おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

管理人の質問箱

 こんばんは。今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 

 

 いつもここを読んでいただいている方、コメントを寄せてくださる方、ありがたいです。これまでも感謝の意を表してきましたが、それは本当の本心でございます。

 

 ……が、実は以前から、分からないというか、腑に落ちない点がありました。

 コメントを下さる皆さんが良識ある優しい方ばかりなので、甘えさせてもらって、「直接聞いてみようかな?」と思い立ちまして。

 そうです、「管理人の質問箱」とは、「管理人への質問コーナー」ではなく、「管理人質問するコーナー」です。

 そこのところご了承いただきたく。

 

 図々しいことは百も承知ですが、「OK!」という方のみ、以下お読みください。

 

 

 あのですね、しつこいようですが、このブログは私が好きなものを好きなように好きなだけ叫ぶ場として運営しております。

 レビュー記事を読んで、「好き」と言ってくださるのはありがたいのと同時に、それなら分かるのです。お好みに合ったんだな、と思えるので。

 ところで、927以降、「救われた」と仰る方が増えてきました。

 実を言えば、このコメントに対しては、

(え……このド変態ブログの、どこら辺で……?)

と、戸惑う気持ちが先行しております。

 

 人の感じ方は本当に人それぞれで、カテゴライズ出来ない。そのことは、前記事でも書いた通りで、色んな方にいただく書き込みのお陰で、自分の中の「常識」と思い込んでいたことにも気づくことが出来た。だから、(そう感じる方もいらっしゃるんだな)と受け止めてはいたのです。

 でも、自分でも自分の記事を読み返すのが好きで、何度となく読んでみるんだけど、読めば読むほど「救われる」要素が分からなくて、頭の中が「?」でいっぱいになる。

 

 

 でですね、もちろんダ・ヴィンチ大先輩の足元にも及ばないんですが、私もそれなりに「知りたい」欲求が強い人間なんですね。

 他の人が読んだこのブログの記事がどう映っているのか、純粋に知りたくなったんです。

「素朴な疑問」というやつですね。

 

Q:この「おっさんずラブが好き!」の記事で「救われた」と感じたことがある方、それはどの記事でしょうか? 

そして、どんな点が救いになったと感じられたのでしょうか?

 

 

 もしも、コメントで答えてあげてもよくってよ、という方がいらっしゃいましたら、解答をお寄せいただけると幸いです。

 いや、読むの専門なんでコメントはちょっと…という方はそのままのスタンスでどうぞ。

 

 

 あ、そんで、ご存知の通り「おっさんずラブ」にドはまりしたままド変態ブログの更新を続けている頭のおかしい管理人ですが、もしも興味をお持ちのことがございましたら、何でも質問してくださいね。

 良識の範囲なら何でもお答えします!

 

 

劇場版おっさんずラブ感想 追記①

 以前のレビュー記事で、春田の

「たとえ壊れてしまったとしても、またきっと作り直せます。街も、家族も」

という台詞に対して、私はこう書いた。

 

 ところで、家族はともかく、「街」というものは、一度壊れてしまったらそう簡単には作り直せない。

 この場面、出来れば多少の瑕疵はふんわりと見過ごしにしたかったが、私がどうしても引っかかったのはそこでした。

 …が、もちろん「おっさんずラブ」本編とは関係がないので、それについてはまた今度。

 劇場版おっさんずラブの魅力を損なうほどの瑕疵ではないことも付け加えておきます。

 

↓この記事 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 劇場版を見たときも、この記事を書いたときも、私の頭にあったのは、東日本大震災の復興がなかなか進まない被災地のことだった。

 

 地震津波で破壊された街。道路や橋、建物などの再建は、日本は恐ろしく速い国として有名なんじゃないかと思う。

 一時的に避難している人たちも、街並みが元の通りになれば戻ってきて、復興は進んでいくに違いないと、震災後すぐはなんとなく思っていた。メディアもそういう論調だったような気がする。

 ところが、ことはそう思い通りに運ばなかったのですね。

 あの震災の場合、一番の問題は放射能だった。だから、小さい子供がいる家庭は、出来るだけ遠くの場所を避難先に選んだ。

 となると、避難先で子供は保育園や幼稚園に行く。数年経てば学校へも行く。

 何年かして、元の住処が再び住めるようになったとして、帰るにはそれらを全部置き去りにしないといけない。

「だから帰らない」

という選択をする家族が多いと、そんなドキュメンタリーを見たのです。

 学校だけでなく、皆それぞれ帰るに帰れない事情があった。

 「街」とは、建物や設備ではなく、そこに住む人のコミュニティによって成り立つものだ。

 そして、コミュニティは、一度壊れると、なかなか元に戻るのは難しい。

 

