おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

MUSIC BLOOD 田中圭×千葉雄大×sumika

 

 始まりましたね。日テレの新しい音楽番組「MUSIC BLOOD」。

 皆さんご覧になりましたか?

 私は見ました!

 いやー、想像以上によかった。



 座長とばーちーの組み合わせと聞いて、「おっ!」と期待する気持ちもあったものの、一方で(音楽畑じゃない2人をMCにして、どういうコンセプトの番組を作るつもりなのか?)と訝る気持ちもあった。

 過去にも色々な番組があったけど、かちっとハマらなかった企画もあったから。

 それは出演者の力量云々ではなく、制作側の意図と視聴者の期待がズレたりとか、色んな理由だと思う。

 役者としてキャリアもあり、バラエティ慣れもしていて、コメント力もある2人だから、大丈夫だとは思うけども、うーむ……と、正直一抹の不安はありました。

 誰目線なんや。



「始まりました!」

「始まったよ。どうする?」

「でももう……どうしようもないですよね?」

 スタジオに立つ2人のショットから始まったオープニング。

「音楽番組のMC」という、新しい役割に緊張している2人の様子が伝わるんだけど、そのあわあわしている言葉を、編集なしにダイレクトに放送する「生」感が、なんだろう、かえって安心な感じというか。

(あ、大丈夫そう)

(ていうかやっぱり面白そう)

 と、見て3秒で安心した。



 初回のゲストはsumika

 本人たちも

「この組み合わせが実現するとは…!」

と感慨深そうでしたが、そう、あの航空編のメンツですよ。

 sumikaが流行っているのは知っていたけど、あのドラマで知ったがために、私にとってはネガティブなイメージがついてしまって、その後なんとなく聴くのを敬遠していたバンドだった。同じように感じていた沼民の人も少なくないんじゃなかろうか。

 でも、この回はとても面白かった。




 毎年、メジャーデビューするアーティストが数多くいる。でも、1年後残っている者は少ない。3年後、5年後、となると、もうデビューした数のほんの数%しか残らないと聞いたことがある。

 だから、デビューから10年近くの月日が経ってまだ存続しているバンド、そして第一線で活躍している人たちは、「選ばれし者」なんですよね。実力と運とタイミングに恵まれた、音楽の神さまに選ばれた人たち。

 だから、どのバンドも、本当によく出来た小説のようなドラマを持っている。私が好きなUVERworldもそうだ。

 それにしても、

「ある日突然ボーカルの声が失われる」

 というのはヘヴィですね。しかも公演を数日後に控えたタイミングで。

「音楽どころか普通の生活を送るのも難しいかもしれない」

と覚悟したという、片岡さんの語りは淡々としていて冷静なんだけれども、彼の当時の絶望や焦燥を思うと、胸がかきむしられそうになった。



 で、それに聞き入る座長とばーちーの表情が豊かで、嘘がない。sumikaを襲った苦難に寄り添って共感しているのが見てとれる。視聴者と同じ目線に立って、彼らに感想を伝えてくれるから、それを見るだけでカタルシスを得られる。

 あれ、もし台本があって、演技でやっているのだとしたら、それはそれでスゴイと思うけども、そうじゃないんじゃないかなあ。




「あるアーティストの血となった音楽を解き明かす」

というコンセプトなんだけど、つまりは、音楽にまつわる「ドラマ」を見せてくれる番組なわけですね。

 sumikaスピッツの関わりについて。

 sumikaを襲った絶体絶命のピンチについて。

 それをどう乗り越えたか。

 取り上げられた曲の歌詞の中にも、ドラマが詰まっている。

 テレビドラマにも映画にも、物語には音楽が欠かせない存在だけれども、大勢の人が集まって作る音楽には、それだけで物語が内包されている。

 音楽×ドラマをこういう取り上げ方で見せてくれるのは、今の時代にもハマる番組作りなんじゃないかと思いました。




 となると、何故MCにこの2人が選ばれたのかということも、腑に落ちる。

 田中圭は達者な役者だけれども、こういう場に置くと、「思ったことを正直に言う」キャラクターとしても知られていると思う。

 目の前に展開するドラマを正確に読み取って、感じたままを言う。台本通りに進行するアナウンサーの司会と違って、お話が語られているスタジオへの距離感を近く感じる。

 千葉雄大は、あざと可愛い男子として知られていて、無茶振りもなんなくこなしてみせる度胸もあり、こなれた感じもするんだけど、30過ぎても「少年」感が消えない、不思議な魅力の持ち主だ。

