おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

お知らせ。

 こんばんは。今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 

 

 皆さん、先日の部分月蝕はご覧になりましたでしょうか。

 私は見ました。

 勤務中にあたる時間帯だったので、直接見られないだろうと諦めていましたが、ちょうどたまたま、見ることが出来ました。

 新月よりももっと細く、糸ほどになった月が、段々と現れていく、まさしく佳境でした。

「天体ショー」をリアルタイムで見ると、地球や太陽系のことなど身近に感じられて、なんか刺激されますね。




 ところで、私のハンドルネーム「朔」は、インターネットを使うようになってからずっと使用している名前なんですが、由来は「朔の月」にあります。

「朔」=「ついたち」、つまり、月がもっとも痩せている時期を表す言葉。

「望月の 欠けたることもなしと思へば」という精神とは正反対ですが、「これから満ちていく」ことを思えば、前向きで、ポジティブな意味を込めてつけた名前です。

 根拠のない自信に満ちていた自分に対して、「まだ何者でもない」と戒める意味もありました。

「サク」という読みの音が清音で軽く、ユニセックスな響きでもあり、本名とかぶる音でもあって、我ながらよい名前をつけたと、未だに気に入って使っています。




「もっとも痩せている」=一番下、と取ることも出来ます。

 今年の私の状況は、どん底……とまではいかないまでも、割と「底」ではあったかもしれんな、と、見事に欠けた月を見ながら、ふと抱いた感慨でした。

 



「健康」を目標に掲げた途端、まるで狙いすましたように私の身体が脅かされる事態が相次いで襲ってきたわけですが、コロナ克服の後も実は続いておりまして。

 今月、入院して手術することになりました。

 



 あ、がんとか深刻な病ではないので、その点はご心配なく。




 これまで別に、健康自慢だとか、頑健な身体を誇っているというわけでもなかった。

 どちらかと言うと身体は弱い方で、小さい頃はぜんそくのせいでしょっちゅう寝込んでいた。保育園に登園出来たのが月のうち3日なんてこともザラでした。

 だけど、小学校の高学年ともなればそれも落ち着き、なんだかんだ低空飛行ではありつつ、入院・手術とは無縁で生きてきた。

 なので、入院も手術も、人生初の出来事となる。

 出来れば避けたかったが、そうなればなったで、ひとつの経験ではあるので、じっくり味わおうと思っている。

 時間と気力に余裕があれば、それはそれでまた記事にします。




 

鬼滅の刃」の主人公・炭治郎は、第一話で、家族みんな仲良く助け合って過ごす暮らしを振り返って(幸せだ…)と述懐したあと、

(だけど、人生には空模様があるから…)

と言う。

 まことその通りで、順風満帆のときもあれば、なぜか立て続けに不運が見舞うときもある。

 私は今まで、運がよかった。幸運に恵まれて生きてきた。

 だけど、人生の折り返し地点が近づいてくると、そう毎年毎年「あー今年もラッキーだったー!」と言っていられないときもある。

 

 

 とは言え、実のところ、それほど「大変だあ!」とまでは思っておらんのだけれども。

 事故も確かに大変で、辛かった。けど、命に関わる怪我じゃなかったし、後遺症もなく完治した。

 コロナも高熱が10日続いて、どうなるかと思ったが、結局治った。これまた後遺症はほぼゼロ。

 そして今度の手術。今は症状があるから身体がしんどいが、手術してしまえば治る病気だ。突然倒れて運ばれるとか、手術しても予後が悪いとか、再発の可能性があるとか、そういう病気でないのは不幸中の幸いであった。

 色々あるけど、「ま、しょうがない」と受け入れる心持でおります。

 

 

 で、何してるかと言うと、早く治したいのでせっせと料理して栄養を摂取し、術後の衰えに備えて筋トレしてます。

 人間、いつのときもやることってそうそう変わらんな、と自分でも思います。

 

 

 というわけでして、しばらく更新は出来ないことが多いと思います。

 このところろくに記事をあげておりませんが、夏以降はそういう事情でした。

 やっぱり、体調がよくないと、集中して長文を綴るという作業が出来かねる。

 心と体は連動しているんだなあ、と、つくづく実感した。

 

 こんなブログにも見にきてくださる方がいらっしゃって、ありがたいことです。

 完全に休みというわけではなく、書けるときには書くと思います。

 身体が癒えたら、またがしがし更新します。

 

 

 皆さまもお身体にはお気をつけてお過ごしくださいませ。

 では。

 

映画「犬部!」感想と、人と動物に関する少々暑苦しい私見

 お久しぶりの更新です。

 えーと、ちょっと一身上の都合で色々ありまして、正直ブログどころではない状況でした。

 それについてはまた今度。

 

 

 さて、表題の件。

 ちょこっと気になっていたタイトルではあった。

 こないだ、アマプラを流し見していたらおすすめに出てきた。

(……ちょっと見てみようかな。遣都だし)

