さて、事故からちょうど4週間が経ちました。
私を診てくれたドクターは、
「大体みんな最低4週間はかかる」
と言った。痛みが取れるまでのおおよその時間ね。
折れてないし、ヒビも入ってないし、痛いだけだから、じゃあもう少し早く治るかも、と思っていた。
最初歩くだけで激痛が走って般若の形相になっていたのが、1週間経つと痛いながら動けるようになり、2週間経つとかなりマシになり、少しずつ少しずつよくなっていっているのが自分でも分かった。
でも3週間めに突入しても痛みが完全に取れるということはなく、固定バンドと痛み止めが欠かせない状態で、(これあとちょっとでホントに治るのかな…)と先を危ぶむ気持ちが生まれていた。
ヘタするとあと2週間くらいかかるかもしれん、やっぱもう若くないから回復も遅いんだな……と、やけっぱちとか凹むとかではないんですが、まあしゃーないな、とそういう思いでした。
ところが、昨日の朝。
起きると毎回、(ああ、今日もやっぱり痛い)と感じていたのが、痛くなかった。
(あれ? 痛くない?)
てなって、痛み止めもバンドもなしに過ごせた。
で、今日は普通に出勤の日。運動量が多い仕事なので、やはり念のため痛み止めを飲み、湿布も固定バンドもしていったけども、大丈夫だった。
午後、昼食後に必ず飲んでいた痛み止めをやめてみたら、それもいけた。
「4週間」というのはホントでした。
お医者さんてすげーな。
というわけで、お陰様でなんとか回復したようです。
2月、もちろん痛いので物理的にも困ったんですが、意外なところに支障が出たのが、
(ブログの文章が書けない)
ということでした。
書くネタはあるんだ。「書くことがない」という状態に陥ったことは、今まで生きてきて一度もないんだけど、そうじゃなく、文章としてアウトプットすることが出来ない、という事態に見舞われた。
事故に遭った、しかも轢き逃げ事故なので、言いたいことは山ほどある。あるけど、例えば
「車は走る凶器なのにそれを心得ていない人が多すぎる」
というのは前々からずっと思っていたことで、大いに主張したいところなのは確か。
だけど、その、私の意見をそのまんま書くのはイヤなの。つまんないから。
文章を書く人には分かってもらえると思うんだけど、文章書きにとっては、「文章を書く」「文章を読む」どちらもエンタメに属する行為なわけです。
自分で楽しいと思いながら書きたいし、それを読むときにも読む人に喜んでもらいたい。自分でも読み返してもう一度楽しみたい。
料理人が大根をまるたのまま土つきで客前に出したくないのと同じで、自分の意見を何の手も加えずに書くのは、わざわざ開示する必要はないわけで。それは日記で十分だ。
「車は凶器だと心得ていないドライバーが多い」
という素材を、読んで面白い形に加工するというのが、つまりは大根を切って隠し包丁を入れて面取りして出汁で煮て……という「料理」に相当するんだと思う。
で、その、「料理する」工程が出来にくくなったんですね。
いや、まあ、普段からそんな大した文章書いてないですけども。
これは前にもあったことで、どうも私は、怪我をして痛みと闘っているときには、エネルギーがそっちに行ってしまって、文章を練ったりすることが出来なくなるらしい。
病気は平気なんだけどな。前インフルで38℃以上高熱出してたときもブログ更新してたし。
なんか、私の脳内がどういう回路になっているのかは知らんが、「怪我を治す」のと「文章を書く」のは両立しないみたい。
不思議だ。
1月は20本以上記事を更新しているのに、2月はたった7本。少ねぇ!
3月はがしがし更新……したいところだけど、今度は仕事がちょっとエライことになってて、先の見通しが立たない。
身体もね、普通の生活が送れるくらいには回復したんだけど、まだ走ったり跳ねたりすることは出来ない。マシンを使ったワークアウトも厳しい。
うー走りたい。跳ねたい。汗だくになってバーピージャンプしまくりたい。
私は身体を動かすのが好きだったんだな、と改めて実感しております。
まあでも、いつか必ず完治するので、ここはじっと我慢の子で、無理せず参ります。
治ったら死ぬほどHIITで汗流してやる。