子供のころから、戦争や原爆に関する作品は数々見てきた。
一番古い記憶は、丸木位里・丸木俊作「広島のピカ」という絵本。家にあったので繰り返し読んだ。悲惨さは伝わったが、簡潔な文章が、子供にはかえって少し分かりにくかったかもしれない。
次にある一番鮮明な記憶は、松谷みよ子作「2人のイーダ」。これは、あらすじも登場人物の名前もはっきり覚えている。生まれ変わり、動く椅子、といったファンタジックな要素が、子供心をワクワクさせた。
学校でも、夏になると戦争映画の鑑賞があった。友達と肩をぶつけ合いつつ、涙を止められずに帰ったことが忘れられない。
その後も、「大脱走」「西部戦線異状なし」「ひまわり」「アンネの日記」「火垂るの墓」「シンドラーのリスト」「ライフイズビューティフル」等々、様々な年ごろに様々な作品を鑑賞してきた。
戦争をほぼ知らない世代ながら、それなりに責任感を持って、戦争について勉強してきたと思う。
仕事で広島へ行く機会が何度かあった。
夏の夕暮れ、橋の上から川の流れを見ながら、(これがあの夜死体で埋まったという川か…)と思った。
もちろん、もう今はすっかり新しい姿になって、たくさんの人が行き来していて、往時を偲ばせる面影はなかったけれど。
ただ、実際その土地へ行って、その場所に立ってみると、書物や映画で得た知識とは違ったことが分かる。
その当時も同じようにたくさんの人が行き来していて、それぞれ平凡な日常を営んでいた、ということだ。
16万人超の犠牲者は、1万人×16というような十把ひとからげの数字ではなく、1人1人、個別の悲劇があった、ということが、わずかなりとも実感できる。
戦争を描いた作品を鑑賞するうえで陥りがちな罠がそれで、悲劇の部分がクローズアップされると、悲しいんだけど、号泣するほどショックを受けるんだけど、それはやはりどこか「非日常」であって、私が暮らす日常との関りを感じることが難しい。
「テレビの中で見たことがある」「本で読んだ」知識になってしまう。
でも、そうじゃない。
戦争の本当の恐ろしさは、ごく普通の日常の延長線上に、爆弾や身近な人の死が迫ってくることだ。
「この世界の片隅に」は、そこを描いて秀逸な作品だった。
というか、この作品の優れたところは、決して主眼が「戦争」「原爆」でないことだ。
あくまでも、物語の軸は、広島から呉へお嫁にきたすずさんの暮らしだ。よく顔を知りもしない人から、望まれて縁談がととのい、知らない土地へお嫁入りする、当時はよくあった結婚の形態だった。
出戻りの小姑から意地悪されたり、慣れない暮らしでハゲが出来てしまったり、色々とありつつ、すずさんは天性のおおらかさとユーモアと、秘めた芯の強さで、新しい暮らしに順応していく。
その「新しい暮らし」が、たまたまあの時代の呉であって、順応せざるを得なかったことがよく分かる。
とまあ、ここまでは前置き。
「戦争映画」となると、どうしてもこう、文章も堅苦しくなりますね。
いかんいかん。
だからこそ、作者のこうの史世氏が「戦争映画」という位置づけを嫌ったのだと思う。
カテゴライズってどうしても先入観を抱かせるからね。
いやいやいや、そういうの抜きに、可愛い映画でした。
と言うと、それはそれで語弊があるのか。
ヒロインのすずさんが本当に魅力的なんだよね。「ボーッとした子」と本人は言うけど、ほんわ~と癒し系の空気で、おっとりしてて。確かにおっちょこちょいで、よく失敗もするけど、天性のユーモアがあって、どんなときにも笑いを忘れない。
そんで、嫁ぎ先の北条家の皆さんがいい味出してる。出戻りの義姉さんはちーと口のキツイ人だけど、芯から悪い人じゃない。舅・姑もいい人で、若いお嫁さんのすずさんを温かく見守っている。
何より、夫となった周作さんが実にイイ男だ。すずさんに対する包み込むような愛情。そうだよなー、昭和のあの時代にも、奥さんに優しいこんな男性、いたんだよな、としみじみ思った。時代がどうのじゃない。黒柳徹子さんのお父様も、ママ大好きの愛妻家だったそうな。
すずさんと周作さんとの間に、心が通い合い、愛情が深まっていく様子が、とても自然に描かれている。
