今、目の前にいる相手の心の中が読めたなら。
誰もが一度は考えたことがあるだろうと思う。
私もある。あるけど、もしも今、森の中で斧でも拾って、
「あなたは正直者ですね。ハイ、じゃあ今から心を読める魔法の力をプレゼントしまーす!」
と泉の精に言われたらどうか。
(………………いや、要らねえ……)
てなるな。うん。
目の前で相手が思っている言葉が聞こえてきたら……得なこと、面白いこと、愉快なこともあるだろうけど、そうでないことも多かろうことは容易に想像がつく。
そして、心の中というのは、(自分以外知らない)と思っているからこそ自由なわけで。
それを、無断で覗き見するのは、やはりルール違反なのです。
会社のコンペで、安達と同じように、せっかく準備したプレゼンを聞きもしないで
「もう結構よ」
と言われた他の社員もいただろう。
安達がプレゼンを聞いてもらえたのは、事前に聞こえた寺島部長の本心をなぞる言葉を発したからだった。
本人に無断で、ということに加えて、「テストにおけるカンニング」と同じことになってしまった。
カンニングは、やっぱり、やってはいけないと思う。というか、やらない方がいい。自分のために。
それに向けて頑張ったなら余計に、
「カンニングした」
というその一点の事実だけで、頑張りが全部、無に帰してしまうからだ。
自分で自分に泥を塗るのと同じになるからだ。
――あんなのズルだ。
――結局魔法で知った情報を使って、興味を惹くなんて……
自分がしてしまった行為が、安達の心を真っ黒く塗り潰す。
戻ってきた黒沢とバッタリ会っても、
「偶然会えるなんて嬉しいなあ!」
と喜ぶ黒沢に同調できない。
若手に厳しい寺島部長がわざわざ追ってきてくれ、
「企画は残らなかったけど、文具への考えは、悪くなかったわ」
と言葉をかけてくれても、全然喜べない。
もしかしたら、安達が事前に準備したプレゼンの中の言葉が、寺島部長に評価されるものだったのかもしれない。
だとしてももう、安達にはそう思えない。
聞こうと思って聞いたわけじゃない。触れると聞こえてしまうのであって、不可抗力と言えば不可抗力なのだ。
土壇場で、つい寺島部長の言葉をなぞってしまったとしても、それで選考に残ったのならともかく、そうでないなら、そこまで気に病むこともない、という見方も出来る。
安達がもう少し不真面目で、ちゃらんぽらんな人間なら。
テキトーで、(まあ仕方ないか! 次からは気をつけよう)と切り換えてしまえる人だったら、こうはなってなかっただろう。
安達が優しいから、真面目だから、つい手を出してしまった「禁断の手」が、安達自身を追い詰める。
それが分かるからこそ、見ている私たちも苦しくなる。
黒沢が用意してくれた「お疲れ会」の豪華なディナー。
これ、黒沢が全部一人で安達のために作ったのかな。朝は早起きしてお弁当も作って、こんなご馳走の下ごしらえまでしていたのか。
それを心から楽しめないなんて、悲しすぎる。安達にとっても、黒沢にとっても。
黒沢がワインを注いでくれても、安達の顔に笑みはない。
安達の様子がおかしいことに気づいて、あれこれと気を揉む黒沢。その気遣いも全部、安達に聞こえている。
(冗談言ってみるか? ご褒美、ちょっと貰えるかな……とか)
「ご褒美って、何すればいい」
とまたナチュラルに返事をしてしまう。
「え、俺また声に出てた?」
慌てる黒沢の言葉を聞いて、はっとする安達。
ここから先、「魔法」がどんどん安達を追い込んでいくのが辛い。
心の声なんて、聞こえなければいい。「魔法」を失うにはどうすればいいのかも、安達には分かっている。
「俺、よく分かんないから……その……教えてくれよ」
意を決して、黒沢にそう告げる安達。
想い合う2人が結ばれる、物語的にはもっとも盛り上がるはずの場面。
こんな展開でなければ、
(よっしゃ、よく言った、安達!)
