休養中、アホほどテレビ見ながら、(昆虫大好きやらんな~…)と思っていたことは既に述べたが、実はもう一つ、
(『冬もジブリ!』て日テレが言わんな~…)
とも思っていた。
これも、年が明けたとたんにジブリ祭りが始まりましたね。
というわけで、今更過ぎますが、感想書いていきたいと思います。
この多様性の時代、老若男女すべての世代が愛するものってあんまりないと思うんだけど、ジブリの宮崎駿監督作品は、その数少ない対象に該当するだろう。
【一番好きなジブリ作品は何?】
という質問は、10代から70代、ヘタすると80代でもいけるんじゃないですかね。
「千と千尋の神隠し」は、全世代で人気の高い作品だ。
私も好き。一番じゃないけど。ていうか順番つけられんけど。
公開当時見に行ったことも覚えている。冒頭のバケモノの町の場面、ぎゃん泣きしてた子供がいたなー。
うちに、「千と千尋」のロマンアルバムがあるんだけど、この作品が初めてじゃないかな? 観た後の感動がさめやらず、その足で書店に行って資料を入手したの。
舞台裏を知ると、色んな場面で(あーここはあの人がこう言ってた…)てなって、より一層楽しめますよね。
「千と千尋」の一番の特徴は、宮崎監督が10歳の女の子を主人公にして、10歳の女の子に向けて作った、という点だ。とは言え、「これから10歳になるあなたへ かつて10歳だったあなたへ」というキャプションがあるので、全年代向けではあるのだけど。
だから千尋は、これまでのジブリヒロインと違って、美少女じゃない。なんなら、冒頭はかなりぶちゃむくれてる。
「普通の10歳の少女」を描こう、と目指して作品を作ったのは確かなんだけど、宮崎監督が思うところの「普通の10歳の少女」と、他の人(特に作画監督の安藤雅史氏)が思うところのそれとは、かなり違っていた。
アニメーション作品の中にどこまで「リアリティ」を求めるか、というのは難しい線引きで、例えば私が一番好きなジブリ作品はもう問答無用で「風の谷のナウシカ」なんだけど、ナウシカというキャラクターは宮崎監督が持つ「少女」の理想をぎゅっと煮詰めたような性質で、リアルかと言われれば全然リアルではない。「未来少年コナン」も「カリオストロの城」のルパンもそうだけど、宮崎監督の作品は「こういう動きをしたら面白い!」という理想を優先して描かれていて、それはしばしば現実から遠く離れた人物の動きとなってあらわれる。
それが宮崎作品の特長でもあって、実際「コナン」も「カリオストロ」も「ナウシカ」も、めちゃくちゃ面白く仕上がって、沢山の人にいつまでも愛される作品になった。
そういう、「いかにも宮崎アニメのキャラがやりそうな動き」じゃなくて、もっとリアルな人間の生々しい動きというのを、安藤監督はやりたかったのだそうな。
「千と千尋」の前半、主人公である千尋がどんくさく、優柔不断で、動きもあんまり運動神経がよさげなタイプでもないのはそういう理由だろう。
この、「宮崎駿監督作品」なんだけど、従来の「宮崎アニメ」ではない、という部分で、現場のアニメーターさんたちは相当苦労されたようです。
「ハクを助けるために千尋が雨どいのパイプを走り抜けるシーンで、千尋のキャラががらっと違った感じがする」
と。
言われてみれば確かにその通りで、あの場面、千尋は非常に凛々しい姿を見せる。湯屋に来たばかりの頃、釜爺のところにいくのに、崩れかけた外階段を降りることが出来ず、座り込んで恐々足を伸ばしていた少女と同一人物とは思えない。
紐をきゅっ!とたすきがけしたところから、スイッチが入れ替わったみたいに、千尋が躊躇いを見せることはなくなっていく。
苦しんで暴れる瀕死のハクに苦ダンゴを食べさせたり、本性を剥き出しにして凶暴になったカオナシを相手に一歩も引かず対峙したり。
「お前にどんくさいって言ったの、取り消すぞー!」
というリンの激励に、振り向かず手を振って答える後ろ姿には、貫禄すら漂っていて、迷い込んできたときのおどおどした少女とはまるで別人だ。
この作品、後半、特に終盤は、落ち着いて見てみるとかなりとっちらかっている。ハクの腹の中から出てきた黒い虫が結局何だったのか、あのハンコを持っていても千尋が無事だったのは何故か、最後の最後に千尋が突然
「掟のことはハクから聞きました」
ていうけど、それまで一度も言及されていなかった「掟」とは…?という疑問も最後まで解消されない。多分、時間がなくて回収しきれなかったんだろう。
その割に、見終わった後モヤモヤが解消されない不完全燃焼感はない。
むしろ、見るたびに(あーやっぱり面白いわー)てなって、心から満足感を得られる。
それにはやはり、後半の千尋が、ジブリ映画のヒロインらしく、凛々しい活躍を見せてくれるからだと思う。
壊れそうな雨どいをたーっと駆け抜ける場面は、(あ、あ、あ…っ)とハラハラしながら見て、千尋が成功するからこそ(はーっ…)と安心し、カタルシスを得られる。
ジブリと言えばなんといっても飛行シーンだけど、ハクと二人、夜空を飛んでいく場面は本当に美しい。
現場のアニメーターの方々には、自分が描きたいものと、「宮崎アニメ」の呪縛との間で様々な葛藤があったようだけれども、そのお陰で、前半の「リアルな10歳の女の子」、後半の「成長した、理想に近づいた10歳の女の子」の両方が見られる作品になっている、と私は思う。
なので結局、(お得なんじゃないのかな…)と思いながら、変わっていく千尋の姿を楽しんで見ている。
宮崎監督の作品には、現実の物理法則を無視した動きが満載だ。千尋がハクにもらったおにぎりを食べながら流す涙だって、大粒すぎる。
(こんなん、ありえへんやろ…)
と、作画するアニメーターさんたちが感じる気持ちも、分かると言えば分かる。
ただ、やっぱりそういう場面て、印象に残るんですよね。
「サマーウォーズ」でも「きみの名は。」でも、ヒロインがありえないほど大粒の涙を流して泣く場面が見られて、(あ、この路線を踏襲したんだな…)と思いながら見ていた。
「魔女の宅急便」で、デッキブラシにまたがったキキの魔力の高まりと共に、周りで風が起こってキキの服もぶわっと風をはらむところとか、宮崎監督特有の「風の動きを伴う感情表現」、私は好きなんだけどなあ。
観るだけの側と作る側って、違うものなんですね。当たり前だけど。
それにしても、海の表現が美しい作品ですよね。
海原電鉄で、海の中を走る電車の場面、とても好き。
ああいう電車が現実にあったら、乗ってみたいなあ。