「チェリまほ」という略称、あちこちで見かけるので、慣れてきた。
ヒットしてますね。 話題沸騰だ。
「Cherry’s Magic」と訳しているタイトルを見かけたけど、合ってるのかこれ。
なんか、雰囲気は伝わってるからいっか。
この記事がよかった。
なんかこう、なんとなくこういう方面にいいな、と感じているんだけど、ハッキリと言語化は出来ない感情を、文章にしてあると、(ホンマそれな!)と、なんとも言えない快感が沸きますね。
一方で、私は、ぼんやりした、微妙な、明確な形をとらない何かを、なんとか捉えて言葉にしたいという欲求が強い人間なので、自分が言いたいことを、自分よりもうまく説明されると、
(うああ~っこんな風に私が言いたかった!)
と髪の毛をかきむしりたくなる。そういう、嫉妬の混じった、非常に複雑な感想を抱くことにもなったのでした。笑
いやでも、いいです、この人の文章。あたたかみがあって好き。
コロナという病、騒ぎになってからそろそろ1年が経つけれど、未だ私たちの誰も克服出来ていない。それどころか、またしても感染が拡大しつつある不気味な状況で、日々報道される数字におののくばかりだ。
この病気の蔓延でタチが悪いのが、人から当たり前のコミュニケーションを奪ってしまった、というところだ。
人と人とが会えない。親が子に、子が親に、祖父母が愛する孫に会う機会がなくなってしまった。
会えても、気軽に「触れ合う」ことが出来ない。握手やハグ、ボディタッチは我々にとって不可欠の言語外コミュニケーションであるのに、思うようにそれが出来ない。
ソーシャルなディスタンス越しに、マスクからわずかにうかがえる眼の表情を必死に読み取るしかないのだ。
そんな中、この記事が書くように、「人に触れる」ことで心の中が読み取れてしまう魔法の力を軸に動いていくこの物語は、今の私たちに欠けているぬくもりに満ちている。
コロナ禍にあって殺伐とする中で、安達と黒沢、柘植と湊には、思う存分手をつなぎ、抱き締め合い、お互いの体温を分け合うように、愛を育んでいただきたい。
ドラマの中で、彼らは私たちの抑えつけられた願望を叶えてくれているのだな。
さて、「30歳~魔法使い」については書きたいことがまだまだてんこもりある。
せっかくリアタイ視聴しているし、まだあと数話は楽しめそうなので、追っかけて感想というかレビューというか、文章を書くことにする。
という事情で早速今日は仕事から帰ってくるなりささっとインスタントの晩ごはんを済ませ、急いで洗濯を回しながらこれを書いているわけだが、そう、あの「おっさんずラブ」劇場版放映時、こうやって家事もうっちゃらかして毎晩のように超長文を書いていたのだった……と記憶が蘇って懐かしかった。
家に帰ってくるのが大体9時。そこから、晩ごはん食べて、食器洗って、明日の朝と晩の食事の用意をして、お弁当の準備をして、出来れば洗濯とかもして、体力が余っていれば筋トレもしたいんだけど、そこに「長文のブログ記事を真剣に書く」というのを付け加えたとして、さあこの項数を3~4時間で片づけられますか?という話。
なので、物理的に可能な限り、体力・気力が許せば、という条件つきではありますが、書いていきたいと思います。
「チェリまほ」以外の、使いやすい、分かりやすい略称はないものかのう。
悩ましいぞ。