 「シン・ゴジラ」に、

「避難って簡単に言うよなあ……避難とは、住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ」

という台詞が出てくる。

 やはり、震災のことを頭に置いているな、分かってるなあ庵野さん、と思った。

 

 今日本にいて、あの震災のことを知らないクリエイターはまずいないだろう。

 そのことが少しでも頭にあれば、「街は作り直せる」という台詞は出て来ないんじゃないか。

 …と、「おっさんずラブ」本筋に関係ないとは断りつつも、私はそんな風に感じたのでした。

 

 

 一方で、「では家族は作り直せるのか?」という問い。

 これに関しては、私が元々、「家族とは言え『自分とは違う人』という意味では全員他人」と感じながら生きてきた、という事情が背景にありまして。

 一言で言うと、近親者がなかなか難しい人たちだったんですね。

 どうつきあったらうまくいくのか、四苦八苦した挙句、

「敵は大人で出来上がってしまってるからもう変わらない」

「自分が変わった方が早い」

と悟ったのが、大学生くらいの時。

 さらに色々あって、

「家族だからって付き合わなければならない義理はない。付き合うかどうかは、自分がそうしたいかどうかで決めてよし!」

と、一種の達観に辿りついたのが、それから10年くらい経ってからのことだったかな。

 

 ところがですね、それからさらに時が過ぎて、もう変わらないと思った相手が、変わったんですよ。

 これは本当にビックリした。還暦過ぎてから、人って変われるの??と思った。

 でも、変わったんです。少々語弊はあるけど「改心した」と言ってもいい。

 自分が悪かったところを認めて、歩み寄りを見せてくれるようになった。

 

 

 そうか、人って変われるんだな…と思った。

 家族って一番近い関係だからこそ、難しいし、もう変わらないと諦めていたけど、やり直すことは不可能じゃないんだな、としみじみ思いました。

 

 

 という背景を踏まえて、冒頭の文章が出てくるわけです。

 

 これを書いたときの私は、家族より「街の再生の難しさ」が頭にあったので、家族の再生についてはさらっと流してしまった感がある。

 そして多分、サザエさん的な平和な家庭とは無縁に育った自覚があって、これまで「家族」というものについて散々考えたり悩んだりしてきたから、ここでは「今更」感もあったのかもしれない。無意識だけど。

 

 改めて考え直してみると、家族だって、ある条件が揃えば作り直すのは不可能じゃないけれども、その条件を揃えるのが難しい。

 親子の問題で言えば、やり直せるのも親が生きているうち。そしてこればかりは順番通りとは限らないから、子供の方が先に命を落とす場合だってある。

 簡単に「作り直せる」とは言えませんね。

 

 

 ただ、この台詞に限って言えば、私がツッコんだのは徳尾さんに対してであって、春田にではない。 

 春田なら、こんな風にさらっと

「作り直せますよ!」

と言っても大丈夫。私は許せてしまうし、多分春田を知る人ならおおかたそうだろうと思う。

 なので、「作品の魅力を損なう瑕疵ではない」とも書いたのでした。

 

 こうして改めて振り返ってみると、私はものごっつい個人的なフィルターを通して作品を観ていたのだなあ、と気づかされる。

 そりゃ、観た人全員を満足させる作品なんか出来るわけないわ。

 

 

 

 コメントでご指摘をいただき、確かになあ…と思ったのと、自分でも改めて文章にしてみたいと思ったので、追記とさせていただきました。

 そして、そうやって考え直してみると、なんか他にも書きたいことが出てきそうなので、①と番号を打っておきました。先手ですね、こうなると。書き始めると長いからなあ私。

 そんで、締め括りの文章も、前編中編後編とかになりそうな予感がしますが、書いてみないと分かりません(キッパリ)。

劇場版おっさんずラブ感想 ツッコミその③ まとめて羅列

 さてと、ここまで触れてないツッコミポイント、ざっくり書いていきます。

 割と容赦なく辛口です。

 閲覧注意。

 

 

1.ちずの描かれ方が雑

 

 私にとっては、一番物申したいのはこれかな。

 ちずちゃん、ドラマ版では物語を動かす重要な立ち位置だった。だーりおの演じるちず、私は好きでした。「とても好き」と言っていいと思う。サッパリしていて、言いたいことはきちんと言葉にして相手に伝えることが出来る。でも空気を読んで気遣いも出来る。

 牧とのあれこれについては、ドラマ版のレビューで書くのにとっておくとして、あれだけ活躍したのにこの扱いかあ…と、ちょこっと不満を覚えたのは確か。

 だーりおのスケジュールが合わなかったんですかね? わんだほうでのシーンしかないところを見ると。

 それはそれでいい。前半、春田と牧のさし飲みに割って入る形になったのが、ちずが邪魔というよりは、プチ浦島状態の春田が置いてけぼりくらっていたあたりなんか、ちゃんとスパイスが効いていたと思う。

 でも、劇場版の終盤、鳳凰山リゾートの幹部が逮捕されたニュース映像を、鉄平兄とマイマイと3人で見るシーン、あそこの台詞はちょっといただけない。

「春田たちが乗り込まなかったら、ベイエリアが麻薬の温床になってたってことでしょ?」

「春田のくせに日本救ったじゃん!」

 ここ、「?」てなったの、私だけ?