 で、そつなくこなしてみせているようで、実は不器用さもあり、ちょっと読み違えて空回って恥ずかしがってみせる天然さが、

(くそーかわええ……)

てなるんだよな。

 座長が突然「で雄大は」と無茶振りして、雄大がやってみせた後に

「初回から何この空気」

と半ギレ。笑

 あ、そうそう、この2人を好きな人は(ていうか俳優が好きな人ならそうかな)、「アドリブ」が好きだと思うんだよね。

 噛み合わなかったときの滑り感もアドリブの醍醐味というか、このわちゃわちゃしたかけあいを楽しんで視聴した人も多かったと思う。

 でも、基本コメントがしっかりしているというか、勘所を外さない。

 ていうか、この2人の組み合わせ、最強じゃね…?とも思った。

 兄弟のようでもあり、親友のようでもあり、時に長年つきあったカップルのようなどっしりした絆も感じる。

雄大、ちゃんと好きって伝えてる?」

「いつも言ってんじゃん、好きだよって♡」

「/// 違うの違うの、そういう軽いんじゃなくて!」

「人の『好き』を軽く見るな」

「仕上がってるな~w」

 このやり取り、笑いました。




 この片岡さんという人、語りがとてもうまいな、と感心してみていたんだけど、音楽雑誌「音楽と人」で連載も持っているんですね。文章も巧みなんじゃないだろうか。

 スピッツの音楽を例えて「衣の薄い天ぷら」とな。「それを塩でいっちゃう」という例えが分かる。「タレに頼りがち」というのも、あーあるあるタレに頼ってるやつ!と、分かった気になる。笑

 この回を見て、sumikaがちょっと好きになったし、他の曲も聴いてみようと思った。

 初回がsumikaでよかったんじゃないでしょうか。



 うーん、これまで見たことのないタイプの音楽番組で、初回を見る限り、その試みは成功していると思う。

 他の誰かを参考にすることなく、座長は座長らしく、雄大雄大らしく、そのまんまで楽しんでやっていって欲しいな。

 来週も楽しみ。

分からぬ人々

「ミステリと言う勿れ」、相変わらず読んでいます。

 うーむ、ますます面白い。主人公の久能くんは外へ出かければ謎につきあたる。事件遭遇率90%超え。「名探偵コ〇ン」と一緒。

 けど、犯人と話していても、彼はすぐに普段自分が抱いている疑問を口に出してしまう。

「僕は常々考えてるんですが…」

 と始まると、(そらきた)と思う。

 この社会は、たくさんの「お約束」で出来ている。「今までそうだったから」とか、「皆こうするから」とか、根拠がはっきりとしていない前提が多く存在する。

 それを(何故なんだろう)と思わずにいられない男。そして、その疑問を口にせずにはいられない男。それが本作の主人公である久能整という男だ。

 それは例え監禁されて犯人に脅されているときであってもだ。

 連れの女性にナイフをつきつけられ、

「こいつを殺されたくなかったら言うことを聞け」

と言われても、ビビってしまって竦みあがる、ということは、彼にはない。

 この絶体絶命の状況下でも、久能くんは

「それ、僕は常々不思議に思っていたんですが…」

と言わずにいられない。

「何故犯人は、脅された方が『ハイ、どうぞご自由に』というかもしれない、と考えないんでしょうか。友情とか愛情とか、そういう絆を、信じている。犯罪を起こす犯人なのに」

 この調子で、我々が当たり前と思い込んでいるが故に「見えていない」前提の存在を、炙り出し、疑義を呈す。

 犯罪の内容に関係あるときもあれば、全然ないときもある。

 ともかくも彼は、「変だな」と思えば、とことん考えてしまう性質らしい。



『多くの人が好きだけど私は好きじゃないもの』は、桜以外にもまだまだある。

 例えばTDL。巨大な着ぐるみの中には人が入っていないことになってるんですよね? でもそんなことある? 入ってるにきまってるじゃん。

 それを、「きゃ~~~ミッキー♡♡」と喜んで抱き着く人々の感性が、ちょっと私には分からない。だって、それは「ミッキ―」という生き物ではないんだから。ミッキーの着ぐるみを着たどこかの大人なんだから。

