歳をひとつ取りました。
マイマイの1コ上になった。
この年になると、誕生日だからと言って特別どうということもない。
なんか有意義なことをしようかなあ…とぼんやり考えていたけど、シューイチで名越先生が
「(新型コロナウイルスの対策として)免疫力を上げるためには、頑張らない、ダラダラ過ごすことが大事です」
と言っているのを見て、
「そうか、そうだな! 平日は毎日仕事だ家事だと精出してるから、休日はゆっくりせんといかんな!」
と自分に最大限都合よく解釈して、結局いつも通り極めてダラダラと過ごしました。笑
昨日の夜「おっさんずラブ」の記事を書いた他は、今日の夜ハンバーグを作ったことくらいかな。頑張ったことと言えば。
ハンバーグ好きなんだけど、普段なかなか作らないんですよね。自分一人のために作るおかずとしては、ハードル高くないですか? 工程多くて。
それが、ふと(久しぶりに作ってもいいかも)と言う気になって、昨日ひき肉買ってきたの。
「きのう何食べた?」のシロさんを倣って、炒めない玉ねぎの煮込みハンバーグにしました。
玉ねぎ多すぎて生地がまとまりにくかったけど、それはそれで。
美味しゅうございました。
さてと、歳を言いたがらない女の人、昔から多かったけど、あれ、私にはよく分からなかった。
だって、女の人だけじゃない?
「おいくつですか?」
と聞かれて、
「イヤだなあ、キミ、男に年を聞くもんじゃないよ。ハハハ」
なんて答える男性、いないもん。もしいたら(え、何この人、ヘンな人…)てドン引きすると思う。
女は若いことに価値があると考えるのって、完全に男中心社会の考え方じゃないですか。生物学的には間違ってないですけどね。
知性を獲得し、多様性を認める社会を営むことを選択した人類としては、それは些か本能に重きを置きすぎる、残念な考え方だと思う。
大体、どう転んでも誕生日がくれば人は皆平等に年を取っていくのだ。
そしてこの長寿社会、「若者」でなくなってからが長いのだ。
中年以降の長い時間、ずっと「年を取った自分」を否定しながら生きていくの、不毛だししんどいと思うけどな。
職業柄、それはそれは様々な歳の取り方のサンプルが身近にある。
さすがは人生の先輩、ものの考え方といい言動といい挙措といい、こういう風に年を取りたい、と思える人もいるし、ただ徒に時間が過ぎるのにまかせるとこうなるんだな…、と反面教師になる例もある。
重ねた年の分だけ、自分の内面の蓄えを増やしていきたいものです。
まーでも、「いい歳」と言われる年になってもう長いけど、自分でもビックリするくらい(大人気ねーな…)て思うことも多いですけどね!
もうこれは仕方ない。歳を重ねれば自動的に大人になるわけではないのだ。学んで、成長していこうという意志がある人が、自分で自分を育てて初めて「大人」になれるのだと思う。そこを怠れば、そりゃ若造のときの未熟なままですわね。
自分の今の仕上がりは、自分自身がやってきたことの証拠でしかない。
身体のコンディションも、精神的な熟成具合も。
でも、前の年は悪くなかったと思う。仕事はハードで、私自身の未熟さが露呈する場面も多々あって、それこそ(この年になって…)と恥じ入ることが何度もあったけど、その分、成長出来たとも感じる。
成長する気さえあれば、人はいくつになっても成長出来るのだな、と思った1年でした。
そして、「おっさんずラブ」とこのブログ。完全に趣味で、息抜きとしてやってきたけど、詳細なレビューを書くことで、未だに新たな発見を得られる。
記事数が増えて、訪問数が増え、始めたときに比べたら、随分大きくなったなあ、と感じる。
ありがたいことです。
感謝。
後ろを振り返ると、確かに今が一番「歳を取った」状態なんだけど、先を見れば、今日が一番若いのだ。
「先」が一体いつまでかは分からないけど、何ごとか成そうと思えば、多分まだまだ十分な時間はある。
肉体的な衰えは容赦なく襲ってくるが、食事やトレーニングである程度加齢の速度はコントロール出来るし、肉体年齢を若返らせることも出来る。
うーむ、自分次第…!
ともかくも、重ねた年の数に恥じないだけ、心の豊かな「大人」を今後も目指していきたいと思います。
与えられた人生を楽しみつつ、日々精進、ですね。