 え、それ、ローカルニュースじゃないの? 「東京救った」「首都圏救った」なら分かるけど、なんで「日本」?

 そんな大層な話??

 

 これはもしかすると、地方在住民あるあるかもしれないけど、やっぱりメディアって視点が東京なんですよね。大概は東京中心であって、それは事実なんだけど、台風だって首都圏を過ぎるととたんに報道の温度が変わるじゃないですか。

 政治や経済・流通の諸問題と違って、台風の進路なんて、東京だって一地方に過ぎないのに、「東京過ぎたらまあ…」みたいな驕りというか思い上がりを感じることは度々ある。

 それと同じニオイがして、私は最初からこの場面のちずの台詞は引っかかった。



 で、その次もですよ。

「ちずはもう結婚は諦めて、仕事に生きるんだろ?」

「いやいや勝手に決めないで! 私は仕事も家庭も両方手に入れるし、どっちも天下取るから!」

 「仕事も家庭も両方手に入れる」はいいとして、「天下取る」の意味が分かんない。

 家庭で天下を取るとは一体……? と、脇キャラのささいな台詞としてスルー出来ずに、なんとなくずーっともやもや考えてしまった。

(家庭と天下って一番遠い要素だと思うんだけどな……)

 けど、ここで重要なのは「家庭で天下取る」のが合ってるかどうかじゃなく、ちずがこういう台詞を言いそうなキャラかどうか、だ。

 だから、

マイマイ意味分かる?」

「分かんない」

と、2人がアドリブでフォローしてくれていても、モヤモヤが解消しないのだ。



「執事みたいなイケメン彼氏を手に入れる」と宣言して、有言実行してしまったのが痛快だったドラマ版のちず。

 それと同列の台詞には、私には思えなかったんだな。

 なんか、劇場版のちずがこんな大口叩くことによって、ドラマ版のちずの台詞までが

(えー、そんな浅はかなビッグマウスだったの…?)

とやや違った意味を帯びて感じられるくらい、私にとっては残念なキャラ変だった。

 徳尾さんの脚本て、こういう細かい部分で「あれ?」と思う台詞が結構ある。

 以前に触れた「一度壊れたとしても再生できる」の主語が「街」である点もしかり。

 

 だから、だーりおのスケジュールの都合かなんか知らんが、ちずの出番がちょっとしかなかったのが原因なんじゃなくて、その場面の台詞の粗さが問題、という話。

 その台詞いかんによっては、ちずがドラマ版どおりの印象を残すことも出来ただろうに…と思うと、勿体ない。

 

2.天空不動産本社がテキトーすぎる

 

 これはもう、いろーんな人がツッコんでましたね!

 レビューでは触れなかったけど、ジーニアス7てそもそもなんなん。天空不動産の社長はどこに行ったんだ。ジーニアス7、他社と組むのに壇上で狸穴さんが握手するのは自社の部下である牧。なんでや。

 「オールフォージーニアス! ジーニアスフォーオール!」って、そのコール相当練習せんと揃わないよね。新興宗教

 本社が前触れなしに支社に乗り込んでくるとか、地検特捜部のガサ入れじゃないんだからさ……黒澤部長が何も聞いてないとか、あるわけないじゃん。部長は「なんてこったー!」と叫ぶだけ、主任はクイックル〇イパーを手に右往左往。カオスすぎる。

 あまりにも短期間での無茶な地上げと言い、普通に会社勤めした経験のある人なら、片頬にうっすら笑いを浮かべてしまう描写が多かったと思う。

 お空編でも思ったけど、徳尾さんてもしかして、会社勤めの経験ないのかしらん?

 つーか、貴島さんは現役会社員でしょうに。。。

 そして監修の某不動産会社の担当者、よくアレでOK出しましたね…



3.残りをまとめて羅列

 

・ガタガタ道を疾走してもバイクの荷物から落ちない指輪の箱:特殊な磁場が発生していたと考えると理解できなくも………いや無理か笑

 

・「家宝を守ってくれてありがとう!」とわざわざ日本まで御礼を言いにくる割に、箱に入れもせず剥き出しで自転車のカゴ(!)に入れて運ばれていた壺

 

・香港ではそれなりに現地語を話していたのに、宝来ファンドのエライじいちゃんがやって来るくだりでは、なぜかまったく広東語が理解できなくなっている春田

 

うどん屋の仕事の内容を理解したからと言って地上げの役に立つとは思えんのだが…

 