 前提を共有できる人が楽しむ分にはいいんだ。楽しめばいいと思う。私には分からない感性だけど、それはそれでアリでしょう。

 価値観を共有できないことを責めたり、バカにしたりしないでくれれば、それでいい。




 あと、ジャンルは全然違うんだけど、前々から(わっかんねーな……)と思っているのが、珍走団の皆さんだ。

 あ、「珍走団」って知ってます? 夜になると、集団でバイクに乗って迷惑行為する人たち。「暴走族」ではないんだ。彼らがやっているのは「暴走」ではない。

 なんか、妙な改造を施したバイクで集まって、やたらバリバリドロドロ爆音を響かせつつ、トロトロトロトロ、ゆーーーっくり走る。

 爆音だから近所に迷惑なことこの上ない。けどアレ、日本全国の「ちょっとだけ都会」な場所、割とどこでも棲息していますよね。

 大阪に住んでたときもいた。今の住まいに越してきたとき、(わぁ、ここにもいるんだ!)とビックリした。

 近所に高速道路があって、週末になるとその珍走団の爆音が聞こえてくる。珍走したいのなら普通の道路を走ればいいのに、何故「あえて高速道路」で珍走するのか。分からん。

 



 去年、最初の緊急事態宣言が出されて以降、この珍走さんがぱったりとナリをひそめた。

 おお、コロナの影響は珍走さんにも及んだか、と感慨深かった。というかまあ、ぶっちゃけ迷惑だったので、出なければ出ないでそのまま忘れてしまっていたんだけど、半年くらいして、復活しはったんですよね。

 あの傍迷惑な爆音を久しぶりに聞いたとき、

(え……ちゃんと緊急事態宣言で自粛しとったん!?)

 てなって、

(意外と常識あるやん)

 という気持ちと、

(いやいや常識ある人がこんな爆音で珍走の習慣なんかあるわけない)

という気持ちとで、軽く引き裂かれました。笑

 「暴走」なら、まだ分からんでもないんだ。法定速度は守るべきだけれども、スピードに惹かれる気持ちは分かる。一般道でやられると迷惑だけど、そうでない場所でスピードにのめりこむのは、理解できる上、さらにロマンまで感じてしまう。

 だけど、変なバイクに乗って、単独ならともかく大勢で集まって、明らかに他人に迷惑な爆音を発しつつ、ふさわしくない低速で迷惑走行って、

(……………何が面白いの???)

 てなるよな。

 

 つーかさ、、、



 ダサくない???



 

 およそ、人間がやることって似通っていて、自分の中にも色々なスイッチがある、と思って普段過ごしている。

 だから、考えも及ばないような犯罪が起こっても、(自分もやる可能性が0ではない)と思う。で、犯罪を犯してしまった人の気持ちや動機を理解したい、という気になる。

 でも、この珍走さんたちだけは、前から考えてるけど、全然分かんない。

 今日の帰りがけ、珍走さん一派と思われるバイクが一台、信号で止まっていて、

「ぶぉん! ぶぉんぶぉんぶぉぉぉぉん!!」

とめちゃくちゃ大きな音で空ぶかししておった。

 あれ、何のためにやるんかな? (へいへい、オレ、こんな常識外れの改造しちゃってんだぜ!! ご近所の迷惑だろうがオレはやってやるんだぜ!!)というアピールなの?



 超絶ダサくない……??




 アル中の気持ちは分かる。摂食障害に私はなったことはないけど、気持ちを想像してみることは出来る。盗癖も分からんでもない。ペドフィリア小児性愛者)も……許しがたいけど、絶対にあってはならんけど、ペドフィリアを主人公に小説を書けと言われれば、不可能ではない。

 でも、珍走さんの気持ちは分からん。前からずっと気にしてるけど、やっぱり分からん。

 しなくていいと言えばいいんだけど、でも気になる。

 

 

