おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

劇場版おっさんずラブ感想 ツッコミその① 春田のセクシャリティ

 もうさすがに、劇場版をまったく見ることなくここを読む人もいないだろうと思われるので、タイトルから「ネタバレ」の表示を取りました。

 

 

 最初に記した通り、劇場版おっさんずラブ、大好きだけど、ツッコもうと思えばツッコめるポイントはたくさんある。それはもう山のようにある。笑

 その中でも、笑って流せるもの、あまり気にならないもの、笑えないもの、人それぞれ違うだろうと思う。

 私的「ここはちょっとアレなんじゃ?」というツッコミポイント、順番に書いておこうと思います。

 さらっと書くつもりだけど、どうせ長くなるんだろうな……(最早諦めの境地)




 劇場版を見て最初に感じたのはなんと言ってもこれ。表題の件ですよ。

 いや、ね、部屋を訪ねてきた牧に裸で抱きつくのはいいよ。恋人だもん。

 でもさあ、酔っ払いの外人青年を放っとけなくて連れ込むのも、ベッドで寝るのを許すのもまあアリとして、

(……?)

てなったのは、寝ぼけ眼の春田がごそごそパンツを履いたらしき動作だ。

 ということは、全裸で寝てたの? イケメン外人青年と?

 

……パンツ脱ぐことなかったんじゃね?



 てこれは多分、劇場版を見た人の8割がツッコんだんじゃないでしょうか。



 百歩……いや三百歩くらい譲って、ここは

・酔眼朦朧の春田が、相手が男性だから(牧だー)と間違えた

と思えなくもない。

 いや、もう(結論はこれだ)と決めました。私は。

 ところが、ドラマ版ではどストレートだと描かれていた春田、劇場版でセクシャリティが疑われるのは、ここだけではないのだった。



 日本に帰国して、ジャスとぶつかるシーン。

 なぜかスーツケースが開いて中身がぼーんと飛び出すのはおなじみの春田仕様だが、面白柄の水色パンツを拾ったジャスが、「…プリティ」と語尾にハートマークついてんのか?みたいな口調で言うのに、

「…サンキュー…」

と春田もなんだか頬を染めて嬉し気なのが、(???)てなった第2のポイント。



 え、なんで通りすがりのイケメン青年に「プリティ」と言われて恥じらうのだ…?



 うむむ、しかしまあ、ジャスはこの物語の当て馬要員だから……とここも無理矢理流して次へ進む。

 

 

 ところがその次に待ち構えているのが

「狸穴リーダーとホテルでホニャララ」

 だから、もうここは流そうにも流せないのであった。



 狸穴さんはそもそも、「五角関係勃発?」とミスリードするためのトリックスターとして投入されたキャラだから、あの場面で「これはもしかして春田を誘っているのか?」と匂わせる演出になるのは分かる。

(えええ~狸穴さんってもしかして……)

と大いに焦る春田の困惑と、あの妙なラテン調のBGMとがあいまって可笑しいし、コミカルで笑える場面なんだけど、

(ここでオレが時の流れに身を任せれば、狸穴さんは牧の方に行かないのか…?)

と考えた挙句、ベッドの上にどーんとダイブして「まな板の上の鯉」状態になるのは、

(えーと、可笑しいけど、笑っちゃうけど、狸穴さんが本当にソノ気だったらお前それでいいのか春田!?)

と内心全力でツッコんでしまうのだった。




 結局、狸穴さんはそっちじゃなくて、「何故あのタイミングであの場にいたのか」を春田に問いただしたかっただけだと分かる。

 そんで、いかにも切れ者で鋭そうに見えて、あの男5人組んずほぐれつのサウナシーン、牧も春田も部長も何にも隠さずにわあわあケンカしてたのにも関わらず、

・牧が言ってた「出て行った同棲相手」は春田だった

・黒澤部長と牧が春田を取り合っているらしい

という不穏な事実に、まったく気づかなかったのか、気づいたけどプライベートな事柄だからスルーしたのか、それにしてもビックリした素振りも見せないという、驚くべき鈍感力を発揮していた狸穴さんだから、「この人こう見えて超天然なのかも…」とも思える。