・いくら好きでも夏祭りの季節にお揃いのセーターを手編みするだろうか……私編み物しますけど暑い時期は毛糸触りたくないですよ。

 

・以下略



 …とまあ、ツッコもうと思えばツッコミポイントは枚挙にいとまがない。

 もうめんどくさいので書かなかったところも沢山あるけど、私はスルー出来るその部分が「めっちゃ気になる」という人もいるだろう。

 うーん、こうして見ると、劇場版の脚本はやっぱ、雑ですね。ハッキリ言って。

「春田と牧のその後編」というご褒美感と、役者陣の変わらぬ演技、あとは勢いで押し通した感があるけど、作品としてのクォリティはドラマ版に比べるとかなり劣る。



 これが、「ヒットしたドラマの劇場版」に非常にしばしば見られる現象でして。

 シナリオブックを読むと、徳尾さんが脚本を作るのに使った時間は正味三カ月。これでも時間に余裕があった方だそうな。

 他にも平行して別の仕事をやりながらだから、「おっさんずラブ」だけに集中するわけにもいかない、という事情も分かる。

 これだけ売れっ子だらけのキャストを全員押さえて、そのスケジュールも睨みつつ、ドラマ版の「その後」を作るのは、私たちが考える以上に至難の業なのかもしれない、とも思う。

 例えば、我々民の多くが望んだような、「春田と牧の何気ない日常」「細やかな心理描写」「脇キャラもちゃんと生きる描写を入れて場面を作る」こういう条件を満たす映画を作ろうとすると、多分もっと時間と制作費が必要になるんじゃないかな。そして恐らく、それだとキャストの日程が合わない。

 

 

 という事情を踏まえて、多少の瑕疵には目をつぶって劇場版の世界を楽しむ人、楽しむことは楽しんだけど「うーん…」とモヤモヤが解消できない人、ドラマ版とのあまりの落差にガッカリしてしまった人、色々と立場は分かれると思う。

 それはもう、仕方がないことだと思います。



 私は、クォリティの違いは感じつつも、劇場版は劇場版で、めっちゃ楽しむことが出来ました。

 8月下旬から延々レビューを書き綴ってきて、こうしてツッコミたいところもあまさずツッコんで、誰よりも楽しんで味わい尽くしたという満足感も得られました。

 あー、ようやくほぼ書き終わった。楽しかったなー。



 ラスト、「天空不動産の奇跡」というタイトルで、総括的な記事を書いて、劇場版のレビューは終わりです。

 年内にはアップすると思う。



 ……多分。

医食同源

 OLと全然関係ない話です。

 しかもこのタイミングで、クリスマスともかすりもしないけど、まあそれはそれでいいんじゃないかと。

 

 

 病気のときもそうだけど、怪我をしたときに、私はまず(どうやって治そうか)と考える。

 怪我を治すのは、何よりもまず、自己治癒の力だからだ。薬ももちろん役に立つけど、細胞が再生するのが一番重要だと思う。

 何年か前、ちょっとひどい火傷をした。夜中、カズコさん(酔っぱらうと出てくるお料理好きな人格)が料理をしていたのだね。鶏肉を焼いていて、熱い油が手首の内側にはねたらしい。手が濡れていたので気づかなかった。で、そのまま寝てしまった。

 朝起きたら、腫れて水ぶくれになっていた。慌てて冷やしてももう遅い。

 濃い紫色というか臙脂色というか、小さなスプーンを押しつけたみたいな痕がくっきりと残った。

 

(さて)

と私は考えた。

(この痕が残るのはイヤだな。食べて治そう)

 ネット時代は便利ですよね。グーグル先生に聞けば、大抵のことは教えてくれる。

 そして、私ごときが思いつくような疑問は、大体もう誰かが知恵袋で質問しているのだ。

 

 怪我をしたとき私が頼りにするのが、こちら。

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 知恵袋、その道のプロも回答者として書き込みしてくれてたりするから侮れない。

 この回答者がどういう人かは分からないけど、これは本当に助かった。

 火傷をして以来、レバーや貝類を意識して食べるようにした。あとはビタミンEと、良質な脂質。細胞の再生には脂質が欠かせない。

 

 当時、作って食べたメニューで、よく覚えているものは以下。

 

・レバニラ

・鶏レバーの赤ワイン煮(完全におつまみでしたwでも美味しかった)

・大根とアサリの煮物

・ジャガイモのたらこ和え

・野菜たっぷりのひき肉カレー(スパイスから作る、市販のルー不使用のもの)

・豚ブロック肉と野菜のトマトシチュー

・野菜と果物とヨーグルトのスムージー

・ドライプルーン

・ハマグリの潮汁

・うなぎ

 

 こんなところかなあ。レバーと貝は、ともかく(効くんだ)と思って、薬のように摂取した。

 

