木製の扉。上部にカウベルがかかっている。
喫茶店ともバーともつかない店構え。
カラン……(乾いた音が響く)
いらっしゃい。(カウンターから女主人が声をかける)
ちょっとお久しぶりですね。
え、やってるのかって? やってますとも。
外の騒ぎ? 知ってますよ、もちろん。毎日毎日同じニュース、イヤんなっちまいますね。
まずビールでしたね。いつものでよろしいですか?
シュー……(ビールを注ぐ音)
ハイ、生ね。(コースターの上にピルスナーグラスを置く)
ちょいとお疲れですか?
ああ、違う違う、そんなあからさまにくたびれた顔してるわけじゃないですよ。なんとなく、ね……常連さんだから。
それに最近ね、例の騒動の余波で、色々大変な人も多いみたいで。
ああ、そうですか。やっぱりね。1カ月前には、こんなことになるとは誰も予想してなかったですもんね。
ええ、ありがとうございます。うちはお陰様で、全部足りてますよ。トイレットペーパーもキッチンペーパーもお米もね。たまたまこないだ、ストックを買い足したところだったんで。
そうですね、ええ……仰る通り。ホントにね。
まあまあ、ここでは浮き世の疲れは脇に置いて、楽しんでくださいよ。ほんのちょっとの間でもね。
ハハハ、もう空いちゃいましたね。
次何にします? ワインね。赤ですか、白ですか?
ちょっと重めの赤ね。……ナパのジンファンデルは如何です? ええ、お口に合うと思います。
(ピルスナーが下げられ、暗赤色の液体が入ったワイングラスが置かれる)
そうでしょ? よかった。どっしりしててね、私も好きなんですよ。果実味もあるし、土の香りもする……
よかったらコレ、どうぞ。鶏レバーの赤ワイン煮。合うと思います。
え? いえいえ、これはいいんですよ。お代は結構。つきだしみたいなもんです。
美味しいですか、よかった。ニンニクで炒めてね、塩コショウして、赤ワインで煮るんです。マスタードが効いてるでしょ?
あ、酸味、気づきました? さすが鋭い。バルサミコです。コクが出るんでね。あと、甘みも。
合いますか。よかった。
お料理追加? ハイ、すぐご用意できますよ。
「部長のアクアパッツァ」ですね。かしこまりました。
食欲出てきた? 嬉しいですね。
じゃ、出来るまでこちらで……(DVDモニターとメニュー表を示される)
今夜はどれにされますか?
お客さん、牧派のちず推しでしたよね。
じゃあ、6話にしときますか。(モニターに「おっさんずラブ」第6話冒頭が映し出される)
ええ、私も好きですよ。6話はね、部長推しにも主任推しにも刺さるんですよ……ねえ。
え、ちずの告白の前まででいいって? …ああ、最後まで見るとね。泣いちゃいますもんね。
分かりました。はるたんが膝裏キック食らうとこ辺りで止めときましょう。
あー、こっちの棚ですか?
ええ、こないだ新しいのが入りました。コレね。
これ、続きね。ちょいと長め。
映画を思い出してしみじみしたければ、こんなの如何でしょ。
前半のハイライトシーンならこれかな。
そうなんですよ、この人、遅筆なんでね……次いつ入るか分かったもんじゃないです。
あ、でも、つい昨日、ちょっといつもと違うのが来ましたよ。
これも置いときますね。もしご興味が向けば…
女主人、カウンターの奥に消える。重いフライパンを置くような音、火をつける音、ジュージューと炒める音。
やがて、大きな白い皿が目の前に置かれる。
お待たせしました。アクアパッツァです。
オリーブオイル多めがミソ、で仕上げてあります。
グラス空きましたね。次何にします?
そういや、去年漬けた柚子酒がまだありますよ。味見なさいますか?
美味しい? ありがとうございます。
炭酸で割る人が多いですけど、私はロックかお湯割りですねえ。
ええ、ええ、夜はこれからですからね。ここは夜は閉まらない店ですから。
ゆっくり楽しんでくださいね。