 状況が許すなら、久能くんみたいに、

「あのー、私は常々不思議に思ってるんですが…」

珍走さんの一人に聞いてみたい。

「何故そのような行為に走るのですか?」

と。




 まあ、でも、ね。

 それは当たり前のことであって、1人の人間が想像出来る範囲には限りがあるんですよ。

 私が愛してやまないBLの世界も、「おっさんずラブ」もチェリまほも、虫の世界も、

「えー何それ。全然分かんない。無理」

 と感じる層はいるだろう。

 大事なのはここから先で、自分が想像もしなかった世界が目の前に現れたとき、無闇に拒否したり否定したりするんじゃなく、

「ああ、そうなんだ」

といったん受け止めることですね。

(そういう世界もあるのだ)(それをよしとする価値観もあるのだ)と、思ってみる。

 思えなかったとしても、拒否の態度を表に出さない。

 白黒ハッキリつけるのだけが正義じゃない。



 この世の中には、分からない人たちが大勢いる。

 分かりたい。けど分かれない。

 分かってほしい。でも分かってもらえない。

 それをそのまま、「当然」と受け止めて、お互い様だと思えればいいですよね。

 理解できないこともある。



 あの、でも、私は純粋な好奇心として、出来れば珍走さんたちが「何にエクスタシーを感じているのか」が知りたいので、もしも分かる方がいらっしゃれば、ご教示いただけると嬉しいです。

 よろしくー。ノシ

擬態の季節

 さて、今年も私が「圧倒的マイノリティ」となる季節がやってきた。

 そう、桜が咲く季節である。



 日本人はほんとーうに桜が好きですよね。だって、「花」と言えば桜のことをさすんですよ? 他にも梅や桃や木蓮水仙、紫陽花や蓮の花、菖蒲や向日葵、たくさん花の種類があるというのに、何の断りもなく勝手に「花界代表」にしちゃってるんですよ?

 まあ、ね、四季がある国のこととて、冬の寒さがゆるんで、暖かく日が差す春の訪れとともにやってくる桜の開花は、いかにも「幸運」「幸せ」というイメージと結びついて、受け入れやすかったのは分かります。

 そして、咲いたかと思うとすぐ散る。しかも、はらはらと風に舞い、雨など降ろうものなら一気に散ってしまう。

 その儚さが、諸行無常とかそういうものを好む日本人の情緒にドンピシャで合ったんだろう。



 以前も書いたが、私は桜が好きではない。

 一番の理由は、「桜の季節に嫌なことがあって、桜を見るとどうしても思い出してしまう」ということが大きい。花に罪はないことは理解しているが、思い出してしまうものは仕方ないので、私にも別に罪はないと思う。

 自分がキライだからと言って、

「桜なんて有害な花、植えていてはいけません!」

なんて主張をするつもりは毛頭ないし、桜の花の枝を折ったりする愚かな真似もしない。

 出来るだけ見ないようにして(満開の季節はなかなか難しいけど)、散るのを黙って待つ。それだけだ。

 別に、誰にも迷惑はかけていないと思う。



 でも、そもそも、奈良や平安のお貴族さま達が「しづ心なく花の散るらむ」なぞと雅なお歌を詠んでいたときと、今の私たちが目にする桜とでは、まったく風景が異なるはずなのだ。

 ソメイヨシノという品種が開発されたのは江戸後期。そして、日本全国に植えまくられたのは昭和になってからの話。

 同じ時期、一斉に開花するなんて、桜(ソメイヨシノ)だけですやん? しかもあんな近接してぎゅうぎゅうに植えて、不自然じゃない? …というのは、前から思っていた。

 実は、全国のソメイヨシノは1本の樹のクローンであるというのは、今では有名な話だが、初めて知ったとき、私は(あー、それでか)と腑に落ちる思いだった。

「不自然」と感じたのは、あたっていたんだな、と。



 もう一つ、これも以前書いたが、「花見」の風習が、私の桜嫌いに拍車をかけた。

 正確に言うと、「都会の花見の習慣」だ。花見のために早くからブルーシート敷いて陣地取りしたりするアレね。そんで、花が咲けば酒を飲んで酔っ払い、大騒ぎをする。あれ、楽しいんですかね? 私には醜悪な風習としか思えない。