 ところで、甘いものがあまり好きではない私、ケーキを作るのは趣味なんですよね。昔は普通に甘いもの好きで、作って食べるのも好きだった。そのうち、甘味断ちをして味覚が変わり、食べる機会は減ったんだけど、「お菓子を作る」という作業そのものは未だに好き。

 どうせだったら身体にいいおやつを作ろう!ということで、「食べると元気になるケーキ」をたまに焼きます。

 作るのは超簡単。パウンドケーキなんだけど、粉の8割をアーモンドプードルにする。

 甘みは、きび砂糖や蜂蜜。バターはけちけちせずたっぷり使う。

 ドライフルーツのミックス(クランベリー、プルーン、オレンジピールetc)と、くるみ、アーモンド、松の実などのナッツ類を入れて、レモン汁で酸味を加え、全部適当に混ぜて、焼く。

 

 カカオマスとビターチョコレートを贅沢に使ったオリジナルのチョコレートケーキは毎年作るんだけど、このときも作って、ちまちま食べたと思う。カカオのポリフェノールもなかなかいい仕事をします。

 

 

 火傷痕がほぼ消えるのに、1年かかったかな。

 今は「まったく痕はない」と断言できるくらい、残っていません。

 消えた、と思ったとき、(本当に食べ物で治すことって出来るんだな)と改めて分かって、ちょっと感動した。

 

 以下、私の右腕の写真です。ここにホントに、クレヨンで描いたみたいな火傷痕があったの。今は自分で見ても、どこにあったんだかよく分からない。

 痕消すとか加工はしてません!

 

 

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 5歳くらいのときにした火傷の痕は、今よりももっと細胞分裂が活発だったはずなのに、未だに残っている。

 だから、年齢の影響よりも、「怪我が治っていく過程」で何を食べたか、が重要なんだと思う。



 その後、大荷物を両手に持った状態で階段でつまづいて転び、足首の骨にヒビが入ったときも、肉離れになって歩行困難になったときも、同じように食べ物に気をつけるようにした。

 お蔭様で今は普通に走ったり跳ねたり出来るようになりました。

 

 この内容、実はいつか書いてみたいと思っていたんだけど、OLと全然関係ないし、機会がないかなーと思っていたの。

 ここを読んでいただいている方が怪我をされたとのことなので、もし参考になれば、と思って書いてみました。

 自分で料理をしない人は、食材に気をつけてお惣菜を買えばいいんじゃないかな、と思います。

 

 あ、それで、「怪我を治す食事」というのはつまり、「細胞の再生を助ける&促す食事」ということなので、「若さを保つ」あるいは「健康を保つ」食事でもあるわけです。

 今健康な方も、そうでない方も、バランスのよい食事で、健やかに過ごされるようお祈りしております。

 心身ともに健康を保って、この先も長くOL沼活動を楽しみましょうね。

OL沼の休憩所

 こんばんは。今夜も閲覧いただきありがとうございます。

 お空編、途中離脱して4話以降見てなかったのに、最終回が終わったとなると、なんだかホッとしたというか、何かが楽になったような気がした。

 まあ、ね、やはり「おっさんずラブ」の名を冠したドラマだから、なりゆきが全く気にならないと言えばウソになるし、ツイッターで話題になっているのも目に入ってくる。

 否定的な意見を見ると(妥当な意見だなあ)と思いつつ、視聴熱で「おっさんずラブ」がトップに来ているのを見て(よかった、ちゃんと見てるファンはいるんだ)と安堵したり。笑

 もうそういう複雑な思いに振り回されずに済む、という安心感ですかね。



 にしてもまあ、前記事のアッサリしていること。

 お空編のストーリーが相変わらずはちゃめちゃで破綻してんなーとは思ったけど、もう問題点を丁寧に指摘する気はゼロだったの。そんなネガティブなエネルギー使うほど不毛なことはないから。

 だから、以前超絶長いお空編の批判記事を書いたときには、まだ愛があったのだな。

 そして私は完全に上書き脳。一度別れたら、見向きもしないで忘れてしまうタイプだ。

「愛の反対は無関心」を地で行ってます。



 ところで、私の書く記事に対して、様々な方からコメントを寄せていただくようになって、非常にありがたく感じています。

 共感することも多々ありながら、やはり感じ方は人それぞれ。

(ああ、そういう感じ方をする人もいるんだ)とハッとさせられたり、(そう言えばそうも見えるなあ…)と改めて見直す気になったり。

 一度世に出たドラマや映画は、鑑賞する人のものであって、解釈に正解は存在しない。

 だから、同じ作品を観ているようで、多分それぞれ少しずつ、部分によっては大いに異なるのだ。

 

 

