こないだやってましたね。
録画して見ました。
いわゆる「パヤオブランド」ではないんだけど、ジブリ映画の中で好きな作品のひとつだ。
「耳をすませば」のスピンオフ的な位置づけというのもあるかもしれない。
ジブリって、冒険とロマンがいっぱい詰まった壮大なストーリーが売りのようでいて、意外とこういう、THE☆少女漫画なお話がうまいなあと思うんだけど、「耳をすませば」も「猫の恩返し」も両方パヤオじゃないのだった。
「猫の恩返し」は、何と言うか、まことに「ちょうどいい」んだな。
スケールはそれほど大きくない。だから肩が凝らない。気を抜いて、コーヒーでも飲みながら、あんまり頭を使わずに見ていられる。
ドキドキもハラハラも、それほどしない。キュンとしたり、ちょっとせつなかったりはするけど、それだけ。
でもそれがちょうどいい。いい塩梅。
ただでさえストレスが多い世の中、さらにコロナ禍の下で、これ以上余分なエネルギーを使いたくない。
予定調和の優しい世界。
そういう映画が存在してくれると、ひととき、心安らかな時間を送ることが出来るのです。
ある日たまたま助けた猫が、猫の国の王子様だった。なーんて、いかにも女子高生が考えそうなファンタジーだけど、その通り、これは「耳をすませば」のヒロイン・月島雫が作った物語、というふれこみなんだな。
荒唐無稽なファンタジーのようで、久しぶりに見直してみると、色々、(ちゃんとしてるな…)という感想を抱いた。
猫の国からしゃなりしゃなりと大名行列がやってくるのは夜。猫が夜行性というのもあるだろうけど、怪異が起こるのは夜と相場が決まっておる。
不思議な声に導かれた主人公のハルが、バロンの住む街へと迷い込む。時間の経過と共に日は落ち、黄昏時を迎える。日が没するちょうどそのとき、バロンに生命が宿り、いきいきと動き始める。
これはもちろん、「耳をすませば」で聖司がバロンを雫に見せるときの場面を踏まえての設定なんだけど、ファンタジーにおいて「黄昏時」というのは重要な時間帯だ。
昼と夜との境目こそが、彼岸と此岸が近づくときで、人間とそうでないものとの交流が生まれる時間帯だからだ。
「君の名は。」でも、黄昏時=誰そ彼どき、彼は誰どき、と古語の解説がなされ、主人公の二人はまさに黄昏時に時を隔てて会うことが出来た。
物語とは、人が神話の昔から連綿と紡いできたものであり、そこで作られた約束ごとというのは、今に至るまで生きているのだ。
これまでの常識に囚われない、新しい物語というのも、もちろんあってもいいし、面白ければ何でもいいんだけど、古くから受け継がれてきた決まり事には、それなりに存在理由があるのであって。
よほど作り手の描きたい世界観がしっかりしていて、見る人を惹きこむ魅力があれば、それはそれで成立すると思うけれども、そうでなければ、約束ごとを踏襲せずに作られた物語は、作り手の知識が乏しいのか、思慮が浅いのか…という、浅薄な印象を与えかねない。
……とこれは、こないだの「バケモノの子」で抱いた細田守作品と比較しての私の感想です。
実際、「創作」とは言うけれど、何かをゼロから作るというのは、ほぼ不可能なことだと思う。
文章を書く人なら、まず本を読むのが好きだろうし、アニメを作る人なら、漫画やアニメが好きだろう。必然的に、これまで親しんできた作品の影響を大なり小なり受けていることになる。
同じ型、同じ構造を持つ物語はいくつもある。
それを、「パクリ」「二番煎じ」と感じさせるか、「オマージュ」と受け止めさせるかが、作り手の腕の見せ所だと思う。
何度も何度も見ていたのに、「ラピュタ」と「カリオストロの城」がまったく同じ構造を持つ、ほぼ同一といっていいお話だと気づくのに、私はかなり時間がかかってしまった。
気づいたときの衝撃。
これはやはり、料理人の腕がいいからでしょうな。