 桜を愛でるのなら、酒など飲まず、落ち着いて桜を見ればいいじゃないか。

「お花見」と称して飲食している人たち、まともに桜の美しさを鑑賞しているとは思えない。

 ていうかさ、私、自分も酒飲みだから分かるんだけど、呑兵衛ってマジでなんでも飲む理由にするからね。

「今日はいいことがあったから」も「今日はイヤなことがあったから」も等しく酒を飲む理由になる。

 あのお花見って、(酒を飲む口実じゃね?)と思えてならない。

 

 

 私は桜が嫌いだが、桜を好きな人たちのことをバカにする気持ちなんかない。

 花見を口実に明るいうちから酒を飲んで騒ぐ人たちに対しては、冷ややかな眼差しを向けているが、それは別に対象が桜だからではなく、花火大会でもハロウィンでも同じことだ。




 だが、先にも書いたように、日本人の大半は桜が好きらしい。

 集計をとったら9割はいくんだろうか。それとも、中には私のように、隠れ桜嫌いが紛れているんだろうか。知らんけど。

 そして世の中というものは多数派向けに作られている。

 3月も後半になってくると、お天気ニュースで「桜前線」なるものも報じるようになる。

 どこで三分咲きとか、あそこで五分咲きになったとか、そんな話題でもちきりとなる。

 正直私には全然興味のない話だが、まあそれは別にいい。



「桜が咲き始めたねえ」

と、日常会話の冒頭がまずこれになる。「今日はいいお天気ですね」と同じだ。

 ここで、

「いや、実は私は桜が嫌いなタチでして」

などと正直に言おうものならどうだろう。

「えっ!?」

と驚かれるだろうな。

 で、

「なんで??」

と聞かれるだろうことは容易に想像がつく。

 なんでも何も好き嫌いに理由なんてあるかい、とは思うものの、日本人なら当然好きだと信じて疑わず生きている人たちが圧倒的多数だから、まあ、仕方ないのかな、とも思う。

 諸々考えてめんどくさいので、

「そうですね」

とニコニコ相槌をうつことになる。

「近所の〇〇川の川べり、今度の日曜には満開だよ」

とかなら、

「楽しみですね」

と社交辞令で言える。

 私は楽しみじゃないけど、その人には確かに楽しみだろうと思うからだ。

 ここまでも別にいい。




 世の中には親切な人がいて、

「アンタ、今度の日曜は絶対に〇〇へ行きなさい。あそこはここらでも有名な桜どころだよ。行かないと損だよ」

とまで勧めてくれることがある。

「ああ、そうですかー」

と、これもニコニコ作戦で相槌を打つんだけど、どうかすると、次の月曜日に

「アンタ、昨日あそこへ行った?」

と確認してきたりする。

 となると、少々めんどくさくなってくる。行ってないし、そもそも行く予定がない。人にお勧めするのはいいが、自分のお勧めどおりにしたかどうか、確認するのはやりすぎだ。相手にも選択の自由はある。



 でね、これはまあ、些か極端な例ですが(でも実例)、圧倒的マイノリティというのは、こういう目にあう確率が非常に多い。

 なぜなら、言葉を発する方には、

「もしかすると桜を嫌いな人もいるかもしれない」

という予想が、1ミリもないからだ。

「悪気がない」という言い方があるけど、それはある意味、悪意があるよりも厄介だ。

 存在そのものが見えていないのだから。



「え、別に、フツーに桜好きだよ? キレイじゃない?」

という感性の人たちには、この息苦しさはちょっと想像できないかもしれない。

 でも、3分でいいから、そこを頑張って想像してみてほしい。

 日本のこの時期は、本当に桜一色に染まる。というか、

「日本人なら当然桜好きでしょ。好きだよね?」

という前提で出来ているものが多い。

 これが薔薇とかガーベラなら、

「んーちょっと趣味じゃないわ」

と言える余地があるのだが(どちらも私は好きだけど)、桜にはない。

 上に挙げた親切な人に

「私は桜が好きではないので、お花見も行きません」

 と言ったら、

「えっ桜が嫌い? アンタ、日本の人じゃないの?」

くらいは言われるかもしれないし、

「へえー、変わってるねえ」

と引かれるかもしれない。多分、ポジティブな反応は返ってこない。

 私は桜を愛でる人たちの感性を、自分とは違うな、と思うだけで、バカにすることも蔑みもしないのに、桜好きな人たちは、圧倒的マイノリティである「桜が嫌い」という意見を聞くと、若干バカにするのだ。

