おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

YOASOBI「夜に駆ける」

 YouTubeに馴染むようになって良かったことは、「流行っているものに気づく」のが早くなったことですかね。

 流行りモノには割と背を向けるタイプだったけど、その「もの」が良いか悪いかと、流行りかどうかは関係ない。

 流行っているからと飛びつくのも愚かだが、「流行っているから」背を向けるのも、同じように愚かだな、と思うようになった。

 多くの人が「いい!」と思って流行が生まれているわけだから、自分も同じように「いい」と感じる可能性も低くないわけだし。

 ということで、食わず嫌いは極力しないようにしております。

 限度があるけどね。




 藤井風、しばらく前から聞いております。岡山からまたドエライ人が出てきたな、と心が震える思いでした。

 あんなスタイリッシュに岡山弁を落とし込める人、いる? 歌詞に「青さ粉」とか「肥溜め」とか出てくるんだよ? しかも肥溜めにダイブしちゃうんだよ?

 でも、ダサくない。岡山弁だからこそカッコいい。

 すげーなー。

 こないだ関ジャムで、誰だっけな、「宇多田ヒカル以来の和製R&B」って言ってたんだったか。

 確かにこのインパクト、宇多田ヒカルの登場時を思わせる。

 これからミュージックシーンを席捲しそうですね。

 

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 一人称がリアルに「わし」なのと、ゴリゴリの岡山弁がまた面白い。

 私の実家は山陰なので、言葉が似ているのも親近感が沸く。




 SNS発で、色んな才能が出てきて、その動きは素直に凄いと思う。時代だなとも思うし、コロナ禍がその動きを加速させたのも確かだと思う。

 でね、表題の曲も、めっちゃ流行ってるじゃないですか。

 もう再生数1億超えてる。

 

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 私も聴いてみて、耳に心地よい声だし、若者に受けるのも分かるなあ、と思ったんだけど、それよりも歌詞が気になった。

 抽象的ながら、光とか暗さに関する言葉が並んでいて、途中で明るい方向に向くのかと思ったら、やっぱり「夜」に駆けていく。




 冒頭が「沈むように」と始まるんですよね。でもメロディは上がっていって、再び降りてくる。不思議な浮揚感。

 儚い雰囲気をまとった、寂しい眼をした彼女に惹かれた「僕」。

「明けない夜に落ちていく前に 僕の手を掴んで」

 と言っているし、明日を「眩しい」と形容しているから、夜が明けて、朝を迎えることを、ポジティブに捉えていることが分かる。

「いつか日がのぼるまで 2人でいよう」

 と言っているから、そのうち2人で朝を迎えるのかと思うじゃないですか。



 ところが、そうはならない。

「君は優しく終わりへと誘う」

 んですね。

 そして、中盤では「僕」の方が手を差し伸べていたはずなのに、

「忘れてしまいたくて閉じ込めた日々に 差し伸べてくれた君の手を取る」

 と、立場が逆転している。

「沈むように 溶けてゆくように」と冒頭と同じ歌詞が繰り返された後には、「染みついた霧が晴れる」となっていて、これは問題が解決されたというよりは、「僕」の方が彼女の闇に呑まれてしまった風に受け取れる。

 そして、繋いだ手を離さずに、

「二人今夜に駆けだしていく」

 で終わる。

 2人に朝は来なかったのだ。




 この歌、元となった小説があるんですね。「タナトスの誘惑」という小説の内容に合わせて作られた歌で、小説がズバリ、自殺願望がある彼女とつきあった彼氏の話で、最後はやはり「二人で夜に駆けだす」というラストなんだけど、それはつまり二人で夜のビルから飛び降りることを意味している。

 小説というか、ほんの「掌編」で、ほぼあらすじと言ってもいいくらいの物語だ。小説投稿サイトに投稿された作品で、読むと、これを下敷きによくぞあの完成度の高い楽曲を作ったものだな、とそっちの方に感心するくらいだ。

 まあでも、自死の願望を肯定的に描いた作品なんですよね。お話も歌も。

 この暗い歌が、なぜここまで受けるのか。



 スピッツも、基本的に全ての曲で「SEXとDEATH」を歌っていると言っている。多分、暗い何かを内包した、決してキャッチーではない内容の歌詞を、心地いいメロディとリズムと歌声で歌われると、その違和感が「他にない何か」になって、ヒットを生むんだと思う。

 そこがハマる人には、中毒性があるんでしょうね。

 

 

 私はこの曲、嫌いじゃないんだけど、聴いているとざわざわする。なんか、自分の中の、呼び覚ましてはいけない何かに触れそうで、禁忌の蓋が開きそうで、そっと回れ右をした方がよいと、本能が告げている。

 彼女の手を取って、一緒に夜に駆けだしてしまった「僕」のように、行ってはいけない方向に行ってしまいそうで怖い。

 この不穏な歌詞と、ポップだけど無機質な歌声、私にとっては異質すぎて、日常で鑑賞する気にはなれない。




 若者がこの曲を支持するのは、この歌詞の内容を分かっていないとか、ポップな曲調に誤魔化されているからではなくて、暗さも含めて「分かる」と感じているからではないかと思うんですね。

 コロナ禍で今、世界中で色んなことが立ち行かなくなって、「死」というものがこれまでになく近い存在になっている。

 だからやっぱり、この曲が流行るのは、世相を映しているんだろうな、と思うのです。




 なので、好き嫌いはあれど、流行っているものに触れておくというのは、必要なことなんだな、と、今更ながら思ったのでした。