 で、自分と違う意見て、

「へええーー!! 面白いなあ!」

と感じるじゃないですか。

 私は感じる。(めっちゃ面白い!)とワクワクする。

 見る人がそれぞれに自分の受け取り方をして、破綻なく成り立つというのは、その作品が優れているという一つの指標になると思う。

おっさんずラブ」にはそういう、無限に広がっていくポテンシャルがある。



 ここをご覧になる方は、もしかするとそのコメント欄で他の人の意見を見て、私と同じように感じているかもしれない。

 そう思っていたら、本当にそうだったようで、読者の方同士での交流が見られて、それも私にとってはとても嬉しいことでした。

 書き込みしてくれる皆さんがほぼ、良識のある優しい方なのもありがたい。

 私が運営しているブログですが、私自身にとっても、癒しの場所となっています。




 思えばこの沼も、この1年半というもの、色々ありましたねえ。。

 927OL事変以降、ざわめいたり荒れたり、一部で雨が降ったりね。

 このブログを読んでくれている民の皆さんにとって、ここがホッと一息ついて、「やれやれ」とくつろげる場所となっていればいいなあ、と思っております。

 という願いをこめて、表題を「OL沼の休憩所」とつけました。




 お空編がどうであれ、「おっさんずラブ」s1が人の心を打つ愛の物語だったという事実には変わりない。

 今までと変わらず、レビューは続けていきます。

 あ、それで、今後は「おっさんずラブ」=天空不動産編、ということで表記します。

 恐らく今後、s2について単独で記事1本書くこともないと思うので。




 では、ご訪問いただいている皆さま、今後も「おっさんずラブ」のド変態レビュー記事は続きますので、「それでOK!」という奇特な方、今後とも変わりませずよろしくお願いします。

inthesky最終回に寄せて。

 休みです。

 今の職場、土曜日は出勤だけど、日祝はカレンダー通り休めるのがありがたい。

 普段は仕事がアレすぎて家のことがあまり出来ないので、溜まった掃除を休日にやればいいんだろうけど、平日は仕事に邁進、たまの休日は家事に追われるって、それなんのために働いてんの?てなる。

 ま、ぼちぼちいくことにして、ダラダラまったりしながら、気が向いたら洗濯もの畳んだりしてます。

 さっきコーヒー淹れた。いい香り。

 

 昨夜テレビつけたら、intheskyの最終回やってて、なんとなーく見てました。

 土曜夜なので鍛高譚などロックで飲みながら。アルコールが入ると、「そうだ、料理をしよう!」てなるんですよね、私。なぜだか。

 今朝起きたら、

・大根と大根葉のおかか炒め

・大根とカニ缶の中華あん

・卵焼き(あまいやつ)

・鶏肉と葱の柚子胡椒風味

ブロッコリーと鶏のシチュー風

と、冷蔵庫がおかずでギッシリになってて驚いた。笑

 どうも、明日からのお弁当のおかずストックを作る方向にシフトチェンジしたらしい。

 酔っぱらうと出てくるこのお料理好きな人格、昔から私は「カズコさん」と呼んでいるんですが、カズコさんは本当にマメだわ。

 明日はおかず詰めるだけだ。カズコさん、ありがとう…!

 

 おっと、話がそれた。

 本題。

 お空編、ラストまで見た方々、お疲れ様でした。

 支持派もそうでない方も、そう労いの言葉をかけてあげたくなるラストでした。

 

 

 以下、私の雑な感想。ネガティブな内容含みますので閲覧注意。

 

 

 料理しながらだったので、途切れ途切れではあったけど、ラストは見ました。

 へえー、そう来たか、というのと、(え…確かに前作では武蔵も幸せになって欲しいと思ったけど、このエンド、s2ファンは萌えるの…?)という疑問が。

 ツイッター見てみると、やっぱりもやもやした人が多かったっぽいですね。ビックリしたのは皆さん同じで、

「前の回をもう一度見てみると、伏線と思えなくもない展開が…」

とか、

「驚いたけど、色々考えるとこれが一番いいラストなのかも!」

とか、自分を納得させる材料を探しているコメントが多々あり。

 しかし、s2を受け入れて応援していた人も、

「え、待って、この流れでこのエンドはなしでしょ…」

と引いているツイが見られて、気の毒になった。

 hrtがmssに惹かれる描写が全然なかった、とツッコんでいる意見が多く見られたけど、それはもう、どの人もそうでしたやん、このドラマ。

 シノさんがhrtを好きになる理由も、hrtが成瀬を好きになる理由も、サッパリ分からんかった。

 顔?

