おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

「スタンド・バイ・ミー」 感想

 最近、金曜ロードショーのラインナップが充実している。

 と感じるのは、私たちの世代にドンピシャで響く名作を再放送しているからなんだろうな。毎週楽しみ。

 中でも、スタンド・バイ・ミーは懐かしく、色々思い出しながら観た。



 この映画、観た人の誰もの胸に、言いようのない郷愁を呼び起こす作品だと思う。

 アメリカに行ったことはない。文化も習慣も何もかも違うんだけど、でも、子供時代に特有のものがあって、それは恐らく人種や文化の違いを超えて共通なのだ。



「あなたはどんな子供時代を過ごしましたか?」

と聞かれて、どう答えるだろうか。

 楽しいことも、悲しいこともあった。だけど、子供のころの私が感じていたのは、(生きるのは大変だ)ということだった、と今にして思う。

 思い通りにならないことが多すぎた。何かをやれば大人に怒られる。やりたくても、家の事情で出来ないこともある。

 小学校にあがって、それなりに楽しかったけど、クラスでもめ事が持ち上がったり、仲良しグループの中でも反目が生まれたりして、その都度色々振り回されて、しんどかった。

 しんどさの原因は、「自分が子供であること」だった。子供だから、自分の環境を自分で選べないし、自分自身も制御できない。何をやるにも大人の許可がいる。

 だから、早く大人になりたかった。

 判断力があって、自分で何でも決められて、誰からも指図されない、独立した大人になりたいと、私はものごころついたときからずっと思っていた。

 だから、18歳で大学進学と同時に家を出るのは、当然のなりゆきだった。



スタンド・バイ・ミー」を見ると、子供時分に感じていた生きづらさをまざまざと思い出す。

  主人公のゴーディは、優しかった兄を不慮の事故で失ったばかりだ。それだけでも悲しいのに、やりきれないのは、両親がいまだに兄の死から立ち直れず、ゴーディに関心を向けないことだ。特に父親は、兄だけを愛して、自分のことを憎んでいる、とゴーディは思っている。だからゴーディの居場所は家ではなく、仲間たちと過ごす秘密の小屋の中にある。

 ゴーディの親友クリスも、お世辞にもいい家庭の子供とは言えない。兄はいるが、札付きの不良で、町でも有名な鼻つまみ者だ。この兄のせいで、クリスまで不良のレッテルを貼られている。頭脳明晰なのに、教師からも疎まれている。

 私が育った環境は、彼らとは全く違うものだった。なのに、ゴーディが感じている虚無感とか、家でのいたたまれなさとか、クリスが大人の狡猾さや不平等に感じる憤りとか、(分かる)と思ってしまうのはなぜなんだろう。

 多分、子どものときの私も、周りの大人の話を聞いたり、自分への扱いに感じることがあったんだろう。だけど言えずに、心の中にしまいこんでいた。しまったまま忘れていた、その箱の蓋が、「スタンド・バイ・ミー」を見ると、勝手に開いてしまうんだと思う。そんな感じ。

 少年たち4人が、「死体を見に行く」という冒険を主軸に描かれるが、大人になったゴーディが過去を振り返る形で物語が進むから、もしかすると、リアルタイムで見たときよりも、今の方が心にしみるのかもしれない。



 昔見たときには、「大人に黙って子供たちだけで遠くまで冒険に出かける」というのがもう、スリリングだった。

 線路伝いに歩いていって向こうから列車がやってきたり、ケンカしたり、色々大変なんだけど、でも絶対楽しいよね。先に何が待ち受けているか分からない。怖いし、怖気づいて「もう引き返そう」という気にもなるんだけど、仲間がいるから先へと進む勇気も沸く。

 この映画、有名な場面がいくつもあるけど、森の中に出来た水たまりに落ちてバシャバシャやる例のシーン、私は田舎育ちなので、

(ああッそんなところで長くいたらヒルが……ヒルが吸いつくぞ……)