 もちろん全員じゃないんだろうけど、そんなの1人2人にあたれば十分で、後はもうイヤな目に遭いたくないから、桜を好きなフリしてやり過ごすことになるわけだ。

 その方が簡単で、話が早い。何よりあと腐れがない。



 でね、ここまで書いといてなんなんですけど、桜が嫌いな私は桜の季節に圧倒的マイノリティである自分を痛感することにはなるんですが、実際、そこまで困ってはいないんですよ。

 何故なら、桜は咲いたかと思うとすぐ散るからだ。

 10日程度の我慢で、世間の話題は次の季節へと移っていく。



 でもこれを、ずーーーーーっと味わうことになるのが、もともとマイノリティの資質を持って生まれてきた人たちだ。

 ゲイだけどゲイじゃないふりで生きなければならなかった人たちなんて、どれほどいるんだろう。桜嫌いが10日間だけ桜好きなフリをする擬態なんて、別に苦痛というほどではない。めんどくさいだけで。

 だけど、同性が好きなのに、異性のアイドルが好きなフリをしなきゃいけないとか、好きな色だって違うやつ言わないと気まずいとか、いやー……想像するだに大変だわ。



 マイノリティの哀しさって、差別的な態度を取られるとか、イヤなことを言われるとか、そういうことだけじゃないんですよね。

「世の中に存在を認められていない」「いないことにされている」というのが、(え、じゃあ自分てなんなん)という違和感に繋がるのだ。




「和を以て貴しとなす」の国だ。実際、その「和」の精神で、色んな部分で調和がとれて、うまくいっていることも多いんだろうけど、「同調圧力」が変な方向にはたらくと、個々の感じ方や生き方の自由な発露を阻害することになる。

 自分が多数派の方に属していると、気づきにくいというのもある。私も、親友が

「私、カレー嫌いなんだよね」

と言うのを聞いて、初めて(へえっカレー嫌いな人いるんだ!!)と驚いたもん。

 でも、考えてみれば当然の話で、100人いて100人とも好きなものなんて、世の中には存在しないのだ。

 

 

 なんでも自分を基本にしない。(相手は自分と違うかもしれない)と想像してみる柔軟性を持つ。

 そして、自分の予想と違う反応が返ってきたときに、相手を否定しない。

 これだけで、傷つく人が随分減る気がする。




 ……ということで、「桜嫌い」である自分の性質をネタに、マイノリティについて考察してみました。

 イヤな思いをさせられる方であるのはいい。

 逆の立場にはなりたくない。

 そのためには、普段から色々とアンテナを立てて、電波を受信する感度を磨いておかないといけないな、と思いました。

 まる。

男も女も超えていけ!

 YouTubeが私の日常の一部になったことは、既に書きました。

 で、新しい視点を与えてくれるのもYouTube

 

 

 こないだ見てビックリしたのが、これ。

 

www.youtube.com

 

 いわゆる、カップルチャンネルというやつなんですかね。でも、男性が「女性の生理を体験してみよう」と自らすすんでやってみるというのが、私にとっては驚きの連続だった。

(ほほぉ、若い人たちは男女の性別の壁について、かなり柔軟になっておる…)

という感慨。

 

 

 で、一度こういう動画を見たら、似たような傾向の動画がおすすめに出てくるじゃないですか。

 結構あるんですね。この手の動画。

 

www.youtube.com

 

 女性が生理のとき、彼氏or旦那さんが理解してくれない、辛いのに体の負荷がかかるような提案をする、そのため愛情のゲージがかなり減ってしまった…みたいな投稿はよく目にする。

 でも、「そもそも全然知らない事象」なのであれば、言わないけど分かってくれというのは、無理な話だ。

 

 

 この動画もちょっと感動した。

 

www.youtube.com

 

 

 考えてみれば、「生理」って、ほぼすべての女性にとって「毎月来る当然の自然現象」なのに、(なんとなく恥ずかしい、隠すべきこと)という認識ですよね。

 だから、生理期間に突入したことを周囲に隠すすべに長けるようになる。生理用品を持っていることも悟られないようにするし、生理特有の体調の悪さも極力悟られないようにしてきた。

