱がせます。

 読んでるよ、という奇特な方がいらっしゃったら、もうしばしお付き合いください。

 

 あ、ちなみに春田はお土産買ってきてます。

 春田のことだからきっとアレだろうなー、というお土産。

 どこで渡そうかな。