安達と黒沢と柘植。あるときはカップルである安達-黒沢、またあるときは魔法使い同士である安達-柘植が対になって、2:1の構図がちょいちょい作られるのが面白い。
ひょんなことから宅配の青年・湊のダンスの練習を見に行くことになった柘植。
「約束をしてしまったんだ……」
「ああ……そっかー…」
と分かり合う陰キャの2人。
「え、今のに何か問題が?」
と尋ねる黒沢に、安達が
「路上でダンスしてるタイプの人間の中に、俺らみたいなのが入ってくんだぞ」
と解説する。
つまりは「陽キャの群れに陰キャが自ら混じる」ことにおののいているのであって、劣等感と、場違いになりはしないかという不安と、そんな気持ちが入り混じったネガティブな感情なのでしょう。
「どうしよう…」
と葛藤する2人に、黒沢くんが
「じゃ、みんなで行く?」
とアッサリ提案し、3人で出かけることに。
初対面の柘植の用事につきあってくれる黒沢くん、優しいですね。好きな人の友達は自分の友達、という感覚ですかね。
バスの中で、「ごめんな? 色々考えてくれてたのに」と謝る安達に、「安達と一緒にいれればいいんだ」と返す黒沢。
そう、一緒にいられれば別に何でもいいのが恋愛初期。行き先がネズミの国だろうと、スポーツ観戦だろうと、映画だろうと、いやお出かけしなくたって、「隣に好きな人がいる」「自分のためだけに時間を使ってくれている」というシチュエーションだけでときめきを得ることが出来る。
その気持ちはよく分かる。このときの黒沢くん、多分バスの中もバラ色に映っていただろうし、頼まれれば何だってやってやるぜ!という心境だっただろう。
舞い上がって、思わずポエムを読んでしまうのも、この時期特有のあるあるで、黒沢くんの専売特許ではないはずだけど、相手が魔法使いだから、全部聞かれてしまっていたのが痛かった。
僕の恋人 黒沢雄一
横を見れば君がいる 恥ずかしがりやの僕のエンジェル
お預けデート それでもハート 刻むぜビート
安達とずっと 幸せ一緒
いやー、恋は人を詩人にしますね…!
即興にしてはきちんと韻を踏んでいて、特に中段の「デート」「ハート」「ビート」と畳みかけるような音の連なりが心ニクい。
いずれメロディをつけて、安達くんに歌ってあげたらいいと思います!
LALALAラ~ララ~ブソーング!(適当)
で、もうこの出来上がったバカップルは順調なので置いとくとして、8話で注目すべきは柘植と湊だ。
湊は見るからに「今ドキ青年」で、髪は金色、柘植に対する態度も最初はぞんざいで、柘植にとっては避けて当然の、交わるはずのない存在だった。
それが、思いがけず恋に落ちてしまったことで、交流が生まれ、宅配担当員と一人の客という関係でしかなかったのに、なぜだか湊のダンスの練習を見に行く流れになってしまう。
この作品、「手を触れると相手の心が読めてしまう」という特殊能力を軸に物語が進んでいくわけだが、この能力が一体何のためにあるのかというと、「見た目と違う人の内部を知ることで、自分の偏見や思い込みに気づく」ために存在する。
いわゆる「陰キャ」で、コンプレックスから内に閉じこもりがちな安達や柘植が、一見華やかに見える黒澤・湊といった「陽キャ」が、決して軽薄ではなく、人生イージーモードなわけでもなく、それなりに葛藤を抱えて生きていることを知って、そこから近づいていく。
そしてそのことが、人生に対して臆病だった彼らを変え、これまでと違った新しい世界へと誘っていく。
その意味では、「童貞が魔法使いになる」というのは、聞いただけでは単なる色物カテゴリなのかと思ってしまいそうだが、予想外に物語に奥行きを与える設定なのだった。
私は生まれてからこのかたほぼ「人見知り」というものをしたことがないんだけど、周りを見てみるに、おおよそ7~8割の人が人見知りのようだ。あくまで私調べだけども。
もう大人だから、社会人としてそつなく挨拶して社交辞令を交わすことは出来ても、プライベートで仲良くなりたいと思ったとき、
「自分からはなかなか話しかけられない」
という人が多い。
なぜ話しかけられないのか。