とハラハラしながら見ていて、案の定だった。

 実家のそばにも、小さい池と水たまりの中間みたいなのがあって、そのそばを通るときいつも祖母から

「あそこに入って遊んじゃダメだよ。ヒルがいるからね」

と言われていたからだ。

 ヒルとはどんなものか、聞いた私は気持ち悪さに縮みあがり、(絶対水には入らない)と決めて、言いつけを厳守した。

 だから実際ヒルに吸いつかれたことはない。この映画で、少年4人の身体に群がるヒルを見て(ヒィィィ……)と泣きそうになった。

 まさか本物…?と思ったら、映画用に作られた小道具なんですってね。よく出来てるわー。

 映画と分かっていても、最後に

「この中にもいる……」

とべそをかきながらパンツに手をつっこんでヒルを取り出し、気絶してしまうゴーディが気の毒で、可哀そうなんだけど可笑しくて、忘れられない場面ですね。

 

 子供は何かと不自由だけど、子供だからこそ可能なこともある。

 例えば、ゴーディとクリス、テディとバーンは、頭脳の明晰さにはっきりと差がある。話上手なゴーディが即興でお話をひとつ語っても、クリスは心から楽しんで大笑いするが、テディとバーンには今ひとつ「オチ」がのみこめない。

 この4人が一緒にいて、同じ時間を共有できるのは、恐らくこの年頃が最後くらいではなかろうか。大人になった今見ると、(成長した4人が行動を共にすることは難しいだろう)ということも分かってしまうからだ。

 この、12歳の夏という限られた時間にだけ存在した「最高の仲間」。

 大人になった今、連絡を取り合うことがすっかりなくなったとしても、その思い出はゴーディにとって忘れられない宝物だったんだな。



 ところで、私の世代がこの映画を見るとき、せつない気持になってしまうのは、主役の一人がリバー・フェニックスだからだ。

 まだあどけなさの残る少年顔のリバー、やっぱり美形ですよね。

 当時、リバー・フェニックスは世界中でアイドル的にもてはやされていたと記憶している。私のクラスメイトでも、彼に夢中になっている女子は何人もいた。

 あのときは、まさか23歳という若さで早逝してしまうとは、夢にも思わなかった。



 この映画で彼が見せた演技は素晴らしいと思う。

 頭がよくて、優しく、親友のゴーディに寄せる信頼と尊敬が心からのものだと分かる。世間からの偏見や不平等に苦しみながら、自分の家庭環境のせいだ、と諦めている。煙草を吸うときの悪ぶった顔や、エースと対決するときの、プライドと怯えが入り混じった表情。

 あの年ごろの少年だけが持つ美しさとあいまって、この映画がヒットし、彼の名前が世界中に知られることになったのは、さもあろうと納得できる。

 しかし恐らく、スターダムに躍り出たことが、彼の人生にドラッグをもたらすことになったのだろうとも推測出来てしまう。

 ハリウッドで売れるということは、ドラッグの誘惑と闘うということでもあるらしいと、私たちはこれまでの子役スターの「その後」で知ってしまっている。

 テディを演じたコリン・フェルドマンも、ドラッグに侵された人生を歩むことになったそうですね。

 ハリウッドという場所は、華やかだけどデタラメで、多分無茶苦茶な大人たちが大勢いて、危険な闇がいくつも潜んでいるのだと思う。




 この映画は、リバー・フェニックスという俳優の、一瞬の煌めきを閉じ込めた作品でもある。

 今でも多くの人が、彼を忘れられずにいるだろう。

 特にファンだったわけでもない私でも、ふと彼を思い出して、(リバー・フェニックスが今生きていたらな…)と惜しまずにはいられないように。




 昔の映画を見ると、今や主役級になった俳優が脇役で出ていたりするけど、エースがキーファー・サザーランドだと知ったときは驚いた。

「あっ、言われてみれば確かに! しかも顔なんかそのまんま!」

 24がヒットしてよかったね。私はそちらは見てないけど。

 で、今さらっとwikiを見てみたら、こちらはドラッグであげられたことはないけど、飲酒運転やら酒にまつわる不祥事が一度ならずあり、4度の逮捕歴があるそうな。

 うーむ、やはりハリウッド俳優。。




 4人の少年の大冒険にまつわる悲喜こもごもを描いた「スタンド・バイ・ミー」、2021年に鑑賞する側としては、その裏の事情なんかもチラチラ頭の片隅をよぎりながら見るので、映画に描かれたストーリー以上に、色んな味わいを感じてしまうのでした。




 しかし、1986年の映画だったんですね。

 今見ても、まったく古びておらず、面白いと感じる。

 やはり、人間を描いた物語は普遍性を失わないのだな。