 そうだとすると、「シャワー浴びるか?」という冒頭の発言も、「遅くに呼びつけてすまない。シャワーついてるし、ついでに浴びたらどうだ?」という、ちょっとズレてるけど部下に対する思いやりと取れなくもない。

 後から実は子沢山の既婚者という事情も明かされるしね。



 でも春田に関しては、もうハッキリと「狸穴さんと一夜を共にする覚悟」をしている、と取れる場面になっている。というか、そうとしか取れない。

 じゃあ、相手が牧じゃなくても、男性との性交渉OKなんだ、てなるよね。




 さてこれをどう捉えるか、ですが……

 「おっさんずラブ」は、人を好きになるのに男も女も関係ない!という、愛に関してバリアフリーな世界を描いて人気を得た作品だ。

 であるけれども、それは言ってみれば魂についての話であって、「じゃあ相手とベッドを共に出来るか?」というのは、なかなかに越え難い問題であると私は感じるし、これまでも何度か言及してきた。

 相手が女性であれ男性であれ、なんの垣根も感じない!というフリーダムな方もいらっしゃるでしょうが、まあそれは少数派でしょう。

 性的マイノリティが差別されない優しい世界を描くのと、視聴者の多くが異性愛者であって、そのことに疑問を抱いたことがない人が大多数、という点を考えずにお話を作るのとは、まったく別の問題だと思う。



 s1で春田はストレートの男性として描かれていた。だからこそ、2話で

「男同士のキスとかマジでねえから!」

と牧に強い拒絶感を表明していたのだ。

 その、セクシャリティの壁を飛び越えて牧のところまで春田が自分の意思でやってきたから、s1がハッピーエンドとして成立したのだった。

 ところが、劇場版でのこの描写を見ていると、

「春田は元々ゲイかバイで、牧とつきあうことによってそれを自覚した」

という仮定が成り立ってしまう。

 成り立っては困るのだ。それでは、s1のラストを否定することになるわけだから。

 

 

 だから、この場面で、春田のセクシャリティはそもそも何なのだ?という疑問が生じる展開になるのは、あまりよろしくない。そして、その点については劇場版を通して特に説明がなかったな、とも思う。

 例えばintheskyにおいて、「男同士の恋愛を誰一人差別しない世界」を描いている、と評価する向きもあるようだけど、それならそれで、「描かれているのはそういう世界ですよ」と作品の世界観をある程度冒頭で説明しないと、実際には同性同士の恋愛には高いハードルが存在する現実を生きている大多数の視聴者を置き去りにすることになる。

 説明しすぎない台詞が多いお陰で、点と点を繋ぎ合わせて「あーこういうことか!」と得心出来るのが徳尾脚本の特徴だ、と前の記事に書いたけど、こういう点ではむしろ説明不足の感が否めない。

 そして、男同士という点を「笑いのツボ」みたいに使われている、と感じて不快に思う観客がいることも、(そうだろうなあ)と納得出来てしまう。




 私はこの場面、笑いにまぶして見過ごせるけれども、見過ごせない人も少なくなかっただろうことは想像に難くない。

 この辺は、はっきりと脚本の綻びが見えていると言っていいと思います。




 で、そもそも、春田のセクシャリティがどうであれ、牧というパートナーがいるのに、他の人と一夜を共にするってアリなんですかね?

 後からこの経緯を牧が知ったとして、どういう顔をするのか想像すると、胸が………あれ、痛いけど、めっちゃ怒るだろうしケンカになるだろうけど、その場面を想像すると(……お話が1本書けるな……)とよからぬタクラミが生まれてしまう。笑

 いやいや、でも、いかんと思うよ。私は恋愛に関してそれほど厳格なモラリストじゃない自覚はあるけど、それにしてもマズイでしょう。

 そこんとこ、どう思ってこの脚本を書いたのか、そしてこれをどういう意図でOKしたのか、徳尾さんと貴島Pに聞いてみたいところではある。