おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい 第2話感想

 2人が勤める会社、正式名称は何ていうんだろう。「株式会社豊川」とかかな。文房具を扱う会社なんですね。会社のイメージカラーがオレンジなんだな。

 なので、会社のシーン、場面全体が白とオレンジ基調の明るいビタミンカラー。壁に貼ってあるポスターや棚に並ぶファイル、デスクの上など、至る所にオレンジが配されていて、その他も明るいパステルカラーが多い。

「チェリまほ」の物語のファンタジックな世界観を現しているようでもあり、コロナ禍で殺伐とする現実を生きる私たちを、明るく励ましてくれるようでもある。

 美術さん、小道具さん、ありがとうございます。




 第2話で描かれるのは、安達の変化だ。

 この安達清という青年、人生に消極的で、地味で目立たない自分にコンプレックスを持ちながら、(ヘタに動いて気まずくなるよりはマシ)と、変わったことの何もない生活に甘んじているキャラクターとして描かれる。

 30歳くらいの若者としてはバイタリティがないよなあ…という気がするが、こういう人、実は今も昔も少なくないと思う。

 特に今、様々な天災やリーマンショックなどを経て、「一寸先は闇」という状況をリアルで体験してきた人がたくさんいる。

 本当はしたいことも叶えたい夢もあるけど、諦めて生きている人が日本中に、いや世界中に溢れている現状。

 諦観と共に生きている安達の姿は、テレビの前の大勢の視聴者の姿とも重なる。




 ところがその生活が、魔法を手に入れたことによって一変する。

 終電を逃して同僚の家に泊めてもらうのも、会社で仕事を手伝ってもらうのも、ごく普通の出来事のはずなのに、漏れなく「自分に激萌えしている黒沢の心の声」がついてくるから、ドキドキハラハラ、そしてソワソワ、安達の感情のふり幅が一気に広がった。

 ただ、これまでずっと、割とカロリー消費の少ない生き方をしてきた安達が、いきなりあんなハイカロリー男の本音に接することになったわけだから、さぞかし疲れただろうな…と思う。

 人と普通に話をするのだって、エネルギー要るもんね。

 それが、勝手に聞こえてきて、それが全部自分に関することだったら、いっぱいいっぱいになると思うわ。陰キャの安達くんでなくとも。




 だから、「同期として」という黒沢の台詞に(そうだよ!)と頷き、同期としての距離を守ることで自分のスタンスを確立しようとするのは、よく理解できる。別に、ズルくもなんでもないと思う。

 ところがそこへ、「散らばった書類を一緒に片づける」というイベントが発生。

 

(よかった。役に立てて)

(傍にいられるなら、同期でいい。それ以上は安達も望んでない)

 

 という、黒沢の内心が聞こえてしまう。

 

 いやー……第1話終盤に引き続き、黒沢の見せ場なんだけど、ここもまんまと心を持って行かれたよね…!

 黒沢は常に安達のことを見ていて、安達の助けになることは何でもしてやりたいと思っているけど、何の見返りも望んでいない。

 同期としての距離感で、安達が居心地悪く感じないくらいの立ち位置で傍にいられたらそれでいい、と心に決めている。



 ううう……せつねぇ……



 こんな、見た目も経歴もパーフェクトな男が、心の中まで男前で、こんなにも真摯に自分を想ってくれていることが分かったら、どんな人でもコロッと参ってしまいそうな気もするけど、そこはそれ、「恋は思案の外」と言いますからね。そう単純にはいかないのだ。

 何もかも申し分のない相手から誠実に愛されていて、自分も相手のことを好きになれたら無問題ということが分かっていても、恋愛の対象としては見られない……ということもよくある。

 そもそも脳の中に恋愛に関する細胞が少なく、恋愛にまるで興味がない人もいる。

 安達がちゃんと、黒沢のことを好きになれてよかったと思います。



 ところで、床に散らばった書類を集めてファイルに収納する場面、ファイルがレインボーカラーなんだけど、これあえての虹色なのかな?

 そう思ってみると、デスクの上の書類ケースもレインボーになってたりするから、やっぱり配慮された演出なのかも。




 このドラマ、「全方位に優しいドラマ」だと書いたけど、「恋愛に興味がない」キャラとして設定された藤崎さんの描き方に、その姿勢が感じられるからだ。

 これまで、恋愛ドラマが主流だった時代には、

「男女がいれば恋愛して当然!」

という風潮が蔓延していた。最後に「!」をつけたのは何となくではない。本当にそういう空気だったと思う。

 だから、

「男女がいるのに何で恋愛しないの!?」

 みたいな台詞も普通に聞かれた。

「周りにこんなにイイ女がたくさんいるのに、誰ともつきあわないって…てまさかホモ!?w」

 みたいなおちゃらかした台詞とかもね。

 まあもちろんね、男女で惹かれ合って結婚して子供を産んで家族を増やしていくのが、社会の基本的な単位なので、それがスタンダードな形であることに異論はないんだけど、様々な立場の人が見ているドラマで、自分のことを責められたり、疎外されていると感じたりする人がいるかもしれない……という配慮は、当然あってしかるべきだと思う。