 と、見始めはそういう、軽い気持ちだった。



 これが、予想外によかった。

 色々と考えさせられたのと、犬を取り巻く状況について私が常々思っていることとリンクして、心が動かされた。

 以下、感想。




「犬部」というのは、実在したサークルのタイトルだそうな。

 林遣都が演じた獣医師の青年・花井颯太も、モデルがいるみたいだけど、事実を基に作られたフィクションである。

 ドキュメンタリーに比して、フィクションとは「絵空事」「作り物」のように捉えられることも多いけど、我々の生きる世界の「現実」の核の部分を抽出して、漉しとって、作品として見せるには、フィクションの方が鑑賞者の心に迫る手法であり得る。

 その意味で、これは優れたフィクションだと思った。



 犬が好きで、犬と見れば保護せずにはいられない花井颯太。

 獣医師を目指しているのに、必須である外科研修を「受けない」選択をするのに迷わない。なぜなら、「1匹も殺さない」ことを目標としているのに、試験のために罪のない動物を犠牲にするのは、花井にとっては「ありえないこと」だからだ。

 若者の理想はしばしば現実とは違う。大人が決めた「慣習」や「前例」や「きまり」によって、歪められたり踏みつけにされることもある。

 だが、花井はそんなことでめげるヤワな青年ではなかった。こう、と決めたからには必ずやりとげる。

 結局、動物病院に協力をあおぎ、実際の手術を間近で見せてもらうことで経験を積み、レポートを作成して、単位をもらうことに成功する。

 



 一方、志を同じくするはずの親友・柴崎は、ここで花井と意見が対立する。

「俺はやる。獣医師になるために必要なことならやる。そして、その犠牲を一生忘れない」

 と花井に告げる。




「昆虫大好き」のくだりでも書いているが、私は生き物が好きだ。

 特に好きなのは猫。動物が好きな人なら分かると思うけど、猫好きの「好き」は、

「好きなおでんの具? んー、やっぱり大根かな。あと卵」

みたいなのとはわけが違う。

 世に可愛い動物はいっぱいいて、ハムスターもシマエナガもパンダも全部全部

「可愛い~」

てなるんだけど、猫は格別。

 岩合さんの番組かなんかで猫が

「ニャン」

て鳴くと、無条件で

「ニャン」

と猫語で返事してしまう。無意識にだ。周りに誰もいなくて、一人でテレビを見ているだけの状況であっても、だ。

 傍から見たら怖い図だと思うが、それが猫好きというものだから仕方ない。

 インスタでは当然、猫動画のアカウントを複数フォローしている。子守り猫が泣いちゃった赤ちゃんの涙を一生懸命なめてたりすると、

「おーよしよし、エライねえ。赤さんを守って立派だねえ…」

と、なんか知らんがこっちまで涙が勝手に出てくる。

 現実世界で、そこら辺を歩いている野良猫に遭遇すると、(わー可愛い! 遊びたい!)て思うんだけど、猫にとっては知らん人間なんか迷惑でしかないから、お猫様の意志を尊重して、近づきもしないで我慢する。

「猫と遊びたい自分の気持ち」<<<<<「知らん人間に関わられるのがイヤなお猫様の気持ち」なわけだ。

 ヘタに餌で釣るような真似も絶対にしない。飼えない動物を餌付けしたって、お互いに不幸でしかないからだ。




 よく「犬派」「猫派」なんて言い方するけど、それで言うと私は問答無用で猫派だけど、どっちか一方だけを好きなんて人、稀だと思う。

 片方を好きなら、もう一方も絶対好きなはずなのだ。同じ哺乳類の小さな命、人間を慰めてくれる愛玩動物であることには違いないのだから。

 だから、猫ほどの熱量ではないけれど、犬だって好きだ。

 だけど、街で犬を見かけて、(わー可愛い~)と無条件で思えないことも多い。

 原因は犬じゃない。犬を飼う人間の側にある。




 同じ一つの種なのに、犬ほど個体差が激しい動物、いないんじゃないですかね?

 セントバーナードとチワワでは、大きさが違い過ぎて子孫を残すのも難しそうだ。何故かと言うと、言うまでもなく、人間が自分の便利なように品種改良を繰り返したからだ。

 愛玩用に見た目をいじるのはいい。いや、よくないけど、そういうエゴは私は好かんけど、もうそうなっちゃったんだから今更どうこう言っても始まらない。

 ただ、そうならそうで、その犬種の特性に合った飼い方をしなければならない、と思う。

 というか、そんなの別にわざわざ論じるまでもなく、

「一緒にいる子の幸せを考える」

という、ごく当たり前の思考回路なら、当然そうなると思うんだけど、これがどうしてなかなか、そうはなっていない例をよく目にするのだ。

 犬でも猫でも、長毛種をこの高温多湿の日本で飼うのなら、相応の対処をしてあげないと辛いにきまってる。が、まったく毛のカットをせず、長いまま、8月の炎天下の真昼間に散歩させていたりするから驚く。

 犬を連れているご本人は、日傘にサングラスにアームカバーで、日差し対策は万全だったりする。犬がハァハァして足取りも重いのが目に入っていないらしい。

 たまに、尻尾がない犬を見かける。断尾って言うんですってね。一体何だって、生きている動物の尻尾を切り取ったりするんですかね?? 意味がまったく分からんのですけど。

 あれはボクサーだっけな、数匹連れて歩いている人を見た。見るからにお金持ちげ。立派な体格の犬は、全部尻尾がなかった。

(??尻尾がない…?)

