おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

腐界の諸事情

 「腐界」とは、いわゆる「腐女子」が棲息する世界だと思っていただきたい。

 腐女子とは、男性同士の恋愛物語を好む女子のことを指す。

 私自身は自分を腐女子だと思っているし、そう呼ばれることに特に抵抗はない。

 が、多分、同じ「腐女子」と言っても、人それぞれ腐り具合が違うのです。

 

 

 なぜに「男同士」という設定が必要なのか。

 理由は主に二つある。

 ひとつは、ラブストーリーの純粋性を高めるためだ。惹かれ合う二人の間の「障壁」が高ければ高いほど、それを乗り越えて結ばれた2人の愛が、「素敵やん…!」てなって、鑑賞する側の満足度が高くなる。

 だから、昔から恋愛物語と言えば身分違い(シンデレラ)、仇同士(ロミオとジュリエット)、あるいは相手がそもそも人間じゃなかったなんていう異類婚姻譚が存在する。

 「同性同士」はその障壁のひとつになる。だから、片方がストレート、あるいは両方がストレートなのに、同性に惹かれてしまい、(本当はダメなのにどうして…)てなって、でも自分の気持ちを止められないところが、「純粋な恋愛」になるわけですね。

 

 

 もうひとつは、「恋愛はしたいけど自分の女性性は邪魔」と考える女性特有の感性だと思う。

 第二次性徴が始まって間もなく結婚して母親になることを社会的に強いられた時代と違って、今は少女でいる期間を長く楽しむことが出来るようになった。

 ものごころついたときは少女なわけです。すると、人の自己認識って年とってもそうそう変わらんから、二十歳の人も三十歳の人も四十歳の人も大体頭の中身は「少女脳」のままなんです。

 一部「少女」の人もいれば、6割少女の人もいるし、9割がた少女脳の六十代もいるだろうと思う。

 少女って、「女性」である自分を嫌うんですよね。子供よりも少し大人より。だから恋愛は出来る。でも、結婚して妊娠して出産する、という生々しい「女」はイヤ。

 だから、身体にフィットする服を嫌ったり、スカートを決して履かなかったり、自分のことを「ボク」と称したり、第二次性徴を迎えて容赦なく成長していく自分の「女体化」を、極力見ないようにする。

 

 まあでもこれ、無理もないと思いません? ただでさえ、子供から大人に向けて劇的に変わっていく最中で、精神的にも色々しんどいのにさ、毎月の生理ってマジで拷問ですよ。特にあの年ごろの子供にとっては。

 痛いししんどいし鬱陶しいし、なのになんか電車やバスや街中で知らないおっさんからヘンな視線向けられたりとかね、女の子は色々大変なんですよ。本当に。

 

 閑話休題

 であるからして、「素敵な恋愛がしたい。でも受け手は女女してない方がいい」という無意識の欲求、女性の多くが持っていると思うんです。

 そういう少女たちからすると、メンタルは少女なんだけど、身体は「女」じゃない、というのが、究極の理想なんだと思います。

 そしてフィクションとは、「究極の理想」を叶えるためにある。

 BLはそうして生まれたと、私は思っている。



 私は心理学の専門家じゃないし、系統だてて勉強したわけでもない。自分で(なぜ女はBLが好きなんだろうか?)と考えて得た結論なので、綻びはあると思う。

 でも、漫画界に燦然と輝く金字塔のような作品が、ほぼこの「少女だけど女じゃない」キャラクターを登場させている辺り、真実を衝いているとは言えないまでも、肉薄しているのではないかと密かに思っている。

ベルサイユのばら」があれほど受けたのはなんと言っても、オスカルが男装の麗人だったからだ。オスカルこそ、自分の女性性を受け入れるのに苦悩と葛藤の人生を送ったキャラですよね。

 私はブームより後にものごころがついたので、完全に後追いなんですけど、愛蔵版を手に入れて、ずーーーっと大事に持ってました。

 本当に名作だと思います。

 あれを描いたときの池田理代子が24歳というからぶったまげる。

 というか、天才ってホント、世に出るのが早い人が多い。

 

 

「11人いる!」のフロルも、(うわーそう来たかー…)という設定じゃないですか?