 それが余計、男性にとっては、

「見たことも聞いたこともないから想像が及ばない」

現象になってしまっていたんだな、と改めて思った。

 

 

 男と女の間には、深い深い溝がある。両者の間には、越え難い分断がある。

 と思ってきたけれど、それはもしかすると、お互いに「今までそうだったから」と思い込んできたこととか、知らされないが故の無知による想像力の欠如とか、(言わないけど分かって欲しい)という察してちゃんとか、そういうもののせいであって、思い込みや偏見を捨てて互いに歩み寄ろうとする意志さえあれば、その溝は超えられるのかもしれない。

 と、思うことが出来ました。

 

 

 でも、ともかく、

「他者に対して想像をはたらかせる」

のと、

「自分の『常識』が通用しないかもしれない」

という柔軟性で、色んな壁を超えていける気がする。

 それに関しては、若い人たちの方が、自分の頭で考えて、これまでの「常識」に立ち向かう力もスキルも勝っているかもしれない。

 

 

 とは言え、所詮、年齢による括りってあまり意味がない。

 あの有名ユーチューバーも、こんな企画をやってました。

 

www.youtube.com

 

 

 どんな人も、壁を感じることなく、繋がっていけたらいいな、と思う。

 コロナ禍はもしかすると、その動きを後押ししてくれたかもしれない。

 ね。

 

 

春牧小説 2

 小説の続きです。

 

もしも春田が牧の部屋で田中圭の写真集を見つけたら 2www.pixiv.net

 

 

 供給がないので自家発電。自給自足方式。

 でも出来れば、公式さんからの供給が欲しいところですよね。

 チェリまほ沼は潤っていて何より。

 

 

 脳内の映像がそのまま映像化できる未来が来たらいいなあ。

 私の中では、春田と牧はいつでも生きていて、ドラマ&劇場版のままに動いているんだけど。もちろん部長も主任もちずもマイマイも。

 

 

 とりあえず、レビュー&虹小説の更新頑張る。

心臓が色々とアレだった件。

 仕事帰りの電車の中、何気なくツイッターを覗いて、驚いた。

 

「俳優の志尊淳(26)が急性」

 

 とここまでが目に入って、心臓がきゅうっと縮み上がった。

 一瞬で去年の夏の三浦春馬ショックが脳裏に蘇って、マジで心臓がことんと音を立てたと思う。

 

「急性心筋炎と診断され、入院。3週間の休養」

 

 と続きを読んで、電車の中でほう…っとため息が出た。

 

(はー、よかった。心臓に悪いがな……)

 いやもうホントにね。

 とりあえずは無事でよかった……(´;ω;`)

 

 

「急性心筋炎」という病気を私は初めて知ったんだけど、怖い病気なんですね。

 

【急性心筋炎】

 心臓の筋肉の炎症。炎症が起こる原因としては、ウィルスが最も多く、他に細菌、毒素、薬、原虫等もある。はっきりした診断が難しく、40歳以下の突然死の2割程度が急性心筋炎ともいわれる。

 無症状であることも多く、あるいは風邪のような症状だったり、息切れ、呼吸困難、動悸、不整脈など様々で、ショック状態から突然死に至ることもある。

 

 

 何これ怖……

 

 

 もう、ホントにね、いつ何が降りかかるか分からない。

 突然大地震に見舞われたと思ったら津波が襲ってくることもあるし、パンデミックに巻き込まれることもある。

 26歳という若さで、しかも今もっとも脂がのったというか波に乗ってるというか、注目の若手俳優である志尊くんが、心臓の病気に罹ってしまうとは。

 幸いにして劇症に至らず、仕事も休んで入院治療が可能なのはよかった。

 

 

 志尊くん、キミにはまだまだ日本の芸能界で活躍してもらわないと困る。

 3週間と言わず、ゆっくり休んで、きっちり治していただきたい。

 もうこれ以上実力のある役者さんに去ってほしくない。

 切実に思います。

 

 

 相変わらず忙しすぎる座長も、遣都も、みんなみんな身体を労わって、長く活躍してほしい。

 よろしくお願いします。

 マジで。

 

 

※前に載せていた事故の実録記事は、アップしたものの(今ひとつエンタメ性に欠ける)と感じたのでいったん削除しました。

 もうちょっと違う形で書こうと思います。