 

 

 今作を作るときに、「前作とは違うものを作ろう!」と挑戦を選んだ、とは思うんですよね。おっさんずチームが。

 このラストを見ると、もしかすると「恋愛」の枠を超えた「愛」のドラマを作ることに挑んだつもりだったのかな?と取れなくもない。

 ただ、そういうドラマを見たいか?と問われれば、「さて…」てなる。

 

 

 人は、自分の好きなものを選んでいるつもりで、実は選ばされているのだ、と言うじゃないですか。だからCMが効果を発揮するし、ステマなんて戦法が成り立つのだ。

 見たいドラマと問われると、恋愛、ミステリ、サスペンス、ホラー、医療もの、学園もの、等々、既存の枠組みで考えがちだ。

 で、恋愛ドラマで言えば、「この人とくっついて欲しい」という、ヲタ用語で言うところの「推しカプ」があって、その2人がどうなるのか、成就までのハラハラドキドキを楽しむ、というのが醍醐味だと思う。

「ええっそう来たか!」

と、予想を覆される展開はスパイスとして面白いけど、それはあくまで、ラストに「成就」があること前提であって。

 「おっさんずラブ」がヒットしたのも、ラストで春田と牧が結ばれたから、その前の武蔵と同棲&プロポーズが効いたのだ。

 人はやっぱり、願った結末が叶うのを見て「ああーよかったー…」と満足を得るのだと思う。

 

 

 最後まで誰とくっつくか予想出来ない展開で、恋愛レース的に盛り上げ(たつもり)、途中から蚊帳の外だった大穴を持ってきて…って、地方競馬じゃないんだから。

 この万馬券、喜んだ人いたのかなあ?

 

 これが「新しいドラマの形」と言うなら、新しすぎて、私はまだついていけません。

 

 

 まあでもね、御託はどうでもいいんですよ。

 枠組みがなんだろうと、 面白ければ人は見る ドラマの醍醐味って、つまるところこれだから。

 s2がs1ほど支持されなかったのは、ただ単に「つまんなかったから」だと思います。

 

 

 劇場版のレビューを書くため、ドラマ版をみっちりじっくりねっとり見直し、シナリオブックも何度となく読み返して、「おっさんずラブ」をまるごと大好きだったときには気づかなかったことに気づいた。

 徳尾さんの脚本、よく言えば「余白」、悪く言えば「穴ぼこ」がたくさんあるんだ。

 それが、天空不動産編では、よい作用をもたらした。

 intheskyでは、穴ぼこが本当に穴ぼこのままだった。

 それが、同じチームが作ったこの二本のドラマの明暗を分けたのだと思う。

 それについてはまた、まとまったら詳しく書こうと思います。

 

 

 お空編の最終回を迎えて、私の素直な感想は、

 

最後まで視聴された民の皆さん、お疲れ様でした!

②これを作ってくれたおかげで、天空不動産編の奇跡が改めてよく分かった

 そして、

途中で降りてよかったぁぁあ!!!

(4話以降見てない)

 

 というものでした。

 

 

 さて、綿々と書いてきた「劇場版おっさんずラブ」の感想も、あと2本(まだあるんかい…!)で完了予定です。

 ツッコミどころの残りと、「天空不動産の奇跡」かな。

 

 

 本当は、「おっさんずラブの奇跡」というタイトルでラストを締めくくろうと決めていた。

 でも、おっさんずチームがs2なんて作ってくれたから、そのタイトルを使えなくなってしまった。

 公式さんに関して、もう怒りも恨みもない(特に関心がない)けど、そのことについてだけはちょっと迷惑だったな、と思っている。笑

ダ・ヴィンチが変態すぎて震える

 というタイトルの記事を書こうと、こないだから考えていたのだった。

 NHKで「ダビンチ・ミステリー」という特集を見たのですね。

 万能の天才という異名は知っていて、絵画だけでなく多方面にわたって非凡な才能を発揮した人であることは承知していた。

  けれども、今回AIが一部を解き明かしたダ・ヴィンチの思考が凄すぎて、(いやもうこれ……変態の極みじゃね?)と打ち震えたのだった。

「〇〇すぎて震える」という表現、あるじゃないですか。アレ、会いたすぎたり会えなさすぎたりしてよく震える某歌手の歌詞から派生した表現なんですかね? よく分からんけど。

 でも、比喩じゃなく、揶揄でもなく、本当に心底震える思いだったんです。

 

 いやーだってさ……ドローンがない時期に、「上空から見た地図を正確に描く」って、凄すぎへん…?

 て言うかそもそもその時代って、「上空から見た地図そのものがなかった」んですよ。そりゃそうだよね、飛行機なんてないんだから、上から見てどうなってるのかなんて、誰も知りようがない。

 なのに、ダ・ヴィンチは考えたんですね。

(この土地は上から見たら一体どう見えるのだ?)

