続き。
えーと、大方の女性は「少女」脳のまま大人になる。しかし「少女」にとって、女のナマの現実は邪魔になる。時として、耐えがたく感じる人もいる。
そういう「少女」たちを救う装置のひとつがBLである、というところまで書いた。
装置はBLだけじゃない。女性性をそんなに邪魔だと感じない人たちもいて、こういう人たちは
「そのままのキミでいいんだよ」
と王子様が白馬で現れる、ある意味昔ながらの夢を見る。
こっちはいわゆるハーレクインですね。あのジャンルも、パターンはあれど、大体定型は決まっておる。相手はアラブの大富豪だったり、イギリス貴族だったり、アメリカで成功した成り上がりの大企業社長だったりする。まあつまり、「金持ちでルックスのよい男」が、なぜか「ありのままの自分」を向こうから見出してくれて愛してくれる、のがそういう方たちの理想、ということですわね。
だから、ハーレクインとBLのジャンル分けは非常に似通っている。でもBLの方が多種多様で、想像力がやや過多である印象がある。
制服萌えや白衣、メガネ、年下受け、年下攻め、ここら辺はまあいいとして、触手とかネコ耳とかになってくると、私の理解の範疇を超える。
「真性腐女子」と呼ばれるツワモノになると、無生物同士でOK、三角定規と鉛筆でもいいらしいんだけど、残念ながらその人たちの語る「萌え」を理解するには、私の日本語読解能力が追いつかないようだ。
「BL」というジャンルが、恋愛ファンタジーとセックスファンタジーをごっちゃにした、闇鍋状態であることも理解が追いつかない原因の一つであろうと思われる。
その辺の拗らせっぷりについては、本職の研究者の方(いるのかどうかは知らないが…)にお任せします。
だから、BL(ハーレクインも)って「シチュエーション」ありきなんですよ。身分違い、年齢差と同じ。
ロミオとジュリエットも、宿敵モンタギュー家とカプレット家という設定があればいいので、ロミオとジュリエットの個性は割とどうでもいいわけだ。シンデレラもかぐや姫もそう。
また、キャラクターに個性がさほどなく、典型として描かれている分、鑑賞者が自分に引き寄せて想像しやすいという利点もある。
読み手が自分のファンタジーを叶える装置として作動すればいいので、それはそれでOKなのだ。
こないだヒットした「恋は続くよどこまでも」はまさしく典型的なシチュエーションものでしたね。平凡で凡庸、ごくごく普通な主人公を、クールでドSなイケメン医師の先生が好きになってくれて、ラストは結ばれる。
佐藤健、天堂先生の役割を完璧に理解して見事に演じていて、クレバーな役者さんだなーと感心した。
ただ、BLもジャンルとして定着して、結構経つ。昔は素人に毛の生えた(あるいは生えてない)作品が多かったけど、今では成熟した作家も増えてきた。
単なるシチュエーションもののラブストーリーではなくて、きちんと人間を描いている作品も多数見受けられる。
山田ユギはBL作家なんだけど、割と初期から「どっちも人間の男」である作品を発表していた。よしながふみもそうだと思う。
腐女子でない人が読んでも面白いお話は、やはり作品として優れていると言っていいと思います。
「おっさんずラブ」が優れている点は、腐女子にも、腐属性がそれほどない人にも、同じように刺さるというところにある。
春田も牧も部長も、BLに登場する「仮性男子」ではないわけだ。生身の男。まあもちろんフィクションなので、二次元ではあるけれども。
pixivで色んな二次創作の漫画や小説を見られるけど、まんまBLで、春田がきゅるんと瞳の大きな可愛い受けになっているものもあれば、牧が美少女とみまがうビジュアルになっているものもある。腐女子の皆さんがそれぞれ、自分のもっとも「萌える」シチュエーションで作品を二次創作しているわけですね。
一方で、ドラマレビューサイトのコメントを見ると、腐女子ではないとおぼしき皆さんの熱い感想もたくさんある。春田と牧のどちらに自分を投影するとかではなく、純粋に二人の恋を応援している、ということのようで、世間一般的にはこちらの見方の方が多いだろう。
そのことに気づいたのが、四話の終わりくらいだった。
牧は少女漫画的な可愛い容姿を持っているし、春田に対して母性を発揮しているけど、決して「女性」的ではない。
あ、これは、BLではないな……と思ったのだった。
いや、これは正確じゃないな。
(BLとかそうでないとか、そういうジャンル分けは超えてる作品だな)
と感じたのだった。
BLとして見たっていい。
でも、BLとして作られていない、普遍的なラブストーリーとして成立しているのが「おっさんずラブ」というドラマだ。
BLは、ある属性を持つ女性に必要な恋愛ファンタジーの一ジャンルだ。
誰かに惹かれる心をコントロールできないのと同様、何に「萌える」かも、自分では制御できない。
だから、何を愛好してもいいと思う。その作品を鑑賞することで、楽しく感じたり、救われたと感じるのなら、それでいい。
ただ、(自分はなぜこの分野に惹かれるのか)を突き詰めて考えてみると、心の奥底で抑圧していたり、嫌悪感を持っている対象があったりすることに気づくかもしれない。
そこまで深く自分を掘り下げてみるのもいいし、掘り下げることなく作品を楽しむのもいい。
そこはもう、それぞれのスタンスでいいと思います。
いやだって、そうは言ってもですよ、腐ってたって、ほとんどの腐女子の皆さんはなんとか自分が「オンナ」である現実と折り合いをつけて、結婚したり子育てしたり、一人で頑張ってたり、真面目に生きてるわけです。
何に萌えたっていいじゃない。マイマイが言う通り、
「好きになっちゃいけない相手なんて、いないんじゃないかしら」
ですよ。
ラベリングされてない特殊な対象に「萌える」人だってたくさんいるだろうし、それはなんら咎められることじゃない。
周りに迷惑をかけさえしなければ、何だっていいんです。
ただ、私が理解出来ないし、理解しようとも思わないのが、「ナマモノ」好きで、なおかつそれを開示したがるタイプのBLヲタだ。
ナマモノ=中身の役者同士でBL妄想するのもどうかと思うけど、妄想で済ませているならまあ罪はない。好きにすればいいが、それを不特定多数の人が見る場に垂れ流したりとか、本人に送りつけたりとか、そういう非常識なのが一定数いる。多分、どんなジャンルにもいるタイプだと思う。
腐女子だからじゃなく、その人自身の持つ性質の問題だ。
絶対にやめて欲しいし、そういうごく一部を見て「腐女子はこれだから…」と思われるのも迷惑。
どんな趣味でも「人に迷惑をかけない」これは基本。
人としてのマナーだす。
自分がなぜBLを愛好するのか、ずーっと考え続けてきたことなので、まとまりがなくて申し訳ありませんが、今の時点で分かっていることを文章にしてみました。
これだと、百合(BLの女性版)が好きな女性や、百合を好む男性については全然説明していませんが、どちらも自分の中に属性がないので、サッパリ分かりません。
その辺、興味がある方は、また独自に研究されたし。
以上書いてきた内容に興味を持たれた方で、「もっとちゃんとした書籍で読みたい」という方には、大塚英志「少女民俗学」と、よしながふみ「あのひととここだけのおしゃべり」をお勧めします。