人は誰でも、「素の自分」の上から、それぞれ何かを装着して生活しているのだと思う。
例えば、「きちんとした社会人」という仮面を。
例えば、「しっかりした優しいお母さん」の着ぐるみを。
人によっては、それはひとつではなく、1日のうち何度も着替えなくてはいけないのかもしれない。
「ペルソナ」と呼ばれるそれは、高度に発達した社会では否応なく必要とされるものだし、そういう「着ぐるみ」を装着することが、自分を守ることにもなる。
牧凌太という人を見ていると、身体の周りに張り巡らせた防御システムが、とりわけ堅固だったのではないかという気がする。
だって、うかつに踏み込まれたら、分かってしまう。自分がゲイだということが。
だから、そつなく、怜悧でクールな仮面をかぶって、パーソナルスペースを広く取るようにした。
マロに先輩風を吹かされても、舞香さんに少々立ち入った質問をされても、相手を怒らせず、当たり障りのない回答をすることだって出来てしまう。
そうして、傷つきやすい自分をガラスの鎧で守ってきたんじゃないかと、私はドラマ全編を通して、牧凌太という人をそういう風に解釈してきた。
それを、気がつくと距離ゼロに詰めていたのが春田だったんじゃないかと思う。
牧くんが警戒する間もなく、あっと言う間に築いたはずのバリケードをひょいっと越えて、牧のとてもパーソナルな部分まで入り込んできていたのではないかな、と。
よく似た人を知っているからだけど、それについてはまた項を改めて書く。
ともかく、牧が気づいたときにはもう、遅かった。春田に恋してしまっていた。
なんだってあんな厄介なタイプのノンケに惚れたんだ…、と後悔しても、後の祭りだったんじゃないかな、と、これも完全に憶測だけども、「おっさんずラブ」の描写とそう矛盾はない解釈ではないかと思います。
晴れて春田と結ばれて、牧にとってもこの上なく幸せだったはずだ。
だけど、牧は多分、またこの鎧をいつの間にか装着していたと思うんですよね。
春田はお人よしで裏表がなくて、人に好かれるけど、牧くんと違って日の当たる場所を歩いてきて、「人と違う自分」でいる苦労を多分、あまり味わったことがない。その分、マイノリティへの理解が深いとは言えないし、ときどき思慮のない失言で牧を傷つけるところを、我々視聴者も何度か目撃してきた。
つきあい出したなら、本当は、その都度相手に伝えなければならない。自分が何に傷ついて、何が嬉しいのか。ケンカになったとしても、そうやってお互い、理解を深めていくものだろう。
でも、恐らく牧くんはその方法を取らなかった。取れなかったんだな。
怖かったから。春田とちゃんと向き合って、今の関係が壊れるのが怖かったと、牧本人の口からも語られている。
関係を深めることで衝突し、春田との間に決定的な亀裂が入ることは、牧くんにとっては何を置いても避けたいことだった。
でも、それでは駄目なんだ。衝突を怖がって避けていたのでは、本当の意味での絆を築くことは出来ない。
そして、実は、牧が向き合うのを避けてきたのは、自分自身でもあったはず。
鎧をつけ慣れてしまうと、なかなか、裸の自分と正面から向き合うのは難しくなってしまう。
自分を傷つけるものから身を守るための装備だったはずの鎧が、今度は、自分と相手とを隔てる「バリア」になったりもする。
その牧くんの「ガラスの鎧」にヒビが入り、砕けて散った。
ヒビを入れたのは春田だ。
だから、ここからね、春田の横で、春田の言葉を聞いている牧の表情が、もう本当に「素」なの。
ああそうか、外の世界ではやっぱり、色んなものを背負ってしまっていたんだな、と、この場面の牧の表情で気づかされる。
狸穴リーダーへの忠誠心とか。プロジェクトに対する責任感とか。
それが、春田への愛情を曇らせることにもなったのかもしれない。
けど、そういう、いわば「余計なもの」が剥がれ落ちた牧の顔、とてもスッキリしてるんだよね。重たい荷物を下ろしたような、と言えばいいのか。
