おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

ハウルの動く城

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【人生のメリーゴーラウンド】

 

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 ジブリの映画のサントラCDは結構持っているんだけど、この曲はNo.1に好きかもしれない。

ハウルの動く城」冒頭から流れてくるこの曲、メランコリックでもの哀しい旋律が、様々な曲調で展開されて、ぐっと心を掴む。ワルツというところがいいですよね。(まこと、人生とはワルツのようなものかもしれん…)と思わされる。

 ピアノver.だと、高音がまるで空から降ってくる雨の雫のようで、クラシックな雰囲気と合わせて、イギリスのファンタジーにふさわしいと感じる。




 この映画、一度制作の遅延で公開が延期になった。それもあり、ようやく観に行けたときは嬉しかった。美貌の魔法使いハウルと90歳の老婆になる呪いをかけられたソフィーの物語。私はキャーキャーと夢中になり、滅多にないことに、4回観にいった。この記録は、劇場版おっさんずラブまで破られなかった。

 今見てもゴージャスで、面白いですね。

 ただ、何度も繰り返し見ているとアラも目につく作品でもある。



 宮崎駿監督は、職業声優を使わないことで有名だ。海外作品の吹き替えで、(あ、吹き替えだ)と分かるあのいかにもな感じを嫌うのは分かる。分かるけど、だからってド素人にやらせることはないだろうよ、せっかく面白いのに台無しじゃん…と一度でも思ったことのない人は少ないんじゃないだろうか。

 俳優に声優をやらせるのは、成功例もあり失敗例もあり、これまた賛否が分かれている。

 ハウルの声をキムタクがやると聞いたとき、(えーキムタク?)と思った人は多かったはずだ。

 いや、でも、公開された映画を観たとき、予想以上のよさに驚いた。

 今ではもう、彼以外がハウルを演じることは考えられない。

 それくらい、ハウルというキャラクターにキムタクはぴったりとハマっていた。



 倍賞千恵子はなあ…おばあちゃんのソフィーならいいんだ。けど、少女ならやはり若い人の声を使って欲しかった。加工したっておばちゃんの声はおばちゃんなんだよね。声には年齢がくっきりと出る。

 倍賞千恵子さんの演技は何の問題もない。素晴らしい。若いソフィーもこの声でいくと決めたパヤオの判断ミスだと思う。




 好きな場面はいくつもある。宮崎映画と言えばなんと言っても印象的な飛翔シーン。冒頭、ハウルとソフィーが空中を歩く様は、音楽とあいまって、素晴らしい名シーンになっていると思う。

 あとはあそこだ。おばあちゃん2人が階段をのぼるシーン。ヒンを抱えたソフィーが

「お、重い…」

 と階段と格闘する場面、後ろ姿の芝居だけでめちゃくちゃ可笑しい。そんで、魔法を使えず歩かされている荒れ地の魔女がどんどん老けていって、汗だくになって、でも意地でのぼり続けるところね。

 ソフィーとの掛け合いも笑えるし、颯爽とソフィーを追い抜いていったときには妖艶なマダムの声だったのに、どんどんおばあちゃん声になっていって、最後

「あたしんだよぉ!」

と椅子に飛びつくところでは本当に90歳くらいの台詞で、美輪さんすげーな、と改めて感じ入る。

 あと、キングスベリーの街並みや、星の湖など、風景描写がともかくも美しい。宮崎さんの作品はいつも、アニメであるからこその素晴らしさを教えてくれる。

 水をたたえた湖の深い青と、その向こうに差す影。

 千と千尋と並んで、水の描写が美しい作品だと思う。




 キャラクターがそれぞれ、多面的に描かれているのも魅力的。

 ハウルは美貌の青年で、自分でも美しさに自信を持っている。だから、ソフィーが掃除したせいでまじないが解けて、髪が思ったように染まらなかっただけで、この世の終わりのように嘆き悲しみ、「美しくなかったら生きている意味がない」とまで言ってしまう。

 ヘタレで弱虫、自分からちょっかいかけておきながら、荒れ地の魔女から逃げ回っているし、王様の呼び出しがイヤだからってソフィーを身代わりに生かせる始末。

 まったく、しょーがねーな、と思っちゃうんだけど、いやでも、いるいる。こんな男。

 そして、力のある魔法使いであるが故に、魔力の闇の部分にも接近してしまい、もう戻れなくなる縁まで行きかけるんだけど、ハウルのそんな光と闇が物語をくっきりと彩る。




 主人公であるソフィーは、これまでのジブリ映画のヒロインとはちょっと違う。帽子屋の娘で、長女だから家業を継がなければいけない、と思い込んで、人生の色んな可能性を諦めて生きている。

 それだけでなく、妹のレティと違って、人目を惹く美貌を持たないことにコンプレックスを抱いているらしい描写もある。

 荒れ地の魔女に呪いをかけられて、老婆の見た目になってしまうが、彼女自身の思い込みもその魔法を強固にしていて、だから作品中ではソフィーの心の持ちようによって、見た目年齢が様々に変化する。

 だけれども、本来ソフィーという人は、前向きで、逆境にも弱音を吐かず、とりあえず挑戦してみようという、陽気でへこたれない性質なんだということは、おばあちゃんのソフィーの活躍を見ていれば分かる。