 今は外見は絶世の美少女なんだけど、男でもなく女でもない、未分化の「子供」。本人は男になることを熱望して、その資格を得るために受験するわけだ。でも、タダと出逢って、

「オレ女でもいいや…」

てなるの。

 フロルの可愛さもさることながら、「11人いる!」は、設定といいストーリー運びといい、ミステリとしても非常によく出来たSFで、初めて読んだとき

「やられた……!」

とノックアウトされました。



 一方で、身体は少年なのに、中身は完全に「女」であるジルベールを描き切ったのが、竹宮恵子の「風と木の詩」。

 これも、リアルタイムでは知らないんだけど、発表された当時は衝撃を与えたんじゃないでしょうか。未だに語り継がれる名作だ。

 ジルベールがかなりインモラルなキャラクターなので、読んだ当初子供だった私にはなかなかに受け入れにくい部分もありましたが(お話自体悲劇的だし)、あのアブノーマルな感じにドキドキしながら、そして周りの大人の目を気にしながら読みふけった記憶があります。

 

 

 で、こうやって見てみると、「腐女子」=「男性同士の恋愛を好む人」に加えて、「一方(受け)に女性性を引いた自身を投影して楽しんでいる人」と言ってもいいんじゃないでしょうか。

エロイカより愛をこめて」は、そういう観点からすると、BLとは言えない。なぜなら、これはラブストーリーではないからだ。ほぼ主役のドリアン・レッド・グローリア伯爵はゲイとしてゲイの人生を堂々と生きているし、彼が懸想する(「恋する」ではない)NATOエーベルバッハ少佐は、何をどう引っ繰り返しても男の中の男であって、少女脳の女子が自分を仮託するもクソもない。少女漫画の割に、ゲイのおっさんとゲイでないおっさんしか出てこない(初期は全然違うスタートなんだけど途中からガラリと作風が変わる。最初主役の予定だった女の子はまったく登場しないし今見ると完全にモブキャラ)。

 おっさんしか出てきませんが、極上のおっさんばかりです。もしも未読の方がいらっしゃったら、絶対読んでください。めちゃくちゃ面白いです。

 そうか、「エロイカ」は、腐女子が大好きだけどBL漫画じゃない、珍しい作品と言えるかもしれん。色んな意味で唯一無二で、少女漫画界においても稀有な存在ではあるが。

 ちなみに、

「『エロイカ』の少佐って知ってる?」

と話を振って、

「クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐のこと?」

と即座にフルネームを言えたら、その人は腐女子である可能性が限りなく100%に近いと思います。

 

※私信:私も「KGB」は「カーゲーベー」としか読んだことありませんよー!ノシ

 

 

 もう一人有名なキャラクターとしては、「パタリロ!」に登場するマライヒがいますね。

 この人はもう、BL属性そのまんま。しかし謎なのが、作者の魔夜峰央先生は既婚男性であることだ。

 魔夜先生にお会いする機会があれば、是非マライヒが誕生した事情をお聞きしてみたいです。

 

 

 もし「BLの系譜」というものがあって、この24年組の作品群から今までを年表にまとめたとすると、前半はかなり絢爛豪華なことになりそうだ。

 しかし、私が「BL」を独自のジャンルとして認識したときは、そんな王道ジャンルじゃなく、全然日陰の世界だった。

 24年組の先生たちが凄すぎて、いったん文学的に昇華されたあと、そこでは癒されなかった「少女」たちの文化がまた、暗い沼の底から立ち上がるようにして世に出てきたような気がする。

 あの拗らせ具合はなんだったんだろうな…? 

 これについては多分、「やおい」という名前がついたジャンルの、恐らく祖である栗本薫の「終わりのないラブソング」に答えがあるんだろうけど、アレ、ぱら読みしたことはあるけど辛気臭くてちゃんと読んだことないんですよね……

 詳しい人いたら教えてください。



 この辺の、「自分がいつから腐っていたか」とか、そういう内容はいつか書こうと思っていたんだけど、前の記事にいただいたコメントでちょうどいい機会が巡ってきた、と感じたので、一部文章にしてみました。

 ここから「『おっさんずラブ』はBLじゃない」という結論まで持って行くつもりなんですが、ここまでで既に3000字超。

 一度ここまでとして、稿を改めます。



 にしても、私が子供のころかかりつけにしていた近所の内科、「風と木の詩」も「イブの息子たち」も揃ってたんですよ。ヤバくない…?

 あ、でも、よく思い出してみると、めちゃくちゃ怖い漫画があったけど、あれ楳図かずおだな……「がんばれ元気」とか「明日のジョー」とかもあったような。

 もしかするとあの若先生が漫画に詳しかったのかもしれん。

 今思えば、私の腐的目覚めは、あの内科の待合室だったような気がします。笑