だって、しょうもない用事で奥さん呼び出したのが、デートの口実なんだもん。なんだそのピュアピュアエピソード。
にやけるすずさんと一緒になって、画面のこちら側でもニヤニヤしてしまう。
物語の最初ではほんの子供だったすずさん、周作さんと愛し愛され、大人の女になっていく。
そこら辺、夫婦の情愛や、すずさんの女性としての色っぽさもきちんと描かれている。
戦局が厳しくなるにつれ食糧難になり、その辺の雑草でなんとか一家の食卓をまかなおうと奮闘する様子や、姪っ子の晴美と一緒になってアリコさんの行列を追いかけていくところ、可愛い場面で好きです。
私は田舎生まれ田舎育ちなので、ああいう暮らしも分かる。
しかし、呉は軍港として有名だったから、空襲がえげつなかったんだなあ。繰り返し繰り返し何度も襲われる様子もリアルだった。人々がそれに慣れて、警報が出てもすぐに逃げなくなるところとか。
そして、気がつくと、爆撃による死がごく近いところまで浸透してきているのが、戦争の怖さだ。
色んな困難があっても、すずさんの中にある芯の強さと、天性の明るさが、彼女を前に進ませていく。
あれはきっと、浦野家のDNAなんだな。妹のすみちゃんとすずさんが笑いあう場面、緊迫した状況なのに、ふっと心がほどける。
この映画は本当に様々な要素を含んでいて、見た人すべてにそれぞれ違った感想を抱かせるのではないだろうか。
そして多分、何度となく見ても、見るたびに新鮮な驚きがあるような気がする。
なので、私の感想としてはあと2点だけ。
基本的にあまり怒らないすずさんが、怒りを爆発させる場面がふたつある。
ひとつは、幼馴染の水原哲のもとへ赴かせた夫の周作さんに向ける怒り。
あれはなあ。怒るよ。日頃仲の良い夫婦ならさあ。「え……あんた、それでいいん??」てなるよね。いくら非常時で、次にいつ会えるか分からない、もしかするともう会えないかもしれないとしても。
それが元で、お互いに本音をぶつけあえるようになって、一応雨降って地固まったけども。
もうひとつは、玉音放送。「耐えがたきを耐え、しのびがたきをしのび…」ちゅー有名なアレだ。
聞いたすずさんは怒髪天を衝く勢いで怒る。あの場面も、「そら怒るわな…」と思えて仕方なかった。
一億総玉砕とか言うとったんとちゃうんかい!! 今まで人に散々我慢を強いてきたくせに、今さら何を言うんじゃ!!!
そんな、いざとなったらさっさとケツまくるようなふやけた「覚悟」だったんかい!!
……と、私でも怒ると思うわ。当時なら。
この映画で、主軸と離れた部分で忘れられないのが、刈谷さんのおばさんだ。
新型爆弾投下の後、1人逃れてきて、座ったまま亡くなった兵隊さん。「どこの誰とも分からん、可哀そうになあ…」と話していたのが、まさに自分の息子だったとは。
そんな惨いことある?
それをすずに語るおばさんの声は淡々としていて、既に心の整理はついている様子だったけど、想像するだけで、シンクロして声をあげて泣きそうになる。
あのおばさん、敗戦の玉音放送を聞いて、何を思っただろう。
すずさんは一緒にいた姪を時限爆弾の爆発で亡くし、自分自身も右手を失う。
広島にいた家族を原爆で失い、北条家にも家を焼かれた親戚が身を寄せている。
それでもこの映画、最後は明るい希望を提示して終わるのだ。
そして何よりも、全編を通して、若い夫婦2人の愛の物語だったというのが、大きな救いとなるのだった。
すずさんの声を演じたのんちゃん、色々と話題になる女優さんですが、この作品だけでもその実力は分かりますよね。
この映画の成功は、のんの演技によるところが大きいと思う。
すずさんに彼女を、と思った人に100点をあげたい。
まるですずさん自身が歌っているような、柔らかく透明な歌声のコトリンゴの音楽も素晴らしかったです。
昔、戦争に関する作品を読んだり見たりしていたころは、原爆=絶対悪だと思っていたけれど、今でもそれは変わらないけど、立場によって様々な意見があることは承知している。
ただ、「原爆を日本に落としたことは正義だ」と思っているかの国の人々すべてに、この映画を見て欲しいと思う。
今日は原爆忌。