 コンプレックスとか諦めって、こんな風に人の性質をねじまげてしまうんですね。。




 しかし、なんと言ってもこの作品の肝は、荒れ地の魔女の造形だと思う。

 原作だと荒れ地の魔女は、怖くて悪い魔女というだけだ。それを、魔法の力で若さと美にしがみつく執着だとか、見栄とか、自分の欲望に正直すぎるところとか、およそ人間が持つ弱さを詰め込んで、お話を動かしていくトリックスターとしてだけでなく、非常に魅力あふれるキャラに仕立て上げたのが、パヤオパヤオたる所以だと思う。

 それだけでなく、ハウルもソフィーも、荒れ地の魔女の性格を分かっていて、排除しないんだよね。

 ファミリーとして受け入れ、食事を共にする。荒れ地の魔女のせいで大変なことになっても、断罪もしない。

 ラスト、ソフィーは荒れ地の魔女が手放そうとしないハウルの心臓を、取り戻そうと理を説いたり、責めたりはしないのだ。

「お願い」

と頼む。

 この辺、日本人的とも言えるのかもしれないけど、私はこの方が奥行きがあって優れていると思う。

 この点では、原作を超えたと言えるかもしれない。




 魔法があり、家族の物語でもあり、ダイナミックな飛翔があり、そしてハウルとソフィーとの恋物語でもある。

 あとはもう、パヤオマジックにかかってうっとりと映画を楽しみたいところだけど、どうにもそれを邪魔するものがある。

 物語の背後にちょろちょろ出てくる「戦争」だ。

 最初はそれほど気にならなかったんだけど、後になるにつれ、目障りで仕方なくなった。




 この戦争、どういう切っ掛けでとか、どことどこが戦争しているだとか、細かい事情は何も描かれない。

「どっちが敵でどっちが味方?」

と聞くソフィーに、ハウル

「どちらでも同じことさ」

と答える。その通り、戦争とはどちらに罪があるとかそういうものではなく、ひとたび起これば敵も味方もなく理のない破壊が進むのみである、と、そういうことを言いたいのかもしれない、と想像はつく。

 けれども、そこへわざわざハウルが出かけていって、ちょっかいをかける理由がよく分からないし、物語の筋に絡んでくる理由も分からない。

 いかにもパヤオが好きそうな、不細工な飛行機がたくさん出てくる。あの醜悪さも、戦争の象徴としてあえてそのように描いたんだろうけど、私からすると、

「いつまでも飛行機や乗り物が好きな宮崎監督の稚気」

の象徴のように思えてしまう。

 あの戦争に関わる部分、まるまるカットしたって、この話は十分成り立つのだ。

 なんだってあんなうだうだ戦争場面を付け加えたかったのか。全然分からん。

 戦争を絡ませるのなら絡ませるで、もう少し必然性を持たせて欲しかった。




 だから、お話全体として通してみると、整合性には欠けるんだな。物語としては破綻している部分が多々ある。

 ピースはすごく精巧で、作り込まれていて、魅力的なのに、当てはめてパズルが完成しても、絵の全体像がもう一つ曖昧だ。

 だけれども、パーツパーツが見事なので、抽象画として楽しめなくもない……みたいな。




 で、まあ、ここから先は批評というよりは、単なる一般のジブリファンとして私が感じたことなんですが。

ハウルの動く城」を見て、私は宮崎監督の衰えを感じてしまったんですね。

 天才と言えど、老いるんだな、と思った。物語の破綻は、「千と千尋」でも感じていたことだった。風呂敷を広げ過ぎて、回収できないまま強引にラストへと持ち込む力業。一見成立しているようで、繰り返し鑑賞していると、アラがやはり目立ってしまう。

ナウシカ」や「ラピュタ」の完成度は、もうなかった。「もののけ姫」も多少散らかっていたけど、あれは物語もそうだったし、「これもアリ」として見れた。

 でもハウルは、この取っ散らかり方は、ストーリーテラーとしては反則だろう、と思った。

 



 この散らかり方は、監督が意図してやったというよりは、当初担当する予定だったスタッフが降りてしまって、途中から宮崎さんが引き受けたとか、色んな事情があったようですが。そんな内輪の事情、悪いが観客にはまったく関係のない話だ。

  このブログに詳しく書いてあって面白かった。

 

type-r.hatenablog.com

 

 宮崎駿と言う人は恐らく、「映像研に手を出すな!」の浅草緑と同じで、世界観を作り、その中の約束事や物理法則を考えだし、奇妙な仕掛けや装置やロボットを創るのは非常に得意なんだろう。だけど、物語の整合性や全体のまとまりを考えて長編のアニメを作るには、何かが足りない人なんだろう。

 結局、「ハウル」以降、宮崎作品でわざわざ映画館に足を運ぶ価値があると思える映画に出逢うことはなかった。

 だから、私にとっては最後のジブリ作品になってしまった。

 

 

 私には、「ハウルの動く城」という映画は、テーマ曲である「人生のメリーゴーランド」と同じように、美しく、もの哀しく、きらびやかな面もありつつ、ほろ苦い味わいの映画だ。

 「ナウシカ」や「ラピュタ」や「紅の豚」みたいな、血が沸き心が躍る冒険活劇にはもう、新しく出逢うことはないんだなと思うと、やっぱり寂しい。

 

 

 それはそれとして、原作ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「魔法使いハウルと火の悪魔」は、まったく別物として面白いです。

 ファンタジーが好きな人にはおススメ。