と、私たちも全力で応援できたはずの局面だった。
だのに、安達のこの台詞、
「えええーーちょっと待ってぇぇぇ!!!」( ゚Д゚)
画面に入り込んで無理矢理引き止めたくなったもんね……(涙)
黒沢も、(安達らしくないな…)と気にかかりつつも、
「分かった」
と受け入れる。
(きっと勇気を振り絞ってくれたんだよな)
(その優しい気持ち、すごく嬉しい……)
と、安達の身体に触れる。
黒沢の手が頬にかかり、顔が近づいてくる。
――勇気なんかじゃない。
――優しさなんかじゃない。黒沢の気持ち、全部知ってて、俺は、利用しようとしてるんだ……!!
どん!と黒沢の身体を突き飛ばしてしまった安達。
すぐに我に返って、
「あっ、ご、ごめん!」
と黒沢に駆け寄る。
突き飛ばされたのに、(やっぱり、無理させちゃった…?)とあくまで安達を気遣う黒沢の優しさよ……( ノД`) でまた、ここの痛々しい笑みが、うまいんだ。町田くん。
ううう……胸の真ん中が差し込むように痛いぜ……
「俺、触った人の心が読めるんだ…!」
ついに告白した安達。
今までも全部黒沢の心の声が聞こえていたこと、さっきもサプライズの計画を読んでしまったこと。
「アントンビルの屋上だよな。全部聞こえてた」
「ごめん。今まで黙ってて……最低だよな」
堰を切ったように溢れ出る言葉。
「でも、嘘じゃなくてッ……」
「安達! ……落ち着いて」
黒沢は立ちあがって、安達に目線を合わせる。
それからそっと、安達の両肩を抱いて、椅子に座らせる。
「嘘なんて思ってないよ」
黒沢の顔も真剣だ。
その言葉が真実なら、安達に触るとどうなるか理解しているはずなのに、黒沢に躊躇う様子はない。
「安達が、こんなに真剣に話してるんだ。嘘なわけない」
安達の目をひたと見据えて、包み込むような眼差しが優しい。
そしてここでも終始、黒沢の手は安達から離れない。手首を掴んで、まるで(ホラ、本当にそう思っているのが分かるだろう…?)と伝えるように。
その手を、安達はそっと外す。
「……それだけじゃないんだ。俺、今、魔法の力がなくなるのが怖い」
絞り出すように告げられる、安達の本心。
そうだよね。30歳の誕生日からずっと、魔法の力が安達の生活に与えた影響は大きい。
黒沢とつきあうようになったことだって、「心を読める」という力がもたらしたものであって。
「魔法なしじゃ、黒沢とうまくいかないかもって……こんなの、おかしいだろ!? こんな……一緒にいる資格ないだろ…」
「もうどうしたらいいか分かんないんだ…」
たくさんたくさん、悩んだんだね。安達。
魔法の力は、安達の生活に恩恵ももたらしてくれた。
でも今、意思に関係なく聞こえてくる他人の心の声が、こんなにも安達を苦しませている。
安達を見ている黒沢も苦しそうだ。
そして、黒沢が安達に伝えた言葉は、
「俺は、安達が苦しくない、選択をして欲しい」
というものだった。
安達に好きだと言われたとき、「いいの!?」と喜んだ黒沢は、
「逃げ出したくなっても、もう離さない」
と言ったはずなのに。
今だって、絶対に離したくないはずなのに。
でも、自分といると、自分が触れると、安達には自分の声が聞こえてしまう。
そのことが安達を傷つけるのなら。
「安達には笑ってて欲しい」
そして、
「俺たち、もうここでやめておこうか」
「別れよう」でも、「同期に戻ろう」でもなく、「ここでやめておく」という表現。
2人のこれまでを否定しない、黒沢の精一杯の優しさと安達への気持ちが込められた言葉。
言葉を探すように、安達の黒い瞳が揺れる。
でも、何も言うことは出来なくて。
ただただ、眼から涙が零れる。
そして、何も言わないまま、安達がコクリと頷いた。
「……わかった」
黒沢の口元には笑みが浮かんでいる。
安達の選択を責めないように。
安達が、自分自身をこれ以上責めないように。
そして、恐らくこのドラマを見ていた全視聴者の涙腺が決壊した瞬間でもあった。
まだ続く……!