(いきなり話しかけて、え、何コイツ…とか思われたらいやだな…)
とか、
(引かれたり嫌われたりしたくない)
という思惑が働くのではないでしょうか。
でも、(え、何コイツ…)と相手が思うかどうかは分からない。それは、こちらの予想に過ぎない。引かれたり嫌われたりという反応もそう。
行動を起こさないうちから、相手のネガティブな反応を予測して、勝手に不安になっているだけで、つまりは壁打ちと同じわけだ。
そんな思い込みで、せっかく人と出会う機会を自ら潰してしまうのって、つまんなくね?と私は思うタイプなので、あ、仲良くなりたい!と思ったら、割と自分からいっちゃう方だ。
だけれども、一応日本人のシャイな心も持ってはいるので、7~8割の人の人見知りしたがる傾向も、分からんでもない。と思う。
なので、柘植が湊のダンスの練習を見にくるのが、彼にとって「日常」から一歩踏み出す行為であることは分かる。
普段の柘植ならまず越えない線なんじゃないかなあ。けど、誘われるがまま来てしまった。恋のパワーのなせるワザですね。
湊ともめるかつてのダンス仲間・ケイタを「やめなさい!」と諫めたときも、きっと柘植の心臓はバクバクしていたはずだ。ただでさえ、(自分のような陰キャが行っていいのか…?)と場違いであることを心配していたのに、苦手なタイプの若者に意見するって、いい歳の大人と言えど、なかなか勇気がいる行動ですよね。
湊に
「余計なこと、しないでいいですから」
と言われたときの、しゅんとした表情。
「そうか。…わかった」
と、大人ぶって、全然気にしていないような素振りで立ち去った柘植の内心が、ざっくり傷ついていたことは想像に難くない。
恋の熱で膨れ上がった心は、相手の冷たいひとことで簡単にぺしゃんこになってしまうものだから。
湊に触れた安達には、彼の本心が聞こえていた。
柘植を追いかけてそれを伝え、背中を押す安達。同じ「陰キャ」のカテゴリだった安達くん、魔法の力のお陰で、人は見かけによらないことと、気持ちを行動にうつすことの大切さを学んだんだね。
柘植もまた、金髪のチャラい青年としか思えなかった湊が、野良猫を心配する優しい心を持っていたり、自分を心配してくれていることが分かって、恋に落ちたのだった。
このへん、自分から外へ働きかけるタイプではない2人の童貞青年(という言い方もアレですけど)にとって、「他人の心が読める」力がプラスの作用をもたらしている。
うまい物語運びだと思います。
湊を追っかけていって、
「本気のヤツを馬鹿にするヤツはどこにでもいる」
「けど、俺はお前を、絶ッッ対に馬鹿にしないッ!! 嗤わないッ!!!」
「だから……自分を信じろ」
力強く自分の思いを告げる柘植。
恋の告白ではないけれど、この全肯定、嬉しくない人間などいるだろうか。いやいない。
なんだろうな、この台詞、画面の向こうから飛んできて、とすっと私の胸にも刺さったよ。
そう、人がなんと言おうと、自分が好きなものを好きでいていいのだ。
人が本気でやっていることを馬鹿にする人間のことなぞ、気にする必要はないのだ。
分かっているけど、こうやって改めて言ってもらえると、これほど嬉しいエールはないですね。
「なんだよ……急にめっちゃカッコいーじゃん」
柘植の言葉は湊に届いた。
「ありがと」
素直に言える湊、見かけは今ドキ青年だけど、人との垣根がないというか、素直ないい青年ですね。
ふらふらと湊に近づき、「湊……俺……」と柘植が何事かをさらに言いそうになったとき、
「ごめーん!」
といいタイミングで戻ってきた六角に阻まれて、終了。
うん、いいドラマだ。登場人物の心情も、物語の進行も、非常に丁寧に作られていて、各場面に説得力がある。
うーん、安達と黒沢のターンも語っておきたいところだけれども、ここまででまた3000字を超えている。面白い!と思ったドラマを気が済むまで語ろうと思うと、何故こんなに文章が長くなるのか。書いても書いても終わらない。
この後余力があれば続きを書きます。
が、また魔の繁忙期に突入するので、余力があるかどうかは分かりませぬ。悪しからずご了承いただきたく。