と。

 そして、それを自ら(作ろう)と思ったのだね。

 どうやって作ったか。

 測ったんですよ。測るものがないから、その道具も自分で作ったんですよ。

 前例がないもののこととて、きっと何度も失敗しただろう。でも、彼はどうしてもそれをやり遂げたかったのだ。

 そして、遂に描きあげた。

 その地図は、衛星写真と合わせてみると、ピタリと一致する。

 

 最初はもしかして、鳥への興味だったんだろうか。

 鳥の姿を描くうち、彼らの目に映る世界を見てみたい、と思うようになったのかもしれない。

 そうして、俯瞰で描かれた地図が誕生したとしたら、その経緯は理解できる。

 そこから、

「自分も空を飛んでみたい」

と感じたのだとしたら、それも分かる。

でも、

「だから飛ぶための道具を作ろう」

と飛行機の設計をしてしまうあたりになると、(……すげーな…)となって、私の理解をやや超える。

 

 

 レオナルドが描いた人体解剖図があるのは知っていたし、見たこともある。

 人物を正確に描くためだと思っていたけど、どうやらそれだけではなかったようだ。

 現代の医師が見ても感嘆するほど精確に描かれた心臓の図。それは多分、「見たままに描く」ことに淫していないと出来ない作業ではなかろうか。

 ただ単に「夢中になる」「没頭する」というレベルを超えて、「淫している」ね。

 そして心臓の内部を描いた絵には、肉眼では確認できない何かが存在する。

 それは、死んだ臓器では観察し得ない「血流」の図。

 

 観察によって、レオナルドは心臓に「弁」があることを知っていた。

 普段から川や水の流れをじっと見て、水がどういう動きをするのか、彼は知悉していたらしい。

 となると恐らく、(ここに弁があるということは、液体の流れがこうなって…)と、思索と推理によって、血液の流れの真実にたどり着いたのだな。

 ちなみに、心臓内部のその血流がはっきりと解明されたのは、20世紀に入ってからのことだ。

 

 この「万能の天才」が、幼い頃満たされた家庭環境を与えられず、ろくな教育を受けさせてもらえなかったことは、この番組で初めて知った。

 え、教育を受けてなくてアレなの…?

 ラテン語は独学で勉強したの…?

 

「水はすべての生命体の成長の養分であり体液である」

「時とともに万物は変化してゆく」

 これらの言葉が、学校教育を受けていない人が独自のやり方で世界の真理に挑み、辿り着いた結果出てきたものだという事実に震える。

 

 いやもう、マジで……すごない…?(←最近のお気に入り)

 これこそ、震えていい凄さでしょ??

 

 ダ・ヴィンチが才能を発揮した分野は数知れずあって、wikiには「解剖学・生理学・動植物学・天文学・気象学・地質学・物理学」云々、延々と並んでいる。キリがないから全部記載しませんが。

 自分を取り巻くものすべてが、彼の興味の対象だったんだろうな。

 

 もちろん飛びぬけて頭がよかったには違いないけど、彼が他の人と違ったのは、「知りたい」という情熱が尋常じゃなかったことだと思う。

 目の前の現象がなぜ起こるのか、鳥はなぜ空を飛べるのか、鳥の視点から自分の村がどう見えるのか、どうやったら鳥のように飛べるのか。

 なぜ雨が降るのか、川の水はどこへ流れて、最終的にどうなるのか。

 人の目はなぜものを見ることが出来るのか、目の構造はどうなっているのか。

 教えてくれる先達はなかった。(じゃあ、自分で調べよう)と思ったんだろうな。そして、知るための手段を発明するところから初めて、コツコツとミステリーを解き明かしていったのだ。

 レオナルドの解剖図には眼球も描かれていて、水晶体がレンズとなって像を結ぶ仕組みを解明していたことも分かり、これまた震えました。

 

 知ることが「好き」というレベルじゃない。

 もう一度書くけど、知るということに「淫している」のだと思う。こういう人は。

 他人からどう見られるかとか、没頭することでどうなるかとか、そういうことをすべておいて、自身が欲するままに行動する並々ならぬ情熱ね。

「天才」と呼ばれる人たちには、すべてこの変態性があったと言っていいのかもしれない。

 いや、「天才=変態」でもう差支えなかろう。

 異論は認める。

 

 

 あ、でも、「おっさんずラブ」というドラマにドはまりしたまま、1年半以上延々と「おっさんずラブ」関連の長文記事を書き続けている私、何度も公言しているように「ド変態」だと自覚しています。

 が、「天才すなわち変態」ではあっても、「変態すなわち天才」は成り立ちませんね、残念ながら。ただ単に変態なだけ、というタイヘンなヘンタイ、たくさんいるじゃないですか。ねえ。

 このブログを続けててつくづく思うのが、(あー文章ヘタだなー自分。。)ということだ。本当に、もっとちゃんと文章修業しとけばよかった。

 もしかすると人類史上最高の天才と言っても過言ではないかもしれないダ・ヴィンチと、文字通り浅学菲才の我が身を同列に語ること自体烏滸の沙汰ではあるが、「変態」という共通点があることをひっそり喜びつつ、せめて向上心は持ち続けようと思います。