essay.3 自分の価値
本が好きだったので、国語の教科書と道徳の教科書は、毎年新しいのを読むのが楽しみだった。
教科書に載っていた話で好きだったものはいくつもある。
「くじらぐも」、「やまなし」、「スーホの白い馬」、名作が色々ありましたね。
「スイミー」も好きだったな。
好きというわけではないんだけど、なんか気になって、いつまでも覚えている話があった。
道徳の教科書に載っていたんだと思う。
せつこという子がいて、動作がゆっくりで、勉強もそうできる方じゃなく、クラスでなんとなくバカにされていた。
でも、美術が好きだったのと、コツコツ地道な作業を重ねるのが苦じゃない気質だった。
せつこちゃんが作った花びんだったか壺だったか、それが見事な出来で、なんか賞を取りました、みたいな筋だったと思う。
要は、「とりえがないように見えても、人間、何かひとつはとりえがあるものです」的なストーリーだったと記憶している。
この話、後々になっても、ふっと頭をよぎることがあった。
(じゃあ、もし美術も得意じゃなかったら?)
と思ったんですよね。
勉強が出来なくて、運動音痴で、手先も不器用だったら?
見た目もブサイクで、成績表がオール1だったら?
おまけに性格もよくなかったら?
人から褒められるような美点が何ひとつなかったとしたら、その人間の価値はないってこと?
「人間何かひとつはとりえがあるものです」という結論なら、そういうことだよね。
思春期にさしかかり、自我が芽生えて、未熟な自分と世間との折り合い方が分からず、色々悩み始める時期、最初にぶち当たるのがこれじゃないでしょうか。
「自分の価値ってなに?」
ということだ。
「人間の価値とは何か」
という、根源的な問題でもある。
だから、たくさんの漫画やアニメや小説や映画が、この問題を取り扱っているわけだ。
勉強が出来なくて、家庭内ヒエラルキーも下の方で、冴えない毎日を送っていた地味女子が、ある日クラスのモテ男子に見染められるとか。
あるいは、周りからバカにされていた男子が、スポーツを始めて変わっていき、仲間・友情・努力の大切さを知る、とか。
「どんな人でも誰かの大切な人だよ」だったり、「誰でも努力次第でこんなにステキになれるよ」だったり、そういうメッセージを発しているものが多いですよね。
そこに疑問を持つわけじゃないんだ。そういう作品は素直に感動出来る。
ただ、
(じゃあ誰からもモテなかったとしたら)(そもそもスポーツを始めることなく、怠惰なままだったら)(友達が1人もいなかったら)(努力が嫌いな人間だったら)
じゃあその人には価値がないのか?という疑問を解消することは出来ない。
「それでも、立派に独り立ちして、誰にも迷惑をかけずに生きているならエライ。大したもんだ」
という言説もあるだろう。
では、事故か病気で身体に障害を負ってしまい、他人の手を借りなければ生きていけなくなったとしたら?
生命維持に高額の医療費がかかってしまい、一時も目を離せないような状況になったら、どうなるんだ?
もし自分がそうなったら、(生きていても仕方ない)と思ってしまうかもしれない。そのとき、自分の生を肯定するには、どこに価値を見出せばいいんだろうか。
この問題、私はずーっと考えていた。
生きていたら、辛いことなんてたくさんある。(あーもう死んじゃった方がましかも)と思うことだってあるだろう。
「自分を大事にしろ」
と大人は言うけど、自分を大事に思うって、どういうことだろう。元気なときはいいけど、落ち込んでボロボロになったときにも自暴自棄にならずにいられるには、どう考えればいいんだろう。
難しい問題だった。回答が見つかるまで、随分かかりました。
私が得た答え、既に何度かこのブログで書いている。昆虫の回ね。
「この世に生を受けたなら、それだけで奇跡だ。自分の価値だなんだとぐだぐだ悩まず、精一杯生をまっとうすべし」
というものだ。
そんなこと悩むの、間違いなく人間だけなんですよね。悩むだけ贅沢だ。
これに一番近いのは、さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」ですね。別にファンではないんだけど、その一点だけは共感する。
まあでもホントさ、この世に生まれてくるだけで奇跡ですよ。母を見ていて、(私はこの人の細胞の一個だったんだなあ…)と、不思議な気持ちになることがある。
大病もせず、たいした事故にも遭わず、お陰様で無事生きとります。
で、これは、私が得た、私の答えだ。
これが正しいと言ってるのではない。ただ、自分の価値について、とことんまで考えてみて、自分なりの答えを見つけることが大事なんじゃないかと思う。
例えば、美人でスタイルがよくて、人から褒められて、自分の価値はそこにあると思って生きてきた人は、加齢や事故や病気で美しさを失ったとき、生きる価値も見失ってしまうことになる。
お金を持っていて友人も多い自分が好きな人は、仕事に失敗して借金を抱え、友人に去られたら、どん底に落ち込んでしまうだろう。
上昇気流に乗ったまま行ければいいけど、うまくいかないことは往々にしてある。
そういう人生の危機にあたって、自分の本当の価値について信念を持っていると、それが自分を守ってくれる。
今まで、罵倒されたり、人格否定としか取れない言葉で責められたり、色々あったけど、その人たちの言葉を真に受けて傷ついたことは、あんまりない。
もちろん不快だし、ショックだし、嫌な経験ではあるけれど、(自分に価値がないのではないか)と思ったことは、多分ない。
人を罵倒したり、人格否定してくる人って、大概その人自身が心に問題を抱えているか、人格が弱いことが多い。「弱い犬ほどよく吠える」というやつです。
きゃんきゃんうるさくて閉口するけどね。
このブログにたまーに登場する、前の職場のクソ上司、ホント合わなかったし、人の上に立てる人じゃないと思うし、さんざん汚い言葉で罵られたから、そのことに対しては(バーカバーカ)と思うけど、だからと言って、その人に価値がないとは思わない。
私と生きるフィールドが違って、相性が合わなかっただけで、彼には十分長所があり、立派で尊敬できる面もあった。
まあでも、人の価値について思いわずらうのは、自分のだけにしとくのがいいと思う。
他人様の価値についてどうこう言うのは僭越な行為ですわ。精神的に大人な人は普通にしないと思いますけどね。
他人に向かって「生きてる価値がない」なんて断言できる人は、病気だと思います。
リアルでそんな人がいたら絶対に関わらないし、SNSで見かけたらブロック一択だ。
例の事件について、「だから~すればよかったのに」という話ではありません、念のため。
あくまで、私が考えてきたことと、今気をつけていること、というだけです。
不毛なたられば話はしない。
もうちょっと続きます。