牧の目は、今目の前にいる春田だけを見ている。
その顔が、何とも言えず透明感があって、牧の表情の変化をつい目で追ってしまう場面でもある。
「ゆっていい?」
と牧に聞く春田。
この言い方がもう可愛い。これと、この次の「あのね、」という言い方が、これまたアドリブ。台本にない台詞。
けど、こういうところに、春田というキャラの可愛らしさが溢れているよね。
「この先さあ、……ケンカばっかりして、牧が料理作ってくれなくなって、パンツ一緒に洗ってくれなくなっても…メールの返信遅くても……」
春田が一生懸命考えた「この先」。春田と牧、二人で生きていく「この先」。
春田が何を伝えたいのか、分かるから、牧も黙って聞いている。春田の言葉を聞いて、二人の未来を思い浮かべながら聞いているのが、牧の表情で見てとれる。
「デブになっちゃって……ハゲになっちゃっても……すっげーオナラ臭くなっても……歯も抜けて、全部入れ歯になっても……」
この辺でもう、たまらないですね。
「ロリで巨乳」という、春田の好みから遠く離れて、対極になったとしても。
イケメンの牧が、しゅっとした外見じゃなくなって、若さを失ったとしても。
それでもオレは…と、春田はそう言おうとしている。
「ボケちゃって、出逢った頃のこと忘れても……て言うか、オレが誰だか、分からなくなってもさ……」
言いながら、その遠い未来を想像して、涙をこぼす春田。
一緒に年月を重ねていくと、お互いに、色んなものを失っていくだろう。
若さはなくなり、中年になれば外見の変化も容赦なく訪れる。
それでも最終的に、お互いに対する愛情があれば、それを担保に出来るけど、時間の流れはときとして、それさえも奪ってしまうことがある。
愛する人が自分を忘れてしまうのは辛い。本当に辛い。
辛いけど、その辛ささえも引き受けると、春田はそこまで考えたのだな。
考えた上で、牧に告げる、自分の「覚悟」。
「それでもさ……」
顔を歪めて、ぽろぽろ泣きながら。
「それでも、オレは、牧じゃなきゃイヤだ…!」
「死んでも牧と一緒にいたい!」
絶叫。
春田の魂が叫ぶ、牧凌太への愛の言葉。
泣きくずれてしまった春田を、牧が抱き締める。
二人の抱擁シーン、いくつかあるけど、「牧から春田を抱擁する」のも、これが初めての場面だと思う。
そしてここが、これまでで一番二人の距離が近い抱擁だと思うんですよね。
牧の側にもう、春田に対する壁が全然ないからだ。
ドラマ版では、春田に選ばれ、差し出された手を取る形でハッピーエンドを迎えた牧。
劇場版では、危機に陥った春田を救いに、牧の方からやってくる。
お互いの体温を感じて、抱き締め合って、何も隠さない、剥き出しの心で。
この春田の「告白」、牧の中に深く染み入ったことだろう。
牧の唇からも、想いが溢れ出る。
「俺も、春田さんじゃなきゃイヤだ…!」
春田の背中に回した手に、ぎゅっと力を込める牧。
今度こそ、牧が、牧自身が、自分の意思で「春田と一緒にいる未来」を選択した瞬間。
これで、春田と牧、二人はようやくお互い同じ場所に立って、同じ未来を見つめるところまで来たんじゃないかな、と思う。
意地も何も捨てて素直になって、心の底の本当の本心をぶつけ合うには、やはり外界から閉ざされた密室が必要だった。
絶海の孤島でも、地震で止まったエレベーターでもよかったけど、こうしてごうごうと燃えさかる炎の中という舞台立て、よかったと私は思う。
気づかないうちにいつの間にか積み重なって、お互いを隔てる障壁になってしまった何もかも、廃工場と一緒に燃えてなくなってしまえばいい。
一度リセットして、新たなところからスタートすればいい。
春田と牧が本当の意味で結ばれる、この場面のために、「劇場版おっさんずラブ~Love or Dead」は作られたのだと、私はそう思います。