 惚れっぽい人もいれば、まったく惚れない人もいる。

 異性が好きな人もいれば、同性が恋愛対象の人もいる。

「草食系」どころか「絶食系」なんて言葉もあるくらいだ。未経験歴=年齢の人なんかいくらでもいるだろう。

 その、どの立場の人も、ドラマを見る。

 ドラマを作る側には、そのことを頭に入れて作っていただきたい。



 第2話で、黒沢からの好意に戸惑う安達が、

(好かれたのが藤崎さんだったら、こんなに悩まなかったのかな…)

と考えるシーンがある。

 それはやはり、「恋愛は男女でするもの」という「常識」が安達にあることを示していて、「おっさんずラブ」で春田が(もし牧が女だったら、こんなに悩まなかったのか…)とぐるぐる考えながら街を疾走するシーンと重なる。

 ただ、こういう常識はさらりと提示されるだけで、これ以上踏み込まない。

 安達も、

(…いや、悩むな。俺なら)

と、自分を顧みて納得する。

 これ以降、「相手が男だから」という理由では黒沢を拒否しないのだ。



 そしてこのドラマ、「童貞が恋人を見つけて脱☆童貞する」というストーリーであり、それを全視聴者が祝福したわけだけれども、「30になって童貞である人」を責めたり、バカにしたりする視点は全然感じられない。

 浦部さんが初回で安達に

「もっと危機感持てよ!」

とか、

「藤崎さんとかどうよ?」

とおせっかいな台詞を言うけど、それくらい。

 これがもし、ひと昔前のラブコメだったら、それこそ藤崎さんと六角とか、周りでもバンバン恋愛フラグが立っていたところだ。

 でも、それがない。兆しすら感じられない。

 そこら辺が、

「人がいたからって常に恋愛が発生するわけではない」

「恋愛せずに生活してたっていいじゃない別に」

と肯定してくれているみたいに感じて、息苦しさを感じない所以かな。




 そう、息苦しかった。昔のドラマ。

 社会の矛盾とか、意識のズレとか、多分作る側も無自覚に盛り込んで、特濃になってたりした。

「ごくせん」2を見てて感じるモヤモヤもそれだ。

 学校を運営しているのに、教育というものに使命感もなければ、生徒に対する愛情もない理事長。

 不良生徒に向かって「クズ」という罵声を連呼する教師たち。

 ヤンクミのかっこよさを引き立たせるための演出としても、あまりにも台詞に愛がなく、見ていて心が冷える。

 録画は消してしまった。



 突出したよさを探すのは簡単だけど、「やっていない」ことに気づくのは難しい。

「チェリまほ」は多分、これまでのドラマが無自覚にやってきた色んなことを、あえてやっていない(おっさんずラブもそうだった)。

 台詞も演出も考え抜かれている。

 だから、人を傷つけない、ドラマ全体が優しい色を帯びた作品になったのだ。



 消極的で、なにか起こると「逃げる」という道を選択してきた安達が、第2話で、最初の「変革」を見せる。

 黒沢を追いかけていって、エレベーターのドアをがしっと止め、

「メシでもいかない…?」

 って、第1話で会ったときの距離を考えると、長足の進歩ですよね。

 ただ、小さなエピソードを積み重ねて、安達の心が動いていく様子が、丁寧に、繊細に描かれているから、この「進歩」に無理がない。

 まずは一緒にご飯から。おつきあいの初歩。

 安達、よく言った。

 そして黒沢くん、前髪掴んどいてよかったね!

 ……と、見ていた誰もが心の中でガッツポーズを取ったはずだ。



 で、このドラマ、エレベーターでいつも何かが起きるのね。

 始まりもエレベーター、安達が一歩踏み出すのもエレベーター。別れの切っ掛けとなった出来事もエレベーターの中で起こる。

 そしてもちろん、ラストもエレベーター。

 ひと昔前だったら「エレベーター・ラブ」とかのタイトルつけられてそうだ。



 第2話の一番好きな場面は、何といっても「パジャマの安達に爆萌え!」シーンですよ。

 好きな相手に似合うと思ってパジャマ買っちゃう黒沢くん、若干変態入ってますよね。

(き……着たくねぇ~~…)

て青ざめる安達が可笑しい。

 妄想安達の上目遣いがきゅるんと可愛くてヤバい。笑




 そう、どんなにまともに見える人でも、心の中には変態を飼っているのです。

 とド変態ブログに無理くりこじつけたところで、以上!