と疑問に思ったとき、昔漫画で読んだことを思い出した。

 ペットショップで血統書つきのお高い犬種をご購入されたのかもしれない。悪いが私には、切り取られた尻尾を気にもしないで飼える人の気がしれない。まあ、血統とか値段で家族となる動物を選んで「買う」という行為が、そもそも分からんのだけれども。




 いっとき、兵庫の山奥ばかり訪ね歩く仕事をしていたことがある。

 そこで、「幸せ」とはかけ離れた状況で飼われている犬をたくさん見た。

 田んぼの脇の杭に鎖で繋がれて、これまた真夏の炎天下、ハァハァ息が荒く、明らかに熱中症になるぞ…という境遇の犬。

 汚いステンレスのボウルに水だけ入れてあって、餌は見当たらない。小屋もなく、暑くても日差しを遮る物が何もない。

 飼い主は、一体何だってこんな飼い方してるんだろう……と大いに疑問であった。

 近づくと、そわそわと立ち上がり、一心にこちらを見つめて、尻尾を振るのだった。通行人が撫でてくれたり、おやつをくれたりするのかもしれない。

 ほとんど野放しとは言え、他人の飼い犬に断りなく食べ物をあげるなんて出来ないし、うかつに手を出すこともはばかられるので、心は痛むけれども、黙ってそばを通り過ぎるしかなかった。

 かと思えば、室内に閉じ込めて、外にほとんど出さずに飼っているケースもあった。お腹が膨れて黒ずんで、素人目にもよくない腫瘍が出来ているっぽかった。数センチ伸びた爪は途中で曲がり、外で歩く機会もないことが見てとれた。歩くのにさぞかし邪魔だろうと察せられたが、飼い主は、爪を切る手間さえかけるのが面倒らしかった。

 言いたいことはたくさんあったが、呑み込んで、

「可愛いワンちゃんですね」

とだけ言った。(犬を「ワンちゃん」と呼ぶのは私の趣味ではないんだけど、犬を飼っている人はそう呼ぶことが多いので)

「あー……孫が飼ってた犬でな。孫は今東京やから」

とだけ、その老人は短く答えた。

 つまり、孫が子供だったころに飼っていた犬を、大きくなって都会へ出て行ったあと持て余し、一応居場所だけは与えている、ということなんだろう。

 だからってこの飼い方はないだろう…と問い詰めたかったが、そのときの私に出来ることはなく、黙ってその場を去るしかなかった。




 もうホントこれは、声を大にして言いたい。



 動物を飼うのなら、「健康で安らかな最低限度の生活」を保証して欲しい。

 

 ちゃんと、栄養バランスのとれた美味しいご飯を供する。

 安心して眠ることが出来るベッドがある。

 その子に必要なケアが与えられる。

 体調を崩したなら速やかに医療機関を受診させる。

 

 

 私は、ペットショップで動物を「買う」ということはしないけど、そうして家族をお迎えする人はたくさんいるだろう。それを否定はしない。

 ただ、入り口はどうであれ、飼ったのなら、それはもう「家族」でしょう。

 家族なら責任持って、幸せにしてあげて欲しい。

 人間の家族なら、イヤなら家出なりなんなりすればいいが、動物にはその選択肢はない。



 それが出来ないなら、飼わないで欲しい。




 何度も書くけど、私は重度の猫好きだ。当然、猫を飼いたい気持ちはある。めちゃくちゃ飼いたい。帰って、猫が「にゃ~ん」とお迎えしてくれて、お腹モフモフさせてくれて、じゃれて一緒に遊ぶことが出来たら、間違いなく私の幸福度は80%はアップすると思う。

 だけど、飼わない。

 なぜなら、私の今の状況が、猫を幸せに出来るものではないからだ。家を空けている時間が長い。ペット可の物件ではあるけど、家の中が猫仕様ではない。病気になったとき、惜しみなく医療費をかけてあげたいけど、そう出来るかどうかは心もとない。

 なので、「飼わない」という選択をしている。

 

 

 捨て猫とか、親とはぐれた野良の仔猫とばったり出逢ってしまったら、その子が私の助けがないと死んでしまうような状況なら、躊躇いなく家に連れて帰るけど、幸か不幸か、ここへ移り住んできてからそんな邂逅はまだ訪れない。

