「おっさんずラブ」の奇跡② 奇跡の座長・田中圭(前編)
2018年の連続ドラマ「おっさんずラブ」が成功した要因は何か。
様々あるけれど、最も大きな理由はひとつ、ハッキリしている。
それはズバリ、
座長が田中圭だったこと
これだ。
異論は認めない、という言い方は好きじゃないからしないけど、恐らくここに異を唱える人は、民の中にはほぼいないのではないかと。
「おっさんずラブ」を初めて見た当初、何に驚いたかって、
「え………田中圭ってこんな人だったのー!!?」
ということだ。
あれはちょっと忘れられないなあ。それくらい、鮮烈な印象を私に残した。
なんと言っても、「よく知っている俳優」だったことが大きい。「よく知っている」と言ったら語弊があるかな。「テレビでよく見かける、なじみのある顔」だった、というべきか。
「いつもイイ感じのポジションにいる実力派の脇役」
という認識だった。知ってはいたけど、そして(いい感じの俳優さんだな)と感じて好意を持ってもいたけど、彼に特別関心を寄せることはなかった。
今や立派なケイタナカ沼の住人となった民の皆さんにも、そう感じていた人は少なくないのではないかと推察する。
「田中圭を役者として認識していた」「けれど彼個人には特に興味がなかった」
このことに関して、私は二つのことが言えると思う。
ひとつは、彼がそれほど役に徹していたこと。つまり、役者の素を完璧に隠して、役として劇中に溶け込んでいたことだ。
役者としてのスキルの高さがそうさせたのだと言える。
もうひとつ。脇にいても、(おっ、あの役者さんは何て名前だろう?)と気になってしまう、存在感のある役者もいる。その人はきちんと脇役に徹していても、存在自体に華があるタイプ。事務所の先輩の小栗旬はこのタイプの役者と言えよう。特に好きじゃなくても、そっちに目が行ってしまうタイプね。
その意味では、「おっさんずラブ」以前の田中圭には、そうした「華」は欠けていた、と言えるかもしれない。
田中圭という人は、誰がどう見ても360℃ぐるっと全方位イケメン、という人ではない、と私は思っている(まあこれは好みと主観の問題なので、異論のある人は多かろうと思う)。
けどこれ、役者としてはすごい強みだと思うんだよね。
蝶子さん風に言うと、「ケイタナカのストロングポイント」ですよ。
シュッとしたスマートなイケメン役も出来るし、凡庸だけどイイ人な役も出来るし、一見地味で目立たないけど実はサイコな役も出来る。多分、愚鈍な役も出来てしまうだろう。まだ見たことないけど。
真に「カメレオン俳優」になれるのは、こういう役者だと思う。これは、全方位イケメンには出来ない技だ。
彼は非常に聡明でクレバーな俳優さんなので、その辺は心得て、役作りに生かしているのではなかろうか。
田中圭の十八番に「女にモテる優しいクズ男」の役柄があるけど、今の日本でこのタイプのクズを演じさせたら田中圭の右に出る役者はいないんじゃないかと、私は本気で思っている。
で、この、「うまい脇役」あるいは「地味なイケメン」として広く認知されていた田中圭という役者が、「おっさんずラブ」で演じた「春田創一」というキャラクターが、めちゃめちゃハマっていた。
(え、何、この人、こんなに面白い演技をする人だったの…?)
(ていうかはるたん超可愛いんだけどどうしよう……!!)
(よく見たら真顔のときはめっちゃシュッとしてんじゃんはるたん……いや田中圭はイケメンて知ってたけどでも……!!)
みたいなあの、驚愕とトキメキに満ちた時間を、2018年4月の土曜日23:15以降、それはそれはたくさんの視聴者が過ごすことになったのではなかろうか。
私はそうでした。
書いてて思ったけど、これ、アレだわ。
「普段マジメながり勉女子がメガネを取ったら超絶美少女」と同じやつや。
「ギャップに驚いて眼から鱗がポロリ」ですやん。
そのまま恋に落ちるパターンですやん…!!