「猫の恩返し」はその点、まったく目新しい要素はほとんど見当たらない。
(あーこれ見たことある)のオンパレード。
だがそれが、例えば冒頭、バロンの邸が映し出されると、(あ、『耳をすませば』の地球屋に似てる……)と記憶が刺激されたり、街で見かけた白いブタ猫をハルが追っかけていく場面なんかは、雫がムーンを追いかける場面をきっちりなぞっていて、「耳をすませば」を見たことがある人には嬉しいサービスになっている。
(あーこれこれ! これ見た!)というのが、嬉しい驚きになっているのがうまい。
猫の国に連れていかれた後も、猫になっちゃったのを嘆くハルを楽しませようと、猫王が
「何か楽しいことをやれ!」
と周りに命じる。このくだりも、いろんなお伽話で見たことがあって、女子高生のハルが物語の中に入り込んだ証拠みたいで面白い。
目新しい要素を使わなくても、構成と演出次第で、いくらでも面白いお話は作れるという好例だと私には感じられた。
私は猫がとても好きで、好きすぎて飼えないくらいの猫好きだからして、妙に人間チックにデフォルメされたネコのキャラクターやイラストは受け入れられないんだけど、このお話の猫は好き。
「恩返し」と言いながら、次々とクソ迷惑な仕掛けをやらかしてくれるお調子者のナトル、猫が喋れたら本当に言いそうな自己中な台詞が可笑しくて、ムカつくんだけど憎めない。
主人公のハルちゃん、可愛くて、抜けてて、ちょっと動くとすぐつまずいてすっ転ぶ。いかにも「りぼん」かなんかの少女漫画誌で主役を張りそうなヒロインだ。きっとそこそこ運動神経はよくて、勉強はあまり得意じゃないんだろうな。
やり過ぎるとあざといけど、これも絶妙なバランスで、愛せるヒロインに仕上がっていると思う。
バロンが文句なくかっこよくて、これもよかったですね。なにしろあの雫が惚れこんで考え出したキャラクターだもんね。そりゃ、すべての二枚目要素を詰め込んでないと。
最初から最後まで、頭のてっぺんから爪先……いや尻尾の先まで、「バロン」の称号にふさわしい男前ぶりでした。
そう、彼に「イケメン」という軽薄な形容詞は似合わない。
ここはやはり、「男前」でしょう。
あ、そうそう、この映画も職業声優じゃなく、役者が声をあてていますが、見事に違和感がないですね。
うーん、パヤオよりもよっぽどキャスティングがうまいんじゃないだろうか。
主役のハルを演じた池脇千鶴を始め、バロンの袴田吉彦も、ムタの渡辺哲も、トトの斉藤洋介も、イメージといい演技といい、ぴったりハマっている。
あのコワモテの丹波哲郎が
「あるわけないニャ!」
とか猫語でアフレコしてるところを想像するとちょっと笑っちゃうけど。笑
しかし、王子様のルーンを演じた山田孝之が当時19歳というのがどっひゃーだよね。確かに若々しく凛々しい声だよ。
しかし、19歳かぁ……時の経つのは早いのう。。。(ため息)
「耳をすませば」のスピンオフらしく、爽やかで可愛らしい、読後感…というのにあたるのは何というのか。「視聴後感」? まあともかく、見た後に心が和んで、はりつめていたものがふっとほどけるような、そんな作品だと思います。
掌編と言っていい規模の作品ではあるけど、ジブリのお約束、「空を飛翔する」シーンはちゃんとあって、見どころも十分。
本家と言うべき「耳をすませば」の感想も、機会があれば書きたいと思います。
(どうせそのうち日テレさんが『〇のジブリ祭り!』とか言ってやってくれるじゃろ……)
ことほどさように、ジブリの作品に親しんで、ジブリの作品を見て育ってきたと言っても過言ではない私だけど、宮崎駿というクリエイターに関しては、稀代の天才として尊敬しつつ、言いたいことも沢山ある。
間違いなく一時代を築いた偉大な人であるだけに、その功罪も大きい。
それについても、またいずれ。