 まあ、ここ、ド田舎ですぐそこが山、川の反対側が住宅地だから、野良には理想的な環境かもしれん。

 人に飼われなくても幸せに生きていけるのかもしれない。

 私には寂しいけど。

 ぐすん。




 動物を飼う人は、最初は皆「最後まで飼おう。この子を幸せにしよう」と思っているのだと思う。濃淡の差はあれ。

 とは言え、環境が変わることもある。それこそ、主体的な飼い主が成長して就職し、土地を離れる、ということもあるだろう。

 あるいは、世話が行き届いていたがゆえに動物も長生きし、飼い主が高齢になって、入院したり施設に入ったり…ということもある。

 ペットのことがおろそかになりがちで、可哀そうに思いつつ、どうしようもない…という状況も起こり得る。



「ペットショップドリーム」のエピソードは興味深かった。

 多頭飼いが過ぎ、近所から苦情が発生したとしても、本人には事情があるかもしれない。早い段階で行政が支援の手を差し伸べていれば、防げることもあるんだろうな、と考えさせられた。

 人間、心の底から悪い人なんて、そうそういないんだと思う。

 自分の生活でいっぱいいっぱいだったり、しんどい状況に負けたり。無知や怠惰から、虐待に近い状況を招くこともあるかもしれん。そのすべてを頭から否定することは出来ないし、責めたところで何も始まらない。

 そうしたピンチに、頼れる仕組みがあれば、不幸な動物も人も、減るんじゃないかな、と感じさせられた。




 花井先生のような獣医師や、柴田のような保健所の所長がもっともっと増えれば、人とペットを取り巻く状況も変わっていくかもしれない。

 カマキリ先生のような生き物好きが、メディアで熱量を持って命の尊さを発信してくれれば、自分と違う命に対して真剣に向き合う子供が増えるだろう。そういう子は、大人になっても、生き物を無下に扱うことはしなくなるかもしれない。




 我々は資本主義の社会に生きている故、店で動物が「販売」されているのを一概に否定は出来ない。

 がしかし、生まれる命をすべて値札をつけて考え、利益のことしか考えていないペットショップ経営者やブリーダーは絶滅して欲しい。

 特に犬だよ。遺伝病の遺伝子をそのままに繁殖させてるなんて頭おかしいでしょ。

 法律を変えて取り締まるべき。





 …と、このように、私が常々考えていたことと響き合って、色々と言葉が湧き出てきた映画だったのでした。

 いい映画でした。

 未見の方、是非。

金木犀と衆院選

 今年は金木犀が遅かった。

 例年、10月の声を聞くとあの香りが漂い始めるのだけれど、今年は10月に入っても夏の暑さが続いた。

 やっと涼しくなったと思ったら、急に冷え込んで、なんじゃこりゃ!と驚いたのがいつだっけ。あ、18日か。こういうとき、日記書いてると便利やね。

 ようやくこの辺もそこら中金木犀の香りに包まれるようになった。




 さて、本日は衆議院選挙でした。

 私の元にも来ましたとも。投票所の案内が。

 うちの選挙区の投票所、結構遠いんですよね。これまではバイクで行ってたけど、事故で昇天してしまったので、足がない。

 歩いていくとどうかな…と、グーグルマップで経路を示すと、「徒歩25分」と出る。

 25分ですってよ。片道。

 ………このクソ田舎が!(鬼滅善逸風)




 …と毒づいていても、仕方ない。

 というかまあ、別に歩いていけない距離じゃない。今まで住んできた街では、投票所が割と近くにあって、歩いてもせいぜい10分くらいのところにあったので、ちょっとカルチャーショックだったけど。

 そもそもここ、ド田舎だもんで、基本「車持ってるでしょ?」という前提で街が作られてるんですよね。だから私のように持っていた足をなくしてしまうとちょっと不便だけど、それでも、投票所まで片道1時間もかかるでなし。

 天気もいいし、雨降ったらバスもあるし。

 ということで、朝から洗濯だの料理だの筋トレだの済ませて、夕刻になってから出かけました。




 ここら辺は勾配が多くて、うちを出るとまず結構なのぼり坂を歩いてバス通りに出る。

 バス通り沿いを歩いていても、そのうちまたうねうねと坂道になる。

 暑くも寒くもなく、風も穏やかな秋の夕方、運動するにはちょうどいい。

 マスク越しにも感じとれる金木犀の匂い。

 歩いているうちに刻々空の色が変化していって、街並全体が暮色に沈んでいく。

 遠く、坂の上の住宅街の辺り、紅葉が始まっているなあ…と眺めたり、(あ、こんなところにカフェが出来てる)と発見したり。

 赤いレンガ造りの大きな家があって、庭が雑草でぼうぼうになっていて、どうやら空き家らしいのに、まったくもって無関係の赤の他人の分際ながら、胸が痛くなったり。

 やけに明るい光が漏れているのは、車の販売店だ。家族連れがテーブルについて、何やらメニューを見ている。奥さんらしき女性の膝には赤ちゃんが立っていて、向かいの席の男性が微笑んで赤ん坊に話しかけている。夕刻、ショーウィンドウのガラス越しに見る家族連れって、えらく幸せそうに見えるよな……と、余計な感慨を抱いたり。




 まあそんなこんなで、ウォーキングを楽しみながら投票所に行ってきました。




 閑散としてはいたけど、投票に来た人がまあまあいた。

 指示に従って投票用紙を受け取り、黙々と書きこんで投票箱に入れる。

 うちは市長選もあったから、それを×4回。

 最高裁判所裁判官の国民審査権って、国民が持つ大切な権利の一つであると習うけど、これ、意味あんのか…と毎度思う。

 だって、最高裁判所裁判官の仕事に注目して、誰がどんな判決を下しているか、どういう思想傾向があるか、詳しい人なんている?? 傍聴マニア以外に??

 選挙前に、対象である11人の裁判官の経歴とこれまでに下した判例をサイトで確認し、判断材料に出来るようになっているけど、これ、全員の分をちゃんと見て予習する人、どれだけいるんだろう。

 私は、スミマセン、正直に言うと、そんなものは見ずに行きました。




 あ、そうそう、出口に「出口調査 NHK」の腕章をつけた人がいて、(なんか聞かれるかな?)と思ったけど、私には興味を示さなかった。

 どういう人を対象に聞いてるのかなあ。無差別じゃないのか?




 投票を済ませ、来た道を歩いて帰る。

 帰宅すると間もなく選挙速報を各テレビ局一斉に報道し始めた。

 



 今回の結果は、(うむ、行ってよかった)と思えるものでした。

 当選された方々、おめでとうございます。

 願わくば、選挙の時だけの「イイ顔」じゃなくして、公約はきちんと果たす「公僕」たれ。

 そして貴重な票を投じた人が(次も選挙に行こう!)と思えるような結果を残していただきたい。

 

 

 

 

 

 日本の投票率の低さ、政治と普段の暮らしの関係、比例区一票の格差問題等々、言いたいことはたくさんあるけど、それはまた今度。



 こんな10月最後の一日でした。

コロナ罹患者のワクチン接種2回目

 こんばんは。今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 さて、先日の日曜日、表題の通り、2回目の接種を受けてきました。




 1回目と同じ大規模接種会場。シャトルバスで到着後、受ける人たちが続々と降りて、粛々と会場の奥へと向かっていく。

 スタッフが適宜、

「ハイ、1番へどうぞ~!」

「次の方、5番へお願いします!」

「あなたは4番へ行ってください!」

とテキパキ案内してくれる。

 行くと、身分証と予約票を提示して、本人で間違いないか、項目はきちんとチェックされているか、記入内容に問題はないかをさっと確認され、

「ハイ、OKです! では矢印に沿ってお進みください」

と示される。

 もう、アレですわ。ベルトコンベアーに乗って運ばれていくお菓子になった気分。

 ともかく全てが効率よく運ばれ、1秒たりとも時間のロスは許されない感じ。




 11時の予約のところ、バスを一本逃して、着いたのが11:10だった。

 でも、11:00~11:30の予約グループで区切って作業がなされていくので、この方がタイムロスがなく、ちょうどよかったみたい。

 11:30予約の人たちはまとめてブースに入れられ、待たされていた。

 早め早めに行動するのは日本人のいいところだと思いますが、ワクチン接種に限っては、そんなに早く行かない方がいいみたいです。




 2回目は、注射自体は本当に全然痛くなかった。

「ちょっとチクッとしますよー」

と言われたけど、「チク」とも感じなかった。

 会場に入ったのが11:10で、終わったのが11:20。速!!

 そんで、「11:35」と書いた札を持たされて、出るまで椅子に座って待機。

 時間が来たらまた、

「11:35となりました。このラインの方はもうお帰りくださってOKでーす」

とスタッフに指示される。




 私が行った限りでは2回とも、具合が悪くなった人はいなかった。(まあ滞在時間が短いから何とも言えんが)

 周りにも、接種して重篤な症状が起こった人はいない。

 それでも、ほんのわずかな確率とは言え、重い症状が出たり亡くなったりする人はいるのだ。

 因果関係が分からない以上、もうこれはロシアンルーレットだと腹を括るしかないな…と、そんなことをつらつら考えながら椅子に座っていた。




 接種当日は何ともなく、元気だったので、そのまま買い物して帰った。

 早々に寝たんだけど、夜中に目が覚めて、計ってみると38.5℃ほど。

(あーあ、やっぱ出たかー)

 と思ったものの、そのまま寝た。




 そんで翌日。

 37℃代に落ち着いていた。熱のうちに入らんな。上がったり下がったりしてるみたいで、時々火照った感じがするけど、大したことはない。

 1回目のときにはなかった腕の痛みと、関節の痛みが発現。注射を打った左腕が痛い。挙手のポーズを取ってみると、肘が肩と同じ高さになったところで上がらなくなる。

 あと、身動きすると、全身筋肉痛みたいな痛さがあって、

「イテテテ…」

と唸りながら立ったりしていた。

 まあでも、恐れていたほどのことはなく、その症状も1日で済んだ。




 一度コロナに罹って治った私は、そうでない人よりも元々ウィルスへの抗体があるはず。

 それが、2回ワクチンを接種して、一体どうなっているのか自分の身体ながら知るよしもないけれども、より強力な免疫を獲得しつつあるのだと信じたい。




 大規模接種会場で2回ワクチン接種を受けて、つくづく思うのは、

「関係者の皆々様、本当にありがとうございます」

という感謝の気持ちだ。

 会場のスタッフさんたち、ドクターや看護師さん、そして運営している人たち、皆さん本当にお疲れ様です。




 買い物に立ち寄ったショッピングモールは、緊急事態宣言が取り下げになった後とあって、家族連れやカップルや友人グループでごった返していて、すっかり元の通りに戻った感があった。

 でもみんな、ちゃんとマスクをしている。店に入るときは検温し、手をアルコール消毒している。

 並ぶときもソーシャルディスタンスを守っている。

 みんな真面目だ。頑張っている。

 このままコロナが収束してくれるといいなあ。

月の夜に霹靂一閃

 こんばんは。今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 今夜は月が綺麗ですね。

 先月は、せっかくの名月の晩、こちらは薄曇りだったので、美しい満月を鑑賞することが出来ず無念であった。

 今宵は晴天。

 真っ黒な夜空に、銀色の盆のように浮かぶ十五夜の月を眺めることが出来ました。

 満足。




 ……であるが、ですよ。




 いきなり寒すぎん??



「いつまで経っても暑い」と文句を言ったのは、ほんの数日前の話。

 だって、真夏の服装で外に出て、(ふー、今日も暑いわ…)と額の汗を拭いながら出勤していたんですよ。つい先週まで。

 確かに、

「来週から気温がぐっと下がるでしょう」

気象予報士さん達も予言していた。予報士さんたちの読みは確かだった。GoodJob!

 じゃなくて。

 下がるにしたって下がり方っちゅーものがある。30℃近くまであったなら、まずは手堅く23~24℃辺りが次のステップというものではなかろうか。

 それなら、

「わあ、一気に涼しくなったねえ!」

と突然の秋の訪れに驚きつつ、冷暖房がいらない過ごしやすさを堪能しつつ、

「食欲の秋です!」

とか言って美味しい店巡りをしたりとか、酷暑とコロナに疲れた我々も癒されようというものだ。

 それが、急に13℃とかまで下がられてもさあ。

「もう10月やで?」

と、いつまでも続く暑さを訝っていたのに、

「……まだ10月やで…?」

てなった感じ。

「ほどほど」とか「中庸」とか「グラデーション」という言葉を知らんのか。

 いや、誰に文句言ってんだか分かんないんだけどさ。

 ぶつぶつ。




 まあ、お天気という天然自然の理に物申しても仕方ないので、体調を崩さないよう、色々と対処しておる次第です。

 服装が一番困りますよね。朝は上着が要るくらいひんやりしていても、電車に乗るとむっと蒸し暑かったりする。そんで汗かいて、外に出ると、今度は北風が冷たかったり。困るわー。

 いつも以上に栄養に気をつけて、運動で体温を上げて、きちんと睡眠を取るようにしております。




 ところで、前の記事にも書いたけど、私はこないだから今更来たブームのせいで鬼滅の刃とか鬼滅の刃とか鬼滅の刃とかしか見ていないので、頭の中が割と「鬼滅」一色なんである。

 だもんで、「満月」とくればもう、アレですよ。那田蜘蛛山編で善逸が見せた「霹靂一閃」ですよ。

 主人公竈門炭治郎の仲間である我妻善逸、鬼殺の剣士でありながら、前代未聞の弱虫キャラで、戦場に足を踏み入れる前にビビって動けなくなるわ、それで置いていかれて逆ギレするわ、ネチネチ愚痴をこぼしたところを鎹雀(?で合ってるのか?)のチュン太郎に諫められてまたキレるわ、その珍道中で遂に恐ろしい兄蜘蛛に出逢ってしまい、

「イイィヤアァーーー!!!」

と汚い高音で絶叫しまくるわ、もうホント、敵であるはずの兄蜘蛛の

(なんだコイツは……)

という呟きに百万回頷きたくなるオトボケ野郎なんだけど、恐怖のあまり気を失うと、眠れる善逸の秘められた実力が覚醒する。

 兄蜘蛛の毒液攻撃にも、ワラワラ湧いて出る人面蜘蛛の飛びかかり攻撃にも一歩も引かず、研ぎ澄まされた集中力で繰り出す技、それが「霹靂一閃」。

 この場面がもう、本当に秀逸で、「鬼滅の刃」のアニメを制作するufotableの変態魂が炸裂しておる。

 

「雷の呼吸、壱の型……霹靂一閃――六連!!」

 

 稲光の速さで日輪刀を閃かせ、兄蜘蛛の首を断つ。

 満月を背に浮かび上がる眠れる善逸の姿。それまでとのギャップが凄すぎて、何度見ても鳥肌ものにカッコイイ。



鬼滅の刃」は、鬼が夜行性であるからして、舞台はほぼ夜なんですよね。

 今日みたいな満月の晩は、どうしても「鬼滅」のどこかしらの場面を思い出してしまう。

 中でも、この「那田蜘蛛山編」は、満月をバックにした名場面が数多くある。

 瀕死の善逸の元に胡蝶しのぶが舞い降りるシーンも、夢のように美しくて好き。



 まあでも、「鬼滅」を見終わった後つくづく感じるのは、

 

(鬼がいない世界でよかったぁーー!!)

 

 

 という安堵ですけどね。笑




 あ、ちなみに、下弦の伍である累を侮って、

「テキトーな鬼倒して出世してやる」

とうそぶいて秒殺でバラバラにされた鬼殺の先輩剣士は、「サイコロステーキ先輩」とあだ名がつけられているのを知って笑いました。

 やっぱ、ヲタクのネーミングセンス半端ないわ。

 

 

 こんな調子で、今「鬼滅」について語り始めたら語りたいことはしこたまあるんですが、さすがに第一話からなぞる時間も根性もないので、まあ、おいおい書いていこうかと。

 

近況報告。

 こんばんは。超ーーーお久しぶりです。

 こんなに記事の更新が滞ったのは、ブログを始めて以来のことですね。

 こんな過疎ってるブログにも覗きに来てくださる皆さまがいらっしゃって、有難いことこの上なし、でございます。ご心配おかけしていたら申し訳ない。

 元気に生きております。

 ちょっとブログどころではない色々な事どもに襲われておりましたが、本体は元気です。



 いや、こないだから(そろそろブログ書きたいなあ)とは思っておったのです。

「いつの間にかすっかり秋になりましたね!」

的なタイミングをはかっていたのですが、いつまで経っても暑い。

 いや、かすかに秋の気配を感じたこともあったはずだったんだけど、ちょっとすると

「あれ? また暑くない…?」

てなって、夏がいつまでも終わらない。何だこれ。

 天気予報によると、明日からようやく気温が下がるらしいですが、この暑さちゃんと終わるんかホンマに。

 秋が来るときって、大抵くるっと「ハイ! こっから秋ですよ~!」的に、いきなり冷え込むけど、ここまで暑さを引きずった後だと、疑心暗鬼になってしまうわ。

 温暖化怖い。




 めちゃくちゃ行楽日和の秋晴れの今日、私は朝から何をしていたかと言うと、掃除して掃除して掃除してました。

 料理には割とマメな方だと思うけど、家事の中でも「掃除」に関しては、あんまり情熱を燃やせないというか、必要が生じるまで極力やりたくないというか、そのー、まあ端的に言って「キライ」なんですね。

 断っておくが、「汚部屋」ではない。なんか腐ったニオイがするとか、部屋の隅に謎のキノコが生えてるとか、そんなことはないんだけど、物が散らかってるのは平気なタチなんだな。

 散らかってるけど、どこに何があるかは大体把握している。だから始終何かを探さないといけない、とかそういうこともない。

 前の家に住んでたときは、強制的に掃除せざるを得ないよう、定期的に友達を読んで食事会を開催していたんだけど、今の家は辺鄙なところにあるので、わざわざ遠方から来てもらうには気が引ける。

 なので、引っ越してきて以来、色んな物たちが自由奔放にそこら中に鎮座しているわけです。




 今日はなぜだか朝からスイッチが入った。

 急に(……あそこの隅っこ気になるな……)と、掃除機をかけたら止まらなくなった。

 整理して、整頓して、掃除機かけて、拭いて、合間に洗濯して、洗濯物畳んで、また別のところ整理して掃除機かけて……と、結局半日くらいは掃除に費やしてしまった。

 普段やらないことやると、なんかものすごく

「ちゃんとやった」

という達成感を得られますね。笑

(わー、片付いた。私頑張った……!)

 的な。




 あ、そんで、ブログの記事がなかなか書けなかったのには、某漫画の沼にズブズブにハマり込んでいたせいも4割くらいあるのですが、それについてはまた稿を改めます。




 というわけで、無事生きてますの報告でした。

「バクマン。」感想:ジャンプ的ヒットの法則解説漫画

 今日、本当にたまたま「バクマン。」という漫画を読んだ。登録しているコミックサイトで無料だったので。

 単体でもちろん面白い作品として楽しめたんだけど、「鬼滅」にハマった後だと、余計に(なるほどー…!)と腑に落ちることが多かった。

 有名作品だし、多分同じことはとっくに漫画ファンの誰かが見つけて、指摘しているだろうけれども、自分の中での発見ということで書く。



 ある日、少年二人が出会ってプロの漫画家を目指すというところから物語は始まる。

 …というとあまりにもざっくりで雑なんだけど、まあ知ってる人は知ってるだろうし、そこが大事なところじゃないから省略。

 頭がよく、文才に恵まれた高木秋人は、大量の漫画を読み込んでヒットの法則を見つけ出す。

 で、この漫画、「漫画を作るとはこういうこと」と、ジャンプの編集部を舞台にかなりリアルに作り込んでくれているので、これからプロ漫画家を目指す若い人にとっても指南書になるくらいなクォリティなんだけど、ここで語られる「法則」を、「鬼滅」はすべて満たしているのだった。



「ヒット作に共通するのは、刀だ」

と高木は看破する。

「ONE PIECE」、「BLEACH」、「銀魂」、「NARUTO」…とヒット作が挙げられていて、私もそれらは知っている。だけど、「刀」というアイテムが共通項だとは気づかなかった。

「……! 確かに!」

と、膝を打つ思いであった。




 上に挙げた作品は、ジャンプの王道・THE☆バトル漫画でもある。

 だから、持ち込みしてくる新人は皆バトル漫画を描いてくる。王道で当てるのは狭き門となっており、主人公である真城&高木のコンビの作風には合わないから、敢えて王道を外した方向で掲載を勝ち取ろう、ともちかける担当編集。

 掲載されることは大事なんだけど、「当たる」のはやはり王道のバトル漫画であることも事実。

 そこのジレンマで悩むことになる。




・主人公が魅力的でキャラが立っている

・バトルに正当な理由がある

・敵キャラが主人公と同等かそれ以上

・可愛いヒロインがいるとなおよい

・シリアスとギャグのバランスが秀逸



バクマン。」で説かれるヒットの法則、「鬼滅の刃」にはことごとく当てはまっている。

 主人公の炭治郎は、熱血漢で正義漢、まっすぐで心優しい少年漫画ヒーローとして申し分のないキャラクターだ。

 だけど、まっすぐすぎて時々空気を読まないところとか、天然なところとか、適度に抜けていて、絶妙のタイミングでギャグが来る。

 貧しくとも家族で幸せに暮らしていたのに、ある日突然、その幸せを奪われた。「家族を惨殺された」とあれば、炭治郎が鬼を殺そうと鍛錬を積み、闘いの場に出るのに、これ以上正当な理由はない。

 でさあ、「鬼滅」の成功のカギって、禰豆子のキャラだと思うんですよね。これも多分2万番煎じくらいだと思うんで、あまり大きな声で今更言えないですけど。

 小さくって携帯できちゃうんですよ。そして何より、喋らないんですよ。これ大事。弱き者として守られる存在でありつつ、鬼だからいざというときは箱から飛び出て戦線に加わる。

 で、「妹」キャラ。

 最強。

 

 

 ここまで挙げた点に加えて、「努力・友情・勝利」というジャンプ漫画の三大要素も漏れなく盛り込んでいるのが何気に凄い。

 炭治郎は最初から強いわけじゃない。努力によって呼吸を習得し、強い鬼を倒す力をつけていく。

 善逸、伊之助も、最初は我が強く、バラバラの方向を向いていたのが、徐々に仲間としての意識が芽生え、友情が育まれていく。

「無限列車」で腹に怪我を負った炭治郎を「大丈夫か!」と伊之助が心配するくだりは、もうそれだけで涙が出た。

 

 

「当たる」と大きいのが漫画の世界。

 多分今も、デビューを夢見て漫画を描き続けている人たちが大勢いる。

 どうすればヒットするか、知恵を巡らし、過去のヒット作を研究して、計算し尽くして話を作っているはずだ。

 だけど、そんな中、本当に「当たる」のはほんの一握り。で、どれが当たるかは蓋を開けてみないと分からない。

鬼滅の刃」のメガヒットは、社会に一大ムーブメントを巻き起こし、コロナに疲れたこの国の大人と子供を元気にしてくれたと思う。

 よく作り込まれた作品だから、分析のし甲斐もあるというものだけど、いわゆる「ヒットの法則」はきっちりと踏襲していた、という話。

 

 

バクマン。」、まだ最後まで読んでないのでアレですが、書くこと・作ることに興味があり、「鬼滅」が好きな人で、まだ読んだことがないという人がいれば、是非是非おすすめです。

 二重三重の意味で楽しめる。

 大場つぐみ小畑健デスノートコンビの引き出しの多さにも感心。