この、コミカルで愉快な春田というキャラクター、「おっさんずラブ」というドラマがテンポよく進んでいくので、そのまま見ていると見過ごしがちだけど、座長の計算し尽くされた演技プランが生み出した賜物だ。
TVブロスの2018年8月号で、インタビューに答えて座長はこう語っている。
「春田って、優柔不断で自分の意志がなくて、周りの気持ちを全部受け止めて、振り回されている。なのに、愛されている人」
そうなのだ。ドラマ版、もう繰り返し見ているけど、そう思って見てみると、春田は最終話のラストに到るまで、ほとんど自分の意志がない。こんなにも「我」のない主人公って、稀有な存在じゃないかな、と思いながら、ここ最近は鑑賞している。
でも、可愛いんですよ。おろおろするはるたんを見て、大笑いしながらも、つい応援しちゃうんですよ。
その春田の造形について、座長はこうも言っている。
「まずコメディーの軸になる存在として春田を作らないといけない。そう思ったので、いつも足がわたわた動いているようなフットワークの軽さや変顔を工夫してみました」(ザ・テレビジョンNo.41p20)
あの愛されはるたんは、ベテラン実力派俳優の確かな職人技によって生まれたのですね。
で、これ、(あれ、ものごっつい似たようなこと書いた記憶がある…)と思ったら、書いてた。
この記事。
の、この部分。
田中圭演じる春田創一というキャラ、一見ダメンズでポンコツリーマンだけど、このラブコメディの核となる上で、緻密に計算された演技によって創り上げられている。
徹底して受け身で、牧と部長から寄せられる愛の間で翻弄されて、おろおろする。その性質は、体幹が定まらない立ち姿や、足元がおたおたと覚束ない妙なダンス、そしてバリエーション豊かな変顔で表現されている。
(おおおー、合ってた! 座長の演技プラン、私が感じたことと一致してた!!)
と、テストで合格点もらったみたいに嬉しかったです!笑
もう一つ、特筆すべきは、田中圭が
「優れた助演力を持つ主役俳優だった」
ということだと思う。
先に挙げたTVブロスの記事は続きがあって、
「春田が愛されるには、とにかく僕はみんながぶつけてくる気持ちを全部受け止めよう、みんなのお芝居を全部受け切ろうと思っていました」
このことは、色んなインタビュー記事で再三座長が語っていることだ。
TVブロスのインタビュー記事はこう続く。
「春田が愛されないと他のキャラクターの魅力が伝わらないと思ったので、みんなのお芝居を受け切ることは、かなり意識していました」
これまで貰った役のほとんどが二番手三番手だったので、「受け切る」ことはいつも意識している、と言った座長。
そう、彼はこれまで、
「主演の演技を受けて、相手を光らせる」
技術を磨いてきた。言わば、「助演力」にかけては経験もスキルも頭抜けていた、と言えよう。
だから、自分がなく、徹頭徹尾受け身であることでお話の核となり、笑いを巻き起こしていくタイプの主人公・春田創一を、あれほど見事に演じることが出来たのだ。
「春田は主演だけど周りを『受け切る』ことで他のキャラクターやストーリー全体がおもしろくなっていく、なかなかいない主人公だった」(TVブロス)
「おっさんずラブ」の面白さは、突き抜けたコメディである一方で、純愛ドラマとしてもちゃんと成立していた面で、そちらは「切ない」担当であった林遣都の牧凌太が、我々にとってはまるで実在しているかのような存在感を残したけれど、それもまた、座長の「助演力」の賜物でもあると思う。
これまで書いてきたレビューを読み返しても、第二話の居酒屋での告白&ケンカシーンでも、春田がクズっぷりをこれでもかと発揮するから、牧の切なさが視聴者の心を射抜いたのだ。
林遣都、吉田鋼太郎、二人とも元々高い演技力に定評のある実力派俳優だけれども、受け手であり主役である春田というポジションに田中圭がいたことで、二人の演技と存在感が、より際立ったのではないか。だから、三人の織りなすトライアングルが唯一無二の光を放つものとなったのではないかと思う。
ちずも、麻呂も、武川主任も、それぞれ個性豊かな素晴らしいキャラクターとして視聴者に受け入れられ、愛された。
それもまた、俳優各人の持つ実力もさりながら、それぞれの演技を受け止めて光らせる田中圭の「助演力」あっての現象と言えるかもしれない。
「おっさんずラブ」が世に出た瞬間とは、長い間脇役として助演力を磨いてきた役者・田中圭が、満を持して「春田創一」という役と出逢い、主役として花開いた瞬間でもあった。
……さて、またしてもというか、毎度のことながらというか、長くなったので切ります。
て言うか、今さらだけど、これだけ「おっさんずラブ」について語ることが尽きない私が、今「田中圭」について書き始めたら、ちょっとやそっとじゃ終わるわけがない、と分かりそうなものだった。
今なら「田中圭」というタイトルで2万字くらいな論文が書けそうだけど、もうちょっとボリュームを絞っていい